第2話(1)
視線の先には、糸目の大男がこちらを見下ろしていた。
青年から放たれる形容しがたい威圧感に、風竜は重心を前に移動させる。臨戦態勢となり、今にも威嚇で吠えだしそうだ。
しかし、そんな彼のことなど気にする素振りもなく、少女は靴を脱いで家に上がる。長身の男に抑揚のない口調で「その子はフリュー」と雑に紹介しながら、部屋へと入って行った。
彼女がドアを開けた時、入れ違いに新しい人影が出てくる。少年は全身の毛を逆立てる勢いで警戒を強めた。
「何事っすか……って、え、誰だオメェ」
「あぁミグモ。ちょっと私も分からなくてね、少し手伝ってくれ」
ミグモと呼ばれた人は、金髪にピアスが特徴的な青年だった。
不機嫌そうな垂れ目は、品定めするかのように頭から爪先まで見つめる。不快に思った風竜は最大限の睨みを向けてやった。
一方、シイカは困った笑顔を浮かべて腰を下ろす。怖がらないでほしいと片手を差し出した。
さながら犬に似た扱いに、少年は鼻を鳴らして立ち上がる。こちらの機嫌もあまり良くない様子だった。
茶髪の男に連れられたのは、広くも古いリビングだった。どうやらこの雑居ビルの上階はアパートのようだ。
灰皿や新聞紙が乱雑に置かれたテーブルに案内され、少年は渋々席に着く。そこからは隣の狭い和室まで見え、あの少女がランドセルの中身を広げているのが見えた。
机を挟んだ向こう側。
糸目の男と金髪の青年が並んで座る。
彼は優しげな声で自己紹介をした。名は舜太 詩歌、少女の保護者に近い立場である。そして金髪の彼は、大学生の境沢 深雲というらしい。
「色々あって混乱してるかもしれないが一先ず、どうして此処に来たのか教えてくれないか」
糸目なせいでどこを見ているのか推測しがたく、風竜は怪訝そうに見上げる。
相手からは危害を加えるような気配はない。彼は眉根を寄せながら経緯を話した。とある組織の事務所にいたら襲撃に遭い、逃走している途中で出会ったと。
一通り聞くと、深雲がスマホから視線を外して問う。
「事務所? どこのだ」
「勇義組。用があるって呼ばれてたんだけど、まさかこんなメンドーなことになるとか」
風竜は大袈裟に溜息を吐く。やれやれと言いたげに肩を竦める彼に、向かいの二人は顔を見合わせた。
未成年が裏社会の組織に呼び出されるとは、一体どういうことだろうか。
理解できなかった詩歌は、彼に親の所在と住所を尋ねた。しかし黒髪の少年はどちらに対しても“無い”と答える。
「オレ、あっちこっちの組に乗り換えてたんだ。どこの組でもない無所属っつーこと!」
自慢するかのように誇らしげに言った。
この街には無数の民間組織が存在する。一昔前ではヤクザと呼ばれるであろう集団だ。
風紀が乱れる昨今、隣人と協力関係を結んで自己防衛を図ろうとする人間が大勢生まれた。それにより諍いや抗争も増え、風竜のように親のいない子どもも少なくない。
更に彼は続ける。ずっと同じ集団に所属しているよりも、組織が崩壊する恐怖に冒されることなく、またリスクも負うことなく生きていけるのだと。
「なんでもやるぜ、飯と一晩の寝床さえくれりゃァな」
風竜はグローブを嵌めた左手でピースして見せる。詩歌は呆然としていた。
まるで傭兵だと思ったのだ。
彼の口振りから、過去に犯罪に手を染めている可能性は大いにある。それも無自覚で。この少年に倫理が育っていないのかもしれない、と口を引き結んだ。
ふと、和室で宿題をしていた少女がやって来る。茶髪の青年の前にファイルを出した。
「あぁ音読か。今日の範囲は?」
「最初から十行目まで」
少女はその場で教科書を開く。少し舌足らずな滑舌で読み始めた。
「第一章、言影とは」
言影とは、前触れもなく人間の体に宿る呪文である。唱えると超人的な力を操ることができる、謎に満ちた危険な異能だ。
基本的に言影は人によって詠唱が異なり、必ずしも全ての人間が持つわけではない。
多くは影がなくては行使できず、使い方次第では人を傷つけるため、発現した人は速やかに国の諸機関に通達すること。
読み終えた少女は、ぱたんとテキストを閉じる。詩歌は渡されたバインダーにサインしていた。
「はい、よくできました。宿題は終わりかな」
彼の問いに一つ頷く。音読カードを返してもらうと、すぐに身を返して行った。
その背を眺めて風竜が呟く。彼女が持つファイルに書かれた文字が気になった。
「……キョウって名前なの?」
「オメェ漢字も読めねぇのかよ。響さんだ」
スマホ画面をタップしながら深雲が言う。少年は興味なさげな相槌を打った。
再び静かになる居間に詩歌の声が零れる。低音は穏やかでいて重みがあった。
「では、次は私たちについて話そうか」




