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Shadow hides──その犬たちは少女の番をする  作者:
【第二章】誰が為の遠吠え
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第13話(2)

 彼の左頬に、言影の“証”が浮かび上がっていた。


 入墨や痣とも違う。ウェーブフォームを彷彿とさせるそれは、少年の頬を縦に裂くように鮮明に輪郭を持っていた。


 風竜は軽い身のこなしで、次々に立ち塞がる男どもを薙ぎ倒していく。とても手負いの子どもがする動きではない。

 ひと一人など少しの踏み切りで頭上を飛び越え、黒革グローブの拳から放たれる殴打は骨まで響いた。


 先ほどまでの彼の姿勢とは異なる。否、他の誰かが取り憑いていると錯覚してしまいそうな。


 豹変した少年の体捌きに、詩歌も深雲も驚きを隠せなかった。二人がかりで止めるので手一杯だった筈だのに、今は彼だけで圧倒している。

 無理に息継ぎをしていたが、容赦も加減もない。琥珀色の目に映るすべてが敵に見えるかのようだった。


 四肢を引き摺り、長髪はピアスの青年の元へ近づく。彼は建物の壁に凭れ、上がったまま収まらない呼吸で言った。


「舜太さん、アイツもう、体力ねぇんじゃ」


 骨を叩く音が鳴る。転がる体を踏みつけ、蹴り捨て、急所を執拗に殴った。

 その眼差しはどこか虚ろで、平生の彼からは想像もつかないほど()()()処理していく。


 やがて戦場に立ったのが、胴間声の大男と少年だけになった。

 彼は肩で息をする子どもに対して、気味悪そうに笑ってみせる。肩を回して歩み寄り、巨体を揺らしながら挑発した。


「怒りに身を任せる的な展開かァ? 感情だけじゃ誰も助けられねェぞ」


 しかしそれに答える声はなかった。風竜の面に表情はなく、挙動に苛立ちは見られない。簡単に言葉を介するならば操り人形に似ていた。


 巨漢が先に仕掛ける。

 アスファルトに罅が入ってしまうほど強い踏み込みに、空気抵抗を物ともしない鋭い突き。一直線に少年の顔面へ向かったが、彼は難なく右へ躱す。

 だが避けた先にもう一方の拳が放たれた。彼は一気にしゃがみ込んでやり過ごす。相手が上体を引いた瞬間に立ち上がり、勢い殺さず右のアッパーカットを試みた。

 それは(すんで)のところで回避される。追って少年は、彼の喉を目掛けて左拳を突き出した。


 言わずもがな咽頭を狙うなど外道の所業。だのに風竜には迷いがなかった。


 皮膚を掠める。咄嗟に無頼漢は後ろへ飛び退いたが、黒髪の彼から逃れるには遅すぎた。

 靴裏が地面に噛みつき、間合いは一呼吸の間もなく詰められる。再び右の鉄拳が牙を剥いた。

 それは相手の鳩尾に沈み込み、抉る。子どもの殴打にしてはパワーが遥かに大人を超えていた。下手をしたら拳が砕けてしまうほどである。


 男の焦点が乱れた。

 追い討ちで、固く握った左手で正面から顎を打つ。(おとがい)は自身の喉に押し込められ、思わず呻きが漏れる。

 相手は離れて平静を保とうとするが、当たり所が悪かった。呼吸ができなくなった彼は地面に倒れる。


「やべぇ、倒しやがった」


 呆然と深雲が呟いた。

 その瞬間、喘ぐ少年の殺意が彼らに向けられる。


 生気を欠いた眼差しだ。そう思った半瞬後、影は眼前に迫る。気がつけば、金髪の腹に風竜の拳が打ち付けられていた。


 彼の口から血が吐かれる。隣にいた詩歌が止めに入った。


「な、何しているんだッ! 風竜!!」


 軋む体に鞭打ち、長髪は少年の腕と肩を押さえつける。しかし思い切り振り払われてしまった。


 狼狽する青年に構わず、風竜は姿勢を崩さない。今一度彼は、仲間に向かって暴力を振り翳した。

 疲労と負傷で詩歌は動けない。何より、彼が襲ってくるなど衝撃でしかなかった。腰が抜ける。足が強張る。

 迫るは敵意の拳。糸目は腕で防ごうとした。


 だが鳴り渡ったのは、意外にも甲高い音と低い声だった。


「駄犬、俺が躾けてやろうか」


 霞人が間に入り、少年の殺気を受け流したのだ。


 脹脛からの出血が止まっていないにも関わらず、彼はすぐさま攻めに移行する。番犬同士で殴り合いが始まってしまった。

 単純な力勝負では霞人が上らしく、風竜は一撃を食らうと怯む。それでも休息は取らずに、仕返しを打ち込もうと腰を落とした。


 離れた場所で詩歌は、意識が飛びかけている深雲を抱える。二人の攻防を見つめることしかできなかった。

 止めようにも、黄色い瞳の少年には声が届かない。これではどちらかが倒れなくては終わらないのではないか。


 血が滴る。嗚咽が聴こえる。


「やめろ、」


 同じ制服を身につけているのに、どうしてこうなったのだろう。

 痛々しい若者たちの乱闘は見るに堪えなかった。


「やめてくれ……」


 声帯は震えて仕方ない。浅く息をする金髪の青年を抱きしめて、糸目は俯いた。


 その時、凛とした声が矢の如く戦場に響く。


「フリュー!!」


 聞こえたのは幼い組長のものだった。


 すると、呼ばれた子犬の攻撃が止む。足元の影から鎖が伸び、先端は彼の首へと巻き付いた。

 まるで首輪を付け直したかのような光景に、霞人は構えを解く。

 鎖が空気に溶けると、全身傷だらけの少年は唐突に意識を飛ばした。がくんっと足から脱力し、前方にいた青いメッシュの青年が支える。


 静寂に帰った道路の真ん中。

 黎明の光が差し込んでくる。鉄と錆の匂いが沈殿した。


 腕の中の風竜は、だらりと青年に身を預けている。荒々しい呼吸のまま、汗の伝う瞼を閉ざしていた。

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