第13話(1)
何処で選択を間違えた?
やはり深麗や他の構成員も呼ぶべきだったか?
最初からあの番犬も中に入れるべきだったか?
思考の深淵に、響は潜っていた。
呆然と横たわった青年を見つめているが、その瞳は彼を見ていなかった。
戦えど戦力差は一目瞭然、勝てるわけがない。もうすぐ朝になる。そうすれば一般人の通行が増える、被害が飛び火する。
では逃げるか? 否、逃げ切れる保証はない。加えて逃げては組織の名に傷がつく。父親含め、代々この組の長たちが守ってきた威厳と信頼に泥を塗ることになる。
(でもそんなこと言ってる場合じゃ、)
判断は自分に委ねられている。
自分の一声で皆の運命が決まる。
三年前からやり続けてきたことではないか、何を今さら躊躇っている。
声を上げろ。
戦え。
退却しろ。
違う、どちらも正解でない。
早く判断を、指示を、命令を――!
「キョウさん!!」
少年の声が響き渡る。彼女は体が浮く感覚を覚え、顔を上げた。視界は暗いまま、アーケードの非常灯が目に映る。
風竜が、少女と青年を抱え、右に回避したのだ。
自分が先ほどいた場所には、二人の男が折り重なるように倒れ込んでいる。戦闘の最中に吹き飛んできたのだろう。
彼女は長い間放心していたことに気づき、額に汗を滲ませた。
そんな幼い組長に、少年は顔を向けさせて大声を上げる。何をぼうっとしているのかと、黄色い双眼は怒りが滲んでいた。
顎を掴まれた響は困惑の色を浮かべる。意識は戻ってきているが、まだ本調子でないらしい。
「こっからどうするつもりなんですか」
彼の指さす方向には、今も仲間が死闘を繰り広げている。すでに手負いの状態だ。
深雲も詩歌も言影所持者であるが、局所的な影では行使できない制約がある。だが相手は単純に影があれば良いようだ、こちらが劣勢なことに変わりない。
勝機はない、確実に。
俯いた響は逃げようと決めた。宝石店には悪いが盗まれたものは取り返せない。圧倒的な力の前で屈する他、術はない。
しかし口を衝いた言葉は、助けて、だった。
飼い主は震えた両手で風竜に縋りつく。項垂れた艶やかな黒髪を見下ろし、彼は深く息を吸った。
年相応の弱々しい姿は少年の網膜に振盪する。その時、右半身のものよりも猛烈に胸が痛んだ。黒革グローブの下の掌が熱い。
どうしてか、頭に響いてきたのは遠い記憶の声で。
『お姉さんはね、ほんとは強くなんかないんだよ』
彼は立ち上がる。右腕の血はいつの間にか止まっていた。その分の血が頭頂部に集まっていく感覚がする。
『でも人って不思議ね。守りたいって思うと』
体を戦場へと向ける。鼓動が高鳴ってやまない。
周囲の音が遠ざかる。
唯一はっきり聴こえるのは、かつて出会った女性のいつかの言葉。
『信じられないくらい強くなれるんだ』
前触れなく頭に書き殴られた文言を、彼は声にした。
「《飼い殺せ、愚者の名を》」
✶
疲労が溜まっている。体力も底を尽きそうだ。詩歌は上がった呼吸を押し込める。
右フック、左足で払い、後ろへ移動、屈んで避け、間合いを詰めて一撃。
動きが遅くなっているのは嫌なほど分かっていた。何人殴っただろう、残りは何人いるのだろうか。混濁する思考が呟く。
「ゔッ」
脇腹にバールがぶつけられる。防いでも痛みが反響した。
深雲を一瞥する。彼も満身創痍だ、立っていられるのが奇跡とも思える。無理をしているのは明白だったが、青年も余裕がなかった。
糸目は蹴りを繰り出すも、避けられカウンターが放たれる。相手の拳は胸を抉り倒した。
息ができなくなり、脂汗が噴き出る。なんとか踏ん張り持ち堪えるが、長髪の体幹は崩れてしまった。
迫り来る殺意の足音。暴力の壁は近い。
これ以上後ろには下がれば、上司のいる道に入ってしまう。食い止めるなら此処だ。
だのに足が竦んでしまう。切歯する彼は死をも覚悟した。
だがその決心は不必要になる。
中央にいた一人の頭に誰かが、長身の詩歌を跳び越えて降ってきた。重い音が鳴ると、寸前までやって来ていた壁に風穴が空く。
誰かは瞬く間に、右側の野郎の胸倉を掴んだ。その勢いで殴打を顎に噛ます。次に後ろへ足を振り上げ、背後を襲おうとした者を蹴り飛ばした。
仄暗い路地に駆けるのは、黄金色の残光。
「ふ、風竜……?」
黒髪の少年は、さながら鬼神のような出で立ちで戦場に返り咲く。
彼の左頬に、言影の“証”が浮かび上がっていた。




