第12話(2)
店内の騒がしさが一層酷くなった。店先で待機していた風竜は、戦況が悪化したことを察する。
彼はすぐにでも駆け出しそうな様子だったが、飼い主の命令が効力を持つ以上、一歩たりとも動けない。
しかし、その拘束は間もなく解かれる。
「っカイ!!」
響は忠犬の名を呼び、店へと突っ込んで行ってしまった。風竜は咄嗟に引き留めようとしたが、小さな体はするりと躱してしまう。
彼女の集中が切れたからか、無意識のうちに命令は取り下げられたらしい。少年は体の強張りが消え、足が前へと出た。
追おうとした時、彼女と入れ違いに店から人影が飛び出してくる。
「キョウさん! 今のやつッ」
すれ違った男の胸には大きなバッグ。そして項に刻まれていたのは、言影所持者の“証”だった。
間違いなく強盗犯の一人だ、仲間を置いて逃げたのだろう。
風竜は交互に視線を向ける。混沌と化す店に飛び込む少女か、走っていく男の背か。どちらを追うべきか、三度迷った挙句、彼は体の向きを反転させて犯人を追尾した。
店からすぐの角を左に曲がる。街灯の少ない狭い道路に出た。
咎人は相当必死なようで、少年の制止の声で余計に焦っている様子だ。足を縺れさせるのを見る限り、悪人には見えない。
風竜は追いつき、躊躇いなく背に飛びかかった。
細身の男は早口に謝罪して身を捩る。その顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。
「ごめんなさい許してっ殺さないでっ」
「なに言ってんだあんた、殺すわけ」
訝しげな顔をして彼は鞄を取り上げる。盗人は四肢を暴れさせるが力は弱く、死に物狂いで少年の下から這い出ようとした。
逃さぬよう強く押さえつける。すると情けない声を上げる彼の口から、奇妙な文言が飛び出してきた。
言影だと気づいたが、今は強い光源がない。薄い効果だろうと高を括る。
しかし唐突に眩い光が、左から差し込む。顔を向けたそこには、停まっていた車がライトを点灯させていた。
瞬間、殺気を感じる。同時に右から衝撃を食らった。
「は――?」
理解が、追いつかない。彼は目を右に向けた。
左側から差し込んできた自動車のハイビームによって、右側に自身の影が色濃く伸びている。そこから無数の槍がこちらに突き出、刃先は右半身の皮膚を穿った。
風竜は鋭痛に倒れる。言影持ちの男は立ち上がり、動揺した足取りで数歩下がった。
逃げられてしまう。
少年は歯を食いしばり、両手を相手の片足首に掴みかかった。
「やめ、離してっ」
「逃がすかクソ野郎……ッ!」
傷は浅い部類。もう一度言影を唱えられたら次は致命傷になる。分かっていたがまだ無理はできる。否、無理をしなくてはいけない。
風竜は爪を立て、最大限の握力で引き戻そうとした。この際、相手の足が潰れてしまおうが、自分の傷口が開こうが構わない。
彼は噛みつく勢いで、細い下半身に全体重を掛けた。
エンジン音と心拍の音が大きくなる。
無我夢中でしがみつく彼は、不意に遠くから呼ばれた。詩歌たちが駆けつけてくれたのだ。
だが安心したのも束の間。
差してきていたハイビームが、更にその光度を高めた。
眩しさに視界が焼けるようだ。彼が目をきつく閉じると、近くから胴間声が落とされる。
「遅ェと思ったら千万路組サンがお相手じゃねェか」
揉みくちゃになっていた二人が顔を上げる。その刹那、押さえていた華奢な男の頭が吹き飛んだ。
彼は力なくアスファルトに倒れる。辛うじて頸はあったが意識を手放したらしい。
肩や腕の燃えるような痛みを堪え、風竜は側に来た人影を見上げる。巨漢は黄色い瞳の少年を見下ろし、顔を覗き込んできた。
見るからに肉を食らうような野獣。彼の腰が逃げた。
無頼漢の後ろには大勢の男がいる。みな不機嫌そうに関節や首を鳴らし、こちらを見つめていた。
「ほォん、見たことねェガキだな。仕事の邪魔すんじゃねェぞ」
「盗みが仕事ォ? ドブネズミみたいだね、あんた」
反射的に去勢が張る。吐かれた毒に、大男はにんまりと笑って見せた。
俄に、少年の左頬が痛む。相手が鋭い殴打を向けてきたと思考が回ったのは、五秒あとになってからだった。わざと外したのだろう、掠めただけで出血するほどだ。
首筋に冷や汗が伝う。腰を抜かしかけた子どもと巨漢の間、怒声が切り込んだ。
「風竜から離れろ!!」
鈍い音とともに深雲と詩歌が戦線へと躍り出る。相手は軽い調子で後退し、口角を吊り上げた。
「丁度、皆と話してたんだ。千万路組を殺るならイッキに潰さないとなって」
台詞の終わりが開戦の合図だった。
彼が引き連れていた野郎たちが、拳を構えて襲いかかる。どう見ても十人そこらの数ではない。
詩歌が率先して相手をしている隙に、金髪の青年が風竜に後方へ下がれと押し退ける。随分と乱雑に突き飛ばされたが、深雲も負傷しているのが見えた。
戦線から離れると、曲がり角に響が隠れている。そのすぐ足元には、ぐったりと脱力した霞人がいた。
体を引き摺るように風竜が向かう。慌てて声を掛けると、少女は体を震わせて零した。
「ごめ、なさい」
誰に、何を謝罪しているのか。
赤を垂れ流す少年には分からなかった。




