第11話(1)
建物からの炎は衰えを知らず、窓から黒煙を吐き出している。
外ではLead Letterの隊員が、目の前の道路をきつく睨みつけていた。褐色の顎には、口からの出血が滴っている。
そんな彼女に、同じ制服を身に纏った青年が駆け寄ってきた。
「樹樹、大丈夫か!? ……って、どないした、その顔」
関西弁の彼は怪訝な顔をする。傍らの女は肩で息をしつつ、赤を拭いながら低く返した。
「逃がしてしまった」
「逃がしたって、さっきの子ぉ? 仲間に回収されてったって感じか。しゃあないで」
軽い調子の青年に、桃色の眼光が鋭く向けられる。むっとした顔で彼女は首を振り、先ほどの戦闘で殴られた頬を擦った。
脳裏に過るのは、あの少年が嵌めていた黒革の指抜き手袋。そして爛々とした琥珀色の双眸。
彼女は険しい表情で、代表に知らせなくてはいけないと呟いた。変わらず青年は、気の抜けた様子で何をと尋ねる。
燃え盛る建造物を背に女は言った。
「“カコ”に瓜二つだったんだ」
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風竜が目覚めて最初に目にしたものは、もう見慣れた天井だった。
家だという答えに至るまで数分かかる。思考が巡って、真新しい戦闘の記憶が蘇った。負けたのだと理解が追いつく。
胸のあたりが言語化できぬほど気持ち悪い。
先ほどの女が唱えた言影の効力だろう、未だに気を抜くと上下左右が分からなくなってしまう。彼は溜息を吐いた。
その音が聴こえたからか、近くにいた人影が被さる。
「風竜っ やっと起きたのかよっ」
深雲は不満げな表情を浮かべる。垂れ目は心配の色が滲んでいるように見えた。
いつの間にか外は暗くなっている。読めもしない壁掛け時計を、虚ろな目で見上げた。
ピアスの彼はその後も、体調に関してマシンガンのように質問をしてきたが、あいにく少年は答えられるほど覚醒していない。深雲は一通り喋ると、大きく息を吐いてみせた。
彼は、風竜が倒れてからどうなったのかを手短に話してくれる。
建物の所有者である翔星組は壊滅した。千万路組の二人だけではどうしようもなく、危うく彼自身も殺されるところだったそうだ。
そこに霞人が合流し、命からがら逃げてきた。風竜を背負ったのも彼らしい。
「赫が来てくれなかったら揃ってお陀仏だったわ。マジで情けねぇ」
深雲は首裏を掻き、バツが悪いように俯く。
ふとドアがノックされる音がした。
金髪の青年が応えると、訪問者と何かを話した後に彼が出ていく。代わりにやってきたのは小さな影だった。
ひょこひょこと小走りするそれは、風竜の傍までくると腰を下ろす。黒目がちな双眼が覗き込んできた。
「ごめんね」
響は無表情で、棒読みの台詞を口にする。
もっと気に掛けたふうにできないのか、と風竜は思いつつ主の名を呼ぶ。軽く笑って、謝罪の理由を尋ねた。謝るならば仕事に失敗した自分の方だと思っていたのだ。
彼女は姿勢を正し、俯きがちに答える。あなたを無理やり連れてきたことを反省しているのだと。
唐突な話題に少年は面食らう。彼女は続けた。
「詩歌と話してたの。やっぱりこっち側に連れてきちゃいけないって。言影持ちの相手を一般人がするのは危ないって」
平坦な話口はいつも以上に感情が読み取れなかった。
風竜は彼女の話の雲行きが怪しくなるのを察して起き上がろうとする。しかし、腕に走る鈍痛が引き止めた。
少女は目元を翳らせ、長い睫毛を伏せる。無音の寝室は冷たく、喉を絞められている気すらした。
否、首輪が緩んでいるのだ。
「あなたを放すことにした」
咄嗟に声が出なかった。ようやくの思いで出たのは、譫言に似た「え」の一文字だった。
嫌だと言いたい自分もいれば、当然だと感じる自分もいた。しかし彼は、言葉に迷って沈黙する。何を言えば良いのか、わからなかった。
幼い組長は続けて、明日の昼に逃がすと言う。その後の生活については何も口出ししない。自由になれるのだと。
彼女は自身の感情を口にすることはなかった。
再び小さく謝罪すると席を立つ。少年は思わず起き上がり、待ってと手を伸ばした。響は振り返ってくれたが、その眼差しに年相応の少女らしさは微塵もなかった。
風竜は体の内側で蟠る吐き気を押し退ける。
「オレ、まだ頑張れますよ。それにココに来たばっかですし、だから」
自然と口角が引き攣った。声はどことなく震えている。
子犬の弁解を耳にして、響は僅かに眉間に皺を寄せた。拳を握り締め肩を強張らせる。初めて見る、怒った顔だった。
「飼い主の言うことが聞けないの」
彼女の台詞は、今の少年にとってあまりにも大きな衝撃で。
風竜は顔から力が抜けていくのがわかった。
小さな組長は踵を返し、部屋から出て行く。静まる空間はどうしようもなく居心地が悪かった。
半開きのドアを、金眼が見つめる。
風竜は思い切り頭を枕に沈め、右腕で目元を覆った。無意識に深い溜息を吐き出す。
至った彼女の真意に、取り繕われた悔しいという感情が湧いた。
「駄犬で悪かったな……」
寝室の外、廊下。
扉の隣の壁に寄りかかっていた青年が視線を落とす。隙間から中を窺っていた霞人は、足音を殺して立ち去っていった。




