第八章 起きている名前 ② 呼ばれていない役目
翌朝。
旧紙市場の前に。
名前が並んでいた。
***
紙。
木札。
布の切れ端。
古い箱の蓋。
書く物がなかった者は。
手の甲に。
炭で書いていた。
***
アロ・セン
ミナ・ポル
テオ
カナ・レイ
バド・ウル
シーラ
文字の下。
年齢。
場所。
眠っている期間。
起こしてください。
戻してください。
名前を呼んでください。
***
人は。
市場の入口から。
通りの角まで続いていた。
十人より多い。
二十人よりは少ない。
朔には。
正確に数えられなかった。
***
「サク」
リオが。
朔の肩へ手を置く前に。
声をかける。
「止まれ」
朔は足を止める。
***
列の先頭。
年老いた男。
両手で。
小さな木札を持っている。
その後ろ。
赤子を抱いた女性。
荷車へ。
横たえた男を乗せた兄弟。
紙袋だけを持つ者。
本人を連れてきていない者。
***
「何の列ですか」
朔が尋ねた。
列の中から。
声が出る。
「眠りの子に会う列だ」
「起こす子」
「白い手の子」
「名前を返す子」
「勇者」
***
呼び名が。
一つずつ。
朔の身体へ向けられる。
サク。
とは。
ほとんど呼ばれない。
***
ミエルが。
市場の扉の前に立っている。
「入れてない」
「はい」
「商売の邪魔だから?」
朔。
「それもある」
「ほかには」
「人を寝かせた荷車が。紙棚の横まで入ったら。何かあった時に出せん」
***
ファナが。
仮の柵を作っている。
市場の木箱。
縄。
通路を。
完全には塞がない。
「並ばせるためではない」
ファナが言った。
「荷車と歩く人を分けるため」
「列を認める?」
「もう並んでる」
***
「誰が受付を」
朔が尋ねる。
「まだ誰も」
ミエル。
「最初に来た人が。ここで待つ言うた」
「次の人が後ろに」
「その次も」
「誰かが、順番を書いた?」
「ない」
***
順番。
誰が先に来たか。
誰が長く眠っているか。
誰が幼いか。
誰が危険か。
誰の名前が。
朔に近いか。
まだ。
何も決まっていない。
***
先頭の男が。
木札を差し出す。
「アロ・セン」
「あなたの名前ですか」
「弟だ」
「弟さんは、ここに?」
「家にいる」
「眠っている期間」
「十九日」
「身体を見た人は」
「祈り手が二人」
「治療官は」
「金がない」
***
「俺へ、何をしてほしいですか」
「名前を読んでくれ」
「ここで?」
「それで、向こうへ届く」
「誰から聞きましたか」
「白い壁へ名前が出た子なら。眠った名を呼び戻せると」
「実際に、誰かが起きたところを」
「見てはいない」
***
男は。
木札を下げない。
「でも」
声が震える。
「十九日だ」
***
朔は。
アロ・セン。
その文字を見る。
呼べば。
何かが起きる可能性。
何も起きない可能性。
男が。
呼んだから起きたと信じる可能性。
起きなければ。
呼び方が悪かったと。
別の名を探す可能性。
***
「今は」
朔が言う。
「ここで名前を呼びません」
「なぜ」
「呼ぶことで何が起きるか。確認されていないからです」
「何も起きなければ」
「何も起きなかったと。決められるとも限りません」
「では」
男の手が。
木札を握る。
「十九日目の俺は。何を待てばいい」
***
答えられない。
朔が。
正しい言葉を選ぶ間にも。
アロ・センの身体は。
別の場所にある。
***
「身体を見てもらいます」
朔は言った。
「誰に」
「マレアさんへ連絡します」
「白い手は」
「俺には。誰かへ使えると確認されていません」
「でも、名前は読める」
「読めます」
「なら」
「読めることと。起こせることは違います」
***
列の後ろから。
声が上がる。
「また、それか」
「塔の言葉だ」
「確認。確認」
「確認してる間に死ぬ」
***
イサラの言葉。
決めるのを待つ間に。
守るはずだった者の名前だけが残る。
朔は。
列を見る。
紙。
木札。
布。
名前だけが。
ここへ来ている者もいる。
***
「マレアさんを呼んできます」
ノエの声。
市場の反対側。
既に。
走り出している。
***
「全員を」
朔が言う。
「ここで待たせないでください」
「帰れと?」
赤子を抱いた女性。
「違います」
「じゃあ」
「身体の危険がある人から。治療できる場所へ移します」
「誰が危険か」
「ここで。順番に確認します」
「眠りが長い人から?」
「期間だけでは決めません」
「子どもから?」
「年齢だけでも」
「では、誰から」
「呼吸。熱。出血。反応。今の身体を見て」
***
「勇者の力は」
荷車の横にいる男が尋ねる。
「俺は。勇者だと名乗っていません」
「眠りの勇者」
「その役目を。俺は引き受けていません」
***
ざわめき。
拒否。
そう聞こえる。
朔にも。
自分の言葉が。
拒否に聞こえる。
***
「引き受けないなら」
男。
「なぜ、名前が出た」
「分かりません」
「なぜ、お前だけ白い手を見た」
「分かりません」
「なぜ、ここにいる」
朔は。
すぐに答えられる。
「今。ここへ来たからです」
***
「そういう話じゃない」
「分かっています」
「では」
「分からないことを。できることにはしません」
***
赤子が。
小さく泣く。
眠っているのではない。
目を開けている。
顔。
赤い。
呼吸。
速い。
***
「その子は」
朔が言う。
「起きています」
「夜から、ほとんど眠ってない」
母親。
「熱が高い」
「なぜ列に?」
「眠りの勇者なら。眠らせることもできるって」
***
列。
起こしてほしい者だけではない。
眠らせてほしい者も。
来ている。
***
「誰が言いましたか」
「白い塔で。起こすなって命令が出たんでしょう」
「俺には。そう聞こえる声がありました」
「なら」
「俺が命令したわけではありません」
「でも。止められる」
「確認されていません」
***
赤子の泣き声。
細い。
母親の腕。
震えている。
「眠らせたい?」
「休ませたい」
「同じとは限りません」
「分かってる」
女性の声が強くなる。
「分かってるけど。昨夜からずっと泣いてる」
***
朔は。
赤子へ手を伸ばさない。
「今の身体を。先に見てもらいます」
「触らない?」
「はい」
「触れるだけでも」
「しません」
***
「お前は」
列の誰かが言う。
「起こすのも。眠らせるのも。何もしないのか」
***
朔は。
胸の内側に。
同じ問いを感じる。
白い手へ。
触れなかった。
エンへも。
触れなかった。
今。
赤子へも。
***
「俺にできると確認されていないことは。しません」
「できることは」
先頭の男。
「人を呼びます」
「それだけ」
「今は」
***
また。
今は。
時間を求める言葉。
だが。
列の者にとって。
その時間は。
家に残した身体の時間だった。
***
マレア。
トエ。
イナ。
治療区画から来る。
布。
水。
木箱。
簡易の寝台。
***
「列を」
マレアが見る。
「誰が作りましたか」
「自然に」
ミエル。
「自然、とは記録しません」
ネラも。
後ろから来ている。
「最初に待った人。その後ろへ並んだ人。入口を塞がないように置かれた縄。それぞれです」
***
「今から」
マレアが言う。
「身体状態を確認します」
「サクは」
誰か。
「触れません」
「なぜ」
「確認されていない方法を。治療の代わりには使わないためです」
「治療で起きなかったら」
「その時も。身体を見ます」
***
「名前は」
先頭の男。
「聞きます」
マレア。
「呼ぶ?」
「必要な声かけとして。本人の呼び名を確認した上で使う場合があります」
「それで起きたら」
「名前だけで起きたとは決めません」
「何も決めない」
「身体への対応は決めます」
***
列を。
二つに分けない。
起こしてほしい者。
眠らせてほしい者。
そういう役目の都合で。
分類しない。
***
確認項目。
本人が。
ここにいるか。
呼吸。
脈。
熱。
出血。
痛み。
反応。
いつから。
何をしたか。
普段の呼び名。
本人が。
以前に話した希望。
***
最初。
赤子。
高熱。
治療区画へ。
次。
荷車の男。
呼吸。
浅い。
顔色。
悪い。
すぐに移す。
***
列の順番を。
崩す。
「先に来た」
先頭の男。
「はい」
マレア。
「弟は十九日」
「はい」
「なぜ、後」
「弟さんは今ここにいません」
「連れてくれば」
「移動が危険かもしれません」
「では」
「こちらから見に行く者を決めます」
***
「紙だけでも」
男は。
アロ・センの木札を。
朔へ出す。
「持ってくれ」
***
朔は。
受け取らない。
「なぜ」
「俺が持つと。俺が起こす順番を預かったように見えるからです」
「名前を覚えない?」
「覚えています」
「では」
「アロ・センさん」
朔は言う。
「十九日。家にいる。祈り手が二人。治療官はまだ見ていない」
***
男の手が。
少し下がる。
「持たないのに」
「あなたが持っていてください」
「俺が?」
「弟さんの名前を。俺へ渡しきらないでください」
***
「重い」
「はい」
「だから、持ってほしい」
男の声に。
怒りが混ざる。
「違います」
朔。
「あなた一人で持てとは言いません」
「なら」
「治療する人。記録する人。家へ行く人と。分けて持ちます」
***
ネラが。
新しい紙を出す。
「アロ・センさんについて。今、確認できていることを記録します」
「眠り名簿?」
「違います」
「では」
「治療相談の記録です」
***
グラドが。
白い塔から来る。
列。
名前。
身体。
市場。
縄。
全体を見る。
「受付を設けるべきです」
「どこに」
セオ。
「白い塔の外区画」
「名称」
グラドは。
少し考える。
「覚醒希望受付」
***
「使いません」
朔が言った。
「なぜ」
「俺が。起こせる前提になります」
「あなたに限らない」
「誰が起こす?」
「治療官。祈り手。管理局。可能な手段を」
「覚醒できると確認されていない人も来ます」
「だから相談を」
「では。覚醒希望と。最初から書かないでください」
***
「眠り相談」
グラド。
「眠っているとは限りません」
マレア。
「応答不能」
「応答できない状態も。理由が違います」
「長くなる」
グラド。
「短くした結果。違う身体を同じ列へ並べています」
***
赤子。
眠っていない。
高熱。
荷車の男。
意識。
確認できない。
アロ・セン。
家にいる。
状態。
家族の言葉だけ。
紙袋を持つ女性。
中身。
夫の髪。
夫は。
既に埋葬されたと。
後から分かる。
***
「起こしてほしい」
女性が言う。
「身体は」
マレア。
「三か月前に。土へ」
「では」
「名前だけでも戻せるって」
「誰のところへ」
「私のところへ」
***
眠り。
意識。
死。
不在。
記憶。
喪失。
すべて。
起きない。
という一言へ。
並べられている。
***
「亡くなったと確認されていますか」
マレア。
「治療官が」
「名前」
「バド・ウル」
「あなたは」
「ナサ」
「今、何を望んでいますか」
「声を聞きたい」
***
朔には。
その望みを。
治療相談だけへ。
入れられない。
「俺が名前を呼べば」
朔が尋ねる。
「声が戻ると思いますか」
「思いたい」
「確認された話を聞きましたか」
「ない」
「それでも」
「何もしないより」
***
何もしないより。
その言葉が。
列の中を。
何度も通る。
***
呼ぶ。
触れる。
祈る。
待つ。
紙を持たせる。
列へ並ぶ。
何かした。
という形が。
必要になる。
***
「バド・ウルさんの名前を」
朔は言う。
「俺は。ここで呼び戻すためには使いません」
ナサの目が。
閉じる。
「でも」
「聞きました」
「何を」
「あなたが。バド・ウルさんの声を聞きたいことを」
「それだけ?」
「それを。何もなかったことにはしません」
***
「記録する?」
ナサ。
「望むなら」
「声は戻る?」
「分かりません」
「記録は」
「声ではありません」
「なら」
「代わりにはしません」
***
ナサは。
紙袋を胸へ戻す。
列から。
出ない。
治療区画へも。
行かない。
***
「この人の相談は」
グラド。
「どこへ回す」
「治療だけではありません」
マレア。
「祈り手?」
「本人が望むなら」
「記録」
ネラ。
「故人の記録を探すことはできます」
「家族支援」
セオ。
「今は。名前がありません」
「役目の?」
「はい」
***
必要な役目がない。
だから。
眠りの勇者へ。
すべてが来る。
治療。
祈り。
記録。
喪失。
謝れなかった言葉。
聞きたい声。
帰ってほしい身体。
***
「一つの受付では足りません」
グラド。
「はい」
朔。
「しかし。入口は必要です」
「はい」
「どこへ行けばいいか分からない者が。ここへ来ている」
「はい」
「なら」
「サクへ会う列にはしないでください」
***
グラドは。
列を見る。
「現に。あなたを求めています」
「求められたことで。できる者にはなりません」
「役目は」
「引き受けていません」
「拒否する」
「はい」
朔は答えた。
***
列が。
静かになる。
***
「起こす者という役目は」
朔。
「引き受けません」
「困っている者を」
先頭の男。
「見捨てる?」
「見捨てたことにはしません」
「言葉で」
「今できる対応を。別の人と作ります」
「お前は」
「俺にしか見えないことが起きた時は。報告します」
「触れることは」
「その時に。本人の身体と。同意と。危険を見て決めます」
***
「弟は」
「家へ行く人を。今日決めます」
「誰が」
マレアが答える。
「私と。もう一人」
「白い手の子は」
「行きません」
「なぜ」
朔。
「俺が行けば。治療ではなく。俺が触れるかを待つ時間になるからです」
***
男は。
納得しない。
だが。
木札を。
朔へ押しつけるのを止める。
***
列の中。
人が動く。
治療区画。
家へ戻り。
訪問を待つ者。
記録室。
祈り手へ相談する者。
その場から。
帰る者。
***
残る者もいる。
朔が。
気を変えるまで。
待つ者。
***
「紙を作ります」
グラドが言った。
「覚醒希望ではなく」
「はい」
「何と」
マレアが考える。
応答できない。
眠っている。
亡くなった。
不在。
すべてを。
一つの状態にはしない。
***
見出し。
応答・意識・長期不在等に関する相談入口
「長い」
グラド。
「等、が多すぎる」
セオ。
「では」
ネラ。
「状態を見出しへ入れず」
新しい案。
本人と連絡または意思確認ができない場合の相談先
***
「亡くなった人は」
ナサ。
「本人へ連絡できない」
「含まれます」
ネラ。
「治療と一緒?」
「入口だけです」
「中で分ける?」
「はい」
***
短い表示。
話せない・会えない人についての相談
「話せないだけ?」
「書く場所には」
ミエル。
「これくらいがいい」
「会えない、だと旅人も」
「入口で聞けばいい」
***
紙。
上。
短い表示。
話せない・会えない人についての相談
下。
説明。
眠り、意識低下、病気、長期不在、死亡後の記録確認その他、本人と直接意思確認できない場合の相談を受け付けます。状態を同一とは扱わず、内容に応じて治療、訪問、記録確認、祈り、生活支援その他へ繋ぎます。
***
「サク」
項目に。
入れない。
白い手。
入れない。
覚醒。
約束しない。
***
「名前欄」
グラド。
「必要です」
「本人の?」
「はい」
「不明なら」
「不明と」
「空欄は」
ネラ。
「尋ねていないのか。分からないのか。言いたくないのか。分けます」
***
本人の呼び名。
正式名。
使っていた名。
不明。
確認できず。
本人が言いたくない。
相談者が知らない。
それぞれ。
同じ空欄にはしない。
***
「相談者」
「名前」
「本人との関係」
「本人の意思を聞いたことがあるか」
「今の身体の場所」
「最後に応答した時」
「既に行ったこと」
「今、最も困っていること」
***
「サクに触れてほしい」
グラド。
「希望欄へ書く?」
朔は。
少し考える。
「相談者が。そう望んだことは残してください」
「対応は」
「確認されていない方法として。実施しなかったことを残します」
「項目名」
「希望」
「そのまま?」
「本人の希望か。相談者の希望か。分けてください」
***
本人が。
話せない時。
周囲の希望が。
本人の希望へ。
移りやすい。
***
相談者の希望
本人が以前に述べた希望
別の欄。
***
「本人が」
ユイが尋ねる。
「起こさないでって言ってたら?」
「残します」
マレア。
「でも。今、身体が危なかったら?」
「治療に必要なことを分けて考えます」
「起きたくないと。死にたいは同じ?」
部屋が。
静かになる。
「同じとは決めません」
マレア。
「本人へ聞けなければ」
「以前の言葉。状態。理由。今できる処置を分けます」
***
「サクが起こす人じゃないなら」
ユイ。
「この紙は。誰が持つ?」
「相談場所」
セオ。
「人じゃない?」
「入口は場所です」
「誰かが読む」
「複数人で」
「一人の役目にしない?」
「はい」
***
起こす者。
一人へ。
名前と。
希望と。
責任が集まる。
それを。
相談の入口と。
複数の役目へ。
分ける。
***
治療する者。
家へ行く者。
記録を探す者。
祈りを聞く者。
暮らしを支える者。
本人の以前の言葉を。
持つ者。
***
「それでも」
グラド。
「最終的に。誰かが判断します」
「はい」
朔。
「役目を分けても。責任は消えない」
「はい」
「なら」
「誰が何を判断したか。名前を残してください」
***
午後。
エンと母親が。
市場へ来た。
***
エンは。
歩いている。
母親の手を。
握っている。
顔色。
まだ白い。
足。
遅い。
***
列は。
もう短い。
残っている者。
三人。
公示。
新しい相談入口。
机。
椅子。
水。
***
母親が。
朔の前で止まる。
「この前は」
「はい」
「ごめんなさい」
すぐに。
許します。
とは。
朔は言わない。
***
「何についてですか」
「触れろって。責めたこと」
「はい」
「この子より自分が大事かって」
「はい」
「言いました」
「覚えています」
***
「私」
母親は。
エンの手を握ったまま。
「市場で。あなたが触らなかったって話しました」
「誰に」
「見ていた人に。治療区画でも」
「内容」
「白い塔の子が。触るのを拒んだって」
「はい」
「それで。冷たい子だって言った人もいた」
「はい」
「力を隠してるって人も」
***
「今は」
母親。
「触らなくてよかったって。言いたい」
朔は。
エンを見る。
「なぜですか」
「この子が起きたから」
***
「俺が触れなかったことを」
朔は言う。
「エンが起きた理由にはしないでください」
母親が止まる。
「でも」
「触れなかった後に。起きたことは事実です」
「なら」
「触れなかったから起きたとは。確認されていません」
***
「あなたが正しかった」
「決めません」
「じゃあ」
「俺は。マレアさんを呼びました」
「はい」
「エンさんの身体を。治療区画へ運びました」
「はい」
「俺は触れませんでした」
「はい」
「その後。エンさんが目を開けました」
「はい」
「そこまでを。分けて話してください」
***
母親は。
唇を噛む。
「それじゃ。謝れない」
「謝罪と。原因は別です」
「私は。あなたを責めた」
「はい」
「怖がらせた」
「はい」
「それを謝ります」
朔は。
少し黙る。
「聞きました」
***
「許してくれる?」
朔は。
すぐには答えない。
拒まれた顔。
この子より、自分が。
市場の視線。
触れたかった手。
「今。謝罪を聞きました」
「それだけ?」
「まだ。どう受け取るか決めていません」
***
母親は。
悲しそうな顔をする。
だが。
朔の。
まだ。
を。
急いで終わらせようとはしなかった。
「分かりました」
***
エンが。
朔を見る。
「サク?」
「はい」
「お母さんが言ってた」
「何を」
「触らなかった人」
***
呼ばれ方。
起こす者。
眠りの勇者。
白い手の子。
今。
触らなかった人。
***
「はい」
朔が答える。
「俺は。エンさんへ触れませんでした」
「何で」
「何が起きるか分からなかったからです」
「怖かった?」
「はい」
「僕も?」
「エンさんの身体へ。分からないことをするのが怖かったです」
***
「僕」
エンは。
自分の右手を見る。
「寝てた?」
「反応できない時間があったと聞いています」
「夢」
「覚えていますか」
「水」
「水の夢?」
「冷たかった」
母親が言う。
「冷やした布かもしれない」
「夢かも」
エン。
「どっち」
「分かりません」
***
「サクは」
エン。
「僕の名前、呼んだ?」
「市場で。一度」
「聞こえなかった」
「はい」
「じゃあ、呼んでないのと同じ?」
朔は。
考える。
「俺は呼びました。エンさんには。聞こえた確認がありません」
「二つ?」
「はい」
***
エンは。
少し笑う。
「難しい」
「はい」
「今は聞こえる」
「エンさん」
「はい」
***
名前。
呼ぶ。
答える。
今。
目の前で。
そのやり取りがある。
それを。
以前の眠りの原因にも。
覚醒の証明にも。
しない。
***
「触っていい?」
エンが尋ねた。
「俺に?」
「うん」
朔は。
自分の手を見る。
「何のためですか」
「本当にいるか」
***
母親が。
止めようとする。
朔は。
先に尋ねる。
「俺の腕へ。手で触れる?」
「うん」
「触れたら。俺が本物だと決める?」
「分からない」
「消えるか試す?」
エンは。
少し考える。
「消えたら怖い」
「はい」
「じゃあ、触らない」
***
朔は。
手を出さない。
エンも。
触れない。
***
「見えるだけで」
エンが言う。
「今はいる」
「はい」
***
母親と。
エンが帰る。
治療区画へ。
完全に回復したわけではない。
熱。
下がり始めた。
食事。
少し。
経過を見る。
***
朔は。
二人の後ろ姿を見る。
「謝られた」
リオ。
「はい」
「許した?」
「まだです」
「怒っとる?」
「少し」
「かわいそうやと思う?」
「はい」
「二つ」
「もっとあります」
***
「エンは」
「今は。起きています」
「お前が起こした?」
「違います」
「触らんかったから?」
「決めません」
「治療?」
「関係した可能性はあります」
「名前」
「呼びました」
「聞こえてない」
「はい」
***
「じゃあ」
リオ。
「何が起こした」
「分かりません」
「何が助けた」
朔は。
考える。
「身体を見て。運んで。冷やして。水分を入れて。そばにいた人たちです」
「起きた原因やなく」
「助けるためにしたことです」
「それなら言える」
「はい」
***
夕方。
相談入口の最初の記録が。
五枚できる。
同じ綴りへ。
まだ。
入れない。
状態が違う。
行き先が違う。
***
アロ・セン。
訪問治療。
マレア。
トエ。
当日中。
***
高熱の赤子。
治療区画。
母親同伴。
冷却。
水分。
経過確認。
***
荷車の男。
呼吸状態。
緊急処置。
家族へ説明。
***
ナサ。
故バド・ウルについて。
記録室。
祈り手。
家族の希望。
別々に聞く。
***
もう一人。
夫を。
眠らせてほしいと言った女性。
夫は。
眠っているのではない。
痛みが強く。
夜に休めない。
治療相談へ。
***
「一列だったのに」
ユイが言う。
「別々になった」
「はい」
「名前も」
「はい」
「サクが持たない」
「はい」
「じゃあ、名前は誰が持つ?」
***
朔は。
五枚を見る。
「それぞれの記録にあります」
「人は」
「家族。治療する人。記録を見る人」
「一人じゃない」
「はい」
「起こす人は」
「決めません」
***
「でも」
ユイ。
「誰かが起きたら」
「起きたことを記録します」
「誰が起こしたか」
「確認できる範囲で」
「分からなかったら」
「分からないまま」
***
「名前は」
ユイが。
アロ・センの記録を見る。
「サクに起こしてって言ってない?」
「言ったのは。お兄さんです」
「名前は言わない?」
「紙は話しません」
「でも」
「名前を使って。お兄さんが頼みました」
***
「本人は」
「話せない状態かもしれません」
「じゃあ、名前が代わりに話す?」
朔は。
少し考える。
「代わりにはしません」
「何に使う?」
「誰の身体を見に行くか。誰について話しているかを。失わないために」
***
名前は。
朔へ向けた。
順番札ではない。
起こす者へ渡す。
鍵でもない。
***
治療の間も。
記録の間も。
本人が。
状態だけにならないための。
印。
***
「呼ばれた役目」
ネラが。
朔の記録を確認する。
「起こす者」
「はい」
「本人の受諾」
「していません」
「能力確認」
「されていません」
「実施」
「していません」
***
「公示しますか」
グラド。
「何を」
「あなたが。起こす者の役目を拒否したこと」
「拒否だけでは」
「何を加える」
朔は。
列に並んだ名前を思う。
アロ・セン。
ミナ・ポル。
テオ。
カナ・レイ。
バド・ウル。
シーラ。
***
「俺は。起こす者という役目を引き受けていません」
「はい」
「俺に触れれば。俺が触れれば。名前を呼べば。眠っている者が起きるとは確認されていません」
「はい」
「その後」
***
起こせない。
だから。
知らない。
ではない。
***
「起きない人。話せない人。会えない人の名前を。聞かなかったことにはしません」
***
グラドが。
筆を止める。
「聞く責任を。あなたが持つ?」
「違います」
「では」
「相談先を作りました」
「王都が?」
「関わった人たちが」
「あなたも?」
「はい」
***
「役目を拒否して」
「はい」
「別の役目を作った」
「一人の役目にはしません」
***
公示。
短い要点。
***
サクに触れる、サクが触れる、名前を呼ぶ等によって、眠っている者が目覚めるとは確認されていません。
サクは「起こす者」という役目を引き受けていません。
本人と話せない、会えない状態については、状態を同一視せず、治療・訪問・記録確認・祈り・生活支援等へ繋ぐ相談入口を設けます。
***
最後。
朔自身の言葉。
起きない人の名前を、俺へ渡しきらないでください。
その人の身体と、以前の言葉と、今困っていることを、それぞれ見られる人へ分けて持ってください。
***
「難しい」
ミウ。
「はい」
「でも」
ミウは。
列があった地面を見る。
「名前だけ並んでるよりは、分かる」
***
翌日。
旧紙市場の入口に。
長い列は。
なかった。
***
相談へ来る者は。
いる。
朔へ会いたい者も。
いる。
白い手を。
試したい者も。
消えない。
***
だが。
入口で。
最初に尋ねる。
誰を起こしてほしいか。
ではない。
***
本人は。
今。
どこにいるか。
身体は。
どういう状態か。
最後に。
いつ話したか。
以前。
何を望んでいたか。
今。
相談する者は。
何に困っているか。
***
その問いで。
行き先を。
分ける。
***
朔の名前は。
まだ。
市場を歩いている。
眠りの勇者。
起こす子。
触らなかった人。
白い手の子。
***
その役目を。
全て止めることはできない。
呼ぶ者の口まで。
閉じることも。
***
それでも。
呼ばれた役目を。
自分の名前として。
受け取らないことはできる。
***
朔は。
アロ・センの木札を。
持たなかった。
だから。
名前を捨てたのではない。
***
マレアとトエは。
その日のうちに。
アロ・センの家へ行った。
兄は。
木札を持って。
戸口で待った。
***
治療の結果は。
まだ。
分からない。
***
それでも。
アロ・センという名前は。
朔へ起こされる順番としてではなく。
今。
身体を見に行く相手の名前として。
使われた。
***
名前は。
奇跡を起こす者へ渡す札ではなかった。
***
本人が話せない間も。
身体だけにされず。
状態だけにもされず。
誰について。
何をしているのかを。
見失わないための印だった。
***
起こす者。
そう呼ばれた役目を。
朔は引き受けなかった。
***
だが。
呼ばれなかった名前を。
聞こえないことにはしなかった。
***
自分一人の手へ。
すべてを集めず。
治療する手。
記録する手。
家へ行く足。
そばにいる者の声へ。
分けて渡した。
***
誰か一人を。
起こす者にしないために。
起きない者を。
誰も見ない者にも。
しないために。




