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第八章 起きている名前 ① 閉じた記録の外

 黒川朔は、眠っている。


 その表示について。


 公開はしないと決めた。


 記録は。


 旧観測室に関わる資料と同じ棚へ置かれた。


 閲覧できる者。


 閲覧の目的。


 持ち出し。


 写し。


 それぞれに条件が付いた。


 非公開の理由も。


 次に確認する日も。


 書かれた。


***


 翌朝。


 旧紙市場へ出ると。


 朔は。


 自分が眠っているという話を聞いた。


***


「寝たまま歩いとるんやって」


 市場の入口。


 干した薬草の前で。


 子どもが言った。


「違うよ」


 別の子ども。


「歩いてる方は、夢の方」


「じゃあ、触ったら消える?」


「起こしたら、大人になるんやろ」


***


 朔は。


 足を止めなかった。


 リオも。


 すぐには子どもへ声をかけなかった。


 市場を。


 そのまま歩く。


***


「聞こえたか」


「はい」


「怒るか」


「まだ、分かりません」


「まだ?」


 朔は。


 自分が使った二文字を聞く。


「今のは。考える時間が必要だという意味です」


「分かっとる」


***


 市場の中。


 昨日と。


 同じ棚。


 同じ箱。


 同じ荷車。


 だが。


 視線が違う。


 紙を選ぶ手が止まる。


 店主同士の声が。


 少し低くなる。


 朔が通り過ぎた後。


 戻る。


***


「サク」


 ミウが呼んだ。


 今。


 呼ばれたい名。


「こっち」


***


 古紙倉の裏。


 紙箱。


 空の荷車。


 ミエルが。


 帳面を閉じる。


「朝から三人」


「何がですか」


 朔。


「白い塔の子を見せろ」


「俺を?」


「一人は、お前を見れば夢から覚める言うた」


「誰が」


「聞いた相手の名前は聞いてない」


「では」


「言った人は分からん」


***


 ミウが。


 指を三本立てる。


「私が聞いたのは三つ」


 一つ。


 白い壁に、黒川朔が眠っていると出た。


 二つ。


 今歩いている子どもは、眠っている方が見ている夢。


 三つ。


 本当の身体を起こせば、勇者として戻ってくる。


***


「どれが最初か」


 リオが尋ねる。


「分からない」


「同じ人から?」


「違う」


「表示を見た奴は」


「いないって」


「なら」


「塔で働く人から聞いた。市場の配達人から聞いた。治療区画の人から聞いた。みんな違う」


***


「正確な三行は」


 朔が尋ねる。


「知ってる人はいない」


 ミウ。


「K.K.は?」


「私は今初めて聞いた」


「SLEEP」


「何それ」


「眠っている、に近い文字です」


「じゃあ、眠ってるってところだけ出た?」


「俺には、そう読める表示が見えました」


 ミウは。


 すぐには話さない。


「本当に?」


「俺には」


***


「じゃあ」


 ミウは朔を見る。


「噂、全部嘘じゃない?」


「黒川朔と。眠っているに近い表示が。同じ枠に見えたことはあります」


「今のサクは夢?」


「確認されていません」


「大人を起こしたら勇者?」


「確認されていません」


「本当の身体は?」


「どちらを本当と呼ぶか。決めていません」


***


「難しい」


「はい」


「難しいまま言う?」


「その必要があります」


「市場の人、長い話聞かないよ」


 ミエルが言った。


「看板の値段も、最初の二文字しか見ない」


「では」


「短くして嘘になるなら、短くしすぎないことやね」


***


 市場の入口で。


 声が上がる。


「いた」


 女性。


 息を切らしている。


 腕に。


 小さな子どもを抱えていた。


***


 子どもは。


 目を閉じている。


 年齢。


 朔の今の身体より。


 少し幼い。


 首。


 母親の腕へ。


 力なく預けている。


***


「あなたが」


 女性は。


 朔を見る。


「眠っている人の名前を、戻せる子?」


「誰から聞きましたか」


 朔。


「治療区画の前で。白い塔の子なら、眠った名前へ触れられるって」


「俺が触れたとは、確認されていません」


「でも、手が出たって」


「俺には。白い手のようなものが見えました」


「この子にも」


 女性が。


 子どもの右手を。


 朔へ向ける。


「触ってください」


***


 朔は。


 一歩下がる。


 女性の顔が変わる。


 拒まれた。


 そう受け取った顔。


***


「今は、触れません」


 朔が言った。


「どうして」


「触れることで。何が起きるか分からないからです」


「何も起きなくてもいい」


「俺には。何も起きないと決められません」


「この子は三日、起きてない」


***


「名前は」


 朔が尋ねる。


「え?」


「この子の。今、呼んでいる名前です」


「エン」


「エン」


 子どもは。


 答えない。


 呼吸。


 浅い。


 だが。


 ある。


***


 マレアはいない。


 治療区画へ。


 使いを出す。


 ミウが走る。


***


「俺が」


 朔は女性へ言う。


「エンに触れれば。起きると言われましたか」


「眠っている人の名前を、向こうへ返せるって」


「誰が」


「分からない」


「その人は。俺が誰かを起こしたところを見ましたか」


「知らない」


「俺も。誰かを起こしたことはありません」


***


「じゃあ」


 女性の声が。


 細くなる。


「何もできない?」


 朔は。


 すぐに。


 できません。


 とは言わない。


「今。エンの身体を見られる人を呼んでいます」


「名前は」


「エンと聞きました」


「忘れない?」


「忘れません」


「それだけ?」


「今は」


***


 女性は。


 泣かなかった。


 子どもの額へ。


 頬を寄せる。


「今は、じゃ間に合わないかもしれない」


「はい」


 朔。


「それでも触らない?」


「はい」


「怖いから?」


「怖いです」


「この子より、自分が?」


 言葉。


 市場の音。


 止まらない。


 荷車。


 紙。


 呼び声。


***


 朔は。


 自分の右手を見る。


 白い掌へ。


 伸ばした手。


 途中で。


 戻した手。


「俺にできると確認されていないことを」


 朔は言う。


「エンの身体で試しません」


***


 女性は。


 朔を見る。


 怒り。


 失望。


 頼りたい気持ち。


 どれも。


 一つにしない。


「起きなかったら」


「俺が触れなかったことは残ります」


「後悔する?」


「すると思います」


「それでも」


「はい」


***


 マレアが来る。


 トエ。


 布。


 治療袋。


 二人。


 最初に。


 子どもの呼吸。


 脈。


 熱。


 瞼。


 手足。


 名前は。


 母親から聞いた後。


 呼ぶ前に。


 身体を見る。


***


「治療区画へ運びます」


 マレア。


「起きますか」


 女性。


「今は分かりません」


「白い塔の子は」


「エンさんへ触れていません」


「触れたら」


「何が起きるか確認されていません」


「でも」


「確認できない方法を。治療の代わりには使いません」


***


 女性は。


 朔を見ない。


 子どもを。


 トエへ預ける。


 腕が空く。


 その手が。


 朔の方へ。


 一度。


 動く。


 だが。


 触れない。


***


「エン」


 朔が言った。


 女性が振り返る。


「治療区画で。今の身体を先に見てもらってください」


「名前を戻すのは」


「名前を呼ぶことと。身体を起こすことは。同じとは限りません」


「あなたは」


「今。サクと呼ばれています」


「眠っている方は」


「分かりません」


***


 女性は。


 何も答えず。


 治療区画へ向かう。


 エン。


 トエ。


 マレア。


 市場の道。


 人が空ける。


***


「お前」


 リオが言う。


「触りたかったか」


「はい」


「起こせると思った?」


「少し」


「何で」


「白い手が。俺へ触れようとしたように見えたから」


「ほんまは」


「分かりません」


「なら」


「エンへ。俺が白い手の役をするところでした」


***


「助けたかった」


「はい」


「助けられたかも」


「あります」


「壊したかも」


「あります」


「今は」


「治療する人へ渡しました」


「それを、何もせんかった話にすんな」


「はい」


***


 ミエルが。


 市場の入口を見る。


「もう、広がってるね」


「何が」


 ミウ。


「白い塔の子が。眠った子に触るのを断った」


「誰が言うの」


「見てた人」


***


 同じ場面。


 見た者によって。


 違う話になる。


 慎重な子。


 冷たい子。


 力がない子。


 力を隠した子。


 王都に止められた子。


 眠っている者を選ぶ子。


 どれも。


 市場を歩ける。


***


「止められますか」


 朔が尋ねる。


「全部は無理」


 ミエル。


「正しい話を出せば」


「正しい話も、短くなる」


「では」


「短くなった時に。一番危ない部分を先に止める」


***


「一番危ない部分」


「お前に触れれば起きる」


 ミエル。


「お前が触れば戻る」


「はい」


「今のままやと。次は寝た人だけやない」


「何が」


「起こしたくない人を。お前に触らせる奴も来る」


***


 眠っている者。


 起きない者。


 起こしたくない者。


 誰かを。


 どこへ戻すか。


 白い塔の子が決める。


 そういう役目が。


 噂の中で。


 作られ始めている。


***


 役目。


 名前のように。


 人を呼べる。


 眠りの子。


 戻す者。


 起こす者。


 どれも。


 朔が選んだ名ではない。


***


 記録室。


 午後。


 関係者。


 朔。


 リオ。


 マレア。


 ネラ。


 セオ。


 グラド。


 ルカ。


 アナ。


***


 閲覧記録。


 不正。


 確認されない。


 持ち出し。


 なし。


 写し。


 許可分のみ。


 表示三行を。


 すべて閲覧した者。


 限定。


***


「では、誰が漏らした」


 グラドが尋ねる。


「一人とは限りません」


 ネラ。


「黒川朔という名前」


 ルカ。


「移動記録にあります」


「旧観測室側室」


 アナ。


「構造確認の予定として、複数部署へ通知しました」


「睡眠状態様表示」


 セオ。


「記録表紙の見出しに含まれていました」


***


 表紙。


 本文を読めない者も。


 運べる。


 棚へ置ける。


 受け取りを記録できる。


 そこには。


 黒川朔名および睡眠状態様表示


 とあった。


***


「見出しを見れば」


 グラド。


「黒川朔。睡眠状態」


「はい」


 セオ。


「順番に並べれば」


「黒川朔が眠っている」


「本文を読まなくても作れます」


***


「K.K.は」


「以前から、旧観測室の符号として知られています」


 ネラ。


「白い手」


 マレア。


「市場での現象を見た者がいます」


「成人身体」


「朔さんが白い成人右手様形状を見たことは。治療区画内で話されました」


「誰が」


「身体確認に関わった者。周辺にいた者。母親へ説明を求められた者」


***


 一つの秘密が。


 一人の口から。


 そのまま出たとは限らない。


 名前。


 場所。


 白い手。


 眠り。


 大人の身体。


 以前の勇者の噂。


 別々の口から。


 外へ出た断片が。


 市場で。


 一つの文になる。


***


「記録を閉じても」


 ネラが言った。


「推測は閉じられません」


***


「では」


 グラド。


「全員へ守秘を」


「必要な範囲では」


 セオ。


「ですが」


「話す者を減らせば」


「噂が止まる?」


「限りません」


「公開する?」


「本人の名前と。状態に関わる記録です」


***


「俺の名前は」


 朔が言う。


「もう出ています」


「だから、全文を公開する?」


 マレア。


「しません」


「何を出す」


「今。危険な使われ方をしている部分を止めます」


***


 白い塔の子へ触れれば。


 眠った者が起きる。


 白い塔の子が触れれば。


 本当の身体へ戻る。


 この二つ。


 確認されていない。


***


「否定しますか」


 グラド。


「はい」


「現象そのものも」


「白い手様形状を見たことは否定しません」


「黒川朔と睡眠状態の表示」


「俺には見えました」


「なら」


「表示から。触れることで誰かが起きる、とは確認できません」


***


「今の朔さんが夢ではない」


「確認できません」


 朔。


「そこも否定しない?」


「夢ではないと。俺は思いたいです」


「公示では」


「確認されていないこととして」


「それでは噂が残る」


「嘘で消しません」


***


「短く」


 ミエルの言葉。


 最初の二文字しか。


 見ない者。


 それでも。


 短くしすぎれば。


 別の意味になる。


***


 朔は。


 自分で文を書く。


***


 見出し。


 黒川朔による現在の申告


「眠りの勇者からの声明」


 グラド案。


 使わない。


「白い塔の子」


 使わない。


「K.K.関係者」


 使わない。


***


 本文。


 私は現在、サクと呼ばれることを望んでいます。


 最初に。


 今の呼び名。


***


 旧観測室側室で、K.K.、黒川朔、睡眠状態に近い白色表示を見たと報告しました。ほかの参加者の知覚は一致していません。


***


 この表示は、現在の私が偽物、夢、仮の身体であることを確認したものではありません。


 書いて。


 止まる。


「成人身体の方が偽物ではない」


 ネラ。


「はい」


 追記。


 白色成人身体様形状が、不要、過去の抜け殻、偽物であることを確認したものでもありません。


***


 次。


 私へ触れること、私が誰かへ触れること、名前を呼ぶこと、祈ることによって、眠っている者が目覚めるとは確認されていません。


***


 確認されていない方法を、眠っている者、応答できない者、子どもその他の身体で試さないでください。


「禁止?」


 グラド。


「お願いですか」


「俺の身体へ触れることについては」


 朔。


「同意なしに行わないでください」


 書き換える。


***


 私の同意なく、表示の再現、接触、呼名、祈りその他の確認行為を行わないでください。


 次。


 ほかの者についても、本人または必要な治療判断を置き去りにして、噂に基づく行為を行わないでください。


***


「必要な治療判断」


 マレア。


「治療官だけ?」


「いいえ」


「家族が身体を守ることも」


「含めます」


「祈りを全部否定?」


「しません」


「では」


「治療や本人の希望を。噂で置き換えないでください」


***


 書き直す。


 祈りや呼名を行う場合も、本人の希望、身体状態、必要な治療を、噂で置き換えないでください。


***


 最後。


 表示の意味、K.K.との関係、白色成人身体様形状との関係、目覚めることと帰ることの関係は、現在も確認中です。


***


「長い」


 グラド。


「はい」


 朔。


「読まれない可能性」


「あります」


「短い要点を」


 朔は。


 別の欄を書く。


***


 触れれば起きるとは、確認されていません。


 今ここにいる私は、サクと呼ばれることを望んでいます。


***


「二つ?」


 セオ。


「はい」


「一つにしない?」


「触れることと。呼び名は。別です」


***


 公示を出す前。


 エンの状態を。


 マレアが報告する。


「熱が高いです」


「原因」


 朔。


「今は確定していません」


「起きましたか」


「一度、目を開けました」


 部屋の空気が。


 変わる。


***


「俺が触れなかった後に」


 朔が言う。


「はい」


「治療で?」


「冷却。水分。呼吸の確認。その後」


「なら」


「どの処置で目を開けたかは決めません」


「俺が触れなかったから?」


「関係は確認できません」


***


「母親は」


「あなたへ謝りたいと言っています」


「何を」


「触れさせようとしたこと。責めたこと」


「今は」


 朔は考える。


「エンのそばにいてください、と伝えてください」


「会わない?」


「会いたくないわけではありません」


「では」


「今は、エンの身体を見てほしいです」


***


 謝罪を。


 受け取る者へ。


 急いで届けるために。


 目を開けた子どものそばから。


 母親を離さない。


***


「エンが起きた」


 その話も。


 市場へ出る。


 白い塔の子が。


 触れなかった後。


 子どもが起きた。


***


 それは。


 白い塔の子が。


 触れなくても起こした。


 という話にもなる。


 触れなかったから助かった。


 祈りを拒んだから目覚めた。


 遠くから名前を返した。


 どれも。


 作れる。


***


「公示へ、エンのことを」


 グラド。


「入れません」


 マレア。


「成功例として」


「治療記録です」


「噂を否定する材料」


「子どもの身体を。朔さんの噂を訂正する道具にしません」


***


 公示。


 市場の三か所。


 治療区画。


 白い塔の外壁。


 旧紙市場の入口。


 同じ文。


 紙。


 高さ。


 子どもが読める位置にも。


 一枚。


***


 朔は。


 自分の名前が書かれた公示を見る。


 黒川朔。


 現在は、サク。


 眠り。


 K.K.


 白い成人身体。


 触れれば起きるとは確認されない。


***


「自分で出した名前」


 リオが言う。


「はい」


「昨日は、非公開やった」


「はい」


「変えた」


「噂で。ほかの人の身体へ触れられる可能性が出たからです」


「全部は出さん」


「はい」


「隠した?」


「公開しない部分があります」


「理由」


「俺だけでは決められない記録。ユイさんやネラさんの知覚。成人身体に関わる可能性のある情報」


***


「後で」


 リオ。


「都合悪いから隠した言われるぞ」


「はい」


「ええんか」


「公開しない理由と。誰が見られるかを残しました」


「それで足りる?」


「分かりません」


***


 公示を読んだ男が。


 朔へ尋ねる。


「本当に、何もできないのか」


「確認されていることは少ないです」


「なら、試せば分かる」


「誰の身体で?」


 男が止まる。


「自分なら」


「あなたが。内容を理解して同意できる状態なら。検討できます」


「子どもは駄目?」


「本人が選べないことを。大人の知りたい気持ちで試しません」


***


「眠っている方のお前は」


「分かりません」


「起きたいと思ってるかも」


「あります」


「なのに、待つ?」


「今の俺は。何が起きるか知りたいと思っています」


「向こうの意思は」


「確認できていません」


「同じお前なら」


「同じでも。今ここで分かる意思だけで。向こうの全てを決めません」


***


 男は。


 納得したとは言わない。


 公示を。


 もう一度読む。


「長いな」


「はい」


 それだけ言い。


 去る。


***


 夕方。


 子どもたちが。


 市場の入口にいる。


 朝。


 朔を。


 寝たまま歩いていると言った子ども。


「触ったら消える?」


 同じ問い。


「確認されていません」


 朔。


「大人になる?」


「確認されていません」


「じゃあ、何なの」


「今は、サクです」


***


「眠ってるサクは?」


「いるかもしれません」


「二人?」


「分かりません」


「夢?」


「分かりません」


「何も分からん」


「はい」


***


 子どもは。


 不満そうに。


 地面へ線を引く。


 二つの丸。


 一つ。


 小さい。


 一つ。


 大きい。


 その間。


 線。


「これは?」


 朔。


「寝てるサクと、歩くサク」


「線は」


「まだ分からん道」


***


 朔は。


 線を消さない。


 丸も。


 重ねない。


「名前は」


 子どもが尋ねる。


「両方サク?」


「かもしれません」


「じゃあ、書く」


 小さい丸の下。


 サク。


 大きい丸の下。


 サク。


***


 同じ文字。


 二つ。


「取り合わない?」


「取り合うものにはしません」


「先に書いた方は」


「どちらでしたか」


 子どもは。


 考える。


「忘れた」


「では」


「どっちも」


***


 市場が閉じる頃。


 公示の前に。


 新しい紙が。


 勝手に貼られていた。


 小さな紙。


 誰が書いたか。


 分からない。


***


 眠りの勇者は、まだ起きない。


***


 朔は。


 紙を見る。


 眠り。


 勇者。


 まだ。


 起きない。


 これまでの断片が。


 短い一文に。


 きれいに並んでいる。


***


「剥がすか」


 リオが尋ねる。


「はい」


「記録は」


「残します」


***


 ルカが。


 貼られた位置。


 紙。


 糊。


 文字。


 時刻。


 見た者。


 記録する。


 その後。


 剥がす。


***


「間違いだから?」


 リオ。


「確認されていないからです」


「勇者やない」


「決めていません」


「起きない」


「向こうの状態は。睡眠と表示されました」


「まだ」


「誰の意味か分かりません」


***


 紙を。


 捨てない。


 噂として。


 公示とは別の箱へ。


 保管する。


***


「また貼られるぞ」


「はい」


「名前は、戻せん」


 朔は。


 自分の名が書かれた公示を見る。


 市場の子どもが書いた。


 二つのサク。


 剥がした。


 眠りの勇者。


「はい」


***


 閉じた記録の外で。


 名前は。


 既に歩いていた。


 眠っている。


 夢。


 勇者。


 戻す者。


 触れれば起きる子。


 拒んだ子。


 救った子。


 何もできない子。


***


 その全てを。


 朔は。


 自分の名前として。


 引き受けなかった。


***


 だが。


 自分とは無関係な言葉として。


 放置もしなかった。


 誰かの身体へ。


 触れる理由に使われるなら。


 今の自分の言葉で。


 止める必要があった。


***


 名前が。


 本人より先に。


 外へ出ることがある。


 本人の知らない場所で。


 役目を持ち。


 力を持ち。


 意味を増やすことがある。


***


 向こうで。


 眠っていると表示された名前は。


 街の中では。


 朔より先に起きていた。


***


 朔は。


 それを。


 全て眠らせることはできなかった。


 閉じた記録へ。


 戻すことも。


***


 だから。


 歩く。


 今の身体で。


 今。


 呼ばれたい名を。


 自分で言いながら。


***


「サク」


 リオが呼ぶ。


「はい」


 朔は答える。


***


 噂が呼んだ名ではなく。


 目の前にいる者が。


 今の朔へ向けた名として。


***


 閉じた記録の外で。


 起きてしまった名前と。


 同じ道を歩きながら。


 その名前より先に。


 誰かの身体へ意味を押しつけさせないために。

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