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第七章 眠っている名前 ⑪ 白い手



 白い手を確かめるための予定は、立てなかった。


 眠りの中で見た声。


 まだ起こすな。


 成人の右手。


 寝具を握った子どもの手。


 それらについて、三日間。


 新しい現象はなかった。


 朔は眠った。


 起きた。


 名前を答えた。


 食事をした。


 市場を歩いた。


 右手で紙を持った。


 何も起きなかったことも。


 日ごとに残した。


***


 四日目の朝。


 マレアは、朔の右手を確認していた。


 目的は。


 白い現象の再現ではない。


 眠りの中で寝具を強く握った後。


 指の動き。


 感覚。


 温度。


 左右差。


 それらが戻っているかを見るためだった。


「痛み」


「ありません」


「痺れ」


「ありません」


「握れますか」


 朔は指を曲げる。


 子どもの拳。


「開いてください」


 一本ずつ。


 指を開く。


「力を入れずに」


 掌。


 上。


 赤い跡は。


 もうない。


***


 マレアは。


 朔の手へ直接触れる前に尋ねる。


「触れていいですか」


「はい」


 手首。


 脈。


 親指の付け根。


 指先。


 左右。


 冷たさ。


 大きな差はない。


「目を閉じますか」


「はい」


「触れた場所を言ってください」


 人差し指。


 中指。


 掌の中央。


 手首。


 すべて。


 答えられる。


***


 部屋には。


 朔。


 マレア。


 リオ。


 ユイ。


 トエ。


 五人。


 ユイは、自分の朝の確認を終えた後だった。


 帰ろうとして。


 朔の検査が短いと聞き。


 窓辺へ残っていた。


 リオは。


 紙束の紐を直している。


 朔の名前を書いた紙は。


 胸元。


 出していない。


***


「次」


 マレアが言う。


「右手を、机の上へ置いてください」


 朔は。


 掌を下にする。


 木の机。


 細かな傷。


 紙の粉。


 指先へ。


 硬さが伝わる。


「自分の手ですか」


「今の俺の手です」


「動かして」


 人差し指。


 上げる。


 下ろす。


「次」


 中指。


 上げる。


 下ろす。


***


 薬包を持ったトエが。


 机の端を通る。


 白い紙。


 朝の光。


 窓。


 市場の音。


 何も。


 調査らしいものはない。


***


 朔の右手の。


 少し向こう。


 机の上に。


 別の手が現れた。


***


 最初は。


 光だと思った。


 窓から入る白。


 薬包紙の反射。


 だが。


 光には。


 指があった。


***


「変化」


 朔が言う。


 右手を動かさない。


「何が見えますか」


 マレア。


「俺の手の向こうに。別の手があります」


***


 成人の右手。


 そう見える。


 机の上に置かれているのではない。


 木目は。


 手の下にも見える。


 透けているようで。


 完全には透けていない。


 白い。


 肌の色を失った手。


 手の甲が上。


 指は。


 軽く曲がっている。


***


「位置」


「俺の右手から、指二本分くらい先」


「机に触れていますか」


「分かりません」


「白い布」


「ありません」


「腕」


「手首より少し上まで」


「身体」


「見えません」


「表示」


「ありません」


***


「私には」


 マレアが言う。


「外部の手は見えません」


 朔の右手へ。


 触れない。


 まず見る。


「現在の右手が、少し白くなっています」


「冷たい?」


 朔。


「触れて確認していいですか」


「はい」


***


 マレアの指。


 朔の手首。


「先ほどより冷たいです」


「右だけ?」


 左手。


 触れる。


「右の方が冷たい」


「脈」


「あります」


「感覚」


 朔は。


 右手を見る。


「あります」


「動かせますか」


「動かせると思います」


「まだ動かさないでください」


***


「白い手」


 ユイが言った。


 窓辺から。


 机へ近づかない。


「見える?」


 朔が尋ねる。


「手みたいなの」


「大人の手?」


「分からない」


「右手?」


「どっちか分からない」


「指」


「ある。たぶん」


「色」


「白い」


***


「位置は」


 マレアがユイへ尋ねる。


「サクの手の向こう」


「机の上?」


「机の上みたい。でも、下の線も見える」


「手の甲」


「分からない」


「掌」


「見えない」


「前に見たY.I.は」


「ない」


「見られている感じ」


 ユイは少し考える。


「今は、ない」


***


 リオは。


 机へ近づかない。


「俺には見えん」


「はい」


 朔。


「お前が、何もないところ見とるんは分かる」


「はい」


「右手」


 リオが言う。


「少し前へ動いとるぞ」


***


 朔は。


 自分の右手を見る。


 机の上。


 最初に置いた位置から。


 指一本分ほど。


 前へ出ている。


「動かした記憶は」


「ありません」


「白い手の方は」


 マレア。


「動いていません」


 朔には。


 そう見える。


***


「戻せますか」


 マレアが尋ねる。


 朔は。


 現在の手へ。


 力を入れる。


 手首。


 少し。


 動く。


 自分の方へ戻る。


 白い手との距離が。


 広がる。


「戻せます」


「白い手」


「残っています」


「変化」


「ありません」


***


 成人の手。


 前に見た手と。


 同じに見える。


 親指の付け根。


 細い線。


 拳の付け根。


 厚み。


 だが。


 以前見た記憶を。


 今の白い形へ合わせている可能性がある。


「同じ手だと思います」


 朔が言う。


「根拠」


 マレア。


「傷。指の形。大きさ」


「以前の記録と比較しましたか」


「今はしていません」


「では」


「同じに見える、までです」


***


 白い手の。


 指が動く。


 小指。


 薬指。


 中指。


 人差し指。


 順に。


 ゆっくり開く。


 親指が。


 最後に外へ向く。


***


「動き」


 朔。


「指が開きました」


「私には」


 ユイが言う。


「白いところが、大きくなった」


「指が動いた?」


「分からない」


「朔さんの手」


 マレア。


「動いていません」


「冷たさ」


 もう一度。


 許可を得て。


 手首へ触れる。


「続いています」


***


 白い手が。


 掌を向けている。


 そう見える。


 手首が回った過程は。


 見ていない。


 先ほどまで。


 手の甲だった。


 今は。


 掌。


 途中が抜けたのか。


 見落としたのか。


 手そのものが。


 違う向きへなったのか。


 分からない。


***


「掌側が、こちらへ向いています」


 朔が言う。


「こちらとは」


「俺の右手へ」


「朔さん自身へ?」


「そう見えます」


「向ける動作は」


「確認できませんでした」


「最初から掌だった可能性」


「俺には、最初は手の甲に見えました」


***


 掌。


 線。


 指。


 大人の手。


 朔は。


 自分の手を。


 その上へ重ねたくなる。


 大きさ。


 指の長さ。


 傷。


 温度。


 触れられるか。


 自分なのか。


***


 現在の右手が。


 また。


 前へ動く。


「サク」


 リオが言いかける。


 止まる。


「右手」


 言い直す。


「伸びとる」


「はい」


 朔は。


 自分の手を止める。


 白い掌まで。


 指一本分。


 そう見える。


***


「触れたいですか」


 マレアが尋ねる。


「はい」


「理由」


「俺の手か確かめたい」


「ほかには」


「温度を知りたい」


「ほかには」


 朔は。


 白い掌を見る。


「触れたら。何か分かる気がします」


「何が?」


「身体が繋がっているか。向こうへ行けるか。起こせるか」


「確認されていますか」


「いいえ」


***


「触れることが」


 マレア。


「成人の身体を起こす操作である可能性」


「あります」


「今の身体から離れる同意になる可能性」


「あります」


「向こうへ帰る選択と扱われる可能性」


「あります」


「単に、何も起きない可能性」


「あります」


「知覚上だけで、実際には触れない可能性」


「あります」


***


「今、触れますか」


 朔は。


 自分の右手を見る。


 子どもの手。


 机。


 冷たい。


 動かせる。


 白い手。


 開いた掌。


 待っているように見える。


 その。


 待っている。


 という意味も。


 朔が作っている。


***


「今は」


 朔は言う。


「触れません」


***


 白い手へ。


 向けて言ったのか。


 マレアへ。


 リオへ。


 ユイへ。


 自分へ。


 分からない。


 ただ。


 今いる部屋で。


 聞こえる声として。


 口にした。


***


「触れたくない?」


 ユイが尋ねる。


「触れたいです」


「でも」


「今は、触れません」


「ずっと?」


「決めません」


「怖いから?」


「怖いです」


「触ったら、帰れるかもしれないから?」


「それも」


「帰れないかもしれないから?」


「それもです」


***


 朔は。


 現在の右手を。


 自分の方へ戻す。


 机の端。


 白い掌との距離。


 広がる。


「戻せました」


 マレア。


「はい」


「自分で?」


「はい」


「支えが必要ですか」


「今は、いりません」


***


 白い手は。


 追ってこない。


 朔の手首を掴まない。


 指を曲げて。


 求める動作もしない。


 掌を開いたまま。


 そこにある。


***


 だから。


 拒絶を理解した。


 とは決めない。


 待っている。


 とも。


 許した。


 とも。


 機会を与えた。


 とも。


***


「変化」


 朔が言う。


 白い掌の。


 指先。


 薄くなる。


 最初に。


 小指。


 次。


 薬指。


 輪郭が。


 白い光へ戻るように。


 消える。


***


「ユイさん」


 マレア。


「白い形は?」


「小さくなってる」


「指」


「分からない」


「消える?」


「うん」


***


 成人の手は。


 ゆっくり。


 指を閉じたようにも見えた。


 だが。


 輪郭が薄くなり。


 開いていた間が埋まっただけかもしれない。


 朔には。


 最後に。


 親指が内側へ曲がったように見える。


***


 白い手。


 消える。


 机。


 木目。


 朔の子どもの右手。


 それだけ。


***


「現在」


 マレア。


「外部の手は?」


「見えません」


「ユイさん」


「白い形、ない」


「リオさん」


「最初から見えん」


「朔さんの手」


 触れる前に。


「触れていいですか」


「はい」


 手首。


「温度が戻り始めています」


「感覚」


「あります」


「動かせますか」


 指。


 一つずつ。


 開く。


 閉じる。


「動きます」


***


 トエが。


 薬包を机の端へ戻す。


 最初から。


 そこにあった白い紙。


 位置。


 変わっていない。


「薬包紙の反射だった可能性」


 朔が言う。


「私には、朔さんの手の白さ以外は見えていません」


 マレア。


「ユイさんは、手様の白い形を見た」


「うん」


「同じ形?」


「サクが見た大人の手は分からない」


「では」


「白い手みたいなの」


***


 最初に。


 身体記録を作る。


 現象の意味は。


 後。


***


 右手。


 検査開始時。


 左右の明確な温度差なし。


 現象申告後。


 右手の皮膚色が左より白く見えた。


 触診上。


 右手温度低下。


 脈。


 確認。


 感覚。


 保持。


 自動運動。


 可能。


 現象消失後。


 温度差は縮小。


***


「白く見えたことと」


 グラドが、後の確認で言う。


「白い手が重なったことは、対応している」


「時刻は近いです」


 マレア。


「朔さんの身体に、成人の手が接続した」


「そうは書けません」


「反応が起きた」


「朔さんの右手に、色と温度の一時的変化があったことは書けます」


「成人の手様知覚と同時」


「知覚申告後に確認しました」


「なら」


「関係は未確認です」


***


 知覚。


 朔。


 右手検査中、現在の右手から指二本分程度先に、成人の右手に見える白色形状を知覚。


 当初、手背側が上に見えた。その後、掌側を朔の右手方向へ向けたように見えた。向きが変化する途中は確認できず。


 以前知覚した成人右手と同じに見えたが、事前比較は行っておらず、同一性は未確認。


***


 ユイ。


 朔の右手の向こうに、年齢、左右、手背・掌を判断できない白色手様形状を知覚。朔の報告後に「白い手」と表現。


 形状の拡大および縮小を知覚。指の個別動作は確認せず。


***


 マレア。


 外部の手様形状を確認せず。朔の右手の一時的な白色化および温度低下を確認。


***


 リオ。


 外部形状を確認せず。朔が机上の何もない位置を注視し、右手を二度前方へ動かしたように見えた。


***


 トエ。


 現象発生前後に薬包紙を机上へ置いた。外部形状を確認せず。朔の右手の色については、マレアの指摘後に白く見えると認識。


 指摘前。


 気づかなかった。


 後の影響を分ける。


***


「白い成人右手様形状が、掌を朔さんへ差し出した」


 グラド案。


「差し出した、は使いません」


 朔。


「掌を向けた」


「そう見えました」


「招いた?」


「決めません」


「接触を求めた?」


「決めません」


「何も持っていないことを示した?」


「作れる文です」


***


 手を開く。


 求める。


 受け取る。


 渡す。


 止める。


 何も持っていない。


 敵意がない。


 触れたい。


 触れるな。


 どれも。


 手の形から。


 作れる。


***


「記録文は」


 セオが言う。


 白色成人右手様形状が、掌側を朔の現在右手方向へ向けたように知覚された。


 朔は、接触を望む感情および確認欲求を報告したが、現在の判断として接触しなかった。


「接触しなかった」


 グラド。


「接触を拒否した?」


 朔は答える。


「拒否とは書かないでください」


「なぜ」


「今後も触れないと決めたわけではありません」


「では、保留」


「保留という表示とも繋げたくありません」


「なら」


「その時、触れなかった事実だけで」


***


「白い手が、判断を尊重して退いた」


「確認できません」


 マレア。


「朔さんが手を戻した後に消えた」


「はい」


「因果関係」


「未確認です」


「理解した可能性」


「あります」


「拒絶されたと認識した可能性」


「あります」


「現象の持続時間が終わっただけ」


「あります」


***


「接触すれば」


 グラドが言う。


「二つの身体の関係を確認できる可能性があります」


「あります」


 朔。


「なら、次は管理下で接触を」


「今は同意しません」


「危険を減らして」


「危険が何か、分かっていません」


「触れるだけです」


 朔は。


 その言葉を見るように。


 グラドを見る。


「触れるだけで済むと、確認されていますか」


***


「接触によって」


 グラド。


「どちらの身体が帰還対象か分かる可能性があります」


 部屋が静かになる。


「どちらの身体を」


 朔が繰り返す。


「帰還対象にするか」


「はい」


「帰還するのは、身体ですか」


「本人です」


「本人が二つの身体に関係しているなら」


「接触が選択を示す可能性」


「俺は、選んでいません」


「触れなかった」


「選ばなかっただけです」


***


「現在の身体を選んだとも」


 マレア。


「成人の身体を拒んだとも、書けません」


「しかし、手を戻した」


「現象と接触することへ、その時点で同意しなかった」


「結果として」


「結果へ、帰還先を入れないでください」


***


 イサラが。


 後から記録を読む。


「接触しないことで失う機会があります」


「はい」


 朔。


「白い手が再び現れる保証はない」


「ありません」


「次に現れた時、接触できる状態とも」


「限りません」


「それでも、触れなかった」


「はい」


「後悔していますか」


「しています」


***


「なら、間違いだった?」


「決めません」


「次は触れる?」


「分かりません」


「いつ決める」


「触れることで何が起きる可能性があるか。もう少し分かってから」


「分からないまま、機会が消えたら」


「その可能性も持ちます」


 イサラは。


 すぐに否定しない。


「待つことで失うものもある」


「はい」


「急ぐことで失うものも」


「はい」


***


 エリオは。


 帰還対象という言葉を見る。


「二つの身体の、どちらか一つを選ぶ前提ですか」


 グラド。


「帰還には、到着先が必要です」


「身体が二つあれば?」


「本来の身体へ」


「本来とは」


 グラドが止まる。


***


「成人の身体が先」


「時間としては」


「現在の身体は後」


「可能性があります」


「だから、成人の方が本来?」


 エリオは。


 自分の白い外套を見る。


「勇者候補に先に登録されたからといって。それが私の本来の名前になるわけではありません」


***


「身体と役目は違う」


「はい」


 エリオ。


「ですが。先にあったものを、本来と呼ぶことで、後の本人の選択を小さくする構造は似ています」


「現在の身体は、選んだ?」


 朔が答える。


「選んで来たわけではありません」


「なら」


「選んでいないことは、自分の身体ではない証明になりません」


***


 ユイは。


 朔の右手を見る。


 温度は。


 戻っている。


「触らなかったら」


 ユイが尋ねる。


「向こうを捨てたことになる?」


「しません」


「白い手、消えた」


「はい」


「もう出なかったら?」


「触らなかったことは残ります」


「捨てた?」


「触れないことを、捨てることにはしません」


***


「触ったら?」


「分かりません」


「帰る約束?」


「触れることも、帰る約束にはしません」


「でも、向こうはそう思うかもしれない」


「あります」


「じゃあ、どうしたらいい?」


 朔は。


 自分の右手を開く。


「意味が分からない行動をする前に。今の俺がどういう意味で行うかを、先に残します」


「向こうに伝わる?」


「分かりません」


「じゃあ」


「伝わらなくても。こっちで勝手に同意へ変えられないようにします」


***


 新しい紙。


 朔は。


 机へ置く。


 右手で。


 触れる。


 温かい。


 子どもの手。


***


 白い手様形状へ触れたい。


 最初に。


 欲求を書く。


 消さない。


***


 自分の成人時の身体と関係するか、確かめたい。


 温度、傷、動き、感覚が繋がるか知りたい。


***


 その下。


 現時点では、接触が覚醒、移動、帰還、現在身体の放棄、その他の同意として扱われることを認めない。


***


「認めない?」


 リオが読む。


「実際に、そうなることを止められるか」


「分かりません」


「なら」


「少なくとも。俺が、その意味で触れたことにはさせません」


***


 今後、接触を永続的に拒否するものではない。


 接触しなかったことは、成人身体様形状を不要または偽物と判断したことを意味しない。


 接触した場合も、現在の身体や世界を捨てる選択とは自動的に扱わない。


***


「長い」


 リオ。


「はい」


「手ぇ一つ触るだけやのに」


「だからです」


「何が」


「触れるだけに見えるから」


***


 リオは。


 朔の右手を見る。


「ほんまは、触りたかったんやな」


「はい」


「止めたのは」


「怖かったから」


「それだけ?」


「自分で決めていない意味を、行動に付けられたくなかった」


「二つ」


「はい」


「確かめたかったのも」


「はい」


「大人の身体へ帰りたいのも」


 朔は考える。


「少し、あります」


「今の身体を失いたくない」


「はい」


「ほな、四つや」


「もっとあると思います」


***


「白い手は」


 リオが尋ねる。


「お前を掴まんかった」


「はい」


「待った?」


「そう見えました」


「ほんまは」


「分かりません」


「怒った?」


「分かりません」


「消えた」


「はい」


「お前が戻ったから?」


「分かりません」


***


「次に出たら」


「同じ手とは決めません」


「触りたい?」


「はい」


「触る?」


「その時に決めます」


「今日の紙は」


「残します」


「次に変わったら」


「新しい紙を書きます」


***


 夜。


 朔は。


 白い手が現れた机へ。


 もう一度。


 右手を置いた。


 再現のためではない。


 紙を書くため。


***


 木の感触。


 温度。


 傷。


 何も。


 現れない。


 白い手。


 なし。


 文字。


 なし。


 声。


 なし。


***


 朔は。


 指を開く。


 掌。


 上。


 自分で。


 向ける。


***


 掌を開くことは。


 帰るという意味ではない。


 触れてよいという意味とも。


 何も持っていないという意味とも。


 必ずしも。


 同じではない。


***


 それでも。


 今の朔は。


 自分の手を。


 自分で開いた。


 白い手へではなく。


 紙の上で。


***


 白い手が。


 成人の身体の一部である可能性。


 朔の過去の身体と関係する可能性。


 今の右手の変化と。


 何らかの関係がある可能性。


 以前より。


 高まった。


***


 だが。


 二つの手が。


 近づいたことは。


 本人が帰ることへ同意したことではない。


***


 触れなかったことも。


 成人の身体を捨てたことではない。


 現在の身体を。


 唯一の本物へ選んだことでも。


***


 白い手は。


 答えを渡さなかった。


 掴みにも来なかった。


 ただ。


 掌を開いたように見えた。


***


 朔は。


 触れたいと思った。


 手を伸ばした。


 途中で。


 戻した。


***


 拒絶ではない。


 帰還でもない。


 失敗でも。


 成功でもない。


***


 その時。


 朔は。


 まだ接触しないと。


 自分の身体で決めた。


***


 白い手が消えた後も。


 今の右手は残った。


 温度を戻し。


 紙を持ち。


 触れたいと書くことができた。


***


 成人の手も。


 消えたから。


 なかったことにはしない。


 再び現れると。


 約束もしない。


***


 二つの身体の。


 どちらを帰還対象にするか。


 その問いを。


 管理する者は。


 既に作り始めていた。


***


 だが。


 朔は。


 身体を選ぶ紙を。


 まだ書かなかった。


***


 触れる手と。


 帰る者は。


 同じ問いではなかった。


 どの身体へ触れたかだけで。


 誰が帰るかを。


 先に決めさせないために。

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