第七章 眠っている名前 ⑨ 一人分ではない
黒い人影について。
新しい索引を作る必要がある。
そう言ったのは、グラドだった。
「これまでの記録が、別の事案として分かれすぎています」
旧搬入口。
石枠。
白い面。
六年前の遠征。
勇者候補。
ヴァルハ。
サクという呼びかけ。
ハルに似た合図。
それぞれ。
別の記録にある。
「検索するには、共通の対象が必要です」
「見出し案は?」
セオが尋ねた。
グラドは紙を置く。
黒色人影様対象・一体
***
「一体」
ネラが読んだ。
「問題がありますか」
「あります」
「輪郭は一つです」
「そう見えた記録が多いことは確認できます」
「なら」
「輪郭が一つだったことと、一人だったことは同じではありません」
部屋が静かになる。
***
「複数の可能性を?」
「残します」
「では、複数対象」
「それも書きません」
「なぜ?」
「複数であることも確認していないからです」
「一つとも、複数とも書かない」
「はい」
「検索できない」
「輪郭を検索してください」
***
新しい案。
旧搬入口周辺における黒色人影様輪郭
「数の欄は?」
グラドが尋ねた。
「各観測記録に、その時見えた輪郭数を入れます」
ネラ。
「一」
「一つの輪郭を確認した、と」
「対象者数は?」
「未確認」
***
「人の形をしている」
「はい」
「声を発する」
「音声様知覚があります」
「動く」
「動作様変化があります」
「なら、人では?」
「人である可能性はあります」
「一人の」
「そこは、まだ分かりません」
***
グラドは、人影に関する記録を机へ並べた。
六年前。
黒い子どもに見える形。
ラグへ。
勇者は来るな。
フィオナ。
剣。
黒い変化。
現在。
朔へ。
サク。
名を持つ者だけ来い。
返せ。
帰れ。
役目。
あるいは。
まだ。
***
「声は同じですか」
グラドが尋ねた。
「同じと報告した者はいません」
セオ。
「違うと?」
「同じ声か判断できない。近い。低い。子どもに聞こえた。男女を判別できない。記録ごとに異なります」
「輪郭は」
「黒い。人型。大きさは観測位置により差があります」
「同じ個体では?」
「可能性はあります」
「同じではない可能性も」
「あります」
***
「一人の者が」
マレアが言った。
「複数の名前や記憶を知っている可能性があります」
「はい」
「役目に、過去の記録が付いている可能性」
「あります」
「場所が、入った者の知識を使って形を作る可能性」
「あります」
「朔さんたちが、別々の出来事を一つの輪郭へ読み込んでいる可能性」
「あります」
「複数の者が、一つの輪郭として見えている可能性」
「あります」
***
「可能性が多すぎる」
グラドが言う。
「だから、一体と書く?」
ネラ。
「検索上の便宜です」
「便宜が、後で身体の数になります」
「注記を付ける」
「索引には、注記より先に一体が残ります」
***
K.K.
壁面表示。
対象符号。
索引。
最初の問いの印は。
短い欄の中で消えた。
同じ移動を。
黒い人影にさせない。
***
最終案。
旧搬入口周辺・黒色人影様輪郭記録群
対象数。
未確認。
観測ごとの輪郭数。
一。
同一性。
未確認。
人であるか。
未確認。
複数の観測間の関係。
未確認。
***
「これでは、ほとんど何も言っていない」
グラド。
「言えることがあります」
ネラ。
「黒い人のような輪郭が、複数の機会に一つずつ見えた」
「同じものかもしれない」
「はい」
「一人かもしれない」
「はい」
「複数かもしれない」
「はい」
「では」
「その先は、次の問いです」
***
次の調査目的は。
人影の人数を確認する。
ではなかった。
人影の内部に。
誰がいるかを調べることでも。
目的は、
旧搬入口右側通路の石枠内側について、黒色人影様輪郭が前回示した動作位置を、石枠手前および一歩先から確認する。人影が現れ、特定の動作を行った場合、事前に定めた一文を伝える。
だった。
***
特定の動作。
朔とハルだけが知っていた。
声を追わず。
帰る。
その合図。
喉元へ二本の指。
指を離し。
手首を返す。
掌を帰路へ向ける。
***
「合図が完全に一致した場合だけ?」
セオが尋ねた。
「完全という判断ができません」
朔。
「では」
「俺が、ハルとの合図に見えた場合」
「主観で?」
「はい」
「ほかの参加者には分からない」
「動作は記録できます」
「意味は」
「俺の記憶として分けます」
***
伝える一文。
「その動きを知っていることだけで、あなたをハル一人とは呼びません」
「問いではない」
イサラが言った。
「はい」
「返答を求めない?」
「求めません」
「なぜ伝える」
「俺が、どう扱うかを伝えるためです」
「人影の正体を確認するためではなく」
「はい」
***
「ハルではない、と言うのでもない」
ユイが言った。
「はい」
「ハル一人ではない」
「そう決める言葉にもしたくありません」
「でも、一人とは呼ばない」
「合図だけでは」
***
「ハルを呼ばないための文ですか」
エリオが尋ねた。
「それもあります」
「ほかには?」
「人影の中にハルがいる可能性まで、否定しないためです」
「では」
エリオは一文を見る。
「ハルを外さず。ハルだけにもしない」
「はい」
***
「一人分ではないと、先に思っていませんか」
グラドが尋ねた。
朔は答える。
「思っています」
「なぜ?」
「人影が知っていることや、行った動作が多いからです」
「なら、返答もそう聞こえる可能性」
「あります」
「事前記録へ」
「書きます」
***
朔の出発時記録。
黒い人影を、一人分ではないものとして考え始めている。
複数の記憶、複数の人物、役目に伴う記録、観測者側の解釈の重なりを想像している。
人影の音声様知覚を、これらの想像に合う言葉へ整える可能性がある。
***
怖いこと。
ハルの合図を見た時、ほかの動作を見なくなること。
ほかの者を思わせる動作を見た時、人影の中に複数人がいるという物語へ進むこと。
一人ではないと分かったつもりになった時、誰がいるかを列挙し始めること。
ハルの一部があるという言葉で、ハル本人の不在を埋めること。
***
「会いたいか」
リオが尋ねた。
「はい」
「誰に」
朔は答える。
「ハルに」
「人影に?」
「はい」
「同じか」
「分かりません」
「人影が合図したら」
「ハル一人とは呼びません」
「ハルやと思う?」
「思います」
「言わんだけか」
「違います」
「何が」
「思ったことと。呼ぶことを分けます」
***
「青い布」
リオ。
「持っています」
「見せるか」
「見せません」
「何で」
「反応を引き出すために使いたくないからです」
「名前の紙」
「持っていてください」
「短刀」
「お願いします」
「人影が、ミナトの動きをしたら」
朔は止まる。
「考えていませんでした」
「今、考えた」
「はい」
「それも持って入れ」
***
参加者は。
朔。
ノエ。
マレア。
セオ。
前回と同じ。
知覚の比較をしやすくするため。
同じ四人であることを。
同じ条件とはしない。
人は。
前回の記録を読んだ後に入る。
***
帰還側。
リオ。
イサラ。
エリオ。
トエ。
ネラ。
ミエル。
ファナ。
アナ。
「人影が合図をしても」
イサラが確認する。
「予定した一文を伝える前に、身体変化があれば帰還」
マレア。
「人影が近づいた場合」
「伝えずに帰還」
「発話が先にあった場合」
「聞こえたものを持ち帰る。予定文は伝えない」
「合図を繰り返したら」
「一度の動作として扱います」
***
「何度も繰り返せば、確度が上がる」
グラド。
「同じ動作を繰り返した可能性は上がります」
ネラ。
「意味は?」
「同じ意味で行ったかは分かりません」
***
旧紙市場。
三枚の仮板。
二つの錠。
開く。
冷たい空気。
弱い。
通路。
人影。
なし。
声。
なし。
文字。
朔には見えない。
***
四人が入る。
黒い木片。
手と火の印。
低い天井。
曲がり角。
黒い金属様物。
記録板の紐。
分岐。
左の布。
右の水。
石枠。
***
石枠手前。
身体。
四人。
異常なし。
頭痛。
朔。
なし。
吐き気。
なし。
右手。
震えなし。
「人影」
「確認できません」
「白い面」
「見えます」
「文字様形状」
「遠く、判読しにくいです」
「声」
「ありません」
***
今日。
石枠を越えるのは。
朔とマレア。
ノエとセオは手前。
一歩。
それ以上は進まない。
人影が現れなくても。
待たない。
***
朔。
右足。
左足。
石枠の向こう。
音。
同行者の声が。
少し遠くなる。
床。
乾いている。
車輪溝。
なし。
***
マレア。
片足。
石枠の向こう。
音。
少し籠もる。
前回と近い。
同じとは決めない。
***
石枠内側。
手形様窪み。
円。
短線。
前回。
人影が左手を伸ばした方向。
「形状」
朔。
「大きな変化を確認できません」
「黒い跡」
「ありません」
「接触痕」
「確認できません」
「手形の深さ」
「今日、測りません」
***
白い面。
ヴァルハ様文字。
保持。
まだ様形状。
位置。
大きな変化。
確認できない。
床。
返路。
帰還方向へ読める。
***
「目的」
マレア。
「動作位置の確認」
「完了」
「人影」
「現れていません」
「戻ります」
「はい」
***
朔は身体を。
石枠へ向ける。
返路。
正面。
ノエ。
セオ。
携帯火。
マレア。
近い。
声は。
少し遠い。
***
一歩。
石枠へ。
その時。
白い面の前に。
黒い輪郭が現れる。
***
「人影」
朔。
「確認」
マレア。
「私にも見えます」
ノエ。
「見えます」
セオ。
「黒色人影様輪郭。一つ」
対象数。
言わない。
***
人影は。
石枠へ手を置かない。
白い文字にも。
触れない。
朔を見る。
顔はない。
目も。
確認できない。
それでも。
こちらを向いているように見える。
***
「距離」
マレア。
「前回と近いように見えます」
「近づいている?」
「確認できません」
「身体」
「頭痛なし」
「呼吸」
「少し速いです」
***
人影が。
右手を上げる。
喉元。
二本の指。
触れる。
ように見える。
指を離す。
手首を返す。
掌。
石枠。
帰還方向へ。
***
声を追うな。
戻る。
ハルとの合図。
森。
呼び声。
母の声。
父の声。
仲間の声。
戻る時。
二人で。
***
「動作」
朔が言う。
「喉元へ二本の指。その後、掌を帰還方向へ」
「ハルの合図?」
マレアが尋ねる。
「俺には、そう見えます」
「完全に同じ?」
朔は見る。
人影の右手。
ハルは。
どちらの手を使った。
記憶。
右。
いや。
左だったかもしれない。
森の暗さ。
火。
息。
「手が同じか、思い出せません」
***
「順序」
「近いです」
「速さ」
「人影の方が遅い」
「指の数」
「二本に見えました」
「ほかの人」
ノエ。
「喉元へ手を上げ、石枠方向へ掌を向けました。指の数は確認できません」
マレア。
「首付近へ触れた後、腕を横へ動かしました」
セオ。
「二動作。首付近。石枠方向」
***
同じ意味を。
全員が見たわけではない。
朔だけが。
ハルとの合図を知っている。
だから。
合図として見えたことは。
朔の記憶と分けられない。
***
人影は。
手を下ろす。
動かない。
朔は。
事前に決めた一文を言う。
「その動きを知っていることだけで、あなたをハル一人とは呼びません」
***
言った後。
胸が痛む。
ハルと。
呼びたい。
呼ばなければ。
見捨てるように感じる。
呼べば。
ほかのものを。
ハルの中へ押し込むかもしれない。
***
人影は。
朔を見ているように。
止まる。
左肩が。
少し下がる。
その動きが。
落胆に見える。
安心にも。
ただ重心を変えたようにも。
見える。
***
次。
人影の右手が。
空中をなぞる。
横。
短く。
下。
また横。
文字を書くように。
板へ記すように。
朔は。
ミトを思う。
黒い板。
余白。
ヴァルハ。
***
「動作」
セオが言う。
「右手を前方で三回移動」
「文字を書くように見えます」
朔。
「私には」
ノエ。
「何かを数えたようにも見えます」
マレア。
「空中の位置を触れているように見えます」
***
人影は。
右手首を左手で支える。
指。
手首。
脈を取る位置。
マレアの目が動く。
「治療確認に見えますか」
朔が尋ねかける。
「問いを足さないでください」
マレアが自分で止める。
「右手首へ左手を置いたように見えます」
***
ペル。
治療官。
三日後に死んだ。
あるいは。
傷を負ったフィオナ。
右腕を支えるサナ。
誰の動作にも。
できる。
誰のものでもないかもしれない。
***
人影は。
左腕を胸へ寄せる。
右足を一度引く。
肩。
低く。
剣を避ける構え。
痛む腕を守る姿勢。
荷物を抱える動作。
朔の知る格闘姿勢。
どれにも見える。
***
動作が増える。
名前が。
頭に増える。
ハル。
ミト。
ペル。
フィオナ。
サナ。
ラグ。
ミナト。
朔自身。
***
「今」
朔が言う。
「人影の中に、知っている人を増やしています」
「誰を?」
マレア。
「ハル。ミト。ペル。フィオナ。ほかにも」
「動作ごとに?」
「はい」
「確認できますか」
「できません」
「身体」
「頭痛。少し」
「戻ります」
「はい」
***
人影が。
口のない顔を。
動かしたように見える。
声。
近い。
遠い。
石枠の向こうから。
あるいは。
朔の頭の内側から。
***
「一人分ではない」
朔には。
そう聞こえた。
***
ノエが息を吸う。
マレアの片足が。
石枠手前へ戻る。
セオが記録板を閉じる。
「音声様知覚」
朔。
「一人分ではない、と聞こえました」
「私は」
ノエ。
「一人ではない、に近く聞こえました」
「私には」
マレア。
「一人分、まで。後ろは聞き取れません」
「私は」
セオ。
「ひと、または、ひとり。続いて、ぶん。最後は不明です」
***
「追加の問いはしません」
マレア。
「戻ります」
朔は。
人影を見る。
ハル。
その名を。
言わない。
「帰ります」
***
人影は。
帰還の合図を。
もう一度しない。
追わない。
近づかない。
右手を。
身体の横へ下ろす。
***
朔。
石枠を越える。
右足。
水。
左足。
車輪溝。
声の距離。
戻る。
***
「全員」
ノエ。
「前、サクさん。横、マレアさん。中央、私。後ろ、セオさん」
「確認」
朔。
「人影」
マレア。
「石枠の向こうに見えます」
「移動」
「確認できません」
***
分岐。
布。
黒い紐。
黒い金属様物。
曲がり角。
低い天井。
手と火の印。
入口。
外の光。
***
四人。
帰還。
人数。
四。
装備。
携帯火。
治療袋。
記録板。
炭筆。
封をした木箱。
青い布。
すべて。
持ち出した物。
なし。
残した物。
なし。
***
仮板を閉じる。
三枚。
二つの錠。
身体確認。
先。
意味は後。
***
朔。
頭痛。
軽い。
吐き気なし。
右手。
震えなし。
視覚。
黒い人影。
現在は見えない。
声。
現在は聞こえない。
「名前について聞いていいですか」
トエ。
「はい」
「今、何と呼ばれたい?」
「サクで」
「黒川朔」
「俺が使う名前です」
「K.K.」
「今は使いません」
「ハル」
朔の胸が強く動く。
「俺の名前ではありません」
「人影は?」
「ハル一人とは、呼びません」
「ハルではない?」
「それも、まだ決めません」
***
ノエ。
身体異常なし。
音声。
「一人ではない、に近く聞こえました」
「一人分では?」
「分の音があったかもしれません。最初は、一人ではない、と覚えました」
「朔さんの報告を聞いた後?」
「はい」
「現在の記憶」
「一人分ではない、とも聞こえた気がします」
「最初の記録」
「一人ではない、に近い」
後の影響を。
分ける。
***
マレア。
頭痛なし。
音声。
「一人分、まで」
「後ろ」
「音はありました。意味として聞き取れませんでした」
「ない、だった可能性」
「あります」
「違う言葉」
「あります」
「動作」
「首付近。石枠方向。右手の空中移動。右手首へ左手。左腕を胸側へ。右足を後方へ」
「意味」
「その場では付けませんでした」
***
セオ。
音声。
最初。
ひと。
または。
ひとり。
次。
ぶん。
最後。
一音または二音。
確定せず。
内容。
未確定。
***
「一人分ではない」
グラドが言った。
「三人の報告が近い」
「近いです」
ネラ。
「では、発話内容として」
「最も長く明確に聞いたのは、朔さんです」
「ほかにも、一人、一人分」
「はい」
「同じ語の可能性は高い」
「可能性はあります」
「なら」
「『一人分ではない』に近い音声様知覚が複数名にあった、と書けます」
***
「人影が、自分は複数だと答えた」
「それは書けません」
朔。
「一人分ではない」
「何が一人分ではないのか、主語がありません」
「問いへの返答」
「俺は問いませんでした」
「あなたをハル一人とは呼ばない、と伝えた」
「はい」
「それへの返答なら、自分は一人分ではない」
「そう受け取れます」
「では」
「俺の文です」
***
「ほかに、何が一人分ではない?」
ネラが尋ねた。
記憶。
声。
役目。
名前。
身体。
動作。
背負っている記録。
人影に付けられた呼称。
見る側の解釈。
「人影へ重ねた人物の数」
朔が言う。
「俺が、一人分以上を読み込んでいた可能性があります」
***
「人影は」
グラド。
「ハル、ミト、ペル、フィオナらの記憶を持つ複合対象」
「書きません」
セオ。
「動作が対応している」
「誰の動作か確認していません」
「朔さんが連想した」
「はい」
「複数名」
「朔さんの連想が複数名へ広がったことは記録できます」
***
「一人の者が、複数の動作を知ることもあります」
マレア。
「はい」
「見た動作を真似ることも」
「あります」
「役目に必要な動作として覚えることも」
「あります」
「朔さんたちの記録から作られた可能性」
「あります」
「複数の者が含まれる可能性」
「あります」
「では」
「まだ、分けません」
***
新しい記録の見出し。
グラド案。
複数人格黒色人影事案。
使用しない。
次。
黒色人影による複数人物動作再現。
「再現と確認していません」
ネラ。
次。
黒色人影様輪郭の連続動作および「一人分ではない」様音声。
「これなら」
セオが言う。
「音声を引用符へ入れないでください」
朔。
「なぜ?」
「確定した発話に見えるからです」
***
最終的に。
旧搬入口石枠先における黒色人影様輪郭の連続動作および複数参加者の音声様知覚
とした。
長い。
検索には不便。
それでも。
人影を。
複数人格。
複数人。
ハル。
そのどれにも。
見出しで入れない。
***
動作。
一。
右手を首付近へ。
続いて、石枠方向へ掌を向ける。
朔。
ハルとの私的な帰還合図に近いと認識。
他三名。
動作は確認。
意味は共有せず。
***
二。
右手を前方で、横、下、横へ移動。
朔。
文字を書く動作を連想。
ノエ。
数える動作を連想。
マレア。
空中の位置へ触れる動作として観測。
セオ。
三回の手部移動。
***
三。
左手を右手首付近へ。
朔。
治療確認または負傷腕保持を連想。
マレア。
手首へ手を置いた動作。
ノエ。
腕を支えたように見えた。
セオ。
左右手部の接近。
***
四。
左腕を胸側へ。
右足を後方へ。
朔。
負傷腕の防御。
剣を避ける構え。
格闘姿勢。
複数の解釈を同時に連想。
ほか三名。
身体位置の変化のみ。
***
「動作に名前を付けない」
エリオが言った。
「はい」
朔。
「勇者の構え。治療官の手。記録者の指」
「そう書けば、人が入ります」
「ですが」
「動作は、人一人の所有物ではありません」
***
エリオは。
黒い人影の図を見る。
「私は、勇者候補として習った構えを持っています」
「はい」
「同じ構えをする人は、ほかにもいます」
「はい」
「私がその構えをした時、最初に教えた人が私の中にいるとは限りません」
「はい」
「でも」
エリオは、自分の右手を見る。
「教えた人から受け取ったものが、私に残っていないとも言えません」
***
「一人の中に」
ユイが尋ねた。
「ほかの人が残る?」
「記憶や動きとしてなら」
エリオ。
「それは、一人?」
「私は、エリオです」
「教えた人も?」
「同じ身体にいるとは思いません」
「でも、動きはある」
「はい」
「じゃあ、一人分ってどこまで?」
誰も。
すぐには答えなかった。
***
一人分。
一つの身体。
一つの名前。
一つの声。
一つの記憶。
一つの役目。
どれも。
普段は。
同じ人へまとめて使う。
だが。
黒い人影には。
身体の境界も。
名前も。
声の位置も。
確認できない。
***
「一人分は」
グラドが言う。
「一人に属する情報量」
「一人に属する、と誰が決めますか」
ネラ。
「本人」
「本人が話せなければ」
「記録」
「記録が、複数人の動作を一人へ入れたら?」
「では」
「先に、一人分の大きさを決められません」
***
「一人の人が」
ユイ。
「たくさん覚えてたら、一人分より多い?」
「一人の記憶です」
グラド。
「忘れたら少なくなる?」
「人でなくなるわけではない」
「じゃあ、量じゃない」
ユイは。
人影の図を見る。
「一人分ではないって、いっぱいあるって意味じゃないかもしれない」
***
「足りない?」
朔が尋ねた。
「一人分にもならない?」
「うん」
「欠けている?」
「分からない」
「一人に分けられない?」
「それも」
「誰かの分じゃない?」
「それも」
***
一人分ではない。
多すぎる。
とは限らない。
欠けている。
分けられない。
共有されている。
預けられている。
背負っている。
誰のものとも決められない。
どれも。
作れる。
***
リオは。
最後に朔の話を聞いた。
「合図したんやな」
「俺には、ハルとの合図に見えました」
「ハルやったか」
「分かりません」
「嬉しかったか」
朔は答える。
「はい」
「怖かった」
「はい」
「ハルって呼びたかった」
「はい」
「呼ばんかった」
「はい」
***
「何て言うた」
朔は。
事前の一文を伝える。
「その動きを知っていることだけで、あなたをハル一人とは呼びません」
「人影は」
「一人分ではない、と聞こえました」
「ほんまに」
「俺には」
「ほかは」
「一人ではない。一人分まで。最後は不明」
「なら」
「近い音だった可能性があります」
***
「ハルが一人分おらん?」
リオが尋ねた。
朔の胸が痛む。
「そういう意味にもできます」
「ハル一人やない?」
「できます」
「ハル以外もおる?」
「できます」
「人影が、誰か一人に分けられへん?」
「できます」
「お前らが、いっぱい人を入れた?」
「できます」
「どれや」
「分かりません」
***
「でも」
リオは朔を見る。
「ハルの合図は、あった」
「俺には、そう見えました」
「それまで消すか」
「消しません」
「ハルやと決めへん」
「はい」
「ハルやないとも決めへん」
「はい」
「一人やないとも」
「決めません」
「一人やとも」
「決めません」
***
「しんどいな」
「はい」
「呼んだ方が楽やったか」
「ハルと?」
「そうや」
朔は。
青い布へ触れる。
出さなかった。
見せなかった。
「楽だったと思います」
「何でせんかった」
「俺が会いたいハルを。人影に着せるかもしれないからです」
「人影にハルがおったら」
「呼ばなかったことを、後悔するかもしれません」
「今は」
「しています」
***
呼びたかった。
呼ばなかった。
どちらも。
残る。
正しかったことにはしない。
***
「次は呼ぶか」
リオが尋ねた。
「分かりません」
「呼ばんと決めたんやない」
「はい」
「今度は違うかも」
「はい」
「人影も」
「違う状態かもしれません」
「お前も」
「今日の俺とは違います」
***
「なら」
リオは胸元の紙を押さえる。
「今日、呼ばんかったことだけ持っとけ」
「はい」
「ハルを捨てた話にすんな」
「はい」
「助けた話にも」
「はい」
***
朔は。
自分の紙へ書く。
黒い人影様輪郭が、ハルとの帰還合図に近い動作を行った。
次。
手の左右、速度、細部の完全な一致は確認できない。
さらに。
俺は、その動作を見てハルを強く連想し、呼びたいと感じた。
***
「その動きを知っていることだけで、あなたをハル一人とは呼びません」と伝えた。
その下。
俺には「一人分ではない」と聞こえる音声様知覚があった。
ほかの参加者には、「一人ではない」「一人分」まで、または内容不明の近い音として聞こえた。
***
解釈。
書き始める。
人影の中には。
複数の記憶がある。
ハルと。
遠征者と。
役目を担った者たち。
その手。
声。
名前。
混ざっている。
筆を止める。
***
それは。
作れる文だった。
魅力がある。
これまでの断片を。
一つにまとめられる。
ハルを。
人影の中へ残せる。
行方不明の者たちも。
無駄にならず。
一つの存在として続いている。
そういう話にできる。
***
だから。
今は書かない。
***
代わりに。
人影の連続動作を、俺は複数の既知人物へ結びつけた。動作の出所および人影内部の記憶・人格・身体の数は確認できない。
と書く。
***
最後。
人影の中に、ハルを思わせる何かがある可能性は高まった。
その文を。
読み直す。
ある。
ではない。
何か。
合図。
動き。
記憶。
朔の期待。
そのどれか。
***
続ける。
ただし、それは「ハルがそこにいる」とも、「ハルだけがいる」とも同じではない。
***
ハルが。
黒い人影の中にいるのか。
人影が。
ハルの記憶を持っているのか。
ハルの動作を知っているのか。
朔の記憶から。
同じ形を作ったのか。
分からない。
***
一人の者が。
多くの人から受け取った動きを持つことはある。
一つの役目が。
代々の記録を持つことも。
あるかもしれない。
複数の者が。
一つの輪郭へ見える可能性も。
消えない。
***
だが。
複数という言葉も。
一人という言葉と同じように。
人影を先に分ける。
***
朔は。
黒い人影の図の下へ。
人数を書かなかった。
ハル。
ミト。
ペル。
フィオナ。
ラグ。
誰の名も。
入れなかった。
***
ただ。
行った動作を。
順に残した。
首元へ手を上げた。
石枠方向へ掌を向けた。
右手を空中で三度動かした。
左手を右手首へ近づけた。
左腕を胸側へ寄せた。
右足を後方へ引いた。
***
その下。
朔は、最初の動作をハルとの帰還合図に近いと認識した。
と。
別の行へ書いた。
***
人影の輪郭は。
一つだった。
少なくとも。
その場にいた四人には。
一つの黒い形として見えた。
***
だが。
一つの輪郭が。
一人であるとは。
まだ分からない。
複数であるとも。
分からない。
***
一人分ではない。
そう聞こえた言葉も。
人影の人数を。
教えたとは限らない。
***
何が。
一人分ではないのか。
言葉には。
主語がなかった。
***
記憶か。
役目か。
声か。
名前か。
身体か。
背負った者たちか。
あるいは。
朔たちが一つの影へ重ねた解釈か。
***
どれも。
まだ。
一人ずつに分けられない。
***
それでも。
ハルとの合図に見えた動作を。
なかったことにはしない。
ハルだと。
決めることもしない。
***
朔は。
青い布を胸元から出す。
机の上。
黒い人影の記録の隣。
触れさせない。
重ねない。
***
布は。
ハルがいたことを示す。
人影がハルであることは。
示さない。
***
朔は。
その二つを。
別々に見た。
会いたい者の残した布。
会いたい者を思わせる動きをした影。
***
一つにすれば。
ハルは戻る。
そういう話を作れる。
だが。
戻ってきたと呼ぶには。
まだ。
本人へ聞けていないことが多すぎた。
***
そして。
本人が。
一人分として答えられるものなのかも。
まだ分からなかった。
***
朔は青い布を畳む。
胸元へ戻す。
人影の図は。
紙の上に残す。
***
ハルを。
人影の中へ閉じ込めず。
人影から。
ハルを追い出さず。
***
一人分ではない。
その言葉を。
複数人の答えにしないまま。
朔は。
黒い輪郭の中に。
まだ分けられないものがある可能性だけを。
持ち帰った。




