第七章 眠っている名前 ⑧ 役目の名
次の調査目的には、
ヴァルハの意味を調べる。
とは書かなかった。
目的は、
旧搬入口右側通路の石枠先について、前回確認した白色壁面までの床面および壁面を、石枠から三歩以内の範囲で確認する。文字または記号様の形状を確認した場合、位置、向き、材質を分けて記録する。
だった。
「意味は確認しない?」
グラドが尋ねた。
「形が読めた場合、読めた内容は残します」
セオが答えた。
「それがヴァルハなら」
「ヴァルハに見える形を確認した、と残します」
「人影との関係」
「人影が現れなければ、確認できません」
「現れた場合は?」
朔が答える。
「一つだけ、尋ねます」
***
事前に決めた問い。
「ここにある『ヴァルハ』は、あなたを呼ぶ言葉ですか」
「ヴァルハが確認される前から、その問いを決めるんですか」
グラドが尋ねた。
「確認されなければ、問いません」
「ほかの言葉しかなければ?」
「問いません」
「人影だけ現れれば?」
「戻ります」
「人影が先に話した場合」
「聞こえた内容を持ち帰ります。追加の問いはしません」
***
「名前か、と聞かない理由は?」
イサラが尋ねた。
「前に、違うと答えました」
朔。
「では、役目かと聞く?」
「それもしません」
「なぜ?」
「役目だと思い始めているからです」
「答えを誘導する?」
「はい」
「なら、『呼ぶ言葉』」
「本人の名でも。役目でも。場所を示す言葉でも。誰かが外から使う呼称でもあり得ます」
「本人が、自分を呼ぶ言葉ではない可能性も」
「あります」
***
参加者は。
朔。
ノエ。
マレア。
セオ。
前回と同じ四人。
石枠の先へ両足を越えるのは、最初は朔とマレアだけ。
ノエとセオは、必要がなければ石枠手前に残る。
「三歩の数え方」
セオが確認する。
「朔さんの歩幅?」
「床に、可動式の細い木片を置きます」
「石枠から、一歩ごと?」
「最初の一歩。二歩。三歩」
「白い面が三歩より先なら」
「近づきません」
「文字が読めなければ?」
「読めない位置から、見える形を残します」
***
朔の出発時記録。
現在の呼び名。
黒川朔。
今は、サク。
K.K.は使わない。
目的。
石枠先の床と壁。
三歩以内。
文字様形状があれば、位置と向きを見る。
人影が現れ、ヴァルハ様文字が確認されている場合のみ、一文を伝える。
怖いこと。
ヴァルハが役目だと読める断片を探すこと。
役目だと分かった時、黒い人影をその役目だけの存在にすること。
人影が石枠や文字へ触れた時、その動作を説明として扱うこと。
ハルが役目を負わされているという話へ、すぐ繋げること。
***
「ハルが役目をさせられとると思うか」
リオが尋ねた。
「そう考えています」
「自分で選んだかも」
「あります」
「ハルやないかも」
「あります」
「何人分かもしれん」
「あります」
「役目自体が、人やないかも」
「あります」
「全部持って入るんか」
「はい」
「重いぞ」
「はい」
***
「白い手は」
「見たいです」
「今日の目的か」
「違います」
「白い壁が出たら」
「三歩を越えません」
「手が見えたら」
「近づきません」
「人影が、ハルの合図をしたら」
「ハルとは呼びません」
「ヴァルハは」
「問い以外では、人影へ向けて使いません」
***
帰還側。
イサラ。
エリオ。
ミエル。
ファナ。
アナ。
トエ。
ネラ。
リオ。
人影が現れた場合でも。
予定した問いを終えるまで待つことを、外側の役目にはしない。
問いの途中でも。
身体。
人影の移動。
黒い変化。
同行者の判断。
いずれかで帰還する。
***
「一文を尋ねた後、返答がなければ」
エリオが確認する。
「待ちません」
朔が答える。
「返答が聞き取れなければ?」
「もう一度は聞きません」
「名前を尋ねる機会を失うかもしれない」
「はい」
「役目を確認する機会も」
「はい」
「それでも?」
「聞き取れなかったことを、聞き取れるまで続ける理由にしません」
エリオは少し黙る。
「分かりました」
***
旧紙市場。
三枚の仮板。
二つの錠。
開く。
通路から。
冷たい空気。
弱い。
声。
なし。
人影。
なし。
白い文字。
入口では、朔には見えない。
***
四人が入る。
黒い木片。
手と火の印。
低い天井。
半分埋まった鉄輪。
最初の曲がり角。
黒い金属様物。
長い剣状物。
記録板があった位置。
黒い紐。
分岐。
左の布。
右の水。
石枠。
***
前回置かなかった木片を。
今日は三本だけ持っている。
薄い白木。
長さは同じ。
床へ置く。
持ち帰る。
境界を新しい印で埋めない。
***
石枠手前。
身体確認。
頭痛。
なし。
吐き気。
なし。
手。
震えなし。
名前。
今は聞かない。
「人影」
「確認できません」
朔。
「表示」
「ありません」
「声」
「ありません」
***
一歩。
朔が両足で越える。
乾いた均一な床。
車輪溝なし。
声。
少し遠い。
前回と近い。
同じとは決めない。
マレアが片足。
音。
少し籠もる。
身体。
異常なし。
***
最初の木片。
石枠を越えた位置。
二本目。
朔の一歩。
三本目。
さらに一歩。
最大三歩。
白い面は。
三本目より少し先。
近づかない。
***
「床」
朔が言う。
「変化があります」
「位置」
「二歩目と三歩目の間」
「何が」
床の灰色。
細い線。
彫られたように見える。
横向き。
進行方向からは。
逆さに近い。
「文字様形状」
「読めますか」
朔は身体を回さない。
頭だけ。
「今の向きでは、読みにくいです」
「帰還方向へ向けば?」
「読める可能性があります」
「目的に含まれます」
セオ。
「身体を回しますか」
「はい」
***
朔は。
足の位置を変えず。
身体だけを石枠へ向ける。
帰還方向。
床の線。
正面になる。
二つの文字に見える。
「返」
朔が言う。
「次」
「路」
「二文字?」
「はい」
「ほかに?」
「前後は欠けています」
***
返路
帰る道。
返す道。
戻す経路。
そう読める。
だが。
誰が返るのか。
何を返すのか。
どちらへ返すのか。
文字だけではない。
「向き」
セオが尋ねる。
「石枠先から、旧紙市場側へ向いた時に正しく見えます」
「進行方向からは」
「逆さです」
「帰還する者へ向けた文字?」
朔は答える。
「そう思えます」
「確認は」
「できません」
***
マレアも。
石枠の片足位置から。
見る。
「返に近い一文字。路に近い一文字」
「読めますか」
「返路と読めます」
「欠け」
「一文字目の下。二文字目の右」
「別の文字の可能性」
「あります」
***
その文字の先。
左の白い面。
前回より。
近く見える。
実際に近いのではない。
今日。
三歩まで進んでいる。
距離が縮んだ。
白い面の下。
灰色との境。
黒い線。
文字か。
傷か。
「左壁に、形があります」
「位置」
「白い部分の下端」
「読める?」
「一部だけ」
***
朔は三歩目の木片より先へ行かない。
斜めから。
見る。
最初の形。
ヴ。
小さい濁点に近い傷。
次。
ァ。
ル。
ハ。
「ヴァルハに見えます」
言った瞬間。
胸が強く動く。
「形を」
マレア。
「一文字目は、ウに小さい二点。次は小さいアに近い。ル。ハ」
「すべて同じ深さ?」
「違います」
「色」
「黒い」
「彫られている?」
「白い面の中へ、黒い線が入っています」
「表面の汚れ?」
「分かりません」
***
ヴァルハ
そう読める。
ミトの板。
余白。
噂。
勇者殺し。
人影。
違う。
あの答え。
今。
白い壁に。
同じ音に見える文字。
***
「問いの条件」
セオが言う。
「ヴァルハ様文字を確認しました」
「人影は」
「いません」
マレア。
「今は、問いません」
***
白い面の右。
高さ。
朔の肩より少し上。
別の線。
二文字。
間が広い。
「保」
朔。
「次」
「持」
「保持?」
「そう読めます」
「位置」
「ヴァルハ様文字より右上」
「同じ行?」
「違います」
「向き」
「こちらへ正面」
「間に線」
「ありません」
***
ヴァルハ。
保持。
並べれば。
ヴァルハが保持する。
ヴァルハを保持する。
保持されたヴァルハ。
そう作れる。
だが。
距離。
高さ。
線の深さ。
違う。
「一文にしません」
朔が言う。
「はい」
セオ。
***
石枠の裏側。
前回見た。
手形様窪み。
円。
短い線。
その上。
浅い傷。
今日は、火の位置が違う。
影が変わる。
「文字に見える部分があります」
マレアが言った。
「どこ」
「石枠内側。手形様窪みの上」
「読めますか」
「閉」
「次」
「じる、に近い」
朔も見る。
角度。
距離。
「閉じる、に見えます」
「前後」
「欠けています」
「命令?」
「分かりません」
「現在形?」
「分かりません」
「何を」
「分かりません」
***
返路。
保持。
閉じる。
ヴァルハ。
文字だけなら。
文ができる。
ヴァルハは返路を保持し、閉じる。
ヴァルハが帰る道を閉じる。
ヴァルハを保持して道を閉じる。
帰路を保持するため、ヴァルハを閉じる。
どれも。
今いる者が作れる文。
***
「セオさん」
朔が言う。
「今、頭の中で繋げています」
「内容を、帰還後に分けて話してください」
「はい」
「今は位置」
「はい」
***
さらに。
白い面の下。
床との境近く。
短い線が二つ。
文字の残りか。
傷か。
朔には。
まだ
の一部に見える。
だが。
一文字目。
ま。
とは言い切れない。
二文字目。
だ。
濁点は。
汚れかもしれない。
「二文字様の形」
朔が言う。
「読めますか」
「まだ、に見えます」
「確度」
「低いです」
「ほかの人」
マレアは。
片足位置から。
「一文字目は、まに近い。二文字目は判断できません」
ノエ。
石枠手前。
「線は見えます。文字は読めません」
セオ。
「位置だけ確認します」
***
ヴァルハ。
返路。
保持。
閉じる。
まだ。
五つ。
同じ面にはない。
同じ向きでも。
同じ深さでも。
同じ大きさでもない。
同じ時期に作られたかも。
分からない。
***
「三歩以内の確認」
マレアが言う。
「完了しています」
「はい」
「人影」
「現れていません」
「身体」
「軽い緊張。頭痛なし」
「戻ります」
朔は答えようとする。
白い面。
ヴァルハ。
その先。
暗い道。
人影。
出ない。
***
あと少し待てば。
文字に反応して。
現れるかもしれない。
ヴァルハを読んだから。
呼ばれたと感じるかもしれない。
人影が。
役目を説明するかもしれない。
ハルの合図をするかもしれない。
***
「サクさん」
ノエが言う。
「今、何を待っていますか」
朔は。
白い面を見る。
「人影です」
「目的に含まれますか」
「人影が現れた場合の問いはあります」
「現れるまで待つことは?」
「含まれません」
「戻れますか」
朔は足を石枠へ向ける。
「はい」
***
身体を回す。
床。
返路。
正面になる。
帰る方向へ読める二文字。
石枠。
三人。
携帯火。
戻る。
***
一歩。
まだ石枠の向こう。
二歩。
返路の文字を越える。
石枠。
近い。
その時。
ノエの火が。
短く低くなる。
***
「火」
ノエ。
「保持」
消えない。
黒い線。
なし。
床。
変化なし。
朔は、石枠を越えようとする。
その先。
白い面の前。
黒い人影が立っていた。
***
「人影」
朔が言う。
足を止める。
石枠まで。
一歩。
人影まで。
距離。
分からない。
白い面の前。
それとも。
白い面の中。
輪郭が。
重なって見える。
***
「確認」
マレア。
「私にも見えます」
ノエ。
「見えます」
セオ。
「黒色人影様形状を確認」
人影は。
近づかない。
手も上げない。
首元の合図も。
しない。
***
問いの条件。
ヴァルハ様文字。
確認。
人影。
確認。
身体。
朔。
頭痛なし。
吐き気なし。
同行者。
三人。
帰還路。
開いている。
朔は。
事前に決めた一文を言う。
「ここにある『ヴァルハ』は、あなたを呼ぶ言葉ですか」
***
人影は。
すぐに答えない。
左手を上げる。
自分の胸へは置かない。
白い面のヴァルハ様文字へも。
触れない。
石枠の内側。
帰還側にある。
手形様窪みへ。
掌を重ねる。
***
黒い手。
石の窪み。
大きさは。
合っているように見える。
朔には。
指の位置まで重なったように。
ノエには。
掌の中心が少しずれているように。
マレアには。
手が石枠へ触れたかも、距離が残ったかも判断できない。
セオには。
腕を石枠方向へ伸ばしたことだけ。
***
人影が言う。
短い音。
朔には。
「役目」
と聞こえた。
ノエには。
「役目だ」
マレアには。
「まだ」
セオには。
二つ。
あるいは三つの音。
内容は決められない。
***
「聞こえました」
朔が言う。
「追加の問いはしません」
マレア。
「戻ります」
人影は。
手を石枠から離さない。
追わない。
近づかない。
***
朔が石枠へ向かう。
人影の黒い手。
帰還側の窪み。
役目。
まだ。
どちらも。
頭に残る。
ハル。
その名を。
言わない。
***
石枠を越える。
右足。
水。
左足。
車輪溝。
人影。
石枠の向こう。
見える。
「全員」
ノエ。
「前、サクさん。横、マレアさん。中央、私。後ろ、セオさん」
「確認」
朔。
***
人影が。
何かを言う。
朔には。
聞こえない。
ノエには。
短い息。
マレアには。
声なし。
セオには。
石へ触れる音。
振り返らない。
***
分岐。
左の布。
右の通路。
黒い紐。
黒い金属様物。
曲がり角。
低い天井。
手と火の印。
入口。
外の光。
***
四人が帰還する。
人数。
四。
装備。
すべて。
持ち出した物。
なし。
残した物。
なし。
白木の三本。
回収。
***
仮板を閉じる。
三枚。
二つの錠。
身体確認。
先。
名前は後。
***
朔。
頭痛。
軽い。
吐き気なし。
右手。
震えなし。
人影。
現在は見えない。
声。
現在は聞こえない。
白い表示。
なし。
「名前について聞いていいですか」
トエ。
「はい」
「今、何と呼ばれたい?」
「サクで」
「黒川朔」
「俺が使う名前です」
「K.K.」
「今は使いません」
「ヴァルハ」
朔は。
少し考える。
「俺の名前としては使いません」
「人影へは?」
「呼びません」
***
ノエ。
身体異常なし。
火。
消えず。
人影が現れた直前。
炎が低くなった。
関係。
未確認。
「返答」
「役目だ、と聞こえました」
「確信」
「役目、の後に音が一つあったと思います」
「人影の手」
「石枠の窪みへ重ねたように見えました。中央が少しずれていたようにも」
***
マレア。
身体異常なし。
「返答」
「まだ、と聞こえました」
「役目には?」
「聞こえませんでした」
「人影の手」
「石枠方向へ上げました。触れたかは判断できません」
「『まだ』は、以前の人影の発話と同じ?」
「音は近く感じます」
「同じ声?」
「決められません」
***
セオ。
返答内容。
確定せず。
二音または三音。
最初の音。
や。
ま。
どちらにも聞こえた可能性。
最後。
め。
だ。
判断できず。
手。
石枠方向へ伸ばした。
窪みとの一致。
自身の位置からは確認できず。
***
「朔さん」
リオが、帰還確認をする。
「何て聞こえた」
「役目」
「ノエは」
「役目だ」
「マレアは」
「まだ」
「セオは」
「分かりません」
「どれが正しい」
「決めません」
「お前は役目やと思っとった」
「はい」
「なら」
「そう聞こえやすかった可能性があります」
「マレアは、まだを知っとる」
「はい」
「ノエも役目を聞いた」
「はい」
「二人おるから役目?」
「人数では決めません」
***
「人影は、石枠へ手を置いた」
「そう見えました」
「胸やなく」
「はい」
「ヴァルハの文字でもなく」
「はい」
「なら、石枠の役目?」
朔は、答えたくなる。
「そう思います」
「ほんまか」
「分かりません」
「役目って言うたなら」
「俺にそう聞こえたなら」
「役目やない可能性」
「あります」
「役目やった可能性」
「高まったと思います」
***
「ハルは」
リオが尋ねる。
「呼びませんでした」
「人影は合図したか」
「しませんでした」
「お前にはハルに見えた」
「黒い人影に見えました」
「役目をさせられとるハルやと」
「考えました」
「いつ」
「手を石枠へ置いた時です」
「向こうが見せたんか」
「俺が作った可能性があります」
***
帰還後の記録。
文字様形状は。
一枚に並べない。
位置図。
石枠。
床。
白い面。
それぞれ。
***
床。
帰還方向へ向いた時。
返路に見える二文字。
欠損あり。
進行方向からは逆さに近い。
材質。
床面への浅い線。
***
白い面。
ヴァルハに見える四文字。
線の深さ、色。
文字ごとに差。
同時期、同一筆者、同一方法。
未確認。
***
同じ白い面。
保持に見える二文字。
ヴァルハ様文字とは。
高さ。
間隔。
線の深さ。
異なる。
文としての接続。
未確認。
***
石枠内側。
閉じるに見える文字様形状。
前後欠損。
命令。
説明。
状態。
未確認。
***
白い面下端。
まだに見える可能性のある二文字様形状。
朔。
まだ、と認識。
マレア。
一文字目のみ、まに近い。
ほか。
判読せず。
***
「一文にすると」
グラドが言う。
「しません」
セオが答える。
「仮説として」
「誰の仮説ですか」
「私の」
「話してください」
***
「ヴァルハは、返路を保持し、閉じる役目」
グラド。
静かになる。
「魅力的です」
朔が言った。
「では」
「文字の位置と向きが、一文の順ではありません」
「石枠を中心に配置された機能表示なら」
「可能性はあります」
「人影も、役目と答えた」
「俺には」
「ノエさんにも」
「役目だ、と」
「二名」
「人数で正しさを決めません」
***
「別の文」
ネラが言う。
「返路を保持したまま閉じる」
「ヴァルハは?」
「別の名称」
「人影?」
「分かりません」
「まだ、は?」
「閉じる前の状態」
「そう作れます」
「ほかにも」
セオ。
「ヴァルハを保持し、返路を閉じる」
「ヴァルハが、何かを保持される側?」
「文法上は作れます」
「文字の位置は?」
「対応しません」
***
作れる文が増える。
文字が増えたから。
答えに近づいたように見える。
だが。
繋げ方も増えた。
***
「人影の返答」
見出し。
旧搬入口石枠先における黒色人影様形状への事前合意質問および音声様知覚。
問い。
そのまま。
「ここにある『ヴァルハ』は、あなたを呼ぶ言葉ですか」
応答。
朔。
役目。
ノエ。
役目だ。
マレア。
まだ。
セオ。
二音または三音。内容確定せず。
***
「『役目』は、問いへの否定ですか」
グラド。
「分かりません」
朔。
「名前ではなく役目、という意味」
「そう受け取りました」
「『まだ』なら」
「まだ呼ぶ言葉ではない。まだ役目ではない。まだ答えない。どれも作れます」
「では」
「言葉だけでは、決められません」
***
人影の動作。
石枠内側の手形様窪み方向へ。
左手を上げた。
朔。
掌が窪みと一致したように見えた。
ノエ。
中心がずれていた可能性。
マレア。
接触自体を確認できず。
セオ。
腕を石枠方向へ伸ばした。
「手を置く役目」
グラドが言う。
「それも、作った文です」
ネラ。
***
エリオは、全記録を読んだ後。
人影の図ではなく。
役目という三文字の写しを見た。
「役目だと分かっても」
彼は言った。
「その人から外せるとは限りません」
「人影が、役目を選んだかもしれない」
グラド。
「はい」
「役目として存在しているかも」
「はい」
「では」
「それでも、役目がその人の全部とは限りません」
***
「勇者候補と同じ?」
ユイが尋ねた。
エリオは、すぐには答えなかった。
「似ているところはあります」
「違うところは?」
「私は、自分の名前を言えます。役目について話せます。外したいと伝えられます」
「黒い人は?」
「私たちに分かる形では、まだ十分に話していません」
「じゃあ、外したいか分からない」
「はい」
「役目って呼んだら?」
「本人の名前を奪わなくても」
エリオは言う。
「今度は、その人を役目の中へ閉じ込めるかもしれません」
***
「ヴァルハは役目」
街では。
その日のうちに。
そう言われ始めた。
勇者を殺す役目。
帰路を守る役目。
剣を返す門番。
黒い道の番人。
目覚めを止める者。
名前を持つ者を選ぶ者。
文字。
人影。
石枠。
白い手。
WAKE:HOLD。
遠い出来事まで。
一つの話へ繋がる。
***
公示。
短く。
ただし。
旧搬入口石枠先にて、「ヴァルハ」「返路」「保持」「閉じる」に近い文字様形状、および「まだ」に近い可能性のある形状を別位置に確認しました。各形状の文としての接続、制作時期、用途は未確認です。
黒色人影様形状へ事前合意した一文を伝え、参加者ごとに異なる音声様知覚がありました。「役目」「役目だ」「まだ」等。発話内容は確定していません。
ヴァルハが人影の名前、役目、場所、状態その他のいずれを示すかは未確認です。
***
「役目の可能性が高まったとは書かない?」
グラドが尋ねた。
「内部の仮説には残します」
セオ。
「公示には」
「異なる音声知覚を、結論として広げません」
「噂の方が先に断定する」
「はい」
「なら、王都が訂正を」
「役目ではないとも決まっていません」
***
ロウが。
市場の地面へ。
人の形を書く。
その横。
ヴァルハ。
下。
門。
「門の人?」
「そう呼ぶ人が増えています」
朔。
「本当?」
「分かりません」
「役目?」
「そう聞こえた人がいます」
「サクも」
「はい」
「じゃあ役目」
「俺が、そう聞きたかった可能性があります」
「ノエも」
「はい」
「二人なら」
「二人が同じ期待を持っていた可能性もあります」
「マレアは、まだ」
「はい」
「どっち」
「分かりません」
***
「役目なら、名前は別にある?」
ロウが尋ねる。
「あるかもしれません」
「ないかもしれない?」
「本人が使う名前がないとは決めません」
「聞けば?」
「答えが本人の名前か、確かめられない可能性があります」
「でも聞かないと」
「分からないままです」
「じゃあ、ずっとヴァルハ」
朔は、黒い人影を思う。
街が。
既に。
その言葉で呼んでいる。
「仮の呼び方として使われ続ける可能性はあります」
「嫌だったら?」
「本人へ、外したいか聞ける方法を探します」
***
ユイは。
五つの文字を。
別々の小さな紙へ書いた。
ヴァルハ。
返路。
保持。
閉じる。
まだ。
一列にしない。
円にも。
しない。
「どれが先?」
イナが尋ねる。
「見つけた順はある」
「意味の順」
「分からない」
「人影は、どれ?」
ユイは。
ヴァルハの紙へ触れない。
「どれでもないかもしれない」
「役目は?」
「紙にない」
「聞こえた言葉」
「サクとノエに」
「書く?」
ユイは、別の紙に。
役目/役目だ/まだ/分からない音
と書いた。
四つ。
重ねない。
***
「役目って、名前みたい」
ユイが言う。
「どうして?」
朔。
「勇者候補。治療官。記録する人。待つ人」
「はい」
「呼ぶ時に使える」
「使えます」
「でも、その人じゃない」
「はい」
「黒い人は、役目しか見えない?」
朔は。
黒い輪郭。
手。
合図。
声。
ハルかもしれない記憶。
ほかの者の仕草。
「今は、役目のように見えることが増えています」
「名前は?」
「まだ分かりません」
「まだ?」
ユイが問い返す。
朔は。
人影の声を思い出す。
「今のは、時間の意味で言いました」
「人影の言葉じゃない?」
「分かりません」
***
夜。
朔は。
五つの文字の位置図と。
人影の記録を。
別の場所へ置いた。
文字が人影を説明するとは。
まだ決めない。
人影の手が。
文字の意味を示したとも。
***
自分の紙へ。
書く。
ヴァルハは、人影の名前ではない可能性が高まったと感じる。
その下。
根拠は、人影の返答が「役目」と聞こえたこと、および石枠・返路・保持・閉じる様文字の近くに現れたこと。
さらに。
ただし、返答は参加者ごとに異なり、文字同士の接続も未確認。
***
最後。
名前ではないことは、その言葉が人影と無関係だという意味ではない。
筆を止める。
***
ヴァルハ。
それが。
人影へ与えられた役目なら。
誰が与えたのか。
いつから。
何をするため。
何を返さず。
何を保持し。
何を閉じているのか。
分からない。
***
自分で選んだ役目なら。
今も続けたいのか。
やめたいのか。
役目を終えれば。
何が残るのか。
分からない。
***
人影が。
ハルを含むものなら。
ハルが選んだのか。
ハルへ負わせたのか。
ハル以外のものが。
その手を石枠へ置かせたのか。
分からない。
***
役目。
そう呼べば。
名前より正確に聞こえる。
だが。
正確な言葉も。
人を狭くすることがある。
***
勇者。
候補。
管理者。
治療する者。
記録する者。
待つ者。
帰す者。
閉じる者。
役目は。
何をするかを伝える。
何をしたかを残す。
同時に。
それ以外のものを。
見えにくくする。
***
黒い人影は。
石枠へ手を伸ばした。
朔には。
窪みへ掌を合わせたように見えた。
それが。
役目を果たす動作か。
閉じ込められた者の動作か。
ただ。
そこへ手を置いただけか。
分からない。
***
人影は。
自分の胸を指さなかった。
ヴァルハの文字にも。
触れなかった。
それでも。
朔には。
役目と聞こえた。
***
だから。
ヴァルハを。
人影の名前から外して。
代わりに。
人影そのものを役目へ入れない。
***
朔は。
黒い人影の図の下へ。
名前を書かなかった。
役目も。
書かなかった。
ただ。
石枠方向へ左手を伸ばした。
と残した。
***
人影が何者か。
まだ分からない。
だが。
ヴァルハではない。
という以前の否定に。
新しい可能性が加わった。
***
ヴァルハは。
人影を呼ぶ名前ではないのかもしれない。
境界に関わる役目。
道の状態。
返路を扱う言葉。
その可能性は高まった。
***
それでも。
名前ではないことは。
人影と無関係だという意味ではなかった。
役目であることも。
その者が、役目だけでできているという意味にはならなかった。
***
石枠の向こう。
白い面。
別々の文字。
帰る方向へ読める返路。
手を伸ばす黒い人影。
それらは。
まだ、一つの文ではない。
***
朔は。
一つにしないまま。
持ち帰った。
役目という言葉を。
黒い人影へ新しく与える名前にしないために。




