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第七章 眠っている名前 ⑦ 石枠の向こう



 次の調査は、石枠の先を進むためのものではなかった。


 目的は、


 旧搬入口右側通路の石枠について、枠を一歩越えた位置から、帰還路および周辺構造を確認する。


 だった。


「一歩とは」


 グラドが尋ねた。


「両足が石枠の向こう側へ入る位置です」


 セオが答える。


「そこから先は?」


「進みません」


「一歩で、何が分かる」


「石枠を越えた直後の床面、壁面、音、空気、帰還方向です」


「その先に道が続いていれば?」


「続いていることだけを確認します」


「人影が見えれば?」


「戻ります」


「表示は?」


「記録します。追いません」


「声」


「答えません」


***


 石枠は、これまで。


 向こう側に黒い人影が現れる境界だった。


 サクと呼ぶ声。


 白い表示。


 NAME HOLDER。


 ハルに似た合図。


 そのどれも。


 石枠の向こうにあった。


 だから。


 一歩越えることを。


 ただの床面確認とは扱わない。


***


「朔さんは必要ですか」


 グラドが尋ねた。


「経路を知る者はほかにもいます」


「はい」


 イサラが答える。


「今回、朔さんだけに見える現象が起きる可能性もあります」


「それを確認するため?」


「違います」


 マレアが止めた。


「朔さんが参加する理由は、現在の経路と石枠手前での身体反応を、自分の経験として説明できることです」


「白い現象は」


「起きた場合の対応条件に含めます」


「起こることを期待して入れるのではない?」


「はい」


***


 参加者は四人。


 黒川朔。


 ノエ・ハーラ。


 マレア・ソン。


 セオ・ラグナ。


 第七章に入ってから。


 旧搬入口へ戻るのは初めてだった。


 白い手を見た後。


 帰る場所について考えた後。


 同じ道へ入る。


 前と同じ調査にはならない。


***


 ノエの出発時記録。


 目的。


 携帯火を持ち、石枠の向こう一歩までの足元と、現在の同行者を確認する。火の変化を進行判断に使わない。


 怖いこと。


 声がないことを、安全だと思うこと。


 人影が現れない時、朔が待つことを止められないこと。


 帰還時。


 誰を見ていたか。


 石枠を越えた者の身体が戻ったか。


 火を守るために、人を見失わなかったか。


***


 マレア。


 目的。


 石枠前後での身体変化を確認し、変化があれば調査目的の達成前でも帰還させる。


 怖いこと。


 一歩だけだからと、症状を軽く扱うこと。


 戻る途中の症状を、石枠の向こうで起きたものと決めること。


***


 セオ。


 目的。


 石枠前後の位置、向き、各人の知覚を分けて記録する。石枠を越えた側から、帰還方向の構造を確認する。


 怖いこと。


 石枠の表と裏に対応する印を見つけた時、一つの機能へまとめること。


 まだ。


 印があるとは確認していない。


 予想を。


 先に記録する。


***


 朔。


 現在の呼び名。


 黒川朔。


 今は、サク。


 K.K.は使用しない。


 目的。


 石枠を一歩越え、帰還路を見る。白い空間が見えても、旧観測室または成人の身体へ繋がる場所とは決めない。


 怖いこと。


 人影が現れない時、現れるまで待つこと。


 白い手をもう一度見るため、目的を増やすこと。


 石枠の先を、元の世界へ近い場所だと思うこと。


***


「白い手を見たいか」


 リオが尋ねた。


「はい」


「顔も」


「はい」


「今日、出ると思うか」


「分かりません」


「出てほしい?」


 朔は少し黙る。


「出てほしい気持ちはあります」


「人影は」


「現れない方が安全だと思います」


「でも」


「確かめたい気持ちはあります」


「二つとも持って入れ」


「はい」


***


「紙は」


 朔が尋ねる。


「ここや」


 リオは胸元を指す。


「出さん」


「はい」


「短刀も」


「持っていてください」


「青い布」


「俺が持っています」


「石枠の向こうで、返せ言われたら」


「出しません」


「ハルの合図が出たら」


「呼びません」


「白い手が出たら」


「近づきません」


「何も出んかったら」


 朔は答える。


「予定した確認を終えて戻ります」


「ほんまに?」


「分かりません」


「なら、外の奴を見ろ」


***


 帰還側。


 イサラが時間。


 エリオが倉外と市場側の人の流れ。


 ミエルとファナが仮板。


 アナ。


 トエ。


 ネラ。


 リオ。


 それぞれ。


 前と同じではない役割を。


 今回の範囲で確認する。


***


「救援条件」


 イサラが読む。


 予定した帰還時刻ではなく。


 次の判断時刻。


 合図不達。


 外側の流れ。


 入口構造。


 身体確認。


 救援は別に決める。


「石枠の向こうへ入る救援者は?」


 エリオが尋ねた。


「今回、事前には決めません」


「なぜ?」


「救援が必要となった理由によって違うからです」


「人影なら」


「黒い人影が現れた時点で、参加者は帰還する条件です」


「戻らなければ」


「その時に、何が確認できているかで決めます」


***


 エリオは剣を持たない。


「私は、候補に入りますか」


「救援意思は記録します」


 イサラ。


「能力は」


「必要となった時に検討します」


「勇者候補だから外す?」


「自動的には外しません」


「勇者候補だから入れる?」


「それもしません」


 エリオは頷いた。


「では、外にいます」


***


 旧紙市場の倉。


 三枚の仮板。


 二つの錠。


 ファナ。


 ミエル。


 順に開ける。


 冷たい空気。


 弱い。


 通路から倉へ。


 前回と同じ方向に見える。


 同じ強さとは。


 測定できない。


***


 携帯火。


 大きく傾かない。


 声。


 なし。


 人影。


 なし。


 白い文字。


 入口では。


 朔には見えない。


***


 四人が入る。


 マレア。


 朔。


 ノエ。


 セオ。


 入口を越えた後。


 朔が前へ。


***


 黒い木片。


 触れない。


 位置。


 大きな変化を確認できない。


 手と火の印。


 低い天井。


 右壁の擦れ。


 半分埋まった鉄輪。


 既存の帰路。


***


 最初の曲がり角。


 黒い金属様物。


 長い剣状物。


 四角い枠。


 窪み。


 位置変化。


 見える範囲で、確認できない。


 音。


 なし。


 声。


 なし。


***


 黒い記録板があった位置。


 紐。


 そのまま。


 前回より乾いて見える。


 光の角度。


 携帯火の位置。


 違う。


 乾燥したとは決めない。


***


 分岐。


 左。


 白灰色の布。


 青い縁。


 赤茶色の糸。


 触れない。


 右。


 薄い水。


 二本の車輪溝。


 石枠。


***


 以前。


 白い粉の線を置いた位置。


 今日は。


 粉を足さない。


 既存の床の色。


 石枠の手前。


 低い水音。


 空気。


 わずかに冷たい。


「身体」


 マレア。


 四人。


 異常なし。


 頭痛。


 朔。


 なし。


 吐き気。


 なし。


 手の震え。


 なし。


「人影」


「確認できません」


 朔。


「表示」


「見えません」


「声」


「ありません」


***


 石枠。


 前から見る。


 右柱。


 手に似た窪み。


 前回。


 黒い人影が手を上げた場所。


 その形と。


 窪みを。


 同じ手にはしない。


 左柱。


 欠け。


 上部。


 浅い線。


 何かの文字に見えるほどは残っていない。


***


「一歩越える順番」


 マレアが確認する。


 最初。


 朔。


 次。


 マレア。


 ノエ。


 セオ。


 だが。


 全員が両足を越える必要はない。


 目的は。


 石枠の向こう側から、帰還路を見ること。


「最初に朔さんだけが越えます」


「はい」


「身体変化がなければ、私が片足を越えて確認します」


「ノエさんとセオさんは」


「必要があれば」


 一歩を。


 全員の通過へ広げない。


***


 朔は、右足を上げる。


 石枠。


 前。


 水。


 車輪溝。


 後ろ。


 未知。


 右足を向こうへ置く。


 床。


 硬い。


 沈まない。


 左足。


 まだ手前。


「身体」


「異常なし」


「音」


「水音が、小さくなりました」


「位置は」


「右足だけ向こう」


「戻れますか」


 朔は右足を戻す。


 石枠の手前。


「戻れます」


***


「もう一度」


 マレアが言う。


 予定内。


 今度。


 右足。


 左足。


 両方。


 石枠の向こう。


***


 床の感触が変わる。


 水がない。


 濡れてもいない。


 灰色。


 石に見える。


 だが。


 粒が見えない。


 車輪溝。


 石枠の直前で途切れている。


 向こうには。


 続きがない。


「床」


 朔が言う。


「乾いています」


「材質」


「石に見えます。粒が分かりません」


「車輪溝」


「石枠で終わっています」


「削れた?」


「途切れています」


 原因は。


 まだ言わない。


***


「音」


 マレアが、手前から尋ねる。


 声。


 近い。


 距離は一歩。


 だが。


 朔には。


 廊下の奥から聞こえるように感じる。


「マレアさんの声が遠いです」


「聞き取れますか」


「はい」


「方向」


 朔は振り返る。


 マレアは。


 石枠のすぐ手前。


 見える。


「後ろからです」


「音も?」


「音は、どこからか分かりにくいです」


***


 ノエが言う。


「サクさん」


 朔は、ノエを見る。


 石枠の向こう。


 距離。


 二歩もない。


 声は。


 小さい。


「聞こえます」


「近いですか」


「見た距離より、遠いです」


「私には」


 ノエが答える。


「サクさんの声は、少し低く聞こえます。距離は近いです」


 同じ異常を。


 全員が感じているとは限らない。


***


「火」


 ノエが携帯火を石枠の手前へ近づける。


 火は。


 枠を越えない。


 光だけが。


 向こうの床へ落ちる。


 朔の足元。


 影。


 薄い。


 方向が分かりにくい。


「火を越えますか」


「まだ」


 マレア。


 まず。


 朔一人の身体と帰還を確認する。


***


「帰還方向」


 セオが尋ねる。


 朔は振り返る。


 石枠。


 その向こう。


 三人。


 携帯火。


 右側通路。


 見える。


 だが。


 石枠の内側。


 朔が立つ側の柱。


 前からは見えなかった線がある。


「石枠の裏に印があります」


「位置」


「左柱。俺から見て右側」


「形」


 朔は近づかない。


 今の位置から。


 見る。


「手に見えます」


***


 石枠の裏。


 帰還する者へ向く側。


 浅い窪み。


 掌。


 指。


 そう見える。


 前側の右柱にあった窪みとは。


 左右が逆。


 向きも。


 反対。


「同じ形?」


 セオが尋ねる。


「似ています」


「大きさ」


「裏側の方が小さく見えます」


「距離の影響」


「あります」


「触れますか」


「触れません」


「手を合わせますか」


「しません」


***


「火の印」


 朔は。


 手形様の窪みの下を見る。


 小さな円。


 その横。


 短い線。


 手。


 火。


 途切れた線。


 旧搬入口で何度も見た印に。


 似ている。


 だが。


 並びが逆。


 手。


 火。


 線。


 ではない。


 線。


 火。


 手。


「順序が反対に見えます」


「石枠前の印と?」


「はい」


「帰還方向だから?」


 朔は答える。


「そう思いたくなります」


***


 セオは。


 まだ石枠の手前。


 朔の言葉を記録しない。


 位置図へ。


 裏側に形があることだけ。


 印の意味は。


 帰還後。


 図を別に作る。


***


「向こう側の壁」


 マレア。


 朔は正面へ戻る。


 石枠の先。


 道は。


 真っ直ぐ。


 数歩。


 その後。


 暗い。


 右壁。


 灰色。


 左壁。


 途中から白い。


 石灰。


 塗料。


 光。


 区別できない。


「左壁に白い部分があります」


「大きさ」


「人の背より高い。幅は二歩くらい」


「境界」


「ぼやけています」


「旧観測室と同じ?」


 問いが出る。


 マレア自身が止める。


「今のは比較を求める問いです」


「はい」


「今見えるものを」


「白い面です」


***


 白い面。


 ひびがない。


 粉も。


 石の継ぎ目も見えない。


 旧観測室。


 白い壁。


 成人の手。


 思い出す。


 だが。


 今。


 手は見えない。


 布も。


 文字も。


「白い奥行き」


「ありません」


 朔が言う。


「表示」


「ありません」


「手」


「ありません」


***


 人影。


 ない。


 黒い掌。


 ない。


 サクと呼ぶ声。


 ない。


 ハルの合図。


 ない。


 何も。


 出ない。


***


「目的」


 マレアが言う。


「石枠を一歩越えた位置から、帰還路と周辺構造を確認する」


「確認できました」


「戻れますか」


 朔は石枠を見る。


 裏側の手形。


 反対向きの印。


 携帯火。


 三人。


 戻れる。


「はい」


***


 それでも。


 朔の足は動かない。


 石枠の先。


 白い面。


 あと一歩。


 近づけば。


 旧観測室の白い奥行きが見えるかもしれない。


 成人の手。


 顔。


 K.K.


 黒い人影。


 ハル。


 何か。


 一つは。


 現れるかもしれない。


***


「サクさん」


 ノエが言う。


 声は。


 遠い。


 姿は近い。


「戻る方向を見ていますか」


 朔は、三人を見る。


「見ています」


「身体は向いていますか」


 朔は自分の足を見る。


 つま先。


 正面。


 白い面。


「向いていません」


「向けますか」


「はい」


 右足を回す。


 左足。


 石枠へ。


***


「進みたいですか」


 マレアが尋ねる。


「はい」


「理由」


「白い壁を近くで見たい」


「ほかには」


「人影が現れるかもしれない」


「目的に含まれますか」


「含まれません」


「戻ります」


「はい」


***


 石枠へ近づく。


 裏側の印。


 手。


 火。


 線。


 意味。


 作らない。


 石枠を越える。


 右足。


 手前。


 左足。


 手前。


 水。


 車輪溝。


 音。


 戻る。


***


「身体」


 マレアが確認する。


「頭痛」


「少し」


「吐き気」


「ありません」


「手」


「震えなし」


「白い面」


「石枠の向こうに見えます」


「奥行き」


「ありません」


「人影」


「ありません」


「声」


「ありません」


「今、何と呼ばれたいか聞いていいですか」


「はい」


「何と呼ばれたい?」


「サクで」


「黒川朔」


「俺が使う名前です」


「K.K.」


「今は使いません」


***


「一歩だけで終わりますか」


 セオが尋ねる。


「終わります」


 朔。


「マレアさんが片足を越える確認は?」


 目的には。


 予定として残っている。


 だが。


「必要ですか」


 マレアが尋ねた。


 朔の報告。


 床。


 車輪溝。


 音。


 白い面。


 裏側の印。


 ほかの者が確認できる情報がある。


「裏側の印は、俺だけです」


「身体負荷は」


「軽い頭痛」


「私が越えることで、比較できます」


「はい」


「進みたいからでは?」


 マレアは自分に問い返す。


「構造を確認したいです」


「白い面を?」


「見たいです」


「二つ」


「はい」


***


 マレアは。


 片足だけ石枠の向こうへ出す。


 右足。


 床。


「乾いています」


「材質」


「石のように見えます。表面が均一です」


「車輪溝」


「石枠で途切れています」


「音」


 ノエが声をかける。


「距離は変わりません」


「遠く聞こえる?」


「少し籠もります。方向は分かります」


 朔とは違う。


***


「裏側の印」


 マレアが身体をねじらず。


 視線だけ向ける。


「確認できます」


「形」


「浅い窪み。手に似ています」


「火」


「円形の窪みがあります」


「線」


「短い線が二本。朔さんの報告した三つの形の関係は、今の角度では確認しにくい」


「白い面」


「見えます」


「何に見える」


「白く塗られた壁面。継ぎ目は確認できません」


「奥行き」


「ありません」


「人影」


「ありません」


***


 マレアは足を戻す。


 比較のために。


 両足を越えない。


 もう一人。


 ノエ。


 セオ。


 入らない。


「四人全員が越えた記録は必要ありません」


 セオが言う。


「二人の知覚で十分?」


 グラドはいない。


 問いは。


 帰還後に出る。


 今。


 必要な人数を増やさない。


***


 帰還。


 分岐。


 白灰色の布。


 位置。


 大きな変化を確認できない。


 黒い記録板の紐。


 黒い金属様物。


 曲がり角。


 低い天井。


 手と火の印。


 入口の黒い木片。


***


 行き。


 手と火の印は。


 道の先へ向く目印に見えた。


 帰り。


 同じ印は。


 入口へ向かう目印にも見える。


 見る向きが変われば。


 手。


 火。


 線。


 並びも変わる。


 そのことと。


 石枠裏の印が反対向きであることを。


 すぐに繋げない。


***


 仮板。


 外の光。


 市場の音。


 人の声。


 帰還側。


 イサラ。


 エリオ。


 ミエル。


 ファナ。


 リオ。


 見える。


 四人。


 戻る。


***


 人数。


 四。


 装備。


 携帯火。


 治療袋。


 封をした木箱。


 記録板。


 炭筆。


 青い布。


 すべて。


 持ち出した物。


 なし。


 残した物。


 なし。


***


 仮板を閉じる。


 三枚。


 二つの錠。


 確認孔。


 今回は。


 元の位置とのずれ。


 前回の範囲内。


「同じ位置?」


 ミエルが尋ねる。


「測った範囲では、前回閉鎖後と近い」


 ファナ。


「元通り?」


「言わない」


***


 身体確認。


 朔。


 軽い頭痛。


 吐き気なし。


 視覚。


 白い奥行きなし。


 表示なし。


 音の距離感。


 外では通常。


 マレア。


 身体異常なし。


 片足を越えた際。


 音が少し籠もった。


 距離方向は認識できた。


 ノエ。


 石枠手前。


 朔の声は低く聞こえたが、距離は近いと感じた。


 セオ。


 音の変化。


 明確には感じず。


***


「石枠の向こうは、音を消す空間ですか」


 グラドが尋ねた。


「消えていません」


 朔。


「反響しない?」


 セオ。


「反響の有無を測っていません」


「声が遠い」


「朔さんには」


「マレアさんには籠もった」


「はい」


「ほか二人は手前」


「はい」


「では、距離知覚に影響」


 マレアが答える。


「可能性はあります」


「石枠を越えた者だけ?」


「朔さんと私は、異なる変化を報告しています」


「共通して、音が通常と違う」


「はい」


「原因」


「未確認です」


***


 床面図。


 二本の車輪溝。


 石枠直前まで。


 石枠の向こう。


 溝なし。


「道が切り替わる」


 グラドが言う。


「床面の構造が変わります」


 セオ。


「運搬路から?」


「運搬路だったことも、車輪溝からの推測です」


「では」


「車輪が通った可能性の高い床から、溝を確認できない床へ変わる」


 長い。


 だが。


 先に用途を決めない。


***


 白い壁面。


 朔。


 白く、継ぎ目や粒を確認できない。


 旧観測室の白い壁を想起した。


 奥行き様知覚なし。


 マレア。


 白く塗られた壁面に見えた。


 継ぎ目確認できず。


 旧観測室との類似は、その場では述べず。


 他二人。


 石枠手前から。


 白い部分は確認できる。


 表面詳細は不明。


***


「旧観測室と同じ材質の可能性」


 グラド。


「あります」


「繋がっている?」


「可能性はあります」


「では」


 ネラが尋ねる。


「どの点が同じですか」


「白い」


「色だけ?」


「継ぎ目がない」


「旧観測室の壁には、ひびと塗り跡があります」


「白い空間の方」


「朔さんの知覚です」


「なら」


「同じ白い知覚が、別の場所に」


「今日は奥行きを見ていません」


***


 朔が答える。


「石枠の先を、旧観測室に繋げたくなりました」


「理由」


「白い壁。音の違い。車輪溝が途切れること」


「白い手」


「見たいと思っていた」


「では」


「その期待が、場所を同じものへまとめる可能性があります」


「実際に繋がっている可能性も」


「あります」


***


 石枠裏の印。


 図は。


 二枚に分ける。


 進行方向から見た石枠。


 帰還方向から見た石枠。


 表。


 右柱。


 手形様窪み。


 裏。


 反対側。


 手形様窪み。


 円形。


 短線。


 位置。


 向き。


 大きさ。


「対応しています」


 グラドが言う。


「似ています」


 セオ。


「一組?」


「可能性はあります」


「進む者と戻る者のため」


 朔は、その言葉を聞く。


 作りたい文。


「そう思いました」


「では」


「印が誰のためかは確認していません」


***


「表と裏で向きが逆」


「はい」


「なら、両方向から使う」


「可能性があります」


「手を置く?」


「確認していません」


「火を置く?」


「確認していません」


「線は道?」


「分かりません」


「それでも」


 グラドは図を見る。


「石枠は、一方向の門ではない可能性が高い」


 セオが言う。


「石枠の両面に、形状の異なる印があることは確認しました」


***


 ネラが図を逆さに見る。


「裏側の印は、帰る者の正面にあります」


「はい」


 朔。


「石枠を越えた後、振り返らなければ見えない」


「はい」


「では、進むためだけに作られた印なら」


「裏に置く理由が分からない」


「理由がない?」


「俺には」


「作った者には?」


「分かりません」


***


「石枠は、進むためだけの境ではない」


 朔が言う。


 セオは。


 まだ書かない。


「続きは?」


「向こうから戻る者も、越え直さなければならない境です」


「物理的には」


 マレア。


「はい」


「印が帰還を助ける?」


「未確認です」


「名前を持つ者と関係する?」


「未確認です」


「黒い人影と?」


「未確認です」


***


 それでも。


 向こう側に立って。


 振り返った時。


 石枠は。


 進んだ後ろの線ではなかった。


 帰るために。


 もう一度。


 正面から越える境になっていた。


***


 リオとの帰還確認。


「一歩」


「越えました」


「何歩進んだ」


「石枠を越えた位置から、先へは進んでいません」


「進みたかった」


「はい」


「何が出ると思った」


「白い手。人影。表示」


「出たか」


「何も」


「何も出んかったから」


「進みたくなりました」


「誰が止めた」


「ノエさんが、身体の向きを聞きました。マレアさんが目的を確認しました」


「自分では」


「足を帰路へ向けました」


***


「裏に何があった」


「手形に似た窪み。円。短い線」


「帰る印か」


「そう思いました」


「そうなんか」


「分かりません」


「でも、帰れた」


「印を使ったからではありません」


「何を見て」


「三人。携帯火。石枠。車輪溝。通ってきた道」


「外は」


「見えませんでした」


「俺は」


「石枠の向こうからは見えません」


「それでも」


「外にいると知っていました」


***


「名前は呼ばんかった」


「はい」


「紙は出さんかった」


「はい」


「帰った」


「はい」


「印が返した?」


「分かりません」


「道が?」


「俺たちが歩きました」


「待っとる奴は」


「帰る場所を閉じませんでした」


 リオは頷く。


「ほな、前と同じや」


「同じ?」


「誰か一つが返した話にすんな」


***


 その日の夕方。


 ユイが石枠の図を見る。


 表。


 裏。


 二枚。


「同じ石枠?」


「はい」


「二つ描いた」


「見る向きが違うから」


「表は、行く人が見る?」


「そうなることが多いと思います」


「裏は、帰る人?」


「振り返れば」


「振り返らなかったら?」


「見ません」


「じゃあ、帰る印じゃないかもしれない」


「はい」


***


「でも」


 ユイは裏側の図を指す。


「向こうにいる人から見たら、こっちが前?」


 朔は答える。


「はい」


「じゃあ、表と裏は、どっちが本当?」


「立つ場所で変わります」


「同じ石なのに?」


「はい」


「白い壁も?」


「何が?」


「こっちから見たら向こう。向こうから見たら、こっちが向こう」


 朔は、旧観測室を思い出す。


 見る側。


 見られる側。


 透明板。


 白い手。


***


「向こうの手から見たら」


 ユイが言う。


「サクが眠ってる?」


 朔の呼吸が止まる。


「そう見える可能性はあります」


「今のサクが、向こう?」


「向こうの位置があるなら」


「どっちが起きる側?」


「分かりません」


「石枠も、どっちが行く側か決めてない?」


「作った人は決めていたかもしれません」


「今は?」


「俺たちは、両方から見ました」


***


 夜。


 朔は二枚の石枠図を。


 重ねなかった。


 表。


 裏。


 同じ紙の両面にも書かない。


 別の紙。


 並べる。


 向きを示す矢印。


 旧紙市場側。


 石枠先。


 どちらを上にも。


 置かない。


***


 記録。


 石枠手前の車輪溝は、枠の位置で途切れる。


 石枠先の床面には、同様の溝を確認できない。


 朔は、石枠先で同行者の声を視認距離より遠く感じた。


 マレアは、音が籠もると感じた。


 石枠裏側に、手形様窪み、円形窪み、短線を確認。表側の印との関係および用途は未確認。


 白色壁面様部分を確認。旧観測室および朔の白色空間様知覚との関係は未確認。


***


 その下。


 朔自身の記録。


 人影、声、表示が現れなかったため、予定範囲を越えて進みたいと感じた。


 白い手を見たいという事前の希望と関係する可能性がある。


 同行者の問いにより身体の向きを確認し、帰還した。


***


 石枠の向こうには。


 何も現れなかった。


 だから。


 何もないとは分からない。


 人影が待っているとも。


 白い身体へ続くとも。


 分からない。


***


 ただ。


 車輪の跡は途切れた。


 声の距離は揺れた。


 壁の一部は白かった。


 石枠の裏にも。


 手に似た窪みがあった。


***


 境界を越えることは。


 前へ進むことだった。


 同時に。


 帰る時には。


 もう一度、その境界を越えることになる。


***


 行きに背を向けた石枠は。


 帰りには正面に立つ。


 見えなかった印が。


 帰る者の側に現れる。


 それが。


 帰還のために作られたとは。


 まだ分からない。


***


 それでも。


 境界には。


 進む者から見える面だけではなかった。


 向こう側に立った者が。


 帰る時に見る面があった。


***


 朔は。


 白い手を見なかった。


 黒い人影にも会わなかった。


 答えは増えなかったように見える。


 だが。


 何も現れない場所で。


 もう一歩を選ばずに戻った。


***


 石枠は。


 進むためだけの境ではなかった。


 向こうから戻る者にとっても。


 越え直さなければならない境だった。


***


 白い手のある場所も。


 今いる世界も。


 片方から見れば、向こう側にある。


 どちらが表で。


 どちらが裏か。


 今の朔には決められない。


***


 だから。


 進む時に見えなかったものを。


 帰る時に初めて見る可能性を。


 残しておく。


 向こうへ着いたことだけで。


 道を終わりにしないために。


***


 その夜。


 朔は、自分の右手を開く。


 石枠の窪みへは置かなかった手。


 白い手へも。


 重ねなかった手。


 今。


 紙の上にある。


***


 帰ってきた手で。


 朔は書く。


 石枠を越えた。


 次。


 石枠を越えて戻った。


 同じ石枠。


 二度。


 前へ。


 帰る方へ。


***


 どちらの一歩も。


 消さなかった。


 進んだことだけを残さず。


 戻ったことを。


 進めなかった結果にもせず。


 境界の両側を。


 同じ一つの道として扱うために。

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