第七章 眠っている名前 ⑦ 石枠の向こう
次の調査は、石枠の先を進むためのものではなかった。
目的は、
旧搬入口右側通路の石枠について、枠を一歩越えた位置から、帰還路および周辺構造を確認する。
だった。
「一歩とは」
グラドが尋ねた。
「両足が石枠の向こう側へ入る位置です」
セオが答える。
「そこから先は?」
「進みません」
「一歩で、何が分かる」
「石枠を越えた直後の床面、壁面、音、空気、帰還方向です」
「その先に道が続いていれば?」
「続いていることだけを確認します」
「人影が見えれば?」
「戻ります」
「表示は?」
「記録します。追いません」
「声」
「答えません」
***
石枠は、これまで。
向こう側に黒い人影が現れる境界だった。
サクと呼ぶ声。
白い表示。
NAME HOLDER。
ハルに似た合図。
そのどれも。
石枠の向こうにあった。
だから。
一歩越えることを。
ただの床面確認とは扱わない。
***
「朔さんは必要ですか」
グラドが尋ねた。
「経路を知る者はほかにもいます」
「はい」
イサラが答える。
「今回、朔さんだけに見える現象が起きる可能性もあります」
「それを確認するため?」
「違います」
マレアが止めた。
「朔さんが参加する理由は、現在の経路と石枠手前での身体反応を、自分の経験として説明できることです」
「白い現象は」
「起きた場合の対応条件に含めます」
「起こることを期待して入れるのではない?」
「はい」
***
参加者は四人。
黒川朔。
ノエ・ハーラ。
マレア・ソン。
セオ・ラグナ。
第七章に入ってから。
旧搬入口へ戻るのは初めてだった。
白い手を見た後。
帰る場所について考えた後。
同じ道へ入る。
前と同じ調査にはならない。
***
ノエの出発時記録。
目的。
携帯火を持ち、石枠の向こう一歩までの足元と、現在の同行者を確認する。火の変化を進行判断に使わない。
怖いこと。
声がないことを、安全だと思うこと。
人影が現れない時、朔が待つことを止められないこと。
帰還時。
誰を見ていたか。
石枠を越えた者の身体が戻ったか。
火を守るために、人を見失わなかったか。
***
マレア。
目的。
石枠前後での身体変化を確認し、変化があれば調査目的の達成前でも帰還させる。
怖いこと。
一歩だけだからと、症状を軽く扱うこと。
戻る途中の症状を、石枠の向こうで起きたものと決めること。
***
セオ。
目的。
石枠前後の位置、向き、各人の知覚を分けて記録する。石枠を越えた側から、帰還方向の構造を確認する。
怖いこと。
石枠の表と裏に対応する印を見つけた時、一つの機能へまとめること。
まだ。
印があるとは確認していない。
予想を。
先に記録する。
***
朔。
現在の呼び名。
黒川朔。
今は、サク。
K.K.は使用しない。
目的。
石枠を一歩越え、帰還路を見る。白い空間が見えても、旧観測室または成人の身体へ繋がる場所とは決めない。
怖いこと。
人影が現れない時、現れるまで待つこと。
白い手をもう一度見るため、目的を増やすこと。
石枠の先を、元の世界へ近い場所だと思うこと。
***
「白い手を見たいか」
リオが尋ねた。
「はい」
「顔も」
「はい」
「今日、出ると思うか」
「分かりません」
「出てほしい?」
朔は少し黙る。
「出てほしい気持ちはあります」
「人影は」
「現れない方が安全だと思います」
「でも」
「確かめたい気持ちはあります」
「二つとも持って入れ」
「はい」
***
「紙は」
朔が尋ねる。
「ここや」
リオは胸元を指す。
「出さん」
「はい」
「短刀も」
「持っていてください」
「青い布」
「俺が持っています」
「石枠の向こうで、返せ言われたら」
「出しません」
「ハルの合図が出たら」
「呼びません」
「白い手が出たら」
「近づきません」
「何も出んかったら」
朔は答える。
「予定した確認を終えて戻ります」
「ほんまに?」
「分かりません」
「なら、外の奴を見ろ」
***
帰還側。
イサラが時間。
エリオが倉外と市場側の人の流れ。
ミエルとファナが仮板。
アナ。
トエ。
ネラ。
リオ。
それぞれ。
前と同じではない役割を。
今回の範囲で確認する。
***
「救援条件」
イサラが読む。
予定した帰還時刻ではなく。
次の判断時刻。
合図不達。
外側の流れ。
入口構造。
身体確認。
救援は別に決める。
「石枠の向こうへ入る救援者は?」
エリオが尋ねた。
「今回、事前には決めません」
「なぜ?」
「救援が必要となった理由によって違うからです」
「人影なら」
「黒い人影が現れた時点で、参加者は帰還する条件です」
「戻らなければ」
「その時に、何が確認できているかで決めます」
***
エリオは剣を持たない。
「私は、候補に入りますか」
「救援意思は記録します」
イサラ。
「能力は」
「必要となった時に検討します」
「勇者候補だから外す?」
「自動的には外しません」
「勇者候補だから入れる?」
「それもしません」
エリオは頷いた。
「では、外にいます」
***
旧紙市場の倉。
三枚の仮板。
二つの錠。
ファナ。
ミエル。
順に開ける。
冷たい空気。
弱い。
通路から倉へ。
前回と同じ方向に見える。
同じ強さとは。
測定できない。
***
携帯火。
大きく傾かない。
声。
なし。
人影。
なし。
白い文字。
入口では。
朔には見えない。
***
四人が入る。
マレア。
朔。
ノエ。
セオ。
入口を越えた後。
朔が前へ。
***
黒い木片。
触れない。
位置。
大きな変化を確認できない。
手と火の印。
低い天井。
右壁の擦れ。
半分埋まった鉄輪。
既存の帰路。
***
最初の曲がり角。
黒い金属様物。
長い剣状物。
四角い枠。
窪み。
位置変化。
見える範囲で、確認できない。
音。
なし。
声。
なし。
***
黒い記録板があった位置。
紐。
そのまま。
前回より乾いて見える。
光の角度。
携帯火の位置。
違う。
乾燥したとは決めない。
***
分岐。
左。
白灰色の布。
青い縁。
赤茶色の糸。
触れない。
右。
薄い水。
二本の車輪溝。
石枠。
***
以前。
白い粉の線を置いた位置。
今日は。
粉を足さない。
既存の床の色。
石枠の手前。
低い水音。
空気。
わずかに冷たい。
「身体」
マレア。
四人。
異常なし。
頭痛。
朔。
なし。
吐き気。
なし。
手の震え。
なし。
「人影」
「確認できません」
朔。
「表示」
「見えません」
「声」
「ありません」
***
石枠。
前から見る。
右柱。
手に似た窪み。
前回。
黒い人影が手を上げた場所。
その形と。
窪みを。
同じ手にはしない。
左柱。
欠け。
上部。
浅い線。
何かの文字に見えるほどは残っていない。
***
「一歩越える順番」
マレアが確認する。
最初。
朔。
次。
マレア。
ノエ。
セオ。
だが。
全員が両足を越える必要はない。
目的は。
石枠の向こう側から、帰還路を見ること。
「最初に朔さんだけが越えます」
「はい」
「身体変化がなければ、私が片足を越えて確認します」
「ノエさんとセオさんは」
「必要があれば」
一歩を。
全員の通過へ広げない。
***
朔は、右足を上げる。
石枠。
前。
水。
車輪溝。
後ろ。
未知。
右足を向こうへ置く。
床。
硬い。
沈まない。
左足。
まだ手前。
「身体」
「異常なし」
「音」
「水音が、小さくなりました」
「位置は」
「右足だけ向こう」
「戻れますか」
朔は右足を戻す。
石枠の手前。
「戻れます」
***
「もう一度」
マレアが言う。
予定内。
今度。
右足。
左足。
両方。
石枠の向こう。
***
床の感触が変わる。
水がない。
濡れてもいない。
灰色。
石に見える。
だが。
粒が見えない。
車輪溝。
石枠の直前で途切れている。
向こうには。
続きがない。
「床」
朔が言う。
「乾いています」
「材質」
「石に見えます。粒が分かりません」
「車輪溝」
「石枠で終わっています」
「削れた?」
「途切れています」
原因は。
まだ言わない。
***
「音」
マレアが、手前から尋ねる。
声。
近い。
距離は一歩。
だが。
朔には。
廊下の奥から聞こえるように感じる。
「マレアさんの声が遠いです」
「聞き取れますか」
「はい」
「方向」
朔は振り返る。
マレアは。
石枠のすぐ手前。
見える。
「後ろからです」
「音も?」
「音は、どこからか分かりにくいです」
***
ノエが言う。
「サクさん」
朔は、ノエを見る。
石枠の向こう。
距離。
二歩もない。
声は。
小さい。
「聞こえます」
「近いですか」
「見た距離より、遠いです」
「私には」
ノエが答える。
「サクさんの声は、少し低く聞こえます。距離は近いです」
同じ異常を。
全員が感じているとは限らない。
***
「火」
ノエが携帯火を石枠の手前へ近づける。
火は。
枠を越えない。
光だけが。
向こうの床へ落ちる。
朔の足元。
影。
薄い。
方向が分かりにくい。
「火を越えますか」
「まだ」
マレア。
まず。
朔一人の身体と帰還を確認する。
***
「帰還方向」
セオが尋ねる。
朔は振り返る。
石枠。
その向こう。
三人。
携帯火。
右側通路。
見える。
だが。
石枠の内側。
朔が立つ側の柱。
前からは見えなかった線がある。
「石枠の裏に印があります」
「位置」
「左柱。俺から見て右側」
「形」
朔は近づかない。
今の位置から。
見る。
「手に見えます」
***
石枠の裏。
帰還する者へ向く側。
浅い窪み。
掌。
指。
そう見える。
前側の右柱にあった窪みとは。
左右が逆。
向きも。
反対。
「同じ形?」
セオが尋ねる。
「似ています」
「大きさ」
「裏側の方が小さく見えます」
「距離の影響」
「あります」
「触れますか」
「触れません」
「手を合わせますか」
「しません」
***
「火の印」
朔は。
手形様の窪みの下を見る。
小さな円。
その横。
短い線。
手。
火。
途切れた線。
旧搬入口で何度も見た印に。
似ている。
だが。
並びが逆。
手。
火。
線。
ではない。
線。
火。
手。
「順序が反対に見えます」
「石枠前の印と?」
「はい」
「帰還方向だから?」
朔は答える。
「そう思いたくなります」
***
セオは。
まだ石枠の手前。
朔の言葉を記録しない。
位置図へ。
裏側に形があることだけ。
印の意味は。
帰還後。
図を別に作る。
***
「向こう側の壁」
マレア。
朔は正面へ戻る。
石枠の先。
道は。
真っ直ぐ。
数歩。
その後。
暗い。
右壁。
灰色。
左壁。
途中から白い。
石灰。
塗料。
光。
区別できない。
「左壁に白い部分があります」
「大きさ」
「人の背より高い。幅は二歩くらい」
「境界」
「ぼやけています」
「旧観測室と同じ?」
問いが出る。
マレア自身が止める。
「今のは比較を求める問いです」
「はい」
「今見えるものを」
「白い面です」
***
白い面。
ひびがない。
粉も。
石の継ぎ目も見えない。
旧観測室。
白い壁。
成人の手。
思い出す。
だが。
今。
手は見えない。
布も。
文字も。
「白い奥行き」
「ありません」
朔が言う。
「表示」
「ありません」
「手」
「ありません」
***
人影。
ない。
黒い掌。
ない。
サクと呼ぶ声。
ない。
ハルの合図。
ない。
何も。
出ない。
***
「目的」
マレアが言う。
「石枠を一歩越えた位置から、帰還路と周辺構造を確認する」
「確認できました」
「戻れますか」
朔は石枠を見る。
裏側の手形。
反対向きの印。
携帯火。
三人。
戻れる。
「はい」
***
それでも。
朔の足は動かない。
石枠の先。
白い面。
あと一歩。
近づけば。
旧観測室の白い奥行きが見えるかもしれない。
成人の手。
顔。
K.K.
黒い人影。
ハル。
何か。
一つは。
現れるかもしれない。
***
「サクさん」
ノエが言う。
声は。
遠い。
姿は近い。
「戻る方向を見ていますか」
朔は、三人を見る。
「見ています」
「身体は向いていますか」
朔は自分の足を見る。
つま先。
正面。
白い面。
「向いていません」
「向けますか」
「はい」
右足を回す。
左足。
石枠へ。
***
「進みたいですか」
マレアが尋ねる。
「はい」
「理由」
「白い壁を近くで見たい」
「ほかには」
「人影が現れるかもしれない」
「目的に含まれますか」
「含まれません」
「戻ります」
「はい」
***
石枠へ近づく。
裏側の印。
手。
火。
線。
意味。
作らない。
石枠を越える。
右足。
手前。
左足。
手前。
水。
車輪溝。
音。
戻る。
***
「身体」
マレアが確認する。
「頭痛」
「少し」
「吐き気」
「ありません」
「手」
「震えなし」
「白い面」
「石枠の向こうに見えます」
「奥行き」
「ありません」
「人影」
「ありません」
「声」
「ありません」
「今、何と呼ばれたいか聞いていいですか」
「はい」
「何と呼ばれたい?」
「サクで」
「黒川朔」
「俺が使う名前です」
「K.K.」
「今は使いません」
***
「一歩だけで終わりますか」
セオが尋ねる。
「終わります」
朔。
「マレアさんが片足を越える確認は?」
目的には。
予定として残っている。
だが。
「必要ですか」
マレアが尋ねた。
朔の報告。
床。
車輪溝。
音。
白い面。
裏側の印。
ほかの者が確認できる情報がある。
「裏側の印は、俺だけです」
「身体負荷は」
「軽い頭痛」
「私が越えることで、比較できます」
「はい」
「進みたいからでは?」
マレアは自分に問い返す。
「構造を確認したいです」
「白い面を?」
「見たいです」
「二つ」
「はい」
***
マレアは。
片足だけ石枠の向こうへ出す。
右足。
床。
「乾いています」
「材質」
「石のように見えます。表面が均一です」
「車輪溝」
「石枠で途切れています」
「音」
ノエが声をかける。
「距離は変わりません」
「遠く聞こえる?」
「少し籠もります。方向は分かります」
朔とは違う。
***
「裏側の印」
マレアが身体をねじらず。
視線だけ向ける。
「確認できます」
「形」
「浅い窪み。手に似ています」
「火」
「円形の窪みがあります」
「線」
「短い線が二本。朔さんの報告した三つの形の関係は、今の角度では確認しにくい」
「白い面」
「見えます」
「何に見える」
「白く塗られた壁面。継ぎ目は確認できません」
「奥行き」
「ありません」
「人影」
「ありません」
***
マレアは足を戻す。
比較のために。
両足を越えない。
もう一人。
ノエ。
セオ。
入らない。
「四人全員が越えた記録は必要ありません」
セオが言う。
「二人の知覚で十分?」
グラドはいない。
問いは。
帰還後に出る。
今。
必要な人数を増やさない。
***
帰還。
分岐。
白灰色の布。
位置。
大きな変化を確認できない。
黒い記録板の紐。
黒い金属様物。
曲がり角。
低い天井。
手と火の印。
入口の黒い木片。
***
行き。
手と火の印は。
道の先へ向く目印に見えた。
帰り。
同じ印は。
入口へ向かう目印にも見える。
見る向きが変われば。
手。
火。
線。
並びも変わる。
そのことと。
石枠裏の印が反対向きであることを。
すぐに繋げない。
***
仮板。
外の光。
市場の音。
人の声。
帰還側。
イサラ。
エリオ。
ミエル。
ファナ。
リオ。
見える。
四人。
戻る。
***
人数。
四。
装備。
携帯火。
治療袋。
封をした木箱。
記録板。
炭筆。
青い布。
すべて。
持ち出した物。
なし。
残した物。
なし。
***
仮板を閉じる。
三枚。
二つの錠。
確認孔。
今回は。
元の位置とのずれ。
前回の範囲内。
「同じ位置?」
ミエルが尋ねる。
「測った範囲では、前回閉鎖後と近い」
ファナ。
「元通り?」
「言わない」
***
身体確認。
朔。
軽い頭痛。
吐き気なし。
視覚。
白い奥行きなし。
表示なし。
音の距離感。
外では通常。
マレア。
身体異常なし。
片足を越えた際。
音が少し籠もった。
距離方向は認識できた。
ノエ。
石枠手前。
朔の声は低く聞こえたが、距離は近いと感じた。
セオ。
音の変化。
明確には感じず。
***
「石枠の向こうは、音を消す空間ですか」
グラドが尋ねた。
「消えていません」
朔。
「反響しない?」
セオ。
「反響の有無を測っていません」
「声が遠い」
「朔さんには」
「マレアさんには籠もった」
「はい」
「ほか二人は手前」
「はい」
「では、距離知覚に影響」
マレアが答える。
「可能性はあります」
「石枠を越えた者だけ?」
「朔さんと私は、異なる変化を報告しています」
「共通して、音が通常と違う」
「はい」
「原因」
「未確認です」
***
床面図。
二本の車輪溝。
石枠直前まで。
石枠の向こう。
溝なし。
「道が切り替わる」
グラドが言う。
「床面の構造が変わります」
セオ。
「運搬路から?」
「運搬路だったことも、車輪溝からの推測です」
「では」
「車輪が通った可能性の高い床から、溝を確認できない床へ変わる」
長い。
だが。
先に用途を決めない。
***
白い壁面。
朔。
白く、継ぎ目や粒を確認できない。
旧観測室の白い壁を想起した。
奥行き様知覚なし。
マレア。
白く塗られた壁面に見えた。
継ぎ目確認できず。
旧観測室との類似は、その場では述べず。
他二人。
石枠手前から。
白い部分は確認できる。
表面詳細は不明。
***
「旧観測室と同じ材質の可能性」
グラド。
「あります」
「繋がっている?」
「可能性はあります」
「では」
ネラが尋ねる。
「どの点が同じですか」
「白い」
「色だけ?」
「継ぎ目がない」
「旧観測室の壁には、ひびと塗り跡があります」
「白い空間の方」
「朔さんの知覚です」
「なら」
「同じ白い知覚が、別の場所に」
「今日は奥行きを見ていません」
***
朔が答える。
「石枠の先を、旧観測室に繋げたくなりました」
「理由」
「白い壁。音の違い。車輪溝が途切れること」
「白い手」
「見たいと思っていた」
「では」
「その期待が、場所を同じものへまとめる可能性があります」
「実際に繋がっている可能性も」
「あります」
***
石枠裏の印。
図は。
二枚に分ける。
進行方向から見た石枠。
帰還方向から見た石枠。
表。
右柱。
手形様窪み。
裏。
反対側。
手形様窪み。
円形。
短線。
位置。
向き。
大きさ。
「対応しています」
グラドが言う。
「似ています」
セオ。
「一組?」
「可能性はあります」
「進む者と戻る者のため」
朔は、その言葉を聞く。
作りたい文。
「そう思いました」
「では」
「印が誰のためかは確認していません」
***
「表と裏で向きが逆」
「はい」
「なら、両方向から使う」
「可能性があります」
「手を置く?」
「確認していません」
「火を置く?」
「確認していません」
「線は道?」
「分かりません」
「それでも」
グラドは図を見る。
「石枠は、一方向の門ではない可能性が高い」
セオが言う。
「石枠の両面に、形状の異なる印があることは確認しました」
***
ネラが図を逆さに見る。
「裏側の印は、帰る者の正面にあります」
「はい」
朔。
「石枠を越えた後、振り返らなければ見えない」
「はい」
「では、進むためだけに作られた印なら」
「裏に置く理由が分からない」
「理由がない?」
「俺には」
「作った者には?」
「分かりません」
***
「石枠は、進むためだけの境ではない」
朔が言う。
セオは。
まだ書かない。
「続きは?」
「向こうから戻る者も、越え直さなければならない境です」
「物理的には」
マレア。
「はい」
「印が帰還を助ける?」
「未確認です」
「名前を持つ者と関係する?」
「未確認です」
「黒い人影と?」
「未確認です」
***
それでも。
向こう側に立って。
振り返った時。
石枠は。
進んだ後ろの線ではなかった。
帰るために。
もう一度。
正面から越える境になっていた。
***
リオとの帰還確認。
「一歩」
「越えました」
「何歩進んだ」
「石枠を越えた位置から、先へは進んでいません」
「進みたかった」
「はい」
「何が出ると思った」
「白い手。人影。表示」
「出たか」
「何も」
「何も出んかったから」
「進みたくなりました」
「誰が止めた」
「ノエさんが、身体の向きを聞きました。マレアさんが目的を確認しました」
「自分では」
「足を帰路へ向けました」
***
「裏に何があった」
「手形に似た窪み。円。短い線」
「帰る印か」
「そう思いました」
「そうなんか」
「分かりません」
「でも、帰れた」
「印を使ったからではありません」
「何を見て」
「三人。携帯火。石枠。車輪溝。通ってきた道」
「外は」
「見えませんでした」
「俺は」
「石枠の向こうからは見えません」
「それでも」
「外にいると知っていました」
***
「名前は呼ばんかった」
「はい」
「紙は出さんかった」
「はい」
「帰った」
「はい」
「印が返した?」
「分かりません」
「道が?」
「俺たちが歩きました」
「待っとる奴は」
「帰る場所を閉じませんでした」
リオは頷く。
「ほな、前と同じや」
「同じ?」
「誰か一つが返した話にすんな」
***
その日の夕方。
ユイが石枠の図を見る。
表。
裏。
二枚。
「同じ石枠?」
「はい」
「二つ描いた」
「見る向きが違うから」
「表は、行く人が見る?」
「そうなることが多いと思います」
「裏は、帰る人?」
「振り返れば」
「振り返らなかったら?」
「見ません」
「じゃあ、帰る印じゃないかもしれない」
「はい」
***
「でも」
ユイは裏側の図を指す。
「向こうにいる人から見たら、こっちが前?」
朔は答える。
「はい」
「じゃあ、表と裏は、どっちが本当?」
「立つ場所で変わります」
「同じ石なのに?」
「はい」
「白い壁も?」
「何が?」
「こっちから見たら向こう。向こうから見たら、こっちが向こう」
朔は、旧観測室を思い出す。
見る側。
見られる側。
透明板。
白い手。
***
「向こうの手から見たら」
ユイが言う。
「サクが眠ってる?」
朔の呼吸が止まる。
「そう見える可能性はあります」
「今のサクが、向こう?」
「向こうの位置があるなら」
「どっちが起きる側?」
「分かりません」
「石枠も、どっちが行く側か決めてない?」
「作った人は決めていたかもしれません」
「今は?」
「俺たちは、両方から見ました」
***
夜。
朔は二枚の石枠図を。
重ねなかった。
表。
裏。
同じ紙の両面にも書かない。
別の紙。
並べる。
向きを示す矢印。
旧紙市場側。
石枠先。
どちらを上にも。
置かない。
***
記録。
石枠手前の車輪溝は、枠の位置で途切れる。
石枠先の床面には、同様の溝を確認できない。
朔は、石枠先で同行者の声を視認距離より遠く感じた。
マレアは、音が籠もると感じた。
石枠裏側に、手形様窪み、円形窪み、短線を確認。表側の印との関係および用途は未確認。
白色壁面様部分を確認。旧観測室および朔の白色空間様知覚との関係は未確認。
***
その下。
朔自身の記録。
人影、声、表示が現れなかったため、予定範囲を越えて進みたいと感じた。
白い手を見たいという事前の希望と関係する可能性がある。
同行者の問いにより身体の向きを確認し、帰還した。
***
石枠の向こうには。
何も現れなかった。
だから。
何もないとは分からない。
人影が待っているとも。
白い身体へ続くとも。
分からない。
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ただ。
車輪の跡は途切れた。
声の距離は揺れた。
壁の一部は白かった。
石枠の裏にも。
手に似た窪みがあった。
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境界を越えることは。
前へ進むことだった。
同時に。
帰る時には。
もう一度、その境界を越えることになる。
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行きに背を向けた石枠は。
帰りには正面に立つ。
見えなかった印が。
帰る者の側に現れる。
それが。
帰還のために作られたとは。
まだ分からない。
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それでも。
境界には。
進む者から見える面だけではなかった。
向こう側に立った者が。
帰る時に見る面があった。
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朔は。
白い手を見なかった。
黒い人影にも会わなかった。
答えは増えなかったように見える。
だが。
何も現れない場所で。
もう一歩を選ばずに戻った。
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石枠は。
進むためだけの境ではなかった。
向こうから戻る者にとっても。
越え直さなければならない境だった。
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白い手のある場所も。
今いる世界も。
片方から見れば、向こう側にある。
どちらが表で。
どちらが裏か。
今の朔には決められない。
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だから。
進む時に見えなかったものを。
帰る時に初めて見る可能性を。
残しておく。
向こうへ着いたことだけで。
道を終わりにしないために。
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その夜。
朔は、自分の右手を開く。
石枠の窪みへは置かなかった手。
白い手へも。
重ねなかった手。
今。
紙の上にある。
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帰ってきた手で。
朔は書く。
石枠を越えた。
次。
石枠を越えて戻った。
同じ石枠。
二度。
前へ。
帰る方へ。
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どちらの一歩も。
消さなかった。
進んだことだけを残さず。
戻ったことを。
進めなかった結果にもせず。
境界の両側を。
同じ一つの道として扱うために。




