第六章 名を預ける道 ⑩ 待っている者
次の調査には、サナ・リトが参加を希望した。
「布を、そこにある状態で見たいです」
分岐の左側。
三つの金具。
白に近い灰色の布。
青い縁。
赤茶色の糸。
フィオナ・セルクの外套の一部である可能性がある。
だが、まだ誰の物とも決まっていない。
「何を確認しますか」
イサラが尋ねた。
「布地の織り。縁の幅。糸の色。縫い目」
「位置は?」
「金具のどこへ引っかかっているか。表裏。裂けた向き」
「回収は?」
「しません」
「現物を見た時、フィオナの物だと思ったら?」
サナは、自分の右腕を左手で押さえた。
六年前、切れた流れへ測定具を入れた腕。
「そう思った、と言います」
「フィオナの物だと?」
「言いません」
「縫い方が、自分のものと同じでも?」
「近い、と言います」
「自信があっても?」
「自信があることと、正しいことは同じではありません」
***
調査目的は、
分岐左側金具部に確認された布状物について、位置を変えず、布地、縁、糸、縫製および周辺状態を確認する。
となった。
フィオナの外套を確認する、とは書かない。
遺留品の所有者を決める、とも。
布へ触れない。
外さない。
裏返さない。
見えない面を、見えた面から補わない。
目的が終われば戻る。
***
参加者は五人。
黒川朔。
ノエ・ハーラ。
マレア・ソン。
セオ・ラグナ。
サナ・リト。
ジェンは参加しなかった。
「行かなくていいんですか」
朔が尋ねる。
「行かん」
「フィオナさんの布かもしれません」
「せやからや」
「見たい?」
「見たい」
「では」
「サナが先に見る」
「自分の記憶と違ったら?」
「その時、聞く」
「同じだったら?」
ジェンは答えるまでに少し時間を置いた。
「同じやと思いたくなる」
「それでも、今日は外に?」
「今日は、荷車の軸を替える」
車輪の次の仕事。
今の道を走る荷車のための作業がある。
「結果は?」
「決めた時刻に聞く」
道の入口へは来ない。
帰還が遅れても、自分から倉へ走らない。
ミエルが知らせる条件だけを決めた。
***
今回、通路には五つの灯りを置くことになった。
一つ目。
入口。
二つ目。
手と火の印。
三つ目。
最初の曲がり角。
四つ目。
黒い記録板状物があった位置。
五つ目。
分岐。
「道を示す灯りですか」
グラドが尋ねた。
「帰る方向を思い出すための印です」
ノエが答えた。
「道が変わっていないことを証明する?」
「しません」
「灯りが同じ位置にあれば?」
「置いた時点での位置を示します」
「消えたら?」
「携帯する火を使って戻ります」
「点け直す?」
「一つだけなら、状態を確認します」
「二つ以上なら?」
「点け直すために止まりません」
帰路の灯りを守るために、帰還を遅らせない。
***
灯りは小さな陶器の器へ入れた。
横から風を受けにくい。
上には、火が見えるだけの隙間。
床へ固定しない。
黒い金属の近くには置かない。
戻る時にすべて回収する。
「一つなくなっていたら?」
「探しません」
朔が答えた。
「道の物になる?」
「決めません」
「置き去りにする?」
「人を止めて探すよりは」
物より先に、帰る。
***
分岐へ到着した時点で、確認信号を送る。
木片を三度。
間を置いて一度。
前日の試験では、倉の中まで聞こえた。
ただし、聞こえたからといって、当日も届くとは決めない。
帰還側は、信号が届かなかった場合の行動も確認した。
一、倉内の扉と仮板の状態。
二、入口灯。
三、流れ。
四、市場側からの作業音との区別。
五、次の判断時刻。
「信号がなければ、救援へ入りますか」
エリオが尋ねた。
「すぐには入りません」
イサラが答えた。
「なぜ?」
「信号用木片を落とした可能性。音が届かなかった可能性。予定より早く帰路へ向いた可能性があります」
「全員が倒れている可能性も」
「あります」
「なら」
「信号がないことは異常です。救援開始と同じではありません」
前にも決めたこと。
だが、実際に誰かが道の中にいる時は、言葉の重さが違った。
***
「次の判断時刻まで待つ?」
エリオが尋ねた。
「待つ間に、することがあります」
「それでも、入らない?」
「入る目的と参加者を、別に決めるまでは」
「私を救援候補へ入れてください」
「意思として残します」
「勇者を連れてくるなと言われていても?」
「だから、自動的には選びません」
「外しもしない?」
「はい」
エリオは帰還側の紙へ、救援候補として自分の名前を書いた。
参加決定ではない。
待機が終わった後に、別の目的へ参加する意思。
***
サナの出発時記録には、個人的に知っていることを伝える者の欄が空いていた。
「誰も選ばないんですか」
朔が尋ねた。
「今回は、共通記録だけにします」
「ガウさんは?」
「六年前の私を知っています」
「今のサナさんも」
「知っています」
「では」
「ガウも、あの道の記憶を持っています」
サナは答えた。
「布を見た私が帰った時、六年前の二人で答えを作りたくありません」
「何を確認してほしいですか」
サナは紙へ書いた。
右腕の痛みを隠したか。
縫い目を見て、フィオナ・セルクの外套であると先に決めたか。
布を動かしたか。
位置を見た後で、図と記憶の違いを言えたか。
「名前は?」
「必要なら聞いてください」
「最初に?」
「いいえ」
「何を先に?」
「右腕を見てください」
***
ガウ・メイルは、外側で流れを見る役を引き受けた。
サナが通路へ入るため、測定具を扱う者が必要だった。
「俺の腕は、あいつより動かんぞ」
ガウは杖を示した。
「一人で器具を持ちません」
サナが答えた。
「補助者と?」
「はい」
「俺が数字を間違えたら?」
「器具の値と、ガウさんの読みを分けます」
「サナが帰ったら、確認する?」
「してください」
「名前も?」
「今の私が必要だと言ったら」
ガウは頷いた。
「六年前のサナへ戻す役はせん」
「はい」
***
出発前。
リオは朔の名前の紙を開かなかった。
「今、何て呼ばれたい」
「サクで」
「目的は」
「サナさんが、布をその場所で確認する。俺は位置と周囲を見る」
「灯りが消えたら」
「携帯する火で戻ります」
「道が違って見えたら」
「位置と、確認した印を分けます」
「声がしたら」
「答えません」
「サクと呼ばれても」
「答えません」
「外から呼ばれたら」
朔は少し考えた。
「帰還側は、通路へ名前を呼ばないと決めています」
「ほんまに呼ばんかったら」
「忘れたとは思いません」
「思えるか」
「分かりません」
リオは胸元へ手を置く。
「俺は紙を持っとる」
「はい」
「でも、呼ばん」
「はい」
「それで戻れ」
「戻ります」
「戻れんかったら」
リオは続けなかった。
命令にしない。
***
仮板が開く。
三枚。
二つの錠。
湿った石の空気が倉へ流れる。
入口灯。
点火。
ノエが火の傾きを見る。
「倉側へ。前回と近いです」
「声」
なし。
「人影」
なし。
「白い文字」
朔には見えない。
***
五人が入る。
入口はマレア。
次に朔。
サナ。
ノエ。
セオ。
床を確認した後、朔が前へ出る。
サナは中央。
右腕を壁側へ向けない。
狭い場所では、左肩を壁へ近づける。
「痛み」
マレアが尋ねる。
「今はありません」
「触れていいですか」
「必要になれば」
まだ支えない。
本人が歩けるうちに、支えられる人へ変えない。
***
二つ目の灯り。
手と火の印の手前。
ノエが陶器の器を置く。
「位置」
「帰路側の右壁寄り」
セオが記録する。
「帰る時は?」
「左側に見える可能性があります」
「向きが変わるから?」
「はい」
印が逆側へ移ったとは、すぐに言わないために。
***
三つ目。
最初の曲がり角。
黒い金属の窪みから離す。
火が、少し奥へ傾く。
「前回は?」
「明確には記録していません」
ノエが答える。
「変化とはしません」
長い剣状物。
測定器らしき枠。
黒い輪。
大きな位置変化は確認できない。
誰も止まらない。
***
四つ目。
黒い記録板状物があった位置。
床には、板の形に近い湿り。
黒い紐。
同じ位置に見える。
灯りを、紐から離して置く。
「声」
なし。
「床の変化」
確認できない。
「板がなくなったことによる流れ」
身体では判断できない。
先へ進む。
***
分岐。
五つ目の灯りを置く。
右は、車輪溝が続く低い通路。
左は、金具のある白い壁。
布状物は、二つ目の金具へ引っかかったまま。
「位置の変化」
サナが言う。
「図と近いです」
「同じ?」
「図の角度が違うため、決めません」
***
予定した確認信号。
木片を三度。
間を置く。
一度。
通路の中では、はっきり聞こえた。
「信号実施」
セオが記録する。
「外へ届いたか」
「未確認」
朔が答えた。
送ったことと。
受け取られたことを、一つにしない。
***
サナが停止位置へ立つ。
布まで、腕一本より遠い。
触れない。
灯りを横から当てる。
「布地」
サナが言う。
「六年前の候補者用外套に使われていた織りに近いです」
「どこが?」
「縦糸が細い。横糸が二本ごとに少し浮く」
「管理局外套にも?」
「同じ工房の布を使っていた時期があります」
「フィオナさんの物と?」
「まだ言いません」
***
「青い縁」
「幅は、候補者用外套と近い」
「色」
「湿気と光で変わっています。元の色は判断できません」
「赤茶色の糸」
サナの呼吸が少し止まる。
「見えますか」
マレアが尋ねる。
「はい」
「何に見える?」
「私が使った糸と近い」
「縫い方」
「一針目が深い。二針目が短い」
「サナさんの?」
「近いです」
「同じ?」
「私が縫った可能性があります」
***
サナは、布から目を離さない。
「フィオナさんの外套ですか」
朔が尋ねた。
「そう言いたくなっています」
「見えていることは?」
「候補者用外套に近い布。青い縁。私が出発前に使った可能性のある赤茶色の糸。自分の縫い方に近い二針」
「位置」
「左側の空間。二つ目の金具」
「人が通った証拠?」
「なりません」
「フィオナさんがここへ?」
「決まりません」
サナは右腕を押さえた。
***
「痛み」
マレアが尋ねる。
「少し」
「出発前より?」
「強いです」
「続けられますか」
「確認は終わっています」
「ほかに見たいこと」
「裏」
「触れなければ見えません」
「はい」
「今日の目的は?」
「見える面の確認まで」
「戻りますか」
サナは布を見た。
「戻ります」
***
セオが、図へ最後の位置を書き入れる。
記録板を閉じる。
ノエが携帯する火を持ち直す。
朔が五つ目の灯りへ手を伸ばす前。
火が細くなった。
「灯りに変化」
ノエが言う。
誰も動かない。
炎が、通路の奥へ引かれるように傾く。
次の瞬間。
消えた。
***
「分岐灯、消灯」
セオ。
「携帯火」
「保持しています」
ノエ。
「周囲の風」
朔には、右側から。
サナには、左の頬。
マレアは明確に感じない。
「点け直しますか」
朔が尋ねる。
「帰路へ向きます」
マレアが答えた。
目的は終わっている。
灯りを守るために残らない。
***
五つ目の陶器を回収する。
火はない。
熱は残っている。
「持ち帰ります」
ノエが袋へ入れる。
「黒い変色」
「なし」
「匂い」
「通常の油に近いです」
原因は決めない。
五人が帰路へ向く。
***
板があった位置。
四つ目の灯りが見えるはずだった。
ない。
「四つ目、確認できません」
朔が言う。
「消えた?」
サナ。
「火が見えません」
ノエ。
「器自体は?」
マレアが携帯火を下げる。
床。
湿り。
黒い紐。
陶器の器。
そこにある。
炎だけが消えている。
「二つ目の消灯」
セオ。
「点け直さない」
マレア。
陶器を回収する。
***
「通路の形」
サナが言った。
「行きより狭く見えます」
「どこが?」
「左壁が近い」
朔には、右側の低い道が広く感じられる。
ノエには、幅の変化は分からない。
マレアは、床の傾きが行きと同じだと感じている。
「形状変化とは記録しません」
セオが言う。
「知覚として分けます」
暗さが変わった。
向きも逆になった。
道が変わったとは、まだ言えない。
***
黒い金属の窪みが近づく。
三つ目の灯りは点いている。
細く。
揺れている。
長い剣状物が、行きより手前にあるように朔には見えた。
「剣状物が近いように感じます」
「位置の変化」
ノエは確認できない。
マレアにも、前回図との差は分からない。
セオは記録板を閉じている。
「帰還後に」
「はい」
朔は止まらない。
***
三つ目の灯りの横へ、ノエが手を伸ばす。
触れる前に、火が消えた。
息を吹きかけた者はいない。
「三つ目、消灯」
「携帯火」
「保持」
「声」
なし。
「金属音」
なし。
「戻る」
マレア。
灯りを回収する。
***
帰路の明るさは、ノエの携帯火だけになった。
前に進むための灯りではない。
五人の足元を、順に見るための火。
「位置」
朔が言う。
「前、サク」
ノエ。
「中央、サナ。ノエ」
マレア。
「後ろ、セオ」
セオ自身が答える。
「全員」
「確認」
***
サナの右腕が、壁側へ下がった。
「痛み」
マレアが尋ねる。
「強くなっています」
「触れていいですか」
「左側を」
マレアがサナの左肘へ手を添える。
引かない。
進む方向だけを伝える。
「歩けますか」
「歩けます」
「持ち上げますか」
「いいえ」
支えられることと、運ばれることを同じにしない。
***
曲がり角。
行きには、黒い金属の窪みを右に見て曲がった。
帰りは、左へ曲がるはずだった。
携帯火の影で、二つの通路が同じ幅に見える。
「左ですか」
朔が尋ねる。
「車輪溝」
マレアが足元を見る。
二本。
入口へ続く溝。
「右の床は?」
「窪みへ下がっています」
ノエ。
「左、車輪溝」
セオ。
見覚えではなく。
記録した形を使う。
五人は左へ曲がる。
***
その時刻。
旧紙市場の倉では、誰も確認信号を聞いていなかった。
「時刻です」
イサラが言った。
「信号は?」
ミエルが尋ねる。
「確認できません」
エリオは仮板の前にいる。
「中へ入ります」
「まだです」
「信号がない」
「はい」
「予定では、分岐へ着いている」
「はい」
「全員が倒れている可能性」
「あります」
「なら」
「最初の確認をします」
***
仮板。
開いたまま。
入口灯。
点いている。
倉の扉。
開いている。
市場側の通路。
見物人が一人、縄の近くへ来ている。
エリオが下がるよう伝える。
「何かあったんですか」
「予定した信号を確認できていません」
「閉じ込められた?」
「分かりません」
「助けに行かないのか」
エリオの顔が強張る。
「今、帰還路を空けています」
「それだけ?」
「それをしています」
***
ガウが外側の測定具を見る。
「流れは」
「少し弱い」
「前回と比べて?」
「誤差より大きいか分からん」
「急な逆流」
「なし」
「黒い変色」
「確認なし」
ファナが仮板の周囲を見る。
石の移動。
なし。
板を支える枠。
異常なし。
入口灯。
点灯。
「中の灯りは見えますか」
エリオが尋ねる。
「曲がり角の先は元から見えない」
ミエルが答えた。
「では、何も」
「入口は見えとる」
***
イサラは、帰還側の机へ向かった。
五人分の出発時記録。
名前。
目的。
怖いこと。
帰還後に確認してほしいこと。
「読み上げるんですか」
グラドが尋ねる。
「通路へは呼びません」
「では、何のため?」
「戻った時に、誰が何を持つかを確認します」
名前を呼んで引くのではない。
外で、失わない。
***
「黒川朔」
イサラは小さな声で確認する。
リオが答える。
「紙と、こいつが話してええ言うたことを持っとる」
「通路へ呼びますか」
「呼ばん」
「なぜ?」
「声が名前を使うかもしれん」
「忘れていない?」
リオは胸元を押さえる。
「持っとる」
***
「ノエ・ハーラ」
アナが答える。
「火より先に、誰を見ていたか。戻ると言われた時に従ったか。本人の状態を見て、必要な範囲だけ読む」
「今、何を恐れていますか」
「ノエが、灯りを守るために止まっていること」
「記録に?」
「私の恐れです。ノエの行為とは決めません」
***
「マレア・ソン」
トエ。
「誰を処置したか。処置のために帰還を遅らせたか。身体を先に見る」
「救援へ入りますか」
「私は帰還者を受け入れます」
「マレアさんが中にいる」
「はい」
「それでも?」
「私が入れば、帰ってきた人を最初に見る治療官が減ります」
助けたいことと。
外に残ることを、分ける。
***
「セオ・ラグナ」
ネラ。
「戻ると言われた時、記録板を閉じたか。見たことと推測を混ぜなかったか」
「記録が途絶えている可能性」
「あります」
「板だけが戻ったら?」
「セオが戻ったとはしません」
黒い板状物と同じ。
記録物を、人の代わりにしない。
***
「サナ・リト」
個人の保持者はいない。
共通記録担当が紙を持つ。
「右腕の痛みを隠したか」
イサラが読む。
「フィオナの外套と先に決めたか。布を動かしたか。位置と記憶の違いを言えたか」
ガウが、離れた場所から聞いている。
「名前を呼ばんのか」
「呼びません」
「俺も?」
「はい」
「でも、サナは中におる」
「忘れていません」
ガウは測定具へ視線を戻す。
「なら、俺は流れを見る」
***
次の判断時刻までに、することが分けられた。
市場側の戸をすべて開く。
倉から外門までの荷物を移す。
通路へ向けてではなく、帰還者が外へ出る道を広げる。
治療台を入口正面から外す。
帰ってきた者が、治療を受けるために列へ入らない位置へ置く。
予備の灯りを、仮板の外へ並べる。
中へ投げない。
名前を呼ばない。
救援候補の装備は、まだ身に着けない。
***
「剣を持ちますか」
エリオがイサラへ尋ねた。
「救援目的が決まれば」
「今、決めるべきでは?」
「次の判断時刻に」
「遅い可能性があります」
「あります」
「後で、なぜ入らなかったと」
「問われるでしょう」
「それでも?」
イサラは、通路の暗い入口を見る。
「今入れば、なぜ待たなかったと問われる可能性もあります」
「どちらを恐れていますか」
「両方です」
「では、何で決める?」
「先に決めた条件と、今確認できる事実で」
***
「私は、入りたいです」
エリオが言った。
「はい」
「助けたい」
「はい」
「勇者と呼ばれることが危険でも」
「はい」
「それでも、誰も戻らなければ」
「救援候補として検討します」
「待てますか、と聞かないんですか」
「待てますか」
エリオは、すぐには答えなかった。
「できるか分かりません」
「今は?」
「ここにいます」
仮板の手前。
線を越えない。
***
通路の中。
二つ目の灯りがあるはずの手と火の印へ近づく。
光は見えない。
「二つ目、確認できません」
朔が言う。
携帯火を壁へ向ける。
手。
火。
横へ伸びる線。
印はある。
陶器の器も。
火だけが消えている。
「四つ、消灯」
セオ。
「入口灯は?」
まだ見えない。
「声」
なし。
「白い文字」
朔には見えない。
「流れ」
サナ。
「入口側からではなく、右から感じます」
「私は前から」
ノエ。
「形状変化」
「決めません」
***
陶器を回収する。
サナの右腕が、また下がる。
「痛み」
「あります」
「強さ」
「六年前の傷が開いた感覚ではありません」
「今の身体として?」
「疲労と痛み」
「歩けますか」
「はい」
「速度を落としますか」
「全員で」
サナ一人だけを後ろへ置かない。
五人の速度を落とす。
***
入口までの距離が、行きより長く感じられた。
朔には。
ノエは、時間を測っていないから分からないと言う。
マレアは、歩数は大きく変わらないと感じる。
セオは、帰路で記録板を閉じている。
数えていない。
サナには、入口が近く感じられる。
「同じ道ですか」
朔が尋ねる。
「車輪溝は続いています」
マレア。
「印もありました」
ノエ。
「同じに見える特徴があります」
セオ。
「同じ道だとは、帰ってから」
誰も安心のために確定しない。
***
予定した二度目の確認信号。
本来は、曲がり角を越えた帰路で送ることになっていた。
朔が木片を取り出す。
三度。
間。
一度。
通路の中では聞こえる。
「信号実施」
セオ。
「外へ届いたか」
「未確認」
朔。
返答はない。
外からも、名前も。
声も来ない。
***
次の判断時刻。
外では、二度目の信号も確認されなかった。
「開始しますか」
エリオが尋ねる。
救援。
イサラは紙を見る。
信号二回未確認。
予定帰還時刻までは、まだ砂一つ分ある。
入口灯は点いている。
流れは弱いが、急変なし。
人影なし。
声なし。
「救援準備を開始します」
「進入は?」
「まだ」
「何を準備する?」
「参加者。目的。停止条件」
「今から?」
「今だからです」
***
救援目的。
帰還予定者五名の位置および身体状態を確認し、帰還可能な者とともに入口へ戻る。
遺留物を回収しない。
布へ近づかない。
黒い金属を確認しない。
声へ答えない。
人影が現れた場合、勇者候補がいることによる変化を記録する余裕は持たない。
戻る。
「参加者」
エリオが自分の名前を書く。
「イサラさんは?」
「私は外に残ります」
「なぜ?」
「時刻と帰還側の判断を持つ者が必要です」
「第一位が入らず、第二位を?」
「順位で決めません」
「では、技能」
「あなたは狭い通路で人を支え、短い指示ができます」
「剣は?」
「持ちません」
「危険です」
「持てば、黒い人影が勇者と剣へ反応する可能性があります」
「持たなければ、誰かへ守る役を移す」
エリオは第五章で得た言葉を、自分から出した。
「はい」
イサラが答える。
「だから、救援参加者全員が何をするかを決めます」
***
二人目。
外郭治療官。
三人目。
道を知る者。
ジェンを呼ぶ案が出る。
「呼びません」
イサラが言った。
「最も道を知っています」
「今日は、入口で待つことを選んでいません」
「緊急時です」
「本人へ参加意思を聞くことはできます」
「時間が」
「本人の過去を、時間短縮の道具にしません」
別の者。
前回までの図を読んだ管理局員。
救援候補を三名に絞る。
まだ、仮板を越えない。
***
「あと、どれくらい待つ」
リオが尋ねた。
「次の判断時刻まで、砂半分」
「その後は?」
「救援者が入ります」
「サクの名前を呼ばんまま?」
「はい」
「声で戻れる可能性」
「あります」
「呼ぶことで、別のものが答える可能性も」
「あります」
リオは胸元へ手を入れない。
紙を出さない。
「俺は、ここにおる」
「はい」
「それは、向こうへ届かんかもしれん」
「はい」
「それでも?」
「待ってください」
「命令か」
「依頼です」
リオは暗い入口を見る。
「待つ」
***
通路の中。
入口灯が見えない。
本来なら、手と火の印を越えた辺りで、倉側の光が薄く見える。
今は、暗い。
「入口灯、確認できません」
ノエが言う。
「消えた?」
朔。
「曲がりと影で見えない可能性」
マレア。
「外側が閉じた可能性」
サナ。
「決めません」
セオ。
携帯火が、また細くなる。
***
「止まりますか」
朔が尋ねる。
「足元確認のため、ここで一度」
マレア。
全員が止まる。
車輪溝。
二本。
右壁の擦れ。
低い天井は後ろ。
入口の黒い木片は、まだ前。
「位置は」
「入口と黒い木片の間ではありません」
ノエ。
「手と火の印を越えた後」
セオ。
「行きでは、ここから入口灯が見えましたか」
「私は覚えていません」
サナ。
「俺は見えたと思います」
朔。
「思う、で進路を変えません」
マレアが言う。
***
五人は、そのまま車輪溝を辿る。
携帯火が照らすのは、足元の短い範囲だけ。
前方の壁。
右。
左。
同じ灰色。
「黒い木片」
ノエが言う。
床。
長い板状。
入口付近にあった物。
位置は、行きと同じように見える。
「入口は、この先」
朔。
「走りません」
マレア。
「全員で」
サナ。
***
木片の横を通る。
ノエの火が大きく揺れた。
消えない。
その先。
白い光が一本だけ見えた。
細い。
床へ伸びている。
「外の灯り」
ノエが言う。
「入口灯?」
「それより広い」
倉の戸。
市場側の戸。
待つ者たちが、外への道をすべて開けた光だった。
***
通路の外から声がした。
名前ではない。
「道は空いています」
エリオの声。
近い。
仮板の外。
中へは入っていない。
「こちらへ。入口に段差があります」
進め、とは言わない。
走れとも。
誰か一人だけを呼ばない。
***
「声を確認」
セオが言う。
「エリオさんに聞こえます」
ノエ。
「本人か」
朔が言いかける。
仮板の外に、人の形が見える。
剣なし。
白い外套なし。
エリオ・レイス。
「位置を視認」
マレアが言う。
「帰還を続けます」
***
五人は隊列を崩さない。
マレア。
朔。
サナ。
ノエ。
セオ。
入口へ。
エリオは手を伸ばさない。
先頭のマレアが、倉の床へ足を置くまで待つ。
「段差を越えました」
マレア。
「次」
朔。
サナ。
ノエ。
セオ。
五人が仮板の外へ出る。
***
「人数」
ミエルが言う。
五人。
「持ち込んだ灯り」
入口灯を除く四つ。
すべてある。
分岐。
板跡。
曲がり角。
手と火の印。
四つとも消えている。
「向こうから持ち出した物」
「ありません」
朔。
「向こうへ残した物」
「ありません」
ノエ。
「布」
「動かしていません」
サナ。
***
予定帰還時刻より、砂半分前。
救援進入が始まる判断時刻より、わずかに早かった。
エリオは仮板の線を越えていない。
救援用の紙は、机の上にある。
参加者三名の候補。
目的。
条件。
まだ実行されていない。
***
仮板をすぐには閉じない。
ガウが流れを見る。
「帰還直前に強くなった」
「どの程度」
「前回の開口時より少し」
「今は?」
「弱くなっとる」
「灯りの消灯と?」
「関係は分からん」
「信号」
イサラが尋ねる。
「二度とも聞こえへんかった」
ミエルが答えた。
「中では実施しました」
朔。
「では、届かなかった」
「はい」
信号は送られた。
外では受け取られなかった。
どちらかだけを、失敗とはしない。
***
三枚の仮板。
二つの錠。
確認孔。
壁は閉じられる。
通路内の灯りは、すべて外へ戻った。
火だけが失われていた。
***
帰還後。
身体を先に見る。
トエがマレアを含む五人を確認する。
呼吸。
視線。
歩行。
手。
サナの右腕。
「痛み」
「強いです」
「動かせますか」
「肩までは。肘から先は、ゆっくり」
「布を見た時から?」
「その後、帰路で強くなりました」
「黒い変色」
「ありません」
「感覚」
「あります」
「処置します」
「はい」
サナは、今は拒まなかった。
***
「名前を聞いていいですか」
トエが尋ねる。
サナは少し考える。
「はい」
「何と呼ばれたい?」
「サナ・リトです」
「出発前と同じ」
グラドが言う。
トエは振り返る。
「同じだから本人とは書きません」
「では」
「今、本人がそう選んだと書きます」
***
「布は」
イサラが尋ねる。
「フィオナの外套である可能性が高いと思います」
サナが答えた。
「何が確認できた?」
「布地。縁幅。赤茶色の糸。二針。私が六年前に行った臨時補修と近い」
「同じ?」
「可能性は高いです」
「フィオナ本人が分岐を通った?」
「分かりません」
「布を動かした?」
「触れていません」
「位置を見た?」
「はい」
「図との差」
「図で思っていたより、金具の上側に引っかかっていました」
現地で見たから、変えられた情報。
***
アナがノエの前に立つ。
「火を持ち帰りましたか」
「携帯火は」
「違いました」
アナは自分で止める。
「誰を見ていましたか」
「サナさん」
「いつ?」
「腕が下がった時。灯りが消えた時」
「ほかには?」
「サクさんが剣の位置を見た時」
「戻ると言われた時」
「従いました」
「灯りを点け直した?」
「しませんでした」
「なぜ?」
「帰る方を選びました」
「今、名前を聞いていい?」
「はい」
「何と呼ばれたい?」
「ノエ・ハーラです」
***
トエはマレアへ尋ねる。
「誰を処置しましたか」
「通路内では、サナさんの左肘を支えました」
「治療を始めた?」
「いいえ」
「帰還を遅らせた?」
「いいえ」
「灯りが消えた時、観察を続けた?」
「いいえ」
「道が変わったと判断した?」
「していません」
「名前は?」
「マレア・ソンです」
***
ネラはセオの閉じた記録板を見る。
「帰路で開きましたか」
「いいえ」
「灯りが消えた順番」
「記憶から話します」
「図を見ずに?」
「はい」
「分岐。板跡。曲がり角。手と火の印」
「入口灯は?」
「外側で点灯」
「信号」
「二度、実施しました」
「外では?」
「確認されず」
「記録したいですか」
「はい」
「身体確認は?」
「終わっています」
「では、開いてください」
帰ってから、記録を再開する。
***
リオは朔の前に来た。
紙を出さない。
「どこまで」
「分岐の布の前まで」
「触ったか」
「触っていません」
「布は」
「フィオナさんの外套である可能性が高いと、サナさんは考えています」
「お前は」
「候補者用外套に似ていると思いました」
「同じにしたか」
「していません」
「灯り」
「四つ消えました」
「点け直したか」
「していません」
「道は変わったか」
「違って見えた部分があります。形が変わったとは確認していません」
「信号」
「二度送りました」
「こっちには来てへん」
「はい」
***
「外から、名前を呼んだか」
朔が尋ねた。
「呼んでへん」
「どうして?」
「決めたからや」
「怖くなかった?」
「なった」
「呼びたかった?」
「呼びたかった」
「それでも?」
「紙を持っとった」
リオは胸元へ触れる。
「名前を呼ぶんと、忘れんことは別や」
***
「今、何て呼ばれたい」
「サクで」
「紙を見るか」
朔は少し考える。
「まだ」
「暗い中で、自分の名前を忘れたか」
「忘れていません」
「外に俺がおると思えたか」
「分かりません」
「どういう意味や」
「道の中では、外から何も聞こえませんでした」
「おらんと思った?」
「一瞬」
「それでも戻った」
「はい」
「何を見て」
「車輪溝。印。黒い木片。最後に、外の光」
「俺やない」
「はい」
リオは頷く。
「俺が引っ張って戻した話にすんな」
「しません」
「でも、俺は待っとった」
「はい」
両方を残す。
***
帰還側の記録も作られた。
確認信号二回、受信できず。
入口灯は継続して点灯。
仮板および倉側構造に変化確認なし。
外側流れは一時弱化。急激な逆流なし。
帰還路上の商品、荷物、見物人を移動。
市場側および外門側の戸を開放。
予備灯を仮板外へ設置。
治療受入れ位置を変更。
参加者五名の出発時記録と、帰還後に伝える者および内容を確認。
名前を通路へ呼ばず。
救援目的、参加候補、停止条件を別紙で作成。
救援進入前に五名が帰還。
***
「待ったから帰ってきた、と書きますか」
グラドが尋ねた。
「書きません」
イサラが答える。
「では、帰還側の行動は、帰還に影響しなかった?」
「外の戸を開けた光を、進入者が確認しています」
「エリオの声も」
「はい」
「なら」
「それがなければ帰れなかったとは確認できません」
「でも、役に立った可能性」
「あります」
「では」
「帰還路を広げ、外光と声を確認できる状態を作った」
それだけを書く。
***
「進入者は、自力で帰還した?」
グラドが続ける。
「一人ずつではありません」
朔が答えた。
「五人で位置を確認した」
「外の光も」
「はい」
「では、帰還側に救われた?」
「一つにしません」
中にいた者が戻る方を選んだ。
外にいた者が、戻る場所を狭めなかった。
どちらかだけを、原因にしない。
***
エリオの記録。
信号未確認後、進入希望を表明。
最初の判断時刻では進入せず。
倉外の人員と荷物を移動。
市場側の戸を開放。
予備灯を設置。
救援候補として参加意思を表明。
救援目的および条件作成に参加。
仮板の線を越えず。
帰還者へ、名前ではなく帰還路の状態を伝えた。
「私は、助けましたか」
エリオが尋ねた。
「道は空いている、と聞きました」
朔が答えた。
「それで?」
「外の光が見えました」
「私がいなくても、戸は開けられた」
「はい」
「では」
「エリオさんが、そこにいたことも事実です」
「勇者として?」
「帰還路を空けたエリオ・レイスとして」
***
「入らなかったことは、正しかったですか」
エリオがイサラへ尋ねた。
「帰還者五名は戻りました」
「結果ではなく」
「分かりません」
「入っていた方が、早く会えた可能性」
「あります」
「逆に、道へ影響した可能性」
「あります」
「では、次も待つ?」
「同じ条件なら、今回の記録を使って決めます」
「成功したから繰り返す、ではない?」
「はい」
「信号が届かなかった」
「手順は直します」
「灯りも」
「消えました」
「待つ時間が長すぎた可能性」
「検討します」
戻ったから、すべて正しかったとはしない。
***
イサラ自身の記録。
信号一回目未確認時、外側確認を実施。
信号二回目未確認時、救援準備を開始。
進入判断を次の時刻まで保留。
救援参加者を三名まで選定。
剣を持たずに進入する案を採用。
自身は帰還側に残る予定。
進入開始前に帰還を確認。
「怖かったですか」
ノエが尋ねた。
「はい」
「何が?」
「待っている間に、もう戻れない状態になっていること」
「ほかには?」
「私が入ることで、戻れる者の帰路を変えること」
「どちらを選んだ?」
「時刻まで、外に残りました」
「正しかった?」
「分かりません」
第一位も、答えを持って待っていたわけではない。
***
サナは、布についてエダ・セルクへ報告する時刻を翌日にした。
「今日ではないんですか」
グラドが尋ねる。
「今は、腕の処置を受けます」
「情報は重要です」
「はい」
「家族は待っています」
「はい」
「それでも?」
「痛みが強いまま話せば、早く終わらせるために断定する可能性があります」
待つ者がいる。
だからこそ、今の自分の状態を無視して急がない。
「明日の時刻を伝えてください」
「何を話すかも?」
「確認できたこと。まだ分からないこと。現物を動かしていないこと」
***
街では、二つの話が広がった。
灯りを失った調査隊を、二人の勇者候補が怖がって見捨てた。
灯りを失った調査隊を、二人の勇者候補が名前を呼んで導き返した。
どちらも違った。
「名前は呼んでいません」
ベドが公示へ書く。
帰還側は、通路内へ参加者の名前を呼びませんでした。
帰還路上の戸を開放し、外光と通行可能な経路を維持しました。
救援進入の準備中、参加者五名が帰還しました。
帰還が、帰還側の行動のみ、または進入者側の行動のみで成立したとは判定していません。
***
「名前を呼ばなかったのに、帰ってきたの?」
ロウが尋ねた。
「はい」
「じゃあ、名前はいらない?」
「そうは決まりません」
「呼ばなくても?」
「外で覚えていました」
「誰が?」
「一人ずつ違います」
「サクはリオ」
「はい」
「ノエはアナ」
「はい」
「マレアはトエ」
「はい」
「セオはネラ」
「はい」
「サナは?」
「共通記録と、外で流れを見ていた人たち」
「名前を持ってた?」
朔は少し考える。
「名前だけを、持っていたわけではありません」
「でも、忘れてない?」
「はい」
***
眠り区画で、ユイも同じことを尋ねた。
「外の人は、名前を呼ばなかった?」
「呼びませんでした」
「声が届かないから?」
「名前を使う声が、道にいる可能性があるからです」
「じゃあ、どうやって待ったの」
「時刻を見ました。戸を開けました。道を空けました。治療の準備をしました」
「名前は?」
「紙と、知っていることを確認しました」
「声にしないで?」
「はい」
「言わなくても、持ってた?」
朔は答える前に、リオの胸元を思い出した。
折られた紙。
開かれなかった文字。
「持っていました」
「名前を?」
「名前を書いた紙や、本人から聞いたことを」
「その人を?」
「その人は、道の中にいました」
「じゃあ」
ユイは考える。
「外の人は、何を持ってたの」
「帰ってきた時に、話すものを」
***
待っている者は、道の中の人を引き戻さなかった。
少なくとも、そうとは書けなかった。
名前を呼ばず。
手も届かず。
声も、確認信号も届かない。
その間、帰還する者の身体へ何もできなかった。
***
それでも、何もしなかったわけではない。
戸を開けた。
荷物をどけた。
灯りを置いた。
治療台を動かした。
次に決める時刻を持った。
入る者を選び。
何のために入るかを書いた。
呼ばない名前を、忘れなかった。
***
中にいた五人も、待たれていることを確かめてから戻ったわけではない。
外の声は、最後まで聞こえなかった。
名前も。
木片の返答も。
暗い道の中では、外に誰が残っているかを証明するものはなかった。
それでも。
車輪溝を辿った。
印を見た。
黒い木片を越えた。
外から差す光を見つけた。
道は空いている、という声を聞いた。
***
道が五人を返したとは、まだ言えない。
外で待つ者が返したとも。
進んだ者だけの力で戻ったとも。
帰還した者が、戻る方を選んだ。
帰還する場所にいた者が、その場所をなくさなかった。
その二つが、同じ時刻にあった。
***
返すのは、道ではない。
黒い板の断片を、朔は思い出す。
だから、待つ者が返す。
そう続ければ、一つの答えになる。
だが、それはまだ朔の文だった。
その日、確かに分かったのは。
待つ者が、帰還を保証するわけではないこと。
それでも。
待つ者がいなければ、戻った先から人が消えることだった。
***
名前は、通路へ呼ばれなかった。
それでも外には、
黒川朔。
ノエ・ハーラ。
マレア・ソン。
セオ・ラグナ。
サナ・リト。
五つの名前を、それぞれ違う形で忘れずにいる者がいた。
名前そのものを、所有せず。
帰った者へ、同じ答えを押しつけず。
ただ、戻った時に話すためのものを持って。
暗い入口の外で。
次に決める時刻まで。
待っていた。




