幕間 名を預かる者
(※本編と本編の間に挟む、短い幕間です。第五章の途中、朔が塔の中で調査を続けている時期の、リオの一日を描いています。本筋には直接関わりませんので、読み飛ばしても問題ありません。)
朝、リオは荷を三つに分けた。
売る物。
売らない物。
まだ決めていない物。
最後の一つが、いつもより多い。
紙。
布。
小さな刃。
旧紙市場で拾った巡礼の印の写しもあった。
朔から預かったわけではない。
あの日、隣で見ていただけだ。
それでも、勝手に捨てる気にはならなかった。
懐には、もう一つ。
黒川朔。
ツヅリ村では、サク。
古い帳簿の切れ端に書かれた名前。
もう何日も、リオの胸元にある。
***
「リオさん、今日も塔か」
市場の隅で、顔なじみの豆売りが声をかけてきた。
「行く」
「儲かるんか、それ」
「儲からん」
「なら、なんで行く」
リオは荷車の紐を締め直しながら答えた。
「時刻を見に行く」
「時計屋にでもなったんか」
「似たようなもんや」
豆売りは笑って、それ以上聞かなかった。
商人同士、深追いしない礼儀がある。
***
外郭の道は、以前より人が多かった。
黒い布を売る店。
物語紙を読む語り手の周り。
小さな腕輪を並べる露店。
誰かが「ヴァルハ」と言うたびに、リオは足を止めずに耳だけ動かした。
拾う言葉と、拾わない言葉を分ける。
全部を持ち帰れば、荷が重くなりすぎる。
***
「あんた、あの子の連れやろ」
布屋の女将が呼び止めた。
「殻の子の」
「連れやない」
「一緒に歩いとったやないか」
「歩いとっただけや」
「守っとるんやろ」
リオは荷車を止めた。
「守っとるんは、俺やない」
「じゃあ誰が」
「あの子と、塔の中におる何人かや」
「あんたは?」
「時刻を持っとる」
女将は首をかしげた。
「それだけか」
「それだけで足りることもある」
女将は納得しない顔のまま、それでも次の客へ向いた。
リオは、それでよかった。
分かってもらうために話したわけではない。
***
昼、塔の外郭待合所へ着く。
石造りの椅子。
水桶。
砂時計。
いつもの場所に座り、荷を下ろす。
窓の向こうに、まだ朔の姿はない。
連絡が来るまで、リオはやることを決めていた。
名前の紙を、もう一度確かめる。
濡れていないか。
破れていないか。
文字が薄れていないか。
読めない字だ。
だから余計に、形が崩れていないかを見る。
***
半刻ほどして、窓の奥から人が来た。
ノエだった。
網箱を持っていない。
今日は火を運ぶ番ではないらしい。
「サクさんは、まだ中です」
「知っとる」
「時刻通りに動いています」
「知っとる」
「なぜ、毎回聞くんですか」
リオは水桶へ手を伸ばした。
「聞かんでも知っとることを、聞かんでも構わんやろ」
「意味が分かりません」
「知っとることでも、言葉にして渡されると、もう一回信じられる」
ノエは少し考えてから、頷いた。
「では、また来ます」
「ああ」
彼女が去ったあと、リオは水を飲んだ。
ぬるい。
それでも、飲めた。
***
夕方近く、市場から戻ってきた行商仲間が、噂を持ってきた。
「聞いたか、リオ。第一位が塔へ入ったらしいぞ」
「聞いた」
「討伐が始まるんちゃうか」
「知らん」
「知らんて、お前、塔に出入りしとるやろ」
「出入りしとるだけで、決めとるわけやない」
「じゃあ何しに行っとるんや」
リオは答えなかった。
説明しても、たぶん一言では伝わらない。
名前を持つ。
時刻を持つ。
それだけのために、毎日この場所に座っている。
商売にはならない。
それでも、荷を下ろさない理由になる。
***
日が傾き始めた頃、伝達板が光った。
短い文字。
「今日、変化なし。予定通り帰還」
リオはそれだけ読み、頷いた。
返事は短く送る。
「時刻は持った」
多くを書く必要はない。
多くを書けば、それだけ相手が読む手間が増える。
必要な分だけ渡す。
それも、商人の仕事の一つだった。
***
外門が開き、朔が出てくる。
子どもの身体。
疲れた顔。
それでも、自分の足で歩いている。
「今日は?」
リオが聞く。
「何もありませんでした」
「何もない日も、悪くないな」
「はい」
朔は隣に座った。
「短刀は?」
「ここにある」
「今日も持って帰らない?」
「まだ決めてへんのやろ」
「はい」
「なら、俺が持っとく」
リオは荷袋の奥を確かめた。
布に包まれた短刀。
その隣に、名前の紙。
別々の場所。
別々の意味。
それでいい。
***
帰り道、朔が尋ねた。
「今日、何してましたか」
「荷物を分けた」
「それだけ?」
「豆売りと話した。布屋の女将に、お前の連れやと言われた」
「何て答えたんですか」
「連れやないと言うた」
「じゃあ、何だと?」
「時刻を持っとる者や、と言うた」
朔は少し笑った。
「それだけで足りますか」
「足りることもある、と言うといた」
二人は、しばらく黙って歩いた。
塔の白い影が、夕方の光の中で長く伸びていた。
「リオさん」
「なんや」
「毎日、待つのは面倒じゃないですか」
リオは少し考えた。
「面倒や」
「それでも?」
「面倒でも、荷を下ろさん理由にはなる」
朔はそれ以上聞かなかった。
答えを、すべて言葉にしてもらう必要はなかった。
名前を持つ人。
時刻を持つ人。
そのどちらも、今日も変わらず、そこにいた。
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(幕間・了)




