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第五章 勇者の名前 ⑥ 勇者を外せない

 三日後の日暮れ。


 ラグ・テインの家へ、約束していた報告が届いた。


 新しい生存情報はなかった。


 六年前の人影と、現在目撃された人影が同一だという証拠も見つかっていない。


 ラグの剣が黒く消えたという証言。


 左前腕の月形の火傷。


 右手薬指の曲がりにくさ。


 それらは分けたまま、照合記録へ入れられた。


 黒い人影は討伐対象に指定されなかった。


 勇者候補の単独接近は禁止された。


 次の現地調査の日付は、まだ決まっていない。


 イサラは、そのすべてをリサとモナへ伝えた。


 何も分からなかった部分も。


 まだ決めていない理由も。


 次の報告時刻も。


 空白の横には、途切れずに次の行が加えられた。


***


 その翌朝、内塔連絡所の壁に、次回調査の仮参加表が貼られた。


 目的はまだ書かれていない。


 参加者も確定ではない。


 ただ、必要になる可能性がある者の名前だけが、役割ごとに並べられていた。


 経路登録。


 ルカ・フェン。


 流路測定。


 サナ・リト。


 身体確認。


 マレア・ソン。


 記録。


 セオ・ラグナ。


 外部時刻保持。


 リオ。


 現地目撃者。


 黒川朔。


 ノエ・ハーラ。


 エリオの名前はなかった。


「誰が外したんですか」


 朔が尋ねた。


 表の下には、作成者の名前がある。


 グラド・ウェン。


 ただし、その横に、


 勇者候補への殺害予告に基づく暫定除外


 と記されていた。


「グラドさんが決めた?」


「仮表を作成したのは私です」


 後ろから声がした。


 グラドが記録板を持って立っている。


「除外を決定したわけではありません」


「表には名前がない」


「参加させる判断を、通常の調査員と同じ手続きで行わないためです」


「普通より慎重に考える?」


「はい」


「エリオさんには伝えましたか」


「今朝、伝達しています」


「本人は?」


「すでに来ています」


***


 エリオは、内塔装備室にいた。


 白い外套を脱ぎ、机の上に畳んでいる。


 腰の剣も外されていた。


 額の銀環は、小さな布箱の中。


 青と白の長衣だけを着ている。


「外されましたね」


 朔が言う。


「仮表からは」


「怒っていますか」


「まだ、自分でも分かりません」


「行きたい?」


「はい」


 迷わず答えた。


「なぜ?」


「前回、人影を見たからです。発言の対象にもなりました。次に反応が変われば、比較できます」


「それだけ?」


 エリオは畳んだ外套を見る。


「知りたいからです」


「何を?」


「なぜ勇者を拒むのか」


「自分が怖くないと確かめたい気持ちは?」


 エリオは少し黙った。


「あります」


「勇気を証明したい?」


「ないとは言いません」


 前回と同じ答えだった。


「では、行く判断に混ぜますか」


「混ざっていることを記録します」


 欲求を消してから判断することはできない。


 あるものとして見た上で決める。


***


「装備を外しているのは、調査から外されたからですか」


 朔が尋ねた。


「違います。通常点検です」


 エリオは剣の鞘を布で拭く。


「ですが、今日の会議で、外套と銀環を着けない場合について確認します」


「勇者に見えなくなる?」


「街の人には、ならないでしょう」


「黒い人影には?」


「分かりません」


「では、外す意味は?」


「相手が、外套や銀環を勇者の印として見ている可能性を減らします」


「勇者ではなくなったふりをする?」


「しません」


 エリオは答えた。


「問われれば、勇者候補だと伝えます」


「隠すのではなく?」


「戦う形を、先に置かない」


 白い外套。


 銀環。


 剣。


 どれも、エリオの全部ではない。


 だが、見た者が勇者と判断する材料ではある。


***


 装備室を出る。


 白い外套も。


 剣も。


 銀環もない。


 普段より若く見えた。


 王都の服を着た、一人の少年。


 だが、廊下を十歩も進まないうちに、薬籠を抱えた職員が道を譲った。


「勇者候補様」


 エリオは足を止める。


「今は、通常任務ではありません」


「失礼しました」


 職員は頭を下げる。


「エリオ・レイスです」


「存じています」


 名前を伝えても、相手の目から肩書きは消えなかった。


***


 次の曲がり角では、治療区画から出てきた親子とすれ違った。


 子どもの左手に包帯が巻かれている。


「あ、勇者様」


 子どもがエリオを見る。


 母親は子どもの肩を引いた。


「近づかないの」


「どうして?」


「黒い道のものが、勇者を探しているって」


 女性は言ってから、エリオに気づいた。


「申し訳ありません」


「どこで聞きましたか」


 エリオが尋ねる。


「食堂です。勇者候補を追って、ヴァルハが塔まで来るかもしれないと」


「その能力は確認されていません」


「はい」


「黒い線を越えたことも」


「はい」


 女性は頷く。


 だが、子どもの肩から手を離さない。


「それでも、不安ですか」


「はい」


 エリオは否定しなかった。


「分かりました」


「すみません」


「謝らなくて大丈夫です」


 母親は子どもを連れて去った。


 数歩進んだところで、子どもが振り返る。


「勇者様、倒してくれる?」


 母親が再び前を向かせた。


 同じ人が、危険を連れてくる者と、危険を倒す者にされている。


 どちらも、エリオが選んだ役目ではなかった。


***


「外套を着ていなくても、変わりませんでしたね」


 朔が言った。


「全部は」


「少しは変わった?」


「通常任務中だと思われる人は減るかもしれません」


「勇者候補とは分かる」


「顔を知られている場所では」


「黒い人影も、顔を知っている?」


「一度は見られています」


 肩書きを言わなくても。


 外套を脱いでも。


 銀環を外しても。


 前回そこにいたエリオを、相手が覚えている可能性はある。


「紙から外せば?」


「相手が王都の参加表を読むとは思いません」


「では、仮表から外した意味は?」


「王都側が、私を自動的に行かせないためです」


 黒い影の認識は変えられない。


 だが、自分たちの決め方は変えられる。


***


 会議は、塔下審査室で開かれた。


 参加者は、


 グラド。


 セオ。


 マレア。


 ノエ。


 イサラ。


 エリオ。


 朔。


 壁際には、装備室から運ばれた三つの物が置かれている。


 白い外套。


 剣。


 銀環。


 エリオ本人は、机の中央に座っていた。


***


「最初に、何を決める会議ですか」


 朔が尋ねた。


 グラドが答える。


「勇者候補への殺害予告がある状況で、エリオ・レイスを次回調査へ参加させるか」


「次回調査の目的は決まっていますか」


「まだです」


「目的がないのに、参加者を決める?」


 グラドが言葉を止める。


「正確には、参加可能性を先に検討します」


「目的によって必要かどうかが変わります」


 イサラが言った。


「人影を出現させる条件を確認する調査なら、勇者候補の存在が関係する可能性があります」


「六年前の痕跡を線の手前から探すだけなら?」


「エリオを同行させない方が、危険条件を一つ減らせます」


「では、一つの答えにはならない」


「はい」


 参加か不参加か。


 それだけを先に決めれば、あとから目的がその判断へ合わせられる。


「会議の目的を変えます」


 グラドが言った。


「エリオ・レイスを自動的に参加、または自動的に除外しないための判断条件を作る」


「本人も決める?」


 朔が尋ねる。


「はい」


「本人だけで?」


「いいえ」


 マレアが答えた。


「エリオが危険を受け入れても、その危険が同行者へ及ぶ可能性があります」


「では、ほかの人が外せる?」


「本人のためだという理由だけで、一方的に外すべきではありません」


「何を理由に?」


「調査目的。予想される反応。同行者の安全。代替できる技能。本人の意思」


 一つずつ。


***


「先に、私の意思を言います」


 エリオが言った。


「次回調査へ参加する可能性を残したいです」


「必ず行きたい、ではなく?」


 イサラが聞く。


「目的を聞く前に、必ずとは言えません」


「除外されたくない?」


「はい」


「なぜ?」


「危険だから外す、だけでは、私が現地で見たことも、相手が私へ向けた言葉も、ほかの人の判断材料にされて終わります」


「自分の経験を、自分の判断にも使いたい?」


「はい」


「ほかには?」


「勇者候補だから危険だと言われ、勇者候補だから外されるなら、私の名前はどこにありますか」


 部屋が静かになる。


「肩書きと名前を分けたい?」


 朔が聞く。


「分けることはできます」


「外せますか」


「全部は外せません」


***


 グラドが新しい紙を出した。


「勇者候補資格の一時停止という方法があります」


 エリオが紙を見る。


「どういう意味ですか」


「特定任務中、勇者候補としての指揮権、優先通行権、武器携行義務を停止する」


「資格を外せば、勇者ではない者として参加できる?」


「王都の記録上は」


 イサラが問う。


「何のために停止するんですか」


「人影の反応条件から、勇者候補という属性を除くためです」


「除けますか」


「保証はできません」


「では、王都が紙の上で違う扱いをするだけ?」


「はい」


「人影に、勇者ではないと誤認させる意図がありますか」


 グラドは答えなかった。


「ありますね」


 イサラが言った。


「危険を減らすための偽装として」


「偽装とは限りません」


「エリオは、任務中に指揮権を使わないことはできます」


 イサラは続ける。


「剣も持たない。外套も着ない。ですが、昨日まで勇者候補だった人を、今日だけ勇者ではないと記録するなら、相手の認識を変えるための分類です」


「違法ではありません」


「正確ですか」


 グラドは紙を閉じなかった。


「任務権限の停止としては正確です」


「本人そのものの分類としては?」


「勇者候補資格は残っています」


「では、資格停止ではなく、権限不行使と書いてください」


 エリオが言った。


***


「参加する場合、勇者候補としての権限を行使しない」


 セオが書く。


「白い外套を着用しない」


「銀環は?」


 ノエが尋ねる。


「外せます」


 エリオが答える。


「剣は?」


「持たない案を検討します」


「聞かれた場合は?」


 朔が問う。


「エリオ・レイスと名乗ります」


「勇者かと聞かれたら?」


「勇者候補です、と答えます」


「殺すと言われる可能性は?」


「あります」


「それでも?」


「違う者だと嘘をついて近づくつもりはありません」


 外せる物を外す。


 外せないものを、外したとは言わない。


***


「私は、最初の再調査からエリオを外すべきだと思います」


 イサラが言った。


 エリオの目が向く。


「理由は?」


「黒い人影への接触を目的にしない調査なら、勇者候補を連れていく必要がありません」


「危険だから?」


「危険を増やす可能性があり、得られる情報が少ないからです」


「私の経路経験は?」


「ほかの者で代替できる部分があります」


「すべて?」


「すべてではありません」


「では」


「必要性が危険を上回る目的を作ってから、参加を検討します」


 イサラは、エリオを守るためとは言わなかった。


 調査の目的と、持ち込む危険を比べている。


「次に人影と話す場合は?」


 エリオが尋ねる。


「あなたがいる意味は大きくなります」


「殺すと言われた本人だから?」


「はい」


「では、その時は参加させる?」


「自動的には決めません」


 同じ言葉を返した。


***


「ノエさんは?」


 朔が尋ねた。


「エリオさんが同行すると、判断が変わりますか」


「変わります」


「参加したくない?」


「それだけでは決めません」


「何が変わる?」


「人影が現れた時、エリオさんの位置を常に確認します」


「ほかのことが見えにくくなる?」


「可能性があります」


「では、外した方が?」


 ノエはエリオを見る。


「エリオさんが必要な調査なら、確認する人を私一人にしないでください」


「怖いから?」


「はい」


「本人へ言えますか」


「今、言いました」


 エリオは頷く。


「ありがとうございます」


 謝らない。


 恐れられたことを、相手の間違いにはしない。


***


「セオさんは?」


「エリオがいれば、六年前と現在の反応条件を比較できる可能性があります」


「いなければ?」


「勇者候補がいない場合の反応を確認できます」


「どちらも情報になる」


「はい」


「同時にはできない」


「はい」


「では、順番を決める?」


「目的ごとに」


***


「マレアさんは?」


「エリオ本人の身体的危険は、通常の調査員より高いと見ます」


「殺すと言われたから?」


「それに加え、本人が知りたいという欲求を自覚しています」


「欲求があると危険?」


「撤退判断を遅らせる可能性があります」


 朔にもあった。


 ハルかもしれない影。


 名前を聞きたい欲求。


「エリオさんは、自分で戻ると言えますか」


 マレアが尋ねる。


「言います」


「答えが出る直前でも?」


「そう決めれば」


「第四章で、サクさんも同じことを決めていました」


「はい」


「実際には、帰路開始後に人影を見て止まりました」


 イサラが指摘したこと。


「決めたことだけでは、保証になりません」


「では、どうすれば?」


「エリオ以外の者が戻ると言った場合、本人の異議より先に帰る」


「前と同じです」


「エリオを止める者を、近くに置く」


「誰が?」


「次に決めます」


***


「俺は、エリオさんに来てほしいと思っています」


 朔が言った。


 全員が朔を見る。


「なぜ?」


 エリオが尋ねた。


「前回、黒い影の前で、肩書きを出さずに自分の名前を言ったからです」


「それは、必要な技能ですか」


「相手が勇者と呼んでも、自分の名前を先に置ける人がいた方がいい」


「だから、危険を受けてもらう?」


 イサラが問う。


「それだけで行かせるのは違います」


「では」


「エリオさんが、自分は怖くないと証明するためなら、来てほしくありません」


 エリオは目を逸らさない。


「知りたいからだけでも」


「はい」


「では、何が必要ですか」


「エリオさんがいなければ確かめられない目的」


「それを先に作る?」


「作るのではなく、あるか確認します」


 必要だから目的を作ってはいけない。


 目的があるから、人を選ぶ。


***


「ユイにも聞きますか」


 ノエが言った。


「なぜ?」


 グラドが尋ねる。


「黒い人影と、眠り区画の変化が関係する可能性があります」


「本人はこの会議に参加していません」


「呼びますか」


「今は、中庭移動後の確認中です」


 朔は考える。


「会議へ呼ぶのではなく、聞きたいことを伝えます」


「何を?」


「勇者候補を紙から外した場合、それを同じ人として感じるか」


「ユイに分かる?」


「分からないかもしれません」


「では」


「分からないという答えも持ち帰ります」


***


 返事は、伝達板で届いた。


 セオが読み上げる。


「ユイより。質問の意味が分からない」


 グラドが眉を寄せる。


「どの部分ですか」


 続き。


「紙から外しても、エリオはエリオ」


 部屋の空気が少し変わる。


「勇者じゃなくなるか、という意味だと伝えてください」


 グラドが言う。


 再び伝達する。


 返事。


「本人が勇者をやめるの?」


 エリオが自分で答えを送る。


「やめるとは決めていません。調査へ行く時だけ、勇者候補としての権限と装備を外す案です」


 少し間がある。


「じゃあ、勇者を外すんじゃない」


「では、何を?」


「剣と服」


 ユイの答え。


「それでも、向こうが勇者って言ったら?」


 エリオが伝える。


「分かりません」


 最後に、もう一文届いた。


「外せないものまで、外したって書かないで」


***


 グラドは、勇者候補資格一時停止の紙を脇へ置いた。


「使用しません」


「なぜ?」


 朔が尋ねる。


「今回の目的に対して、正確ではありません」


「では、何と書きますか」


 セオが記録する。


 エリオ・レイスは、勇者候補である。


 調査参加時、勇者候補としての権限を行使しない案を検討する。


 白い外套、銀環、剣を持ち込まない案を検討する。


 本人の身分を問われた場合、偽らない。


 装備を外すことが、黒い人影の認識を変えるかは未確認。


 仮参加表からの除外は、永久的な不参加決定ではない。


 調査目的ごとに、必要性と危険を再判断する。


「勇者候補を外した、とは書かない」


 セオが確認する。


「はい」


 エリオが答えた。


***


「仮参加表へ名前を戻しますか」


 グラドが尋ねた。


「今は戻さなくていいです」


 エリオが言う。


「除外を受け入れる?」


「次の調査目的が決まっていません」


「では」


「名前がないことを、私が参加できないという決定にはしないでください」


「どう書きますか」


「参加未定」


「全員と同じ?」


「理由は別に」


 仮表に、新しい行が加えられた。


 エリオ・レイス――参加未定。勇者候補への殺害予告を踏まえ、目的確定後に再審査。本人の意思確認済み。


 名前は戻った。


 役割は書かれていない。


***


 会議が終わる。


 役目を外す前に、イサラがエリオへ尋ねた。


「外されたと思いましたか」


「最初は」


「今は?」


「まだ外される可能性はあります」


「怖い?」


「はい」


「黒い人影が?」


「それも」


「ほかには?」


「必要ないと判断されることです」


 エリオは言った。


 危険だから外される。


 守るために外される。


 代替できるから外される。


 そのどれも、本人にとって同じ痛みではない。


「必要性は、役目の価値ではありません」


 イサラが言う。


「分かっています」


「分かっていても?」


「嫌なものは嫌です」


 イサラは頷いた。


「それも判断へ入れますか」


「入れすぎないようにします」


「消さずに?」


「はい」


***


 エリオは装備室へ戻った。


 銀環を額へ戻す。


 剣を腰へ。


 白い外套を羽織る。


「また着るんですね」


 朔が言う。


「午後は、治療区画の護送任務があります」


「着たくない?」


「今は、必要です」


「街の人に勇者だと思われます」


「はい」


「危険を連れてくるとも」


「はい」


「守ってくれるとも」


「はい」


 どの見方も、エリオ一人では止められない。


「苦しくないですか」


「苦しいです」


「それでも着る?」


「今日の護送では、この外套を見た警備員が道を空けます」


「負傷者を早く運べる」


「はい」


 外套が人を閉じ込めることがある。


 同じ外套が、道を開けることもある。


 どちらかだけにはできない。


***


 装備室の鏡に、白い外套の少年が映っている。


 額の銀環。


 腰の剣。


「エリオさん」


 朔が呼ぶ。


「はい」


「今は、誰ですか」


 エリオは鏡ではなく、朔を見る。


「エリオ・レイスです」


「勇者候補?」


「はい」


「外套を脱いでも?」


「はい」


「参加表から外れても?」


「はい」


「本人がやめると決めたら?」


 エリオは少し考えた。


「王都の資格は外せます」


「勇者ではなくなる?」


「私を勇者として覚えている人からは、すぐには」


「黒い影からも?」


「分かりません」


 役目は、自分の手だけでは外せない。


 だからといって、自分の選択がなくなるわけではない。


***


 治療区画へ向かう途中、先ほどの親子ともう一度すれ違った。


 子どもはエリオの白い外套を見る。


 母親は今度も少し距離を取った。


「勇者様」


 子どもが呼ぶ。


 エリオは止まる。


「エリオ・レイスです」


「知ってる」


 子どもは答えた。


「勇者のエリオ」


 エリオは訂正しなかった。


 肯定もしない。


「手は、もう痛くありませんか」


 包帯を見て尋ねる。


「少し」


「治療官の言う通りにしてください」


「ヴァルハが来たら?」


 母親の手が、子どもの肩へ伸びる。


 エリオは安心できるとは言わない。


「近づかず、大人へ伝えてください」


「エリオが倒す?」


「まだ、戦うとは決まっていません」


「怖い?」


「はい」


 子どもは目を丸くする。


「勇者なのに?」


「勇者候補でも、怖いです」


「逃げる?」


「必要なら、戻ります」


 子どもは少し考えた。


「戻ってから、また来る?」


「戻れたら」


 嘘はつかなかった。


***


 親子と別れたあと、朔は尋ねた。


「勇者と呼ばれて、嫌でしたか」


「少し」


「名前を言い直したのに」


「相手は、私を知っていました」


「では、どうしますか」


「呼び方を命令はしません」


「全部受け入れる?」


「いいえ」


「では」


「その呼び方で、私に何をさせようとしているかを聞きます」


 勇者だから戦え。


 勇者だから安心させろ。


 勇者だから怖がるな。


 名前の後ろへ、期待が続く。


 呼ばれ方そのものを消せなくても、続く命令には答えを選べる。


***


 その日の仮参加表には、最後までエリオの役割が書かれなかった。


 名前だけ。


 参加未定。


 再審査。


 外されたわけではない。


 入ったわけでもない。


 決めるべき目的が、まだなかった。


 勇者を紙から外しても、黒い人影の目から外れるとは限らない。


 外套を脱いでも、街の記憶からは外れない。


 本人が名前を先に置いても、相手が肩書きを先に見ることは止められない。


 それでも、外せるものはあった。


 白い外套。


 銀環。


 剣。


 指揮権。


 勇気を証明しようとする必要。


 知りたいという欲求だけで進む判断。


 勇者を外せないなら、勇者のまま何をしないかを選ぶ。


 次の調査で必要なのは、役目を捨てたふりをする者ではなかった。


 役目が残っていることを隠さず、それでも剣を先に置かない者たちだった。

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