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第五章 勇者の名前 ② 勇者候補第一位



 正門の鐘が三度目に鳴った時、東方巡礼隊が王都へ入った。


 先頭に旗はなかった。


 泥に汚れた荷車。


 片方の車輪を縄で補強している。


 歩いて戻った者は十二人。


 荷車に横たわる者が三人。


 白い布を掛けられた者が一人。


 歓声は、隊列の形を見て一度小さくなった。


 それでも、門の奥から名を呼ぶ声が上がる。


「イサラ様!」


「第一位が帰った!」


「勇者様!」


 隊列の中央にいた女性が、右手を上げた。


 歓声へ応えたのではない。


「道を空けてください」


 よく通る声だった。


「治療区画へ運びます。話は、そのあとです」


 人々が左右へ分かれる。


 銀色の縁取りがある白い外套。


 肩に固定された長剣。


 赤茶色の髪を後ろで束ねている。


 頬には、乾いた血の跡が一本残っていた。


 本人の血かは分からない。


 女性は荷車の横を歩き、自分より先に負傷者を門の内側へ通した。


 最後の荷車が治療区画へ向かってから、ようやく立ち止まる。


「ヴァルハを倒してください!」


 群衆の中から声が飛んだ。


「勇者殺しを!」


 女性は、声の方向を見た。


「私は、まだその者を見ていません」


 歓声が止まる。


「何をした者なのか、確認もしていません」


「でも、勇者を殺すって――」


「殺すと言ったことは聞いています」


 否定しない。


「だから備えます。ですが、聞いた話だけで、今日ここから誰かを殺しに行くとは約束しません」


 安心を求めた人々へ、安心する言葉は渡さなかった。


 それでも、見ないふりもしなかった。


「帰還報告のあと、記録を確認します」


 女性はそう言い、白い塔へ向かって歩き始めた。


***


 朔は、内塔外縁の渡り廊下からその姿を見ていた。


 塔の外へ出たわけではない。


 移動条件に含まれる場所から、門と治療棟の一部が見える。


 隣にはエリオがいた。


「イサラ・ベルンです」


 エリオが言う。


「第一位?」


「はい」


「強い人ですか」


「私より、多くの巡礼任務を終えています」


「それは、強さですか」


 エリオは少し考えた。


「帰ってきた回数です」


 任務へ出た回数ではない。


「失敗したことは?」


「あります」


「知っている?」


「本人から聞いたこともあります」


 エリオは、門から歩いてくるイサラを見ている。


 尊敬している。


 それだけではないように見えた。


「仲がいいんですか」


「比較されることは多いです」


「答えになっていますか」


「なっていませんね」


 エリオはわずかに笑う。


「互いに、判断を任せられる相手だと思っています。ただし、同じ判断をするとは限りません」


***


 帰還報告は、日が傾くまで続いた。


 東方巡礼隊が持ち帰ったもの。


 破損した道標。


 黒く変色した殻の破片。


 戻らなかった者の名前。


 負傷者の状態。


 判断を下した者。


 撤退を決めた時刻。


 イサラは、歓声へ応えるより先に、それらを記録へ渡した。


 朔たちとの面談が始まったのは、夕食の時間を少し過ぎてからだった。


***


 場所は塔下審査室ではなかった。


 外郭寄りの小さな会議室。


 窓があり、外の灯りが見える。


 中央には長机。


 椅子は同じ形で、上座はない。


 同席するのは、


 朔。


 エリオ。


 セオ。


 ノエ。


 そして、イサラ。


 扉の外には、マレアがいる。


 必要になれば身体を確認するが、面談そのものには入らない。


 イサラは白い外套を脱がなかった。


 剣も腰にある。


 ただし、机から最も離れた壁へ立てかけた。


「勇者候補第一位、イサラ・ベルンです」


 肩書き。


 順位。


 名前。


 エリオとは逆だった。


「黒川朔です。ツヅリ村では、サクと呼ばれています」


「どちらで呼べば?」


「今は、サクで」


「分かりました」


 イサラは席へ座る。


 頬の血は拭われていた。


 代わりに、左眉の上に浅い傷が見えた。


「先に聞きます」


 朔が言う。


「どうして肩書きを先に名乗るんですか」


 セオの筆が、まだ紙へ触れていない。


 イサラはエリオを見る。


「エリオから、あなたがその順番を問うと聞いていました」


「答えを考えてきた?」


「帰り道で」


「では」


「私がここで発言すると、勇者候補第一位の意見として扱われます」


 イサラは答えた。


「本人が望まなくても?」


「はい」


「名前だけで話しても?」


「私の顔を知る者には、肩書きが先に見えています」


 門の群衆。


 白い外套。


 銀の縁。


「なら、隠さない方がいいと思っています」


「肩書きを?」


「私の言葉が、どの権限を動かす可能性があるかを」


 誇るためではない。


 自分の言葉を、ただの個人的な意見に見せないため。


「名前を後ろへ置くことにはなりませんか」


「なります」


 イサラは否定しなかった。


「それでも?」


「判断の責任を引き受ける場では、先に役目を示します」


「終わったら外せますか」


「この会議が終われば、ここでの役目は終わります」


「第一位は?」


「残ります」


「他人の目からも?」


「残ります」


 イサラは白い外套の袖を見る。


「だから、外せる役目と、外しても残る役目を、同じようには扱いません」


***


 セオが第四章最後の記録を読み上げた。


 黒い道の向こうに、人に見える影が現れた。


 朔、ノエ、エリオ、セオの四人が目撃。


 影は、


「勇者は、来るな」


「次に来た勇者は、殺す」


 と発言。


 その後、朔をサクと呼んだ。


 黒い線を越えず、攻撃行動も確認されていない。


 こちらも線を越えず、武器を使用せず、帰還時刻に合わせて撤退。


 本人の名前は未確認。


 原板余白の「ヴァルハ」との関係も未確認。


「帰った理由は?」


 イサラが聞いた。


「約束の時刻だったからです」


 朔が答える。


「人影が現れる前から?」


「帰り始める時刻に入っていました」


「あと、どれほど残っていましたか」


「内塔連絡所へ戻るまでに必要な分を除けば、ほとんどありません」


「影が現れなければ、予定どおり帰った?」


「はい」


「影が現れたから、少し止まった?」


「はい」


「止まったことは、約束を破ったことになりますか」


 朔は考える。


「帰還時刻には間に合いました」


「質問は、間に合ったかではありません」


「では」


「帰路へ移ると決めたあと、目的外の観察を増やした?」


「増やしました」


「誰が決めましたか」


「最初に影を見た俺が止まると言いました」


「同行者は?」


「異議を言いませんでした」


「記録には?」


 セオが答える。


「朔が停止を求め、全員が人影を確認。帰還可能時刻内で短時間留まった、とあります」


「短時間とは?」


「砂の目盛り一つ未満」


「では、時刻を守ったことと、帰路開始後に目的外の停止をしたことは、両方残る」


「はい」


 イサラは責めなかった。


 守れた部分だけを褒めもしない。


***


「なぜ、名前を聞かなかったんですか」


 イサラが尋ねる。


「帰る時刻だったからです」


「一つの問いだけでも?」


「一つで終わるとは限りません」


「本人が答えるだけなら?」


「答えを聞けば、次の問いが出ます」


「我慢できなかった?」


「できないと思いました」


 朔は正直に答えた。


「ハルかもしれないと思っていました」


「青い布の持ち主」


「はい」


「影は、あなたをサクと呼んだ」


「はい」


「それでも、ハルとは呼ばなかった」


「はい」


「私は、その判断を間違いだとは言いません」


 イサラは言った。


「正しかったとも?」


「まだ言いません」


「では」


「その場で何を守ったかは分かります」


「帰還時刻と、間違った名前を押しつけないこと」


「はい」


 イサラは机へ指を置く。


「では、何を失った可能性がありますか」


 朔は答えなかった。


「影が次も現れるとは限りません」


 イサラが続ける。


「黒い道が同じ状態を保つとも限らない。影が本当にハルなら、次まで生きているとも限らない」


「分かっています」


「名前を聞けば助けられたとは言いません」


「はい」


「でも、聞かなかったことにも代償がある」


「はい」


 空白を守った。


 その空白の中で、待つ者がいる。


***


「戻ったから、次に問える可能性が残りました」


 エリオが言う。


「残りました」


 イサラは認める。


「戻らなければ、問いを持ち帰る者もいなかった」


「はい」


「なら」


「だから正しい、とは続けません」


 エリオの言葉を遮ったのではない。


 続きの方向を変えた。


「戻ることには価値があります。待つことにも。空白を残すことにも」


 イサラは朔を見る。


「価値があることと、代償がないことは同じではありません」


***


「イサラさんは、待たなかったことで失敗したことはありますか」


 朔が聞いた。


「あります」


「待ったことで?」


「あります」


「どちらが多い?」


「数えていません」


「なぜ?」


「多い方を避ければ正しい判断になるわけではないからです」


 イサラは外套の内側へ手を入れた。


 小さく折った布を取り出す。


 白い布。


 端に、四つの名前が縫われている。


「何ですか」


「東のレナ橋で、救助を待たせた四人です」


「待たせた?」


「橋の支柱が黒く変色していました。渡れば崩れる可能性がある。迂回路を確認するまで、対岸で待つよう命じました」


「確認には?」


「半刻」


「その間に?」


「上流の堰が壊れました」


 水。


 橋。


 対岸で待つ四人。


「全員、流されました」


 イサラは布を机へ置かなかった。


 手の中に持っている。


「名前を聞いても?」


「今は、渡しません」


「なぜ」


「この話を理解するために、四人の名前まで持つ必要はないからです」


 名前を見せびらかさない。


 自分の判断を重く見せるための道具にも使わない。


「命令したのは、イサラさん?」


「はい」


「迂回を確認した人は?」


「別の斥候です」


「堰が壊れると知っていた人は?」


「いませんでした」


「では、イサラさんが殺したわけでは」


「そう言ってくれる人はいます」


「違うと思いますか」


「私が水を流したわけではありません」


 イサラは答えた。


「ですが、待つ場所を決めたのは私です」


 自分の責任へ、世界のすべてを入れない。


 だが、自分が選んだ部分も外さない。


「急いで橋を渡らせたら?」


「橋が崩れたかもしれません」


「では、正解は?」


「今も分かりません」


***


「そのあと、急ぐようになったんですか」


 朔が尋ねる。


「以前より、待つ時に何が起きるかを見るようになりました」


「待たないのではなく?」


「待つ間も、何もしない時間ではありません」


「具体的には?」


「別の道を探す。水位を見る。対岸へ道具を渡す。待つ者に、何を待っているか伝える。判断する時刻を決める」


 ただ止めるのではない。


 待つ時間の中へ、行動を置く。


「黒い人影についても?」


「討伐を待つなら、その間に何をするか決めます」


「討伐を前提に?」


「前提にはしません」


「では」


「再調査。六年前の行方不明者の確認。勇者候補への接近条件の見直し。市民へ伝える情報の修正」


「もう決めていますね」


「案です」


「第一位の案」


「はい」


 役目を先に名乗った理由。


 彼女の案は、人を動かす可能性がある。


***


「私は、黒い人影を敵だと決めていません」


 イサラが言う。


「でも、殺せる相手として備える?」


「殺すと言った者を、殺せない者として扱う理由はありません」


「武器を持っているかは確認されていません」


「武器がなくても、人は殺せます」


 朔は、イサラの腰の剣を見る。


「戦うつもりですか」


「必要なら」


「何を必要としますか」


「こちらへ線を越えて攻撃する。退路を断つ。誰かの生命へ、止めなければならない危険を与える」


「殺すと言っただけでは?」


「備えますが、剣は抜きません」


「エリオさんと同じ?」


「条件は近いです」


「では、違うところは?」


「私は、抜く条件を先に曖昧にしません」


 イサラはエリオを見る。


「エリオは、相手の事情を聞く時間を長く取るでしょう」


「否定しません」


 エリオが答える。


「私は、相手が動いた瞬間に、聞く時間が終わる場合があると考えます」


「動いただけで?」


 朔が問う。


「どの動きかによります」


「その場で決める?」


「決めます」


「一人で?」


「剣を抜く瞬間は、最後には一人です」


 共同で決めても、腕を動かすのは一人。


 その現実から逃げない。


「だから、先に条件を共有します」


 イサラは続けた。


「同行者が、私を止める条件も」


「止められますか」


「止める者を、先に決めるなら」


 朔の身体技術。


 エリオの封。


 ノエの記録。


 まだ形にはなっていない。


 だが、イサラは自分だけを例外にしようとはしなかった。


***


「今日、門でヴァルハを倒してほしいと言われました」


 イサラが言う。


「聞きました」


「断ったように見えましたか」


「今すぐ殺しに行くとは約束しない、と」


「倒さないとも言っていません」


「はい」


「なぜだと思いますか」


「まだ決めていないから?」


「それもあります」


「ほかには?」


「倒す必要が出る可能性を、安心させるために消したくない?」


 イサラは頷く。


「私は、街へ『大丈夫です』とは言えません」


「怖がらせることになります」


「はい」


「勇者候補第一位なのに?」


「第一位だからです」


 安心を演じれば、群衆は静かになるかもしれない。


 だが、次に危険が起きた時、その言葉が誰かを遅らせる。


「勇者って、安心させる人ではないんですか」


 朔が聞いた。


「安心できない時に、安心できないと伝えることもあります」


***


 ノエが扉の近くで姿勢を変えた。


 会議が始まってから、ほとんど口を開いていない。


「ノエさんは、人影を見ましたね」


 イサラが聞く。


「はい」


「攻撃されると感じましたか」


「分かりません」


「剣を持っていた?」


「見えませんでした」


「殺すという言葉は?」


「全員に同じ内容として聞こえました」


「サクと呼んだ時は?」


「同じです」


「声の年齢は?」


「子どものようにも聞こえましたが、道の振動が重なっていました」


「恐怖は?」


 ノエは少し考えた。


「ありました」


「何が怖かったですか」


「人影が線を越えることより、サクさんが名前を呼ぶことです」


 朔はノエを見る。


「俺が?」


「はい」


「止めるつもりでしたか」


「腕をつかむつもりでした」


 以前、次は先に腕をつかむと言った。


「実際には?」


「呼ばなかったため、つかみませんでした」


「次も、同じですか」


「次に決めます」


 イサラの口元が少し緩む。


「その言い方は、誰から?」


「何人かです」


***


「再調査を提案します」


 イサラが言った。


 すぐに日付は示さない。


「目的は?」


 朔が聞く。


「第一に、黒い人影が勇者候補以外へも同じ警告をするか確認する」


「人を試験に使う?」


「その言い方になる危険があります」


「では」


「同行者の構成を変えた時、反応が変わるかを見る」


「勇者候補を外す?」


「案の一つです」


 エリオの表情は変わらない。


「第二に、六年前に戻らなかった者の痕跡を、線の手前から探す」


「越えない?」


「現段階では」


「第三は?」


「人影が現れた場合、ヴァルハという呼称が本人のものか確認する」


「名前を聞く?」


「先に、違う名前を押しつけている可能性を除きます」


「一度に三つあります」


「分けるべきだと思いますか」


「はい」


「では、分けます」


 イサラは反論しなかった。


「最初にするべきことは?」


 朔は考える。


 黒い道へ行く前。


 六年前に戻らなかった者。


「家族の話を聞くことだと思います」


「なぜ?」


「俺たちは、空白を残しています」


「はい」


「その空白を待っている人が、何を求めているか聞いていません」


 イサラは、手の中の白い布をしまう。


「私も、そう考えています」


「もう会う予定を?」


「帰還前に、ラグ・テインの妹から書状を受け取っています」


「何と?」


「黒い道へ行った者が戻ったなら、兄を置いて帰った理由を聞きたい、と」


 朔の胸が重くなる。


「俺に?」


「あなた個人だけではありません」


「でも、俺も行った」


「はい」


「戻った」


「はい」


「会います」


 朔は答えた。


「何を言われても?」


「会う前には決めません」


「あなたの空白を責められるかもしれません」


「はい」


「ハルのことも問われるかもしれない」


「はい」


 イサラは朔を見た。


「私は同席します」


「守るため?」


「私の判断も問われるからです」


「まだ、何も決めていません」


「第一位が戻れば何とかなる、と街が言いました」


 門で聞いた声。


「私が何も言わなくても、すでに判断する者として置かれています」


「それを嫌だと言えますか」


「言えます」


「言いますか」


「今は言いません」


「なぜ」


「期待されたことと、従うことは別です」


 イサラは言った。


「ですが、期待が存在することまで、私の都合で消したことにはしません」


***


 会議が終わる前に、エリオが尋ねた。


「私が、名前を先に名乗るようになったことを、どう思いますか」


 イサラは少しだけ目を細めた。


「あなたらしいと思います」


「以前は?」


「教えられた順番を、正確に守る人でした」


「今は守っていない?」


「別の順番を、自分で選んでいます」


「イサラは変えない?」


「判断する場所では」


「判断しない場所なら?」


 イサラは白い外套を見る。


「この服を脱いでから考えます」


「役目を外せると?」


「外せない場所があるから、外せる場所を作る必要があります」


 エリオは頷いた。


「同意します」


「珍しいですね」


「何がですか」


「あなたが私の意見に、すぐ同意するのは」


「今まで言わなかっただけです」


 二人の間には、朔が知らない時間がある。


 順位だけではない。


***


 イサラは席を立った。


 剣を腰へ戻す。


「次の面談では、私は第一位としてではなく、東方巡礼隊から帰還した一人として話します」


「肩書きを先に言わない?」


 朔が聞く。


「家族は、私の肩書きを知っています」


「では、隠せない」


「はい」


「それでも?」


「最初に、イサラ・ベルンと名乗ります」


「なぜ変えるんですか」


「家族の話を聞く場で、私の権限を先に置く必要はないからです」


 同じ人物。


 同じ肩書き。


 場所によって、名乗る順番を変える。


 どちらかが本当ではない。


 何をしに来たかで、先に渡すものを選んでいる。


***


 廊下へ出ると、窓の外から声が聞こえた。


「イサラ様が戻った」


「ヴァルハの討伐が始まるらしい」


「東の隊を休ませてからだろう」


 誰も、イサラ本人へ確認していない。


 会議室で決まったのは、家族へ会うことだけだった。


 だが、街ではすでに、次の戦いが始まっている。


 イサラは足を止めなかった。


「訂正しないんですか」


 朔が聞く。


「今、あの声の人へ一人ずつ?」


「できませんね」


「はい」


「では、どうするんですか」


「明日の帰還報告で、討伐は決定していないと公に伝えます」


「それで止まる?」


「止まらないでしょう」


「意味がありますか」


「私の言葉として残ります」


 記録と同じだった。


 噂を消すことはできない。


 だが、どこで違う言葉が出たかは残せる。


***


 曲がり角で、イサラが振り返った。


「サク」


「はい」


「空白を残すことを、やめる必要はありません」


「でも?」


「空白の間に、誰が待つかを見てください」


「はい」


「待たせるなら、何を待っているのか伝えてください」


「はい」


「次に決める時刻も」


 レナ橋。


 対岸に残った四人。


 待つ理由を伝えられたかは聞かなかった。


 今は、イサラの言葉だけを受け取る。


「イサラさんは、早く決めれば正しいと思っていますか」


「いいえ」


「では、何を恐れていますか」


 イサラは少し考えた。


「決めるのを待っている間に、守るはずだった人の名前だけが残ることです」


 その言葉は、声を強くしなくても重かった。


「サクは?」


 問いが返る。


「急いで決めた答えで、別の人にされることです」


「どちらも起きる可能性があります」


「はい」


「だから、次は一緒に見ます」


 同じ答えを選ぶとは言わなかった。


 イサラは治療区画へ向かう。


 東方巡礼隊の負傷者を、自分の目で確認するために。


***


 勇者候補第一位は、正しい答えを持って帰ってきた人ではなかった。


 待った結果を覚えている人だった。


 急いだ結果も。


 自分の判断で助かった者だけでなく、待たせたまま戻らなかった者の名前も持っている。


 だから急ぐ。


 だから、急げばよいとは言わない。


 彼女は役目を先に名乗った。


 役目に閉じ込められていることを隠さないために。


 その役目が人を動かす力を持つことを、自分の名前から切り離さないために。


 窓の外では、まだ見ぬ戦いの噂が歩いていた。


 会議室に残ったのは、討伐の命令ではない。


 帰らなかった者を待つ人へ、まず会いに行くという、一つの予定だけだった。

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