第五章 勇者の名前 ③ 帰らなかった者の家
ラグ・テインの家は、白い塔の中にはなかった。
塔下第二居住区。
管理局の職員や、その家族が暮らす区域だった。
王都の外ではない。
だが、朔に認められている移動範囲からは外れている。
今回だけの通行許可が作られた。
目的は、
六年前の巡礼路調査で帰還しなかったラグ・テインの家族から、現在求めている情報と今後の連絡方法を聞くこと。
黒い道の再調査ではない。
ヴァルハという語の由来を調べるためでもない。
家族を、調査の材料にしない。
***
同行するのは、朔とイサラだけだった。
セオは居住区の入口まで。
家族は、管理局の記録員を家へ入れたくないと伝えていた。
「話したことを、記録しないという意味ですか」
朔が尋ねる。
「その場では記録しない、という希望です」
セオが答えた。
「帰ったあと、私たちが覚えている内容を文章にして、家族へ確認してもらいます」
イサラが補足する。
「家族が違うと言えば?」
「直します」
「残したくないと言えば?」
「その部分は、管理局内の共有記録には入れません」
「俺たちの記憶からは消せない」
「はい」
「それも伝えていますか」
「伝えました」
完全に聞かなかったことにはできない。
だから、聞く前に範囲を決める。
***
イサラは白い外套を着ていなかった。
濃い灰色の上着。
銀環も外している。
剣だけは腰にあった。
「家族は、イサラさんが勇者候補第一位だと知っています」
朔が言った。
「はい」
「外套を外す意味は?」
「今日は、管理局の権限を示す必要がありません」
「剣は?」
「居住区の規則上、巡礼任務に就く者は携行します」
「家へも持って入る?」
イサラは答える前に、ラグの家の扉を見た。
「先に聞きます」
***
家は、パン焼き場と繋がっていた。
低い煙突。
壁際に積まれた薪。
扉の隙間から、焼けた麦の匂いが流れてくる。
白い塔の影の下にも、朝のパンを焼く家がある。
イサラが扉を叩いた。
「イサラ・ベルンです」
肩書きを先に言わない。
「黒川朔です。サクと呼ばれています」
中から、女性の声がした。
「どうぞ」
扉を開けた女性の袖には、白い粉が付いていた。
二十代の終わりほど。
濃い茶色の髪を、首の後ろで短く結んでいる。
「リサ・テインです」
一度、言葉を切る。
「ラグ・テインの妹です」
名前が先。
関係が後だった。
「剣は、外へ置いてもらえますか」
リサが言った。
「はい」
イサラは理由を問わなかった。
鞘ごと腰から外し、扉横の木箱へ置く。
赤い封はない。
通常任務の装備。
「盗まれる可能性は?」
朔が小声で聞いた。
「ここで盗まれた場合、家族の責任にはしません」
イサラは答え、家へ入った。
***
室内には、丸い机が一つ。
椅子は四脚あった。
一脚だけ、座面が新しい板へ替えられている。
壁には勇者候補の賞状も、白い外套も飾られていない。
棚には粉袋。
乾燥させた果実。
欠けた皿。
普通の家だった。
奥では、年配の女性がパン生地を分けている。
「母のモナです」
リサが紹介する。
モナは手を止めなかった。
「モナ・テインです」
「イサラ・ベルンです」
「知っています」
モナは答えた。
「サクです」
「あなたも、知っています」
どの記録から知ったのか。
朔は今は問わなかった。
「座ってください。焼いている途中なので、手は洗いません」
「そのままで大丈夫です」
イサラが言う。
***
リサは朔の向かいへ座った。
茶は出さなかった。
出す気がないのではない。
火にかけられた湯が、まだ沸いていなかった。
「最初に聞きます」
リサが言った。
「どうして兄を置いて帰ったんですか」
用意していた挨拶はなかった。
朔はリサを見る。
「俺は、六年前の調査にはいませんでした」
「知っています」
「では」
「あなたは、兄が帰らなかった場所まで行って、帰ってきました」
「黒い線の手前までです」
「兄も、そこへ行った」
「はい」
「あなたは帰ることを選んだ」
「はい」
「だから聞いています」
リサの声は大きくない。
「人は、あの場所で何を見たら、帰ると決められるんですか」
***
朔は、黒い道の床を思い出す。
三重の横線。
届かない灯り。
黒い影。
青い布の温度。
「行く前に、越えないと決めていました」
「何を見ても?」
「人影が現れた場合も、黒い線は越えないと」
「助けてと言われても?」
「その場合も、まず戻って方法を作ると決めました」
「間に合わないかもしれなくても?」
「はい」
「兄が見えても?」
朔はすぐには答えなかった。
「決めた通りにできたかは、分かりません」
「さっきは越えないと決めていたと言いました」
「決めたことと、実際に守れたかは別です」
「兄が助けを求めていたら、越えたかもしれない?」
「可能性はあります」
「では、帰った理由は、誰も見えなかったから?」
「それもあります」
「それだけ?」
「帰還時刻が来ていました」
リサの眉が動く。
「時刻」
「外で待つ人と、戻る時刻を決めていました」
「兄より、時刻が大事だった?」
イサラは口を挟まない。
朔が答えるのを待っている。
「ラグさんがそこにいると、確認できていませんでした」
「いたら?」
「今、いた場合の答えを作っても、本当にその場でできたとは言えません」
「分からない」
「はい」
「あなたは、分からないと言うために来たんですか」
「分からないことを、分かったふりをしないために来ました」
リサの指が、机の縁を強く押した。
「それで待つ人が楽になると思いますか」
「思いません」
***
湯が沸いた。
モナが火から下ろす。
古い金属の取っ手が鳴った。
「お茶を飲みますか」
モナが尋ねた。
話を止めるためではない。
沸いたから聞いただけだった。
「いただきます」
イサラが答える。
朔も頷く。
モナは四つの杯へ注いだ。
一つだけ、持ち手を別の木で補修している。
その杯を、リサの前へ置く。
誰かのために空けた席はなかった。
***
リサは棚から三枚の紙を持ってきた。
端が擦れている。
「最初に来た通知です」
一枚目。
巡礼路調査中に所在不明。生死未確認。
「二年後」
二枚目。
巡礼妨害反応との接触による喪失の可能性。
「三日前」
三枚目は管理局の文書ではなかった。
北門近くで配られた、手書きの注意紙。
勇者殺しヴァルハに注意。六年前の勇者候補三名も犠牲となった可能性あり。
「どれが本当ですか」
リサが尋ねた。
「最初の紙にある、所在不明と生死未確認です」
朔は答えた。
「二枚目は?」
「巡礼妨害反応という分類が、何を指すか確認できていません」
「兄が何かに襲われた可能性は?」
「あります」
「三枚目」
「ヴァルハという言葉が、黒い人影の本人名であることは確認されていません」
「兄を殺した?」
「確認されていません」
「殺していない?」
「それも確認されていません」
リサは三枚の紙を重ねる。
「六年経って、最初の紙から進んでいない」
「はい」
「それなのに、外では殺した相手の名前まで決まっている」
「はい」
「おかしいと思いませんか」
「思います」
「なら、どうして止められないんですか」
「言葉が広がる方が、調査より速いからです」
答えになっていない。
だが、それが現状だった。
***
「ヴァルハを討伐するんですか」
リサがイサラへ尋ねた。
「決まっていません」
「あなたが戻ったから、始まると聞きました」
「私は約束していません」
「でも、否定もしなかった」
「今日ここから殺しに行くとは約束しない、と公に伝えました」
「倒さないとは?」
「言っていません」
「なぜですか」
「必要になる可能性を、確認前に消さないためです」
リサはイサラを見た。
「兄を殺した相手なら?」
「止める必要があるかもしれません」
「殺しますか」
「ほかの方法で止められず、誰かの命を守るために必要なら」
「兄の敵を取るためでは?」
「それだけを理由にはしません」
リサは少し目を伏せた。
「取ってほしいと思う人もいます」
「リサさんは?」
「分かりません」
初めて、リサがその言葉を使った。
***
「私は、討伐してほしくありません」
生地を分けていたモナが言った。
手は動いたまま。
「お母さん」
「ラグが殺されたと確認されたなら、その時に考えます」
「今だって、そうかもしれない」
「そうかもしれないだけで、あの子を死んだ勇者にしないで」
モナは丸めた生地を板へ並べる。
「ラグは勇者候補でした」
イサラが言う。
「知っています」
「その役目を否定しますか」
「いいえ」
モナは答えた。
「あの子が自分で選びました」
「では」
「勇者だったことだけにしないでください」
部屋の奥。
薪の近くに、短い刃物があった。
リサが焼けたパンを切るために使っている。
握りには、白い紐が巻かれていた。
朔が見たことに、モナが気づく。
「ラグのです」
「武器?」
「パンへ切れ目を入れる刃です」
モナは言った。
「あの子は、巡礼へ出る朝も、先に二十個へ切れ目を入れてから出ました」
形見とは言わなかった。
「今も使っているんですね」
「家の道具ですから」
「返ってきたら?」
「返しません」
モナの口元が少しだけ動く。
「六年分、働いてもらっています」
リサが、初めて息を漏らした。
笑いかけて、すぐには笑わなかった。
***
「私は、兄が死んだと書いてほしいわけではありません」
リサが言う。
「はい」
「でも、空白のままでいいとも思っていません」
「はい」
「あなたたちは、空白を残せば、間違ったことを書かずに済む」
リサは三枚の紙へ手を置いた。
「空白を残すことで救われるのは、探している人じゃない。待たせている人でしょう」
朔は否定しなかった。
「毎朝、まだ分からないって紙を読む人のこと、考えましたか」
「十分には」
「六年間です」
「はい」
「兄が帰るかもしれないから、部屋をそのままにしたと思いますか」
「分かりません」
「してません」
リサは答えた。
「寝台は捨てました。服は着られる人へ渡しました。靴は父が使って、もう駄目になりました」
家は止まっていない。
「待っている人は、何もしないで立っているわけじゃない」
イサラが静かに言った。
「知ってるみたいに言わないでください」
リサの声が硬くなる。
「はい」
イサラは受け止めた。
「私は、あなたの六年を知りません」
「では」
「今、聞いています」
***
モナが焼き上がったパンを取り出す。
焦げた麦の匂いが強くなる。
「空白は、残してください」
モナが言った。
リサが母を見る。
「お母さん」
「死んだと決めないでほしい」
「でも、このまま?」
「このままにしろとは言っていない」
モナは熱い鉄板を台へ置く。
「空白の横に、次にすることを書いてください」
朔は顔を上げた。
「次にすること?」
「何も分からないなら、何を調べるのか。いつ知らせるのか。誰が来るのか」
「新しい情報がなくても?」
「何も分からなかった、と知らせてください」
リサが言う。
「待っている側は、忘れられたのか、調べているのかも分からない」
空白。
それ自体が嘘ではない。
だが、空白だけを渡せば、何もしていない時間と見分けがつかない。
***
「ここで、次の報告時刻を決めてもいいですか」
イサラが尋ねた。
「討伐の日ですか」
「違います」
「では」
「六年前の記録と生存者証言を、家族へ開示できる範囲で整理します。三日後の日暮れまでに、判明したことと、判明しなかったことを報告します」
「再調査は?」
「その時点では、まだ決定しません」
「遅い」
リサが言った。
「はい」
イサラは認める。
「ですが、今日ここで日付だけ決めて道へ入れば、家族が何を求めているかを聞いたことが形だけになります」
「三日後に、また待てと言うかもしれない」
「あります」
「その時は?」
「次に何を待つのか、誰の判断で、いつまでかを伝えます」
「できなかったら?」
「できなかったことを、私の名前で伝えます」
「第一位として?」
「報告を動かす責任は、勇者候補第一位として」
イサラは言葉を続ける。
「内容を間違えた責任は、イサラ・ベルンとして負います」
肩書きと名前を、分けない。
同じにもまとめない。
***
「サクさんは、何をするんですか」
リサが尋ねた。
「俺が黒い道で見たことを、見たことだけに分けます」
「兄を探す?」
「次に道へ行くなら、ラグさんの痕跡を探す目的を、ほかの目的と分けるよう求めます」
「求めるだけ?」
「俺一人では決められません」
「決められないことが多いですね」
「はい」
「それで、何ができるんですか」
朔は考える。
「ラグさんを、黒い影に殺された勇者として持っていかないこと」
「それだけ?」
「それから、何を探せばラグさんだと確かめられるか、家族に聞くこと」
リサの目が変わる。
「名前だけでは足りない?」
「声は真似されます。名前も知られている可能性があります」
「では、何が必要ですか」
「身体の特徴。本人しか知らないこと。ただし、問いかけに使えば向こうへ渡ります」
「全部は言わない方がいい?」
「はい」
「何を持っていくか、先に範囲を決めます」
***
リサは、すぐには答えなかった。
モナを見る。
二人の間で、短い言葉が交わされる。
朔には聞こえない声。
聞こうとしなかった。
やがて、リサが三つだけ言った。
「兄は、左の前腕に焼けた跡があります」
「形は?」
「細い月みたいな形。ここの窯で、小さい時につけた」
「記録していいですか」
「家族確認用の識別情報として。街には出さないでください」
「はい」
「右手の薬指が、最後まで曲がりません」
「理由は?」
「訓練で折って、治り方が悪かった」
「三つ目は?」
リサは迷った。
「今は二つでいいです」
朔が言う。
「多い方が確認しやすいのでは?」
「持っていく情報が増えるほど、相手へ渡る情報も増えます」
「では、二つ」
「名前は?」
「持っていってください」
リサは言った。
「でも、呼ばないで」
「ラグさんらしい人が見えても?」
「先に、何と呼べばいいか聞いてください」
「答えなければ?」
「ラグだと決めないで」
リサは自分で言い、唇を強く結んだ。
会いたい。
それでも、違う人へ兄の名前を押しつけない。
「分かりました」
「兄の名前を、戻らなかった勇者候補三人って束にも入れないでください」
「はい」
「ラグ・テインとして」
「持ちます」
***
「私からもあります」
モナが言う。
「何ですか」
「ラグの名前を、討伐の理由に使わないでください」
「殺されたと確認されても?」
イサラが聞く。
「その時は、私たちに聞いてください」
「危険が続いていて、すぐ止める必要がある場合は?」
「止めることまで待てとは言いません」
モナは答えた。
「でも、息子のためだと勝手に言わないで」
復讐と防御。
同じ剣でも、理由が違う。
「記録してよいですか」
「はい」
「モナ・テインの希望として」
「家族全員の希望ではありません」
モナはリサを見る。
「私の希望です」
「分けて残します」
リサは否定しなかった。
「私は、兄を殺した相手がいるなら知りたい」
「リサ・テインの希望として」
「はい」
二人は同じ家で待っている。
同じ答えを求めているわけではなかった。
***
「イサラさんなら、六年前、兄を助けに行きましたか」
リサが尋ねた。
イサラはすぐに答えない。
「当時の記録だけでは、判断できません」
「今なら?」
「今の私が、その場にいたとしても、越えたとは言えません」
「第一位でも?」
「第一位だから、戻れない道へ全員を進ませてよいとは思いません」
「では、兄は置いていかれる」
「可能性はあります」
「よく、そんなことを言えますね」
「助けたと嘘をつくよりは」
リサはイサラを見続ける。
「でも、何もしない?」
「いいえ」
「何をしますか」
「線の手前から、身体、声、装備、流れを分けて探します。戻る時刻を決めます。越える条件と、越えない場合に次に何をするかを先に決めます」
「それでも間に合わなかったら?」
「間に合わなかった可能性を、手順で隠しません」
リサの目に涙はなかった。
机を押していた指だけが、少し緩んだ。
***
話が終わる頃には、焼いたパンが冷めていた。
リサはラグの刃で、四つに切った。
「持って帰ってください」
「代金は?」
朔が尋ねる。
「話を聞きに来た人から取りません」
「管理局の仕事として来ています」
「管理局に渡すんじゃありません」
リサは二つの包みを作る。
一つを朔。
一つをイサラへ。
「あなたたちに渡します」
受け取ることが、許された範囲だった。
「ありがとうございます」
朔は包みを持った。
まだ温かい。
***
家を出る前に、朔は確認した。
「三日後の日暮れまでに、最初の報告」
「はい」
リサが答える。
「新しい情報がなくても」
「来てください」
「開示できない情報がある場合は?」
「あることと、なぜ開示できないかを伝えてください」
「再調査の日程は?」
「決まっていないなら、決まっていないと」
「ラグさんの名前を持つ範囲は、今話した者」
「はい」
「黒い道で、こちらから呼ばない」
「はい」
「本人と確認できない者へ押しつけない」
「お願いします」
「識別情報は、左前腕の月形の火傷と、右手薬指の曲がりにくさ。公開しない」
「はい」
「モナさんの希望と、リサさんの希望は別に残す」
モナが頷いた。
「一つの家族の意見にしないでください」
「分かりました」
***
外へ出る。
イサラは木箱から剣を取った。
腰へ戻す前に、赤い紐が付いていないことを確認する。
「剣を置いたことに、意味はありましたか」
朔が尋ねた。
「家族が、家の中へ持ち込まないでほしいと言いました」
「それだけ?」
「それだけで十分です」
役目を捨てたわけではない。
討伐を否定した印でもない。
今日は、その家へ剣を入れなかった。
***
通りへ出ると、隣家の男がこちらを見た。
「イサラ様」
イサラが足を止める。
「テイン家は、討伐を頼んだんですか」
家の扉は、まだ閉まりきっていない。
リサにも聞こえる距離だった。
「いいえ」
イサラは答えた。
「では、何を?」
「次に報告する時刻を決めました」
「ヴァルハについて?」
「ラグ・テインの所在と、六年前の調査についてです」
「同じことでは?」
「同じとは確認されていません」
男は納得した顔をしなかった。
「第一位が動くんでしょう」
「三日後までに、分かったことと分からなかったことを家族へ伝えます」
「戦わない?」
「今日、戦うとは決めていません」
男は家へ戻った。
その言葉が、次にどのように伝わるかは分からない。
***
居住区の出口まで、二人は黙って歩いた。
パンの包みが、朔の手にある。
名前。
身体の特徴。
家族の異なる希望。
三日後の日暮れ。
持ち帰るものが増えた。
だが、答えは増えていない。
「空白を残すことで救われるのは、待たせている人だと言われました」
朔が言う。
「はい」
「間違っていると思いますか」
「いいえ」
「正しい?」
「それだけではありません」
イサラは答えた。
「モナさんは、空白を残してほしいと言いました」
「リサさんは、このままでは嫌だと」
「同じ家でも違いました」
「では、どうする?」
「空白を消さない」
朔は言った。
「でも、空白だけを渡さない」
「何を横へ書きますか」
「次にすること。決める人。伝える時刻」
「できなかったことも?」
「はい」
イサラは頷く。
「待つ間にすることができましたね」
「まだ、決めただけです」
「三日後に、したかどうかが分かります」
***
セオは居住区の入口で待っていた。
記録板は閉じている。
「話を聞いてもいいですか」
「家族へ確認するための文を、先に作ります」
イサラが答える。
「今ここで?」
「覚えている内容を、二人で別々に出します」
「一致した部分だけを家族記録に?」
朔は首を横に振る。
「違った部分も、誰がどう覚えているか分けてください」
聞いた者の記憶も、同じとは限らない。
「家族が直せる形にします」
セオが記録板を開いた。
***
その日の仮記録では、生死不明の欄を埋めなかった。
代わりに、その横へ新しい欄を作った。
現在確認していること。
次に行うこと。
次回報告時刻。
判断と連絡を担う者。
ラグ・テイン。
生死不明。
所在不明。
黒い人影および未確定語ヴァルハとの関係は未確認。
六年前の原記録と生存者証言を再照合。
家族が開示を許可した識別情報を、非公開記録として分離。
三日後の日暮れまでに、情報の増減にかかわらず家族へ報告。
連絡責任者、イサラ・ベルン。
記録照合、セオ・ラグナ。
現地目撃情報の整理、黒川朔。
「待機中、と書きますか」
セオが尋ねた。
「誰が待機しているんですか」
朔が聞く。
「調査が」
「調査は待っていません」
「では」
「継続確認中」
イサラが提案する。
「何をしているか、その下に書きます」
短い言葉だけで終わらせない。
***
観察室へ戻ってから、朔はパンを食べた。
表面は少し硬い。
中はまだ柔らかい。
ラグの刃で入れられた切れ目に沿って、きれいに割れた。
ラグは帰っていない。
だが、彼の使った道具は、家でパンを切っている。
家族は待っている。
だが、六年前の姿のまま止まってはいない。
捨てたもの。
使い続けたもの。
まだ決めていないもの。
それぞれがあった。
朔が持ち帰ったのは、ラグの名前だけではなかった。
名前を呼ばないという約束。
二つの身体的な特徴。
復讐の理由に使わないでほしいという母の希望。
殺した者がいるなら知りたいという妹の希望。
そして、三日後の日暮れ。
空白は、答えを書かない場所だった。
何もしないための場所ではなかった。




