第四章 眠りの道 ③ 返らない者
次の面会は、翌朝に決まった。
ユイから返答があった、とアナが伝えに来た。
「条件は昨日と同じです」
扉を完全には閉めないこと。
最初に話す者を一人にすること。
「もう一つ、増えています」
「何ですか」
「火を、見える場所へ置いてほしいと」
朔は網箱を見る。
ツヅリ村の火。
「部屋へ入れるんですか」
「ユイ本人は、扉の外でよいと言っています」
「理由は?」
「伝えていません」
理由を言わなくても、条件は出せる。
「分かりました」
ノエが網箱を持ち上げた。
「昨日と同じく、封は開けません」
「お願いします」
***
内塔へ入る前に、マレアが朔の身体を確かめた。
目。
呼吸。
脈。
「昨日から、白い視界は?」
「ありません」
「K.K.という声は?」
「聞こえていません」
「壁の文字は?」
「内塔を出てからは見ていません」
マレアは手首の薄い青布を確認する。
「今日も接続検査は行いません」
「面会中に何か見えても?」
「見ることと、接続へ同意することは別です」
朔は頷いた。
「ユイさんの検査記録について、マレアさんも読みましたか」
「開示された範囲だけ」
「俺との違いは分かりましたか」
「いくつかは」
「面会で聞いても?」
「私の見解より、先に本人へ聞くのですね」
「ユイのことなので」
「それでいいと思います」
マレアは言った。
「ただし、身体の反応について本人が知らされていなかった可能性もあります」
「記録の方が正しい?」
「そういう意味ではありません」
マレアは道具をしまう。
「本人が感じたことと、検査した者が測ったことは、別の情報です。どちらか一方だけを全部にしないでください」
見る人。
測る人。
感じた人。
同じ出来事でも、持っている部分が違う。
***
内塔の経路灯は、一本だけ点いていた。
面会区画へ続く右の道。
K.K.も、Y.I.も見えない。
朔は、ないことをセオへ伝えた。
「入塔時、壁面表示の知覚なし」
セオが記録する。
昨日、文字が見えた場所には、灰色の布が残っていた。
壁はただの壁。
床の灯りも乱れていない。
「今日は何もありませんね」
エリオが言う。
「今のところは」
「何もない、と言い切らない?」
「俺に見えていないものが、ないとは言えません」
「では、何をもって進むのですか」
「今、確認できるものです」
灯りは一本。
経路変更もない。
帰路も登録されている。
それで十分とは言えない。
だが、進めるだけの条件は残っていた。
***
アナは、面会室の前で待っていた。
「ユイは起きています」
「身体の状態は?」
「今朝の確認では、変化なし」
「本人は会いたいと言いましたか」
「はい」
会える状態であることと、会いたいこと。
両方を聞く。
アナが扉を叩く。
「サクさんたちが来ました」
内側から返事があった。
「入って」
昨日より、少しはっきりした声だった。
扉を開く。
完全には閉じない。
指二本分の隙間ではなく、今日は腕一本分ほど開けたままにした。
理由は聞かない。
ユイがそうしたいと言ったからだ。
扉の外にはノエ。
網箱の火種が、室内から見える。
その後ろにマレア、エリオ、セオ。
アナは壁際。
朔は昨日と同じ、入口に近い椅子へ座った。
ユイの膝には、薄い青色の布が置かれていた。
端を折っている。
一度折る。
指で押さえる。
開いて、また折る。
「何を作っているんですか」
朔が聞いた。
「袋」
「何を入れる?」
「まだ決めてない」
入れるものが先ではない。
袋を作ってから考える。
「聞きたいことがあるんでしょ」
ユイが言った。
「はい」
「K.K.?」
「それもあります。でも今日は、ユイのことを聞きたいです」
「私の何」
「返りが消えた時のこと」
ユイの指が、布の上で止まった。
***
「嫌なら、今日は聞きません」
朔が言う。
「聞かないで帰る?」
「はい」
「何のために来たの」
「聞いてもいいか、聞くためです」
ユイは朔を見る。
「面倒」
「よく言われます」
「誰に?」
「リオさんとか」
「外にいる人?」
「はい。俺の名前を持っている人です」
ユイは折っていた布を膝へ置いた。
「返りって、何だと思ってる?」
「検査の光や祈りが身体へ入って、何かが戻ること」
「何が?」
「分かりません」
「じゃあ、返りって名前をつけただけ」
「はい」
王都が観測できるもの。
道具へ戻る光。
流れ。
反応。
それを返りと呼んでいる。
だが、何が返っているのかまでは知らない。
「ユイには、どう感じましたか」
「呼ばれる」
「誰に?」
「分からない」
「声ですか」
「声の時もある」
ユイは壁を見る。
「声じゃない時もある。こっちを向いて、って分かる」
「向きましたか」
「最初は」
「Y.I.と呼ばれた時?」
「うん」
「どうして返事をしたんですか」
「私を呼んでると思ったから」
ユイ。
Y.I.
音が似ている。
王都の文字を知らなければ、なおさらだっただろう。
「返事をすると、どうなりましたか」
ユイは少し考えた。
「道ができた」
「どこに?」
自分の胸へ指を置く。
「ここから、向こうまで」
「向こうは見えましたか」
「白いところ」
朔の頭の奥がわずかにざらつく。
白い部屋。
平らな光。
黒い文字。
「部屋でしたか」
「部屋みたいだった。でも、立ってなかった」
「眠っていた?」
「それも分からない」
見えたことだけを言う。
ユイも、答えを急いでいない。
***
「最初は、戻った」
ユイが続けた。
「何が?」
「入ってきたもの」
「どこへ?」
「私へ」
ユイの指が、胸から手首へ移る。
灰色の札に触れる。
「温かくなった。終わったら、なくなった」
「二回目は?」
「なくならなかった」
「身体の中に残った?」
「違う」
ユイは首を横に振る。
「私を通って、別のところへ行った」
セオの筆が動きかける。
朔は手を上げた。
最初に話すのは一人。
セオの手が止まる。
「どこへ行ったか、分かりますか」
「分からなかった」
「今は?」
ユイは、開いた扉の向こうを見る。
網箱。
火。
その奥の暗い廊下。
「眠ってる子のところ」
次の言葉が、すぐには出なかった。
「どうして、そう思ったんですか」
「私が離れると、起きようとしたから」
***
部屋の空気が少し重くなった。
「誰が?」
「下にいる子たち」
「何人いますか」
「数え方で変わる」
「どういう意味ですか」
「名前を知ってる子と、番号しか知らない子がいる」
数えれば同じ人数になるはずだ。
だが、ユイにとっては違うらしい。
「名前を知っている子は何人?」
「五人」
「番号だけの子は?」
「もっと」
全部を知っているわけではない。
「起きようとした、というのは?」
「目を開ける子。声を出す子。手を動かす子」
「起きたんですか」
「起きなかった」
「では」
「戻れなかった」
ユイは布を握った。
「呼ばれたところへ行こうとして、途中で止まった」
森の声。
殻の声。
知っている声に呼ばれ、戻れなくなった人々。
「ユイが戻ると、どうなりましたか」
「静かになった」
「ユイが何かした?」
「何もしない」
「祈ったり、名前を呼んだりは」
「そこにいただけ」
ユイは淡々と言う。
「だから、ここにいれば、眠っている子が起きないから、いただけ」
役目とは言わなかった。
塔を安定させたとも。
人を救ったとも。
ただ、いた。
***
「管理局は、ユイを何と呼んでいますか」
朔が聞いた。
「安定者」
ユイの声が少し平らになる。
「それは役目ですか」
「知らない」
「ユイは、そう呼んでいますか」
「呼ばない」
「では、何だと思っていますか」
「いる場所」
「ここが?」
「うん」
「ここにいる人?」
「違う」
ユイは少しだけ眉を寄せる。
「役目にすると、できなくなっても、やれって言われるから」
朔は答えられなかった。
火守り。
名持ち。
眠り番。
役目は、生きて帰るための印。
人を閉じ込める名前ではない。
「今、できなくなったら?」
「分からない」
「別の場所へ行けますか」
「たぶん、調べられる」
「出られる?」
「それは別」
できなくなれば自由になるとは限らない。
今度は、原因を調べるために残されるかもしれない。
「役目を持っているから閉じ込められているのではなく、役目がなくなっても出られないかもしれない」
「うん」
「それでも、役目とは呼ばない?」
「呼ばない」
ユイは布を折り直す。
「ここにいたのは、私がいた方が静かだったから」
名前を与えられた役目ではない。
必要を見て選んだ行動。
ただし、選べる範囲は狭かった。
***
「最初から、自分で決めたんですか」
朔は聞いた。
ユイの手が止まる。
「最初は、決めてない」
「連れてこられた?」
「うん」
「説明は?」
「静かになるって言われた」
「眠っている子が?」
「あとで知った」
「では、最初は何のために残るかも知らなかった」
「検査が終わったら出られると思ってた」
検査を受ければ、出られる可能性がある。
結果による。
朔に提示された言葉と同じだった。
「出られなかった」
「うん」
「その後、自分で残ると決めた?」
ユイは、すぐには頷かなかった。
「一度、別の部屋へ行った」
「どれくらい離れましたか」
「この廊下の向こう」
「その時に、眠っている子が動いた?」
「うん」
「戻れと言われた?」
「言われた」
「戻りたかった?」
「声がしてた」
「誰の声ですか」
「お母さんを呼ぶ子。知らない名前を呼ぶ子。やめてって言う子」
ユイは膝の布を見る。
「戻ったら、静かになった」
「それで残った?」
「次に離れる時は、先に教えてって言った」
朔はユイを見る。
「出ない、と決めたのではなく?」
「急に離れない」
違う。
残ることと、永遠に出ないことは同じではない。
「全部、自分で決めたわけではない」
「うん」
「でも、今ここにいることには、ユイの判断も入っている」
「少し」
小さな答えだった。
選択したか、強制されたか。
どちらか一つではない。
知らされないまま連れてこられた。
出られなかった。
その後、自分が離れた時に起きることを見た。
そして、急に離れないことを選んだ。
自由な選択ではない。
選択が全くなかったわけでもない。
***
「ユイは、ここから出たいですか」
朔は聞いた。
扉の外で、誰かの呼吸がわずかに変わった。
だが、誰も口を挟まない。
「外って、どこ」
「王都の街。北の村。ほかの場所」
「北の村には、誰もいない」
「はい」
「オル爺は?」
「俺が会った時は、村にいました」
「今も?」
「分かりません」
ユイは黙る。
「外へ出たい、だけでは決められない」
「なぜですか」
「出たら、起きるかもしれない」
「誰かが代わりにいれば?」
「分からない」
「安全に試せるなら?」
「安全って、誰が決めるの」
朔は言葉を失いかける。
自分が何度も投げた問い。
「一人では決めません」
「管理局だけ?」
「それも違います」
「サクが決める?」
「俺だけでも決めません」
ユイは朔を見る。
「じゃあ、誰」
朔は一人ずつ思い浮かべる。
「ユイ」
最初に言う。
「眠っている子を診る人。ユイの身体を見る人。動かすのを止められる人。何が起きたか記録する人。外で待つ人」
「多い」
「はい」
「決まらなくなる」
「その可能性もあります」
「その間、私はここにいる」
「はい」
共同で決めることは、すぐに自由になることではない。
話す人が増えれば、遅くなる。
責任を押し合うこともある。
「でも、一人が間違えた時に、全部が決まらないようにしたいです」
ユイは、すぐには納得しなかった。
「遅い方がいいとは思わない」
「俺も思いません」
「早いと、怖い?」
「はい」
「遅くても、怖い」
「はい」
どちらも危険。
ユイには、その間を待ってきた時間がある。
外から来た朔が、ゆっくり決めようと言うだけでは足りない。
***
「ユイは、どうしたいですか」
朔は聞いた。
「すぐ外へ出たいか、ここへ残りたいかではなく」
「何を決めるの」
「次に一つだけ変えるなら」
ユイは考える。
膝の布を開く。
折り目が何本もついている。
「窓のある部屋へ行きたい」
小さな願いだった。
「外が見える窓?」
「空が見える」
今の部屋には窓がない。
昨日、向かい側の廊下で窓へ手を当てた。
「どれくらいの時間?」
「最初は、少し」
「眠っている子に変化があれば?」
「戻る」
「戻りたいですか」
「変化があったら」
「誰かに戻されるのではなく?」
ユイは少し考えた。
「教えてほしい」
「何を?」
「誰が、どうなったか」
ただ「危険だから戻れ」ではない。
自分が戻る理由を、自分にも伝える。
「何も教えずに、元の場所へ戻さない」
朔が言う。
「うん」
「変化がなければ?」
「次は、もう少し遠く」
いきなり外へ出ない。
だが、永遠に動かないとも決めない。
ユイ自身が、少しずつ距離を選ぶ。
「記録してもいいですか」
朔が聞く。
「誰が読むの」
「今ここにいる人。それから、移動に必要な担当者を加えるなら、名前を先にユイへ伝える」
「眠ってる子の名前は?」
「今は書きません」
「番号も?」
「ユイが必要だと思うまで、書きません」
ユイは頷いた。
「じゃあ、いい」
***
朔は扉の外を見る。
「セオさん」
初めて、次の人へ言葉を渡す。
セオが室内へ一歩だけ入る。
ユイから見える位置。
「話してもよいですか」
セオが本人へ聞く。
「うん」
「今の希望を、本人の発言として記録します」
セオが読み上げながら書く。
「ユイは、空が見える窓のある部屋への短時間の移動を希望する」
「希望だけではなく」
ユイが止めた。
「何でしょう」
「試す」
「移動試行を求める?」
「うん」
希望。
願い。
それだけにすれば、叶えられなくても仕方のないものになる。
「ユイは、短時間の移動試行を求める」
セオが書き直す。
「眠っている者に変化が生じた場合、内容を本人へ説明した上で戻る。変化がなければ、次の移動範囲を協議する」
「急に戻さない」
「緊急時を除き、説明前に強制的な帰室を行わない」
「緊急時は、誰が決めるの」
マレアが扉の外から答える。
「身体または眠っている者に、すぐ処置が必要な変化が出た時。治療官が判断します」
「名前は?」
「マレア・ソンです」
「マレアが来る?」
「私が担当するなら」
「替わる時は?」
「先に名前を伝えます」
ユイは朔を見る。
「多い」
「はい」
それでも、誰が何をするかが少しずつ見える。
***
「返りについて、マレアさんの記録も聞きますか」
朔がユイに尋ねる。
「何が書いてあるの」
「今から聞きます」
ユイは頷いた。
マレアが扉の内側へ入る。
アナと位置を替わる。
「記録では、最初の検査で通常の返りが確認されています」
マレアが言う。
「二回目の塔接続中、返りが複数に分かれ、その一部が内塔下層へ流れた、とあります」
「眠ってる子のところ」
ユイが言う。
「その可能性があります。ただし、記録には個別の行き先まではありません」
「私が言ったから、今そう思う?」
「はい」
マレアは正直に答える。
「記録だけでは、どこへ流れたか分かりませんでした」
「サクは?」
「最初から、測定した流れが戻っていません」
「私と違う?」
「少なくとも、測定上は」
「サクのは、どこかへ行った?」
「それも確認できていません」
「なくなった?」
「そう見えます。ただ、道具が拾えていないだけかもしれません」
ユイは朔を見る。
「返らないんじゃなくて、見つけられない?」
「分かりません」
朔が答えた。
「俺には、白い文字が見える。でも、みんなには見えない」
「塔も、サクの返りを見つけられないのかも」
そうかもしれない。
だが、今はユイの推測。
「そういう可能性を、ユイが言ったと記録してもいい?」
「いい」
セオが書く。
結論にはしない。
***
ユイは、自分の灰色の札を見た。
「Y.I.は、返りの名前だと思う」
全員が静かになる。
「どうして?」
朔が聞く。
「私を呼ぶ時じゃなくて、流れる時に出たから」
「最初は、ユイを呼ぶ名前だと思った」
「うん」
「あとで違うと分かった」
「私が返事しなくても、出てた」
呼ばれる音ではない。
ユイ本人の名でもない。
何かが流れる時に現れる識別符。
「K.K.も、俺の返りに付いた名前かもしれない?」
「かもしれない」
「でも、俺の返りは見つかっていない」
「だから、呼ばれたら返事しない」
ユイの答えは変わらない。
「返事をすると、道ができるから?」
「うん」
「K.K.が誰か分からなくても?」
「分からないから」
分からないものに返事をしない。
拒絶ではない。
自分へ向けられた名前だと確認できないから。
***
面会の時間が終わりに近づく。
今日は、昨日より長く話した。
ユイの声も増えた。
だが、顔には疲れが見える。
まばたきが少し遅い。
マレアが気づいている。
「今日は、ここまでにしますか」
朔が聞いた。
「サクが決める?」
「ユイに聞いています」
「終わる」
「分かりました」
朔は立ち上がる。
「次に会う時は、窓のある部屋への移動について、誰が何を決めるか伝えます」
「できないって言われたら?」
「誰が、何を理由にできないと言ったかも伝えます」
「できるって言われたら?」
「条件を一緒に確かめます」
「一緒に?」
「ユイが決めることを、外で決めません」
ユイは布を畳む。
作りかけの袋。
「次は、下へ行く?」
「下?」
「眠ってる子を見る」
朔はすぐには答えなかった。
「ユイが見せたいんですか」
「サクは、誰が起きるか知らない」
「はい」
「知らないまま、私を動かす話をしてる」
その通りだった。
ユイを別の部屋へ移す。
だが、その移動で影響を受ける人を、朔は一人も見ていない。
「見せてください」
朔は言いかけ、止める。
「見てもいいですか」
「起こさないなら」
「起こすためには行きません」
「名前を呼ぶ?」
「ユイが呼んでいいと言った名前だけ」
「番号は?」
「呼びません」
ユイは頷いた。
「次は、眠ってる子を見せる」
***
部屋を出る。
扉は最後まで完全には閉めなかった。
アナが、ユイの希望を確認してから、腕一本分の隙間を残す。
廊下へ出ても、朔はすぐに歩かなかった。
「セオさん」
「はい」
「ユイを、安定者と記録し続けますか」
セオは考える。
「現在の管理区分では、そうなっています」
「本人は、そう呼んでいません」
「それも記録しました」
「変えられますか」
「すぐに正式区分を削除することはできません」
「では、名前より先に書かないでください」
「ユイ。管理上の区分として安定者」
「はい」
「本人は当該呼称を自身の役目とは認めていない」
「それも」
セオが記録へ加える。
区分は消えない。
だが、区分だけでは残らない。
***
帰りの経路灯は一本だった。
予定外の道は開かない。
壁にも文字は見えない。
朔は歩きながら、ユイの言葉を持ち直した。
最初は決めていなかった。
検査が終われば出られると思っていた。
出られなかった。
別の部屋へ動いた時、眠っている者が起きようとした。
それを見て、急に離れないことを選んだ。
すべてを選ばされたわけではない。
すべてを自分で選んだわけでもない。
ここにいれば、静かになるから、いただけ。
その「だけ」の中に、強制も、判断も、恐れもあった。
ユイは返らない者ではなかった。
ユイを通った何かが、本人の知らない場所へ返されていた。
少なくとも、今はそう見える。
だから次に問うべきなのは、どうすれば元へ戻せるかだけではない。
何を、誰のところへ返すのか。
そして、その行き先を誰が決めるのか。
それを、ユイを置いたまま決めてはいけなかった。




