第十一章 黒の向こう側 ④ 逆さに流れる水
水門の下流で、水が逆向きに流れていた。
ガドが現場へ着いた時、サロ・デンは水路の縁に膝をつき、細い木片を水面へ落としていた。
木片はゆっくり北へ進んだ。
本来なら南へ流れるはずだった。
「いつからや」
「昼前には気づいていた。最初は風かと思ったんだが、底の砂まで動いている」
サロは長い柄の網で木片を回収した。
「水門は閉めたまま。上流の取水も止めてある」
「下流で水を引いてる場所は?」
「染屋が二軒。どちらも朝から使っていない」
ルカが地図を広げた。
旧染料水路は北から南へ流れ、その途中に石造りの水門がある。北返二番倉は、水門の北東側に建っていた。
現在の水面は、水門の下流から北へ向かって動いている。
水門に近づくほど、流れが速い。
しかし、閉じた扉の手前で水が溜まっている様子はなかった。
「どこかへ抜けてる」
ガドが言った。
「水門の下に穴があるんですか」
ルカが尋ねる。
「穴かどうかは知らん。でも、水は消えてへん。入ってる先がある」
サロは水門脇の石壁を指した。
「昨日まで乾いていた目地が濡れている」
石組みの一部が黒く湿っていた。
ガドは細い木の棒を当てた。
棒の先から水滴が落ちた。
透明だった。
「黒い水ではないな」
サロが言う。
「今見える範囲ではな」
ガドは棒を下ろした。
水滴の色を確かめただけでは、石壁の奥の状態は分からない。
「まず、流れを追う」
ガドは工具袋を開いた。
今必要なのは、黒い現象に名前を付けることではない。
水がどこへ流れているかだった。
***
旧染料水路の周辺には、三十一世帯が暮らしていた。
井戸を日常的に使うのは十九世帯。そのうち七世帯で、朝から水の濁りが報告されている。
濁りは灰色で、汲んでしばらく置くと、底に細かい粒子が沈んだ。
飲み水として使うことは止められていたが、洗濯や染料の下洗いにも影響が出ていた。
「今日の分の布を洗えなかったら、明日の納品に間に合わない」
染屋の男が言った。
「店を休めと言われても、休んだ分の金は戻らんやろ」
「分かってる」
エダ・セルクが答えた。
「だから、使える水を別に確保する」
「どこから」
「南の共同井戸。検査が済んだ分を優先して運ぶ」
「運ぶ人間は?」
「こっちで手配する」
男は口を閉じた。
エダは染料の付いた手を腰へ当てた。
「ただし、今の井戸水で布を洗うな。もし布に何か残れば、買う人にも迷惑がかかる」
「お前の店はどうする」
「止めてる」
「損するぞ」
「もうしてる」
その言葉で、男はようやく引き下がった。
エダ自身の染物も、昨日から水に浸けたままになっている。染料の種類によっては、時間が延びるだけで色が変わる。売り物にならなくなる布もあった。
それでも、今は濁った水を使えなかった。
イサラが現場へ来たのは、その時だった。
護衛ではなく、住民の移動と物資の運搬を手伝うために、候補生を三人連れていた。
「南の共同井戸から水を運びます。必要量は各世帯で違うので、先にエダさんへ確認してください」
「運ぶ順番は?」
候補生が尋ねた。
「飲用と調理用が先です。病人がいる家も確認する。その後、仕事用の水を回します」
「足りなかったら」
「足りない分を数えて、別の取水先を探します」
候補生は頷いた。
イサラは濁った井戸の周囲を見回した。
井戸の縁には縄が張られているが、人々は不安そうに立っていた。
水が濁るだけなら、雨の後にも起こる。しかし、今回は水路が逆に流れている。
水門の下で声が聞こえたという噂も広がっていた。
「七番が開くんですか」
一人の女性が尋ねた。
イサラは彼女の方を向いた。
「今、開ける作業は行っていません」
「でも、水が逆に流れてるんでしょう」
「はい」
「じゃあ、何かが開いたんじゃ」
「地下の状態を調べています。今のところ、石壁を人が開いたという報告はありません」
女性は不安そうなままだった。
イサラは少し考え、尋ねた。
「お宅の水は、今使えていますか」
「……濁ってます」
「では、先に水を届けます。井戸の状態が変わったら、調査の担当者から知らせます」
「七番のことは」
「調べています。今は、それ以上のことをお約束できません」
女性は頷いた。
完全に安心したわけではない。
それでも、家へ戻って水を入れる容器を用意し始めた。
***
昼を過ぎると、ガドたちは水路の底を調べる準備に入った。
水中へ入ることはしない。
流れの方向と強さを、複数の位置で確かめる。
木片では風に流される可能性があるため、小さな重りを付けた布を水中へ下ろし、糸の傾きを見ることにした。
水門から二十歩下流。
布は北へ引かれた。
十五歩下流。
傾きが強くなった。
十歩下流。
糸はほぼ真横になった。
「水門に近づくほど速い」
ルカが記録した。
「下へ吸い込まれてる感じは?」
サロが尋ねた。
「今の測り方では、水平方向の流れしか分かりません」
ガドは水門の下にある石組みを見た。
閉じた扉の真下には、古い排砂溝があった。
通常は底に溜まった砂を流すためのもので、水門を閉じる時には木栓で塞がれる。
「排砂溝を見る」
ガドが言った。
「木栓は閉めてある」
サロが答えた。
「閉めた時はな」
ガドは長い測定棒を取り出した。
先端に付けた小さな鏡で、水門下の陰を映す。ルカが灯りの角度を調整した。
「見えるか」
「待て」
鏡の中に、排砂溝の入口が映った。
木栓は残っている。
しかし、栓の横の石が欠けていた。
水が、その隙間へ流れ込んでいる。
「穴が開いてる」
ガドが言った。
「木栓の横や」
「どのくらいだ」
「拳二つ分ほど。奥は見えん」
ルカは図面を広げた。
「排砂溝の裏側は、どこへ続いていますか」
「今の図面では、閉じた排砂室だ」
サロが答えた。
「何年も開けていない」
「旧図面には、その先にも線があります」
ルカは古い水路図を重ねた。
排砂室の先から、細い線が北返二番倉の方向へ伸びている。
ガドは線を見た。
「昨日測った、石壁の隙間に近いな」
「はい」
ファナが横から言った。
「もしつながってたら、向こうへ水が入ってる」
「入ってる量は少なくない」
ガドは水面を見た。
「このままやと、下の土を持っていく」
「どうなる」
サロが尋ねた。
「空洞が広がる。上の石が落ちる」
ガドは北返二番倉へ目を向けた。
古い倉庫は、水路のすぐそばに建っている。
床下に空洞ができれば、建物の重さがそのまま危険になる。
「倉庫と周りの家を確認してくれ。人がいたら下げる」
サロが部下を走らせた。
その直後、水路の底から鈍い音がした。
石を擦り合わせるような音だった。
水門の脇の石組みが、わずかに沈んだ。
「全員、縁から離れろ!」
ガドが叫んだ。
最初に落ちたのは、拳ほどの石だった。
水が跳ねる。
続いて、縁の石が二つ、内側へ傾いた。
ファナが後退し、ルカの腕を掴んだ。
「下がれ!」
ルカは図面を抱えて走った。
足元で、細い亀裂が走る音がした。
ガドは測定棒を放り出し、サロを押し戻した。
その直後、石組みの一部が崩れた。
水が低い音を立てて吸い込まれていく。
砂埃が収まると、崩れた部分の下には暗い空間が見えた。
「近づくな!」
ガドが叫んだ。
誰も縁へ戻らなかった。
水位は少しずつ下がり始めていた。
だが、ガドの表情は厳しかった。
「これ以上吸ったら、倉庫の基礎までやられる」
「止められるか」
サロが尋ねた。
「塞ぐ場所を間違えたら、もっと壊す」
「じゃあ、どうする」
ガドは下流の地形を見た。
水門から少し離れた場所に、使われなくなった古い分水路がある。現在は土砂が溜まり、水が通らないようになっていた。
「あそこを使う」
ガドが指した。
「分水路を開けるんか」
「全部じゃない。入口を少し掘って、水を南の沈砂池へ逃がす」
サロは図面を確認した。
「池の容量は?」
ルカが水位と沈砂池の深さを計算した。
「短時間なら受けられます。ただ、石壁の状態を先に見ないと」
サロは部下へ指示を出した。
沈砂池は外側から点検し、壁に異常があれば使用しない。
ガドは分水路の周囲を確認した。
「土を掘る人間が四人要る。交代もほしい」
「用意します」
イサラが答えた。
彼女は既に候補生を連れて戻っていた。
「近くの家には、移動してもらった方がいいですか」
「三軒。倉庫に近い」
サロが答えた。
「危ない範囲を示す。エダにも伝えてくれ」
イサラは頷き、走った。
***
北返二番倉の近くにある三世帯は、一時的に家を離れることになった。
家財を運ぶ時間は限られていた。
エダは住民と一緒に家へ入り、持ち出す物を手伝った。
「寝具と薬を先に。重い物は後で考えよう」
老夫婦の家では、夫が戸棚を動かそうとしていた。
「これは息子が作ったんや」
「分かる。でも、今は運べん」
「置いていけってか」
「倒れたら、取りに戻れんようになる」
夫は戸棚を見た。
表面には、長年使ってきた小さな傷があった。
妻が隣から言った。
「引き出しだけ持っていこう」
夫は黙って戸棚の一番上を開けた。
中に入っていた物を確かめ、引き出しを抜いた。
エダが片側を持つ。
三人は家を出た。
戸棚は残った。
夫は振り返ったが、戻らなかった。
***
分水路の土砂を除く作業は、日が傾く前に始まった。
沈砂池の点検結果は、使用可能。ただし、満水にはできないというものだった。
ルカは池の石壁に印を付け、流し込める水位の上限を決めた。
分水路の入口には土砂が厚く溜まっている。
作業者たちは順番に土を掘り、離れた場所へ運んだ。
「交代!」
イサラの声で一人が下がり、別の者が入る。
ガドは入口の石組みを見ながら、掘る深さを指示した。
「そこは触るな。右を先に落とせ」
土が崩れ、小さな水の筋が現れた。
ルカが流れを確認した。
「まだ弱いです」
「分かってる」
ガドは入口の下部だけを慎重に削った。
水が流れ始めた。
最初は細く、次第に幅を広げる。
濁った水は分水路を南へ進み、沈砂池へ落ちた。
大きな音はしなかった。
ただ、流れの向きが変わった。
ルカは旧染料水路側の水位を確かめた。
「逆流が弱くなっています」
「水位は」
「下がっています」
ガドは頷いた。
崩れた排砂溝へ流れ込む水の量が減っていた。
北返二番倉の基礎を削る勢いも、少なくとも今は弱まったはずだった。
イサラは額の汗を拭った。
「これで終わりですか」
「いや」
ガドは水門を見た。
「流れを変えただけや。穴は残ってる」
ファナが隣に立った。
「倉庫の下がどこまで削れたかも調べなあかん」
「今日はもう近づかん」
ガドは答えた。
「明るくなってから、外側から測る」
沈砂池の水面を見ていたルカが、声を掛けた。
「ガドさん」
「何や」
「水の色が変わっています」
透明に見えていた水が、薄い灰色へ変わっていた。
底に細かい粒子が沈んでいる。
掘り起こした土砂の影響でも説明できる変化だった。
だが、ルカは北東水路で採取した紙片の色を思い出していた。
「石壁に付いていた灰色の膜と、色が近いです」
ガドが水を見た。
「同じ物か」
「まだ分かりません。採取して比べます」
「今は直接触るなよ」
「はい」
ルカは長柄の採水器を使い、少量を容器へ取った。
それから、水面をもう一度見た。
沈砂池の中央では、南から入った水がゆっくり広がっている。
だが端の方で、別の小さな流れが生まれていた。
水が、池の底へ向かって沈んでいる。
「池の底にも抜け道がある?」
イサラが尋ねた。
「そう見えます」
ガドは池の周囲を見回した。
沈砂池は古い施設だった。
底の構造まで詳細に記された図面は、まだ見つかっていない。
「これ以上、水を入れん」
ガドが言った。
サロが作業停止を伝えた。
分水路の入口を、準備していた土嚢で狭める。
水が入る量は減った。
しかし、沈砂池の端にできた小さな渦は消えなかった。
泡が一つ、浮かんだ。
弾ける。
ルカには、その音の奥に、短い言葉が混じったように聞こえた。
「……戻すな」
彼女は顔を上げた。
「今、何か聞こえましたか」
「水の音だけや」
ガドが答えた。
ファナは少し考えた。
「俺には、泡が続けて弾けた音やった」
「私は何も聞いていません」
イサラも答えた。
ルカは手元の紙へ時刻を書いた。
「私には、『戻すな』と聞こえました」
サロが振り向いた。
「前にも、俺には『そこ、開けるな』と聞こえたことがあったな」
「はい」
ルカは以前の記録を思い出した。
あの時は、サロだけが言葉を聞いた。
今回は、自分だけだった。
聞こえた場所も、水の動きも違う。
ルカは二つの記録を隣に記すことにした。
以前――サロ:「そこ、開けるな」
今回――ルカ:「戻すな」
同じ声かどうかは、書かなかった。
今は、そこまで分からない。
水面の渦は、しばらくして消えた。
***
分水路の流量を絞った後、ガドたちは北返二番倉の周囲へ戻った。
建物の内部は既に空で、人は入れていない。
ただし、現場を離れる前に、外側の基礎がどれだけ動いたかを確かめる必要があった。
ガドは、離れた地面に立てておいた測定杭を確認した。
杭そのものは動いていない。
しかし、倉庫の石壁に付けた印との位置が、朝とは少しずれていた。
「下がってるな」
ファナが言った。
「どれくらい」
「指一本にも満たん。でも、動いた」
ガドは記録した。
壁の下部には、新しい細い亀裂が見えた。
昼の確認ではなかったものだった。
「床も傷んでるかもしれん」
ファナが言った。
「中へは入れん」
「外側から様子を見るか」
ガドは長い棒の先へ小さな鏡を付け、出入口の敷居から内部を映した。
扉は開放せず、既存の点検口から差し込む。
鏡の中に、薄暗い床が見えた。
中央付近に、亀裂が走っている。
その線は北側の壁へ向かって伸びていた。
ガドは位置を図面に写した。
「地下通路の推定位置と近い」
ルカが言った。
「近いだけや。今はそう書いとけ」
ファナは、点検口のそばへ薄い紙片を近づけた。
紙片が、内側へ傾いた。
「風がある」
ガドは見た。
風は外から倉庫の中へ入っている。
ファナが、もう一度紙片を近づけた。
同じ方向へ引かれた。
「下へ抜けてるんか」
ガドが言った。
ルカは建物の外側を回り、風が抜ける場所を探した。
周囲の窓や戸は閉じられている。
それでも、点検口の紙片は内側へ引かれ続けていた。
「床下へ向かっている可能性があります」
ルカが言った。
サロは建物を見上げた。
「今夜は入れないな」
「入れん」
ガドは即答した。
「下で水が動いて、上の床も割れてる。ここで誰かを入れたら、助けに行く人間まで落ちる」
イサラが周囲の封鎖を確認した。
「見張りを置きますか」
「建物の中には置くな。外の安全な位置から、壁の動きを見られるようにする」
「分かりました」
イサラは候補生へ声を掛けた。
ガドは最後に測定杭を見た。
壁の位置は、それ以上動いていなかった。
ただ、点検口の紙片は、まだ内側へ傾いていた。
彼は棒を引き抜き、図面を閉じた。
「明日の朝、もう一度測る」
ファナが尋ねた。
「それまでに動いてたら?」
「倉庫には近づかん。周囲をもっと広く空ける」
誰も反対しなかった。
***
夜、旧紙倉には二つの報告が届いた。
一つは、水路の応急処置。
もう一つは、北返二番倉の建物についての確認だった。
朔は椅子に座り、ノエが読み上げる内容を聞いていた。
「逆流の原因として、排砂溝の脇にできた破損が確認されました。そこから水が流れ込んでいます」
「応急処置は」
「古い分水路を一時的に使い、南の沈砂池へ水を逃がしました。逆流は弱まりましたが、破損箇所はそのままです」
「沈砂池は」
「想定外の水の動きが確認されたため、現在は流入を止めています」
ノエは頁をめくった。
「避難したのは三世帯。怪我人はいません。井戸水の濁りは、まだ解消していません」
「水の確保は?」
「エダさんとイサラさんが進めています。今夜必要な飲み水は、届けられる見込みです」
朔は頷いた。
リオが椅子へ腰を下ろした。
「結局、七番を開ける必要はなかったわけや」
「今夜は、そうです」
朔が答えた。
「お前、また慎重な言い方するな」
「明日もそうだとは限りませんから」
「まあな」
リオは小さく笑った。
ユイが報告書を見た。
「井戸は、いつ使えるようになるの?」
「検査が終わって、安全が確認されてからです」
ノエが答えた。
「明日には?」
「まだ分かりません」
「じゃあ、明日も水を運ぶ人がいるね」
「はい」
「私も手伝える?」
イサラはまだ現場から戻っていない。
朔はユイを見た。
「運べる量や、行く場所を決めてもらえれば」
「重い桶は持たない。小さいのを二つにする」
「それなら、相談できます」
ユイは頷いた。
窓の外では、北東の街にまだ灯りが残っていた。
避難した家。
作業を止めた染屋。
水を運ぶ人々。
七番の記録を読んだことのない人たちも、同じ夜を過ごしている。
朔は次の報告書を開いた。
北返二番倉の外壁が、わずかに沈んでいた。
床には新しい亀裂が走っている。
そして、既存の点検口で確認した紙片は、建物の内側へ引かれた。
「水だけではなく、空気も動いているんですね」
朔が言った。
「はい」
ノエが答えた。
「倉庫の中へ入った空気が、床下へ抜けている可能性があります」
「人は入っていませんね」
「はい。建物は封鎖されています」
朔は図面を広げた。
亀裂の位置は、古い地下通路の推定線に近かった。
倉庫の床下に空洞が広がっているのなら、建物を支える方法を考えなければならない。
修理できなければ、取り壊す判断も必要になる。
「明日の現場調査は、ガドさんが?」
「はい。サロさんとルカさんも参加します」
「分かりました」
朔は報告書を閉じた。
レア・ソルンの所在を探す調査票は、机の端に置かれている。
その隣には、井戸の濁りを調べる記録。
避難世帯への支援計画。
分水路の補修案。
そして、北返二番倉の立入禁止区域を示した図面。
朔は最後の図面を手元へ引き寄せた。
水門から北返二番倉へ向かって、古い線が一本伸びている。
その線の先には、第七帰還口があるとされていた。
実際に何があるのかは、まだ見えていない。
けれど、そこへ近づくための調査は、もう謎を解きたいという気持ちだけでは進められなくなっていた。
北東の街では、明日も水が必要だった。
朔は図面を畳み、机の端へ置いた。
窓の外から、桶を積んだ荷車の音が聞こえた。
誰もいない北返二番倉では、床の亀裂が暗闇の中へ伸びていた。
その下へ向かって、空気は流れ続けていた。




