第十章 返事の輪郭 ⑤ 待つことを役目にしない
朔からの照会は、二つの番号が付いた状態でツヅリ村へ届いた。
一つ目は、睡眠中に見た白い表示について。
二つ目は、ハル・ミナト宛ての手紙を包んでいた物と高く一致する油紙について。
どちらにも、詳しい内容を読むかどうかを、トウマが先に決められると書かれていた。
両方読む。
片方だけ読む。
今は読まない。
後で決める。
返答期限はない。
トウマは二枚の照会文を並べた。リーネとダンは向かい側に座っていたが、どちらを選ぶべきかは言わなかった。
「一つ目は、サクさんが寝ている時に見たもの」
「はい」
リーネが答える。
「二つ目は、俺の手紙の包みかもしれない物」
「そう書かれています」
「どっちも、ハルからだとは分かってない」
「はい」
「ヴァルハからとも」
「分かっていません」
トウマは一つ目の紙を持ち上げた。
「夢の方を読んだら、サクさんが見たものを、俺も見たみたいになる?」
「同じにはなりません。ただ、内容を知れば、あなたの記憶や考え方へ影響する可能性はあります」
「サクさんも、それを心配してる?」
「だから、先に聞いたのでしょう」
トウマは一つ目を机へ戻した。
「これは、今は読まない」
「理由を書きますか」
「書く」
返答欄に、自分で記した。
一、睡眠中の表示については、今は詳しく読みません。
続けて、
サクさんが見たことを隠してほしいわけではありません。今の俺が読むと、手紙を受け取った人の返事と、サクさんの夢を同じにしたくなると思うからです。後で読みたいと思った時は、もう一度聞きます。
と書いた。
「後で、と書くと、読む約束になる?」
トウマが尋ねた。
「読む可能性を残した文には見えますが、約束には見えません」
「じゃあ、そのままにする」
二つ目の照会文へ移る。
「包みの方は読みたい」
「どうして」
ダンが尋ねた。
「俺が送った手紙に使った物かもしれないから」
「夢より、本物に近い?」
「物がある。でも、同じ包みかは分かってない」
「それでも読む?」
「はい」
トウマは、すぐに返答欄へ丸を付けなかった。
「言葉だけ送ってもらうんじゃなくて、分かってることも一緒にほしい」
「何を知りたい」
「誰が最初に見たか。何人が同じ字を読んだか。どこに書いてあったか。同じ包みだと思う理由と、同じじゃないかもしれない理由」
少し考えてから、もう一つ加えた。
「それと、サクさんたちが、その言葉を何だと思ったかは、後にしてほしい」
「最初は事実だけ?」
「はい。俺が読んで、自分が最初にどう思ったかを書いてから、みんなの考えを読む」
リーネは頷いた。
「他の人の解釈が入る前の、あなたの第一記録ですね」
「前にサクさんたちがやったのと同じ?」
「似ています」
「同じ?」
「あなたは文字を読みます。朔さんたちは崩れる道で声を聞きました。条件は違います」
「じゃあ、同じ方法じゃなくて、同じように分ける」
トウマは二つ目の返答を書いた。
二、油紙様物の内側にある言葉は読みます。
最初に、言葉そのものと、物の状態、確認した人数、同じ包みと考える理由と違う可能性だけを送ってください。
その言葉について、サクさんたちがどう考えたかは、俺が最初の考えを書いた後に読めるよう、別の紙へ分けてください。
最後に日付と名前を書く。
トウマ
家名は足さなかった。
***
白い塔の街へ返答が届くと、ネラは二つの記録を別々に保管した。
睡眠中の表示については、開示保留。
油紙については、段階的開示。
「PENDINGは送らない?」
ユイが確認した。
「一番の照会について、今は読まないと答えています」
朔は自分の夢の記録を封印箱へ戻した。
「『まだ』は」
「二番の対象です。送ります」
トウマの指定に従い、最初の封筒には事実記録だけを入れた。
旧市場の床下から三度の音がしたこと。
返し口の窪みに、折り畳まれた油紙様物があったこと。
表に、ハル・ミナト宛ての手紙を包んだ油紙と同じ宛名と注記があったこと。
寸法、折り方、材質、朔の文字との一致が高いこと。
一方で、市場に同じ束の紙が複数あり、複製も可能であること。
内側を三人が別々に確認し、全員が同じ二文字を読んだこと。
その後に、文字だけを書いた紙を入れた。
まだ
朔たちの解釈は別の封筒へ入れ、表へ記した。
トウマさんが最初の考えを書いた後に開封する記録
「先に開けられたら」
グラドが聞いた。
「本人の選択です」
ネラが答えた。
「手順を破ったことには」
「本人が自分のために指定した順序です。本人が変更することもできます」
「では、封印する意味は」
「どこで順序を変えたかが分かります」
最初の封筒と、解釈を入れた封筒には、別々の番号が付けられた。
誰かが一つへまとめ直さないように。
***
トウマは最初の封筒を、リーネの家で開いた。
今回はダンも同席したが、二人とも先に資料を読まなかった。トウマと同じ時に、同じ順番で読む。
物の発見状況。
三人の確認。
同じ包みである可能性。
別物である可能性。
最後に、二文字。
まだ
トウマは、その紙から目を離さなかった。
昨夜まで、音として分かれていた言葉が、今は黒い字になっている。
だが、字がはっきりしたことで、文まで完成したわけではなかった。
「最初に思ったことを書きます」
誰に言うでもなく、トウマは宣言した。
新しい紙に記す。
俺は、この「まだ」を、道の向こうで手紙を受け取った人が書いたと思いました。
筆が止まった。
「次は?」
リーネは内容を促すのではなく、続きを書くかだけを尋ねた。
トウマはもう一度、二文字を見た。
俺は、「返事はまだ」の続きだと思いました。
さらに、
「まだ返事をしない」「まだ読んでいない」「まだ来ないで」「まだここにいる」のどれかもしれないと思いました。
と加えた。
「ほかにある?」
ダンが聞いた。
「もっとあると思う。でも、今思ったのはこれ」
「誰が書いたと思う」
「ハルだと思いたい」
トウマは、その言葉も書いた。
俺は、ハルが書いたと思いたいです。
その下へ、間を空けずに続ける。
でも、ハルが書いたとは確認していません。ヴァルハと名乗った人が書いたとも、まだ確認していません。
書き終えると、トウマは紙をリーネとダンへ見せた。
「これが最初の考え」
「はい」
「次の封筒、開けていい?」
「あなたが決めます」
「今、開ける」
別封筒には、朔、ユイ、ガル、フェルたちの発言が入っていた。
朔は、道の向こうで手紙を受け取った者が書き、返したのだと思いたい、と記録していた。
ユイは、何にも関係のない文字とは思えない、と述べている。
フェルは、返書、返答、ヴァルハの筆記という三つを未確認として分けていた。
ガルは、音だけだったものが紙に書かれたことを進展だと認めながら、誰の返事かは分からないと答えていた。
最後に、朔自身の関連づけがあった。
退避時に聞いた「返事は。まだ」。
睡眠中の表示。
油紙の「まだ」。
三つが同じ返答の周りにあるように感じている。
ただし、返答継続を望む自分の願いが、その関連づけへ影響している可能性がある。
「夢の詳しい言葉は入ってない」
トウマが言った。
「あなたが、今は読まないと決めたからですね」
「でも、三つあることは分かる」
「朔さんがそう感じている、ということは書かれています」
「それだけでも、夢の方を読みたくなる」
「はい」
トウマは一番の照会への返答を取り出した。
今は読まない。
後で読みたいと思った時に、もう一度聞く。
「変える?」
ダンが尋ねた。
「今は変えない」
「読みたくなったのに」
「なった。でも、今すぐ読むって決めたら、『まだ』を一つにしたいから読むことになる」
「それが悪い?」
「悪いとは決めてない。でも、俺は今、答えがほしい」
トウマは正直に認めた。
「だから、今は読まない」
読みたいという気持ちが強くなったことで、読まないという選択の意味も変わった。
知らなくてもよいから読まないのではない。
知りたいまま、今は読まない。
***
その日の午後、トウマは村の掲示を更新しなかった。
油紙のことを知っているのは、トウマ、リーネ、ダンだけだった。村の者へ公開する許可は、まだ決めていない。
「ハルから返事が来たのか」
畑で働いていた男が、噂を聞いて尋ねた。
「そうは確認していません」
「何か戻ったんだろう」
「物が戻ったと聞きました」
「何が書いてあった」
「今は言いません」
「悪いことか」
「公開していいか決めてないだけです」
「待てってことか」
その言葉に、トウマは顔を上げた。
「誰が?」
「ハルが」
「ハルが書いたと確認してません」
「じゃあ、向こうの黒い奴が」
「その人が書いたとも確認してません」
「でも、何かあったんだろ」
「はい」
「なら、お前は待つしかないな」
トウマはすぐには答えなかった。
男に悪意はなかった。行方の分からないハルを、弟のように慕っていたトウマへ、希望を残そうとしているのだろう。
それでも、「待つしかない」という言葉は、トウマの残りの時間を一つの役目へ変えようとしていた。
「俺は待ちます」
「そうか」
「でも、待つしかない、ではありません」
男が手を止めた。
「畑もする。字も習う。寝る。遊ぶ。サクさんに手紙も書く」
「ハルを忘れる?」
「忘れません」
「なら」
「覚えてることと、ずっと同じ場所で待つことは違います」
トウマは、自分が言った言葉を確かめるように繰り返した。
「俺はハルを待つ。でも、待つ人だけにはなりません」
男はしばらく黙ってから、「分かった」と答えた。
本当に分かったかは、トウマには確認できない。
それでも、自分が何を選んだかは言えた。
***
夜、トウマは朔へ返す記録を書いた。
油紙の「まだ」を読んだこと。
最初に、手紙を受け取った者が書いたと思ったこと。
「返事はまだ」の続きだと思ったこと。
ハルが書いたと思いたいこと。
それらを、確認された事実にはしていないこと。
夢の詳しい表示については、読みたくなったが、今はまだ読まないこと。
そして、村で言われた「待つしかない」という言葉についても記した。
「まだ」が、俺に待てと言った言葉かは分かりません。
俺は待ちたいです。でも、その言葉を理由に、俺の役目を待つことだけにしないでください。
少し考え、最後へ加える。
次に道へ行くかどうかも、「まだ」が決めたことにはしないでください。
署名する。
トウマ
封をする前に、リーネへ文字だけを確認してもらった。
「変えたいところは」
「ありません」
「明日の自分が変えたくなるかもしれない」
「はい」
「でも、今日は送る」
「はい」
トウマは封をした。
机には、油紙の二文字を写した紙が残った。
まだ
時間を止める言葉にも見える。
続きを残す言葉にも見える。
拒む前の言葉にも、帰る前の言葉にも見える。
トウマはその紙を、ハルの記録の箱には入れなかった。
誰が書いたか、まだ分からないからだった。
自分の机の引き出しへ入れた。
今の自分が読んだ言葉として。
そして翌朝、畑へ出た。
待つことをやめたのではない。
待つことに、自分の名前を全部渡さなかった。




