第十章 返事の輪郭 ③ 封をした時刻
翌朝、トウマは机の上に置いた手紙を、最初から読み直した。
昨夜と同じ字だった。けれど、同じ意味には見えなかった。
特に気になったのは、最後に書いた一文だった。
返事をするなら、その人が今答える名前で答えてほしいです。
トウマは何度か声に出した。それから、台所で薬草を刻んでいたリーネを呼んだ。
「これ、返事をしろって言ってるように見える?」
リーネは手を洗ってから紙を読んだ。
「そう読む人はいると思います」
「俺は、答えるならって書いた」
「はい」
「でも、返事をするなら、って最初に言ってる」
「返事をすること自体を求めているようにも読めます」
トウマは椅子へ戻った。昨日の自分が間違っていたとは思わなかった。返事を待ちたい気持ちは、今もある。
ただ、その気持ちを手紙の受取人へ渡し、返事をしなければならない役目にしたくなかった。
「消さない方がいい?」
「書き直す前の考えも残したいなら、線を引いて読めるようにしてはどうですか」
トウマは一文へ細い線を引いた。文字を塗り潰さないように気をつけ、その下へ新しく書いた。
もし、その人が自分から返事をするなら、今答えたい名前で答えてください。
少し考え、さらに一文を加える。
名前を答えたくなければ、答えなくていいです。
「今度は?」
「返事も名前も、相手が決めると読めます」
「俺が聞きたい気持ちは、消えてない?」
「最初の方に書かれています」
トウマは前の頁を開いた。
俺は「まだ」の方を聞きたいです。
その一文は変えなかった。
願いを消すのではなく、願いを命令にしない。その違いが、昨日より少しだけ分かった。
手紙の末尾には、もう一つ加えた。
これは、返事を確かめるために、もう一度会いに行ってほしいというお願いではありません。
そこでトウマは筆を置いた。
「もう送れる?」
「内容を決めるのは、あなたです」
「字が読めるか見て」
リーネは一度だけ読み、誤字を二か所示した。言葉は変えなかった。
ダンにも確認してもらった。ダンは文面を読み終えると、「俺の考えを言うか」と尋ねた。
「今は、いらない。変なところだけ教えて」
「変というのは、読めないところか。意味が違って見えるところか」
「両方」
ダンは、最後の一文を指した。
「『もう一度会いに行ってほしいというお願いではありません』は、今後ずっと行くな、という意味ではないんだな」
「違う」
「なら、それも書くか」
トウマは迷った。
「書いたら、行ってもいいって意味にならない?」
「なるかもしれない」
「じゃあ、今は書かない」
「分かった」
「行くなとも、行けとも決めてない。今は、返事を確かめるためだけに行ってほしくない」
「それなら、そのままで読める」
トウマは日付を書いた。その横へ、昨夜に書き始め、今朝読み直して一部を変更したことも記した。
変更前の文は、線の下に残っている。
最後に封をした。
封をすることは、この言葉が今後変わらないと誓うことではない。今日の自分が、今日送ると決めた形を示すためだった。
***
返事が白い塔の街へ届いたのは、五日後だった。
朔はまだ杖を使っていた。平地なら自分で歩けるが、階段と急な方向転換は禁止されている。旧紙倉へ来る時も、裏の緩い坂を使った。
封筒の宛名は二段に分かれていた。
黒川朔さんへ
一緒に帰ってきた人たちへ
「最初から全員で読む?」
ユイが尋ねた。
「表の紙を確認します」
朔が封を開くと、一枚目には開示範囲が書かれていた。
この返事は、サクさんと、一緒に帰ってきた人たちが読んでいいです。
村の人へ見せた紙は別にあります。この手紙を、街の人みんなへ見せていいとは決めていません。
十人のうち、その場にいたのは七人だった。イサラとエリオは中央で報告中、ガドは仕事へ戻っている。
「全員が揃うまで待つか」
フェルが言った。
「先に読んだ者が説明すると、説明した人の言葉が入ります」
ネラは封筒の到着時刻を記録した。
「では、保管して待ちますか」
朔は手紙を見た。早く読みたい。それを否定する必要はない。
「待ちます。ただし、今日中に全員へ到着を知らせます」
「中央にも?」
「内容は知らせません。手紙が届き、開示範囲に同行者十名が指定されていることだけ伝えます」
夕方、十人が揃った。朔たちは、トウマが書いた順番のまま手紙を読んだ。
最初に、全員の帰還への礼があった。次に朔の膝を休ませるよう書かれていた。
そして、返事について。
トウマは「まだ」の方を聞きたいと書いていた。だが、自分が聞きたい言葉を、ヴァルハと名乗った者の返事にはしないとも書いている。
「しない」に近いと聞いたリオの記録も消さないでほしい。
返事を確かめるためだけに、もう一度行かないでほしい。
変更前の一文には線が引かれていた。
返事をするなら、その人が今答える名前で答えてほしいです。
その下に、今朝書き直した文がある。
もし、その人が自分から返事をするなら、今答えたい名前で答えてください。
名前を答えたくなければ、答えなくていいです。
「変えた理由は書いてない」
ユイが言った。
「本人へ聞けば、答えるかもしれません」
フェルは変更前後を見比べた。
「でも、変更の理由を答える義務はありません」
「前の言葉は間違い?」
「間違いとして消したのではなく、送る文から外したように見えます」
朔は線の下の文字を見た。
「昨夜は、返事をすることを前提に書いた。今朝は、自分から返事をする場合に変えた。そのようにも読めます」
「トウマが、そう考えたと書く?」
「書きません。文章の違いとして記録します」
ネラが変更箇所をそのまま写した。解釈は別欄へ置いた。
最後の一文まで読み終える。
これは、返事を確かめるために、もう一度会いに行ってほしいというお願いではありません。
グラドは中央から持参した分類票を開いた。
「これは再踏査への不同意として処理できますか」
「できません」
朔が答えた。
「なぜです」
「返事を確かめることを目的とした再訪を求めていない、と書かれています。今後の全ての踏査を禁じるとは書かれていません」
「では、再踏査への同意でもない」
イサラが続けた。
「はい」
「中央の案では、どちらかを選ぶ必要があります」
用紙には二つの欄しかなかった。
追加接触を希望する
追加接触を希望しない
ユイが用紙を見て言った。
「どっちも、トウマが決めたことより大きい」
「はい」
フェルは新しい紙を出した。
「欄を増やします」
「中央様式を変える権限は」
「ありません。だから様式外回答として添付します」
記録には、次のように書かれた。
トウマは、返答内容の確認のみを目的とする再接触を求めていない。
今後の全接触、踏査、偶発的な応答を一律に拒否したとは確認していない。
トウマの手紙を、新たな接触を行う許可または命令として扱わない。
ヴァルハと名乗った者が自発的に応答した場合、本人がその時に答えた名を記録する。名乗りを要求しない。
「最後」
グラドが指した。
「トウマの希望ですか。それとも現場側の手順ですか」
「分けます」
前半はトウマの手紙から確認できること。後半は、その手紙を受けた現場側が今後守る手順として、別の見出しへ移した。
「混ぜるところだった」
ユイが言った。
「はい」
フェルは訂正前の紙を捨てず、線を引いて添付した。
***
手紙を読み終えた後、朔は一枚の記録を机へ置いた。
白い場所で見た夢の記録だった。
MESSAGE:RECEIVED
RESPONSE:PENDING
宛先欄の空白と、H.M.、V―に見えた表示。手紙を持つ人影。
「トウマさんへ送る?」
ノエが尋ねた。
朔はすぐには答えなかった。
「この記録は、手紙を送った後に俺が睡眠中に見たものです」
「関係するかもしれない」
「はい」
「関係しないかもしれない」
「はい」
「隠す?」
ユイが聞いた。
「隠すことと、本人へ確認せずに渡さないことを分けたいです」
トウマは、踏査に参加した十人の知覚を受け取ることを許していた。だが、朔の睡眠中の表示まで送ってほしいとは書いていない。
「送ると」
リオが夢の記録を読んだ。
「PENDINGが、まだの証拠みたいに見える」
「俺も、そう読みたくなります」
「なら、なおさら勝手に送らん方がええ」
「でも、後で知ったら、どうして言わなかったと思うかもしれない」
「選ばせるか」
ネラが言った。
「内容を先に知らせず、種類と限界だけ伝えて、読みたいか尋ねる」
朔はトウマへ短い追伸を書いた。
手紙を渡した後の夜、俺は睡眠中に、手紙と返事に関係するように見える白い表示を見ました。
夢、記憶、道の現象のどれかは分かりません。
表示の詳しい内容を読みたいか、先にトウマさんが決めてください。
読まないと決めても、今後の手紙や記録を送れなくなることはありません。
「PENDINGは書かない?」
ユイが聞いた。
「それを書いた時点で、内容の一番強い部分を見せることになります」
「H.M.も」
「書きません」
「何も分からない」
「何についての情報かと、どの程度不確かかは伝えます」
「選ぶために足りる?」
朔は追伸を読み直した。
「手紙や返事に関係するように見える表示、だけでは広すぎるかもしれません」
少し考え、もう一文加えた。
表示には、手紙が受け取られたことや、返答が決まっていないことを示すように読める語がありました。
具体的な語はまだ書かない。だが、希望を生みうる内容であることは隠さない。
「俺なら読みたくなる」
ユイが言った。
「はい」
「それも影響?」
「あります」
「じゃあ、聞かない方がいい?」
「読みたくなる可能性を理由に、選ぶ機会まで奪いません」
トウマの返事と、朔からの照会は別の封筒へ入れられた。
返事を受け取ったことへの礼。
内容を共同で読んだこと。
再接触の許可とは扱わないこと。
そして、睡眠中の未確認記録を読みたいかという問い。
返答期限は付けなかった。
***
その日の夜、カイ・ノルが旧紙倉へ来た。
「トウマから返事が来たって、もう広がっとる」
「内容は公開していません」
「だから、何か隠したって言う人もおる」
「本人が公開を許可していません」
「何も出さん?」
「届いたことと、公開範囲が限定されていることは伝えられます」
「それだけやと、また誰かが作る」
「作る可能性はあります」
「じゃあ、先に短いのを」
カイは紙を出した。
トウマ、再接触を拒否。
裏には別案がある。
トウマ、ヴァルハからの返事を待つ。
「どっちも書ける気がする」
「だから、どちらも使いません」
「でも、何もないと」
「トウマさんの私信を、噂を止めるための道具にはしません」
カイは二枚を見比べた。
「本人を守って、街は分からんまま?」
「はい」
「それでいい?」
「街が知りたいことと、本人が公開したことは同じではありません」
カイはしばらく黙り、二枚へ線を引いた。
「じゃあ、これは?」
新しく書いた文は短かった。
トウマから関係者へ返事が届きました。内容は本人の許可なく公開しません。
「事実です」
朔が答えた。
「何も分からんって怒られる」
「はい」
「隠してるって」
「本人が閉じた範囲を守っている、と説明してください」
「俺の名前」
「書いてください」
カイは末尾へ署名した。
掲示作成:カイ・ノル
その下に、情報源として朔たちの名を置こうとしたが、朔が止めた。
「俺たちが内容を確認したことまで公開する許可は、手紙にあります。ですが、掲示の作成者ではありません」
「じゃあ」
「受領確認は、関係者記録に保管。掲示の判断はカイさん」
「責任」
「はい」
カイは自分の名前だけを残した。
掲示には、トウマが「まだ」を望んだことも、「しない」を選ばなかったことも書かれなかった。
それらは消されたのではない。
本人が公開してよいと決めていない場所に、留められた。
朔はトウマの手紙を封印箱へ入れる前に、変更された一文をもう一度見た。
昨夜の言葉。
今朝の言葉。
どちらもトウマが書いた。
だが、送られたのは今朝の言葉だった。
封をした時刻は、その時の判断を記録する。
過去のトウマを間違いにせず、未来のトウマを拘束もしない。
返事は届いた。
それでも、次に何をするかは、封筒の中から自動では出てこなかった。




