本館
作業場を突っ切って進むと、本館側の厨房に出た。
だいぶ荒れている。調理器具は出しっぱなしだし、各所が油で汚れている。ちゃんと洗っているのかも不明。あまり視界に入れたくないが、見覚えのある昆虫も生息していた。衛生面は最悪と言えるだろう。
絶対にこんな食堂でメシを食いたくない。
厨房から出ると、食堂に出た。
薄暗い店内に、まばらな客。俺は勝手に食堂だと思い込んでいたが、もしかするとバーだったのかもしれない。足を投げ出したガラの悪い客が、酒を飲んでいる。
そいつらは俺たちの姿を見るや、目を細め、睨み、そして指の隙間から覗き込んできた。「なんだ人間かよ」やら「餌が来たぞ」やら言って笑う。
俺たちはさっさと店を出た。
いきなり最悪だ。
どんな治安状態なのか少し分かった気がする。
「ボス、危険なエリアには入らないって言いましたよね?」
俺が苦情を申し立てると、生倉さんは目を細めてこちらを向いた。
「言いました。そしてその通り、まだ危険なエリアには入ってません」
「どう考えても危険でしたよ?」
「違いますね。彼らはたしかに、私たちを笑ってました。ですが、全然紳士的ですよ。危険というのは、見つけ次第命を狙ってくるものを言うのです。彼らはお酒を飲むためにあそこにいるのです。食事のためではありません」
安全の基準がぶっ壊れてる。
不命者たちは、人間のことを、歩く昼メシくらいにしか考えていないのかもしれない。
「さ、こっちですよ」
生倉さんは道を知っているのか、ためらいもなく歩き出した。
老朽化した木の廊下に、白熱灯がぶら下がっている。
別館と変わらない。
こうして歩いていると、ここが本館だということを忘れてしまいそうになる。
いや、忘れるつもりだったが……。後ろからなにかがついてきている。子供だろうか? いや、小柄な大人か? 少女にしか見えない。
「ツケられてますけど?」
「おそらく見張り役でしょう。いつものことです」
いつもこうなのか……。
廊下の脇道から、人の手が伸びていた。
奥で誰かが倒れている?
生倉さんは素通りした。俺も通り過ぎるついでに、ちらと見た。
腕が……ずーっと奥まで続いていた。先は暗闇で見えなかったが。餌を捕まえるための罠だったのかもしれない。
ちょっと歩いただけでコレだ。
帰りたい。
*
ふと、生倉さんが足を止めた。
「ここですね」
そのドアは、ド派手なペンキでピンクに塗られていた。
のみならず、チャイムまでついている。
俺たち人間より豊かな暮らしをしているヤツがいるのか?
生倉さんはチャイムを慣らし、こう声をかけた。
「こんにちは。生倉探偵事務所のものです」
「はい? どうかなさいました?」
奥から、物腰の柔らかそうな中年女性が出てきた。
エプロンをしている。
ツノはない。
というか人間にしか見えない。
「ご依頼の久留須さまが見つかりましたので、ご報告にあがりました」
あろうことか生倉さんは、そんなことを言った。
いやいやいや。
見つけてない。
見つからなかったから本館まで来たのに。
なんでそんなすぐバレるウソをつくのだろう。
戦闘の準備をしておいたほうがいいのか?
女性は慌てた様子を見せた。
「み、見つかった? いえ、ですが奥さまは……」
「ご在宅ですよね?」
「お引き取りください」
「会えませんか? もし追い払うというのなら、いまここで、大きな声でご報告しますよ?」
なんだこの展開。
俺は置き去りか?
奥から別の女性が出てきた。
「お入りなさい」
タマネギみたいなヘアスタイルの老女だ。
ピンクのドレスを身にまとっている。
*
壁紙もピンク。
カーペットもピンク。
ソファもピンク。
頭がどうにかなりそうな部屋だった。
「あてくしね、このあと動画配信の予定がありますのね。ですからね、なるたけ手短にお願いしますわね。ふん。ね?」
ピンクのネコ……ではなく謎の毛玉を撫でながら、タマネギの女性は言った。
すると赤尾さんが、護符を取り出した。
「ご依頼の久留須さんですが、変質を考慮に入れた上で捜索しましたところ、どうやらお客さまのご自宅にいらっしゃることが判明しました」
「ふんふん。ふんふんふんふん。ね? 証拠はあるのかしらね? ふん。ね?」
「そこの壁から反応がありますよ。壁紙を剥がしたら、そこに『いる』んじゃないですかね」
「ンマーッ! なんてぶしつけなの!? あてくしの家の壁紙を? 剥がす? なんの権限があって言ってるの? ねっ?」
怒り出してしまった。
まあ怒るだろう。
俺は無関係ということにしておいて欲しい。
すると玄関のドアが開き、つば付きの帽子をかぶった男が入り込んで来た。痩せこけていて、目がギョロギョロしている。
「あなたを……逮捕です」
俺?
いや、生倉さんか?
文書を偽造したのは彼女だ。俺じゃない。
男は土足のまま上がり込んでくると、壁紙に手をかけ、一気にむしり取った。
が、なにもない。
ただの木の壁が出てきた。
生倉さんは言った。
「そっちではなく、こっちです。植物の脇」
「ここかな?」
男が壁紙をむしると、一気に部屋が明るくなった。
現れたのはオレンジ色の水槽。
ぶち抜かれた壁の奥に、ぽつんと置かれていた。
男は表情のない顔で言った。
「人間の探偵どの。協力に感謝いたす。近ごろ、この手口での失踪事件が相次いでおりましてな」
「協力したおぼえはありませんが……」
生倉さんは真顔でそんなことを言った。
なんだ?
この男はこの家を張っていて、証拠が見つかるのをずっと待っていたということか? それで逮捕できそうだから乗り込んで来たと?
タマネギ婦人は崩れ落ちた。
「違うのね。ぜんぜん違うのね。あてくしね、耐えられなかったのね? あの人ったら、毎日毎日、酔っ払って帰ってきては……黒く塗れ、黒く塗れって……。なんで分からないの? ピンクでいいじゃないの! ねっ?」
「逮捕です」
「うわああああっ」
いや、毎週同じ内容の刑事ドラマでももっとマシな展開になるぞ。
なんだよこのクソみたいな流れ。
怒るぞ。
生倉さんも困惑した表情だ。
「待ってください。まだ成功報酬を受け取ってません」
「ですが、逮捕ですので」
「正式な依頼を受けてるんです!」
「ですが、連行しますので」
骸骨みたいな帽子の男は、機械的な返事を繰り返すばかりだ。
*
結局、タマネギ婦人は連行されてしまった。
すると残された俺たちに、エプロンの女性が語り始めた。
「奥さまは、旦那さまと内装について毎日揉めていました。そんなある日、他者を液化させる術の存在を知ったのです。きっかけはセミナーでした。有名な陰陽師の先生が、本館の住人向けに術を教えていて。そして術を習得した奥さまは、時間をかけてじっくりと旦那さまに術をかけ……」
聞いてもいないのに急に喋る。
まあ教えてくれるのはありがたいが。
生倉さんも溜め息だ。
「ひとつだけ分からないのは、なぜ弊社に依頼を出してきたのか、ということです」
そうだ。
行動が矛盾している。
女性は沈痛なおももちで語った。
「旦那さまは、禁足地で調理師をしておりました。ですが、急に姿を消したものですから、近隣でも噂になり始め……。やがて警察からも疑いの目を向けられるようになりました。そこで、探偵に調査依頼を出すことで、自分への疑惑を晴らすつもりでいたようです……。しかし結果はご覧のありさまに」
なるほど。
だから本館にはいないと言ったのか。
そして空気を読まない生倉さんが、失踪者を発見してしまった。
まあ動機は分かるし、解決したからよかったようなものの、なにからなにまでクソ事件だったと言わざるをえない。
大丈夫なのか?
赤尾さんがネクタイを直し、いつになくシャッキリした顔で言った。
「見たところ、あなたは我々と同じ人間のようですな。このあと、どうなさるおつもりです? よろしければ、私たちが別館での生活をサポートいたしましょうか?」
「お気遣いありがとうございます。ですが、大丈夫です。夫のもとへ戻りますから」
「あ、そう……ですか……」
ん?
まさか口説こうとしていたのか?
こんなときに?
*
骨折り損のくたびれ儲けとはこのことだな。
タダ働きだけさせられて、まったく利益を得られなかった。
「ちゅちゅちゅ。見たっちゅよ。人間の癖に術を使って、事件を解決したっちゅね……」
廊下に出た俺たちは、さっきツケてきた少女と出くわした。
目を細めて、じつに愉快そうに笑っている。
服装は小汚い。まるでどこかの野良猫みたいだ。口調のアレな感じも含めて。
生倉さんは溜め息だ。
「ご要望は?」
「黙っててやってもいいっちゅよ。けど、タダとはいかないっちゅ。一人500ってとこっちゅねぇ」
500?
本館には貨幣制度が存在するのか?
すると赤尾さんが懐から紙を取り出し、少女に見せつけた。
「じつは別件で依頼を受けていてね。近ごろ、因縁をつけて賄賂を要求する不正役人がいるから、見つけ次第捕まえて、お上に通報するように、と」
「ちゅっ!?」
「ただ、俺たちも事件を解決したばかりで、とても疲れていてね。できれば余計な仕事はしたくないんだ。そこで、どうだろう。お互い、なにも見なかったことにしないか?」
「す、するっちゅ! するっちゅから! 許して欲しいっちゅ!」
急にわたわた慌て始めた。
俺たちを脅してウマいメシでも食うつもりだったのか。
「なら、合意だね。もう行っていい。こんなこと二度としないように」
「分かったっちゅ! さよならっちゅー!」
クソガキは凄まじい速度で走り去った。
チューチュー言ってたからネズミの一族だろうか。いや、それはさすがに安直か。まあいい。いまはどうでもいいことに頭を使いたくない。
赤尾さんは苦笑しつつ紙をしまった。
「用意しておくもんですね。文書の偽造が癖になりそうですよ」
「あんまり物騒なこと言わないでください」
さすがの生倉さんもジト目だ。
ま、俺も偽造だと思ってたよ。さすがに。
「帰りはどうするんです?」
俺がそう尋ねると、生倉さんは疲れた顔になんとか笑みを浮かべて応じた。
「また禁足地を通って、別館に戻りますよ」
事務所もこの本館にあるのに、わざわざ別館を経由するのか。
それだけ本館が危険ということなのかもしれない。
それにしても、本館には、衛生管理局や警察といった行政機関が存在しているようだ。通貨まで流通している。別館とは異なり、まともな統治機構らしきものが存在している。
かなり長い歴史がありそうだ。
まあ、別館にも自称共和国が存在したが……。
「けど、一体どうやって犯人を特定したんです? 術っていっても……」
俺の問いに、生倉さんは肩をすくめた。
「さきほど家政婦さんの言っていたセミナーですが。あれを主催した陰陽師というのは、先生のことなんです。テレビ通話で先生本人に確認したので間違いありません。依頼主が受講生だったことも確認済みです」
「え? じゃあ事前に犯人が分かってたってことですか?」
「はい。ですが、裏を取らないといけませんから。念のため別館と禁足地も調査しました。もしそこで見つかったら、プランを変更しないといけませんから」
ほとんど結末の分かっている調査を、あえてしたというわけか。
しかも横から警察に手柄を奪われた。
結果、一円にもならず。
とはいえ、俺の頭の中は、あの巨大な樹木のことでいっぱいいっぱいだった。もうタマネギ婦人の印象すら薄れつつある。
頭がパンクしそうだ。
さっさと帰ってイチカと一緒に寝たい。
(続く)




