樹
ボスはかなりの時間をかけて、ドライヤーで髪をかわかし、メイクも完成させて出てきた。
「お待たせしました」
いつもの生倉さんだ。
艶のある長い黒髪が、黒のスーツによく映える。
だが、あまりにも時間をかけ過ぎたようだ。
「え、おそば食べてるんですか? 私のぶんは? これ? もはや汁が存在しないといっていいレベルなのですが?」
この苦情に、赤尾さんは顔をしかめた。
「残念でしたね。もっと早く出てきたら、コンディションのいいそばが食えましたよ」
「えー……。これパワハラですよね?」
「依頼の件、俺から霧島くんに説明しておきました」
「うー」
反論できなくなって子供みたいな声を出した。
空気が悪くなる前に、俺は挙手をして質問した。
「禁足地、初めてなんですが。危険性はないんでしょうか? ああ、見聞きしたことを外で言っちゃダメってことだけは聞きました」
生倉さんは釈然としない様子だったが、やや困惑を引きずりつつも質問に答えてくれた。
「ええ。はい。基本的には、それでオーケーです。あとは……。現地では、人間は珍しい存在なので、じろじろ見られると思いますが、なるべくにこやかな笑顔で乗り切ってください。間違っても睨みつけたりしないように」
「しませんよ」
そういうのをスルーするのは得意だ。
俺はそもそも自分を上等だなんて思っていない。異物扱いされるのには慣れている。
赤尾さんは溜め息をついた。
「ま、霧島くんなら大丈夫でしょう。いやね、むかしいたんだよね。ケンカっぱやくて不命者の方とトラブルになったのが」
「事務所の人ですか?」
「そう。でももういないよ。死んじゃったからね。うちは探偵事務所だって言ってんのに、戦うことばっかり考えててね。しかも特に強くなかったんだ。銃を渡されて、自分が何倍かの人間になったように感じたんだろうね。道具だけ立派でも、使う人間がアレじゃあな」
「俺も気を付けます」
他人が失敗例を示してくれたのだ。俺まで同じミスをすることはない。死んだ人間からでも学べることはある。
*
数日後、食堂に集合した。
あまり混雑しない時間帯を選んで。
今日は俺もスーツ姿だ。
なんか着慣れない感じもあるが……。まあよかろう。
婆さんは梅干しみたいな顔で出迎えた。
「はぁ、ったく。厨房に入りたいって? 許可はあるみたいだね。入りな」
素直に通してくれるとは、なかなかかわいいところがある。
*
厨房のドアを開けると……そこはなんの変哲もない作業場だった。床や壁はタイル張り。
テレビなんかで見る、定食屋のキッチンといった感じだ。一人で使うには広すぎる。きっとピークタイムにだけ調理師が来て、作業が終わると去ってゆくのだろう。
よく片付いている。
奥には長い通路が見えた。
白熱灯が連なっているだけの廊下だ。
いや、もっと奥に明かりが見える。
ひらけた場所につながっているようだ。
「行きましょう」
生倉さんが先頭に立って進んだ。
厨房にこんな通路があるのは不思議だが……。先が本館につながっていることは分かっているので、特に不安はなかった。
いまのところ、見てはいけないものもない。
進んでいくと、会話するような声が聞こえてきた。声というか喧騒というか。一斉に喋っているので、個別に聞き取れるようなものではない。
大勢の調理人が働いているのだろう。
大部屋に出た。
そこは、俺が予想していたような場所ではなかった。
なんというか、採掘場みたいだ。
巨大なホールに、木造の足場が組まれているような……。
いや、そんなものはいい。
ツノの生えた人々が血まみれになって働いているのも、まあいいだろう。
俺は立ち尽くしたまま、そいつから目を離せなかった。
そいつ――樹だ。
たぶん。
部屋の中央に、一本の大樹がそびえ立っていた。
枝の代わりに、謎の房をつけている。
房は胎動しているように見える。
作業員たちは互いに協力し、その房をのこぎりで切り落としていた。切り込まれるたび、切断面から勢いよく血液を噴いた。
「よし運べぇ!」
「もたもたすんなぁ! 昼メシに間に合わなくなんぞぉ!」
その房は、人間の大人くらいのサイズがあった。
血まみれの房が切り落とされると、作業員たちが群がって、台車に載せて運び出した。見ると、その先に作業台があった。そこで不要な部分を切り落とし、床の隙間から奈落のような闇へ捨てているようだった。
「これは……なにを……?」
俺が尋ねると、生倉さんは無表情で向き直った。
「知る必要はありません。それよりも、ターゲットを探すことに集中して」
ターゲットを探す?
みんな頭にツノが生えている。
どいつもこいつも区別がつかない。
彼らは、急に入ってきた俺たちを不審に思っているらしく、じろじろと見てきた。のみならず、指で印を作り、その隙間から覗き込んできた。
いや、いい。
それよりも。
この樹はなんだ?
なぜ出血する?
切り出されている房はなんだ?
最終的にどう扱われるのだ?
一人のツノ男が近づいてきた。
「ちょっとなんなの? ここ通るだけじゃないの? それとも見学? あんまし人間にうろうろされると困るんだけどねぇ」
嫌味ったらしい物言いだ。
彼らは全体的に、人間よりも少し背が低いようだ。頭にツノがある。だが、違いはそれだけ。言葉も仕草も俺たちと違わない。
赤尾さんが目をしょぼつかせながら言った。
「人探しを依頼されましてね。作業の邪魔はしません。ですので、あなたも俺たちの邪魔をしないように。いいですね?」
ケンカするなと言っていた本人がこれか?
ツノ男も不快そうに顔をしかめている。
「おい。ここの現場を任されてんのは俺だ。誰を探してんのか知んねーが、俺の許可ナシに勝手なマネすんじゃねーよ」
「おかしいな。もっと上から許可が出ているのに。あなたの判断で許可を取り消すと?」
「上? だ、誰のこと言ってんだ? え? フカしてたらタダじゃおかねーぞ?」
ふん、いきなり慌ておって。
こうなるケースを最初に想定しなかったのか?
だが、俺には不安もあった。
これが赤尾さんの勝手なハッタリなのではないかと。
生倉さんがスーツのジャケットから紙を取り出した。
「本館の衛生管理局から許可を得ています。できればご協力いただけますと幸いです」
「かーっ……」
男は目を丸くしたまま絶句してしまった。
「では失礼」
生倉さんが歩き出したので、俺たちもあとに続いた。
ともあれよかった。
正式な許可を得ていたようだ。
赤尾さんが肩をすくめた。
「バレませんでしたね」
「ええ。もし偽造だとばれたら禁固刑ですから」
おい。
ちゃんと許可取れよ……。
なんなんだよ。
探偵という名の犯罪組織じゃねーか。
俺は頭がどうにかなりそうだった。
「あのー、いろいろ疑問なんですが……。なにも考えないほうがいいんでしょうね」
「はい。その通り。ターゲットを探すことに集中してください」
「特徴は?」
「忘れましたか? 頭にツノのある男性ですよ」
忘れてない。
該当者が多すぎて困っている。なんならツノがないのは俺たちしかいない。
「目視による確認は不可能では?」
「まあ見ていてください」
なにか策があるのか?
まあ無策で乗り込むわけもないから、いちおうはあるんだろう。
さっきの許可証みたいな策が。
大丈夫かなこの職場……。
床板は足場として組まれているだけなので、隙間なくビッシリと敷き詰められているわけではない。細くはないが、ただの通路だ。柵で囲まれており、下を覗ける。光がないから真っ暗闇だが。
いや……黒一色ではなく、なにがしかの色がついているような。かすかに淀んでいるようにも見える。
「おい、落ちるぞ」
「すみません」
赤尾さんに注意されてしまった。
柵はツノ男たちのサイズに合わせてあるから、人間の大人からするとやや低い。バランスを崩したら乗り越えてしまいそうではある。
「遊んでないで行きましょう」
生倉さんはすたすた行ってしまった。
作業場を突っ切って本館へ向かったのではない。階段を使って下へおりた。
ここの作業場は、重層的に複数のフロアからなっていた。各フロアで作業員たちが房を切り出している。
下層で切り出された房は、滑車で上へあげられる。そいつは血を噴きながらビクビクしているから、死体が吊り上げられているようにしか見えなかった。
いや、俺が血だと思い込んでるだけで、じつは血ではない可能性もある。
植物から出ているのだから、樹液と考えるのが普通だろう。
赤い樹液を出す植物は、俺たちの世界にも存在する。成分はたしかポリフェノールだったか。絶対にありえない現象ではない。
ビクビクしている房も、ポリフェノールを溜め込んだ果実なのかもしれない。
ただ、あまりにも幹がデカい。
どこから生えていて、どこまで伸びているのか、まったく見えない。
いくらか下層へ降りたところ――つまり作業員のいないフロアで、赤尾さんが護符を取り出した。生倉さんはそれを使い、なにやら術を始めた。
「この者をお探しください」
この者?
護符のことか?
赤尾さんが教えてくれた。
「護符に固有情報を記憶してあるんだ。この情報でサーチすれば、見つかる。理論上はね。変質してる場合に備えて、いくつかバリエーションも用意してある」
変質、か。
以前の俺だったら聞き流していた言葉だ。それがいまや、かなり忌まわしい記憶をともなっている。
つまり、対象がオレンジのスープになっている可能性もあるということだ。
「もし見つからなかったら、次は別館ですか?」
俺の質問に、赤尾さんは肩をすくめた。
「別館はもう調べた」
「えっ?」
「もちろん全部じゃない。結界の張られたエリアはサーチできないからね。ただ、ふみこさんにも協力してもらって調べたんだ。それで見つからないんだったら、きっと歩いて探しても見つからないだろうね」
「なら、ここで見つかるのを祈るしかないですね」
「……」
なぜ渋い顔をする?
消去法でそうなるではないか。
依頼主は、本館にいないと言っている。別館も調査済み。となると、この禁足地にいると見るほかない。まあ、また別館に戻って探すというのなら別だが。
赤尾さんは話題をそらしたかったのか、急にテンションを変えて喋りだした。
「あ、そうそう。なんでこんな人気のない場所に来たかっていうとね。不命者の皆さんは、人間が術を使うのを嫌うんだよね。だからコソコソやらないといけないんだ。向こうが指の間から覗き込んできたからって、こっちも同じことをしたら、トラブルになるからね。気を付けて」
「はい」
お姉さんも、人の道を外れた技だと言っていたな。
本来、俺たちが使用すべき技術ではないのかもしれない。
生倉さんは印を解き、こちらへ向き直った。
「見つかりませんね。では、本館に向かいましょう」
「えっ?」
本館?
依頼主みずからが、そこにはいないと言っていたのでは?
それとも、依頼主に会って、見つからなかったことを報告するのか? テレビで通話すればよさそうなものだが。
というか本館は、危険だから行くべきではないと……。
生倉さんはかすかに笑った。
「もちろん本館を捜索しますよ」
「なぜ?」
「あくまで依頼主は、本館にはいないという情報を提供してきただけ。本館を捜索するなとは言っていません。そして依頼内容は? ターゲットの捜索です。依頼達成のため、本館を除外するわけにはいきません」
トラブルを起こそうとしているようにしか見えない。
だが、もし本館にいるのだとすれば、なぜ依頼主は捜索を依頼してきたのだろう?
行動が矛盾しているように思うのだが。
「本館、入って大丈夫なんですか? 俺、まだ死にたくないですよ」
「大丈夫。あまり危険なエリアには入りませんから。『通りゃんせ』までには帰れますよ」
時間になると主とやらが出るんだったか。
じつに気が滅入る。
「けど、不安だなぁ。依頼主、怒るんじゃないですかね? たぶん、調べて欲しくないから言ったんだと思うし」
「ええ。そうでしょうね。でも私、融通が利かないらしくて。よく父に怒られてました。ですが、やはり依頼を見る限り……。探して欲しい、ということですので。探さなかったら意味がありませんよね?」
思わず乾いた笑いが出た。
きっと止めてもムダなのだろう。
ターゲットが見つからなければ、報酬は手に入らない。
だが、依頼主が望んでもいないのに見つけてしまったら……?
この依頼は、ハナから詰んでいる。
どうせまた赤字だ。
今回だけじゃない。
じつは先生に絡んだ依頼は、一通り解決していた。失踪者を発見できたからだ。水槽の中で液状化した状態ではあったが。
成功報酬を回収できるはずだった。
ところが、あまりに時間をかけ過ぎたばかりに、今度は依頼主の所在が分からなくなっていた。すでに死亡していたものもいた。依頼そのものを忘れているものもいた。
基本的に儲からない。
そもそも儲ける気もないのだろう。
なぜこんなお仕事ごっこを続けているか分からない。
もっとも、俺は依頼した側でもあるわけだから、批判できるような立場でもないのだが。
赤尾さんが溜め息をついた。
「じゃ、上に戻りますか。階段のぼるのしんどいなぁ。あの滑車使わせてくれないかな」
血まみれの房が吊るされたクレーンだ。
鋭いカギヅメがついている。
あんなのを使うくらいなら、自分の足でのぼったほうがいい。
(続く)




