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見て、月だよ  作者: 不覚たん
第二部 朱

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31/82

聖水

 それからの数日は、穏やかに過ぎていった。

 トラブルも起こらず、さりとて策も進展せず。

 ただ、また一人の住人が黄金に手を出し、獣となって処分されたという噂は伝わってきた。その際、被害者が出たことも。


 これが先生の望んだ世界なのだろうか。

 イチカはその片棒を担いで平気でいるのか?


 いや、片棒を担いだのは俺も同じだが……。


 *


 ある日、事務所に呼び出された。

 鍵はもらっていたから、一人で移動した。


 相変わらず雑然としたオフィス。

 メンバーはすでに集まっていた。


「お疲れさまです。遅くなりました」

「お疲れさま。遠いところから悪いわね。どうしても会って話がしたくて」

 ボスは手で座るよう勧めてきた。

 おそらく客用のソファのはずだが、いつも俺たちが座っている。


 赤尾さんは今日も寝不足みたいな目をしている。

 ナツさんは「どうぞ」とお茶をくれた。


「さっそくだけど、作戦の無期延期を提案します」

 突然、ボスがそんなことを切り出した。

 驚いているのは俺だけで、赤尾さんはうんうんうなずいている。

 まあ、圧倒的な実力差を見せつけられた以上、こうして生きているのは奇跡としか言いようがない状況だが。


 俺は思わず肩をすくめた。

「キャンセルではなく?」

「ええ。ですので、あなたは解放されません。ただ、誤解しないでください。やらないわけではありません。それより優先させるべき仕事が見つかったので」

「依頼ですか?」

「まあ。新しい依頼ではなく、過去のやりかけですが。先日、霧島さんから失踪者についての報告をもらいましたよね? その近辺を調査したところ、妙な情報を観測しまして……」

「妙?」

 俺が報告したのは、先生に教えてもらった部屋の場所だ。

 そこに行けば、失踪の真相が分かるという話だった。


 ボスは真剣な表情でうなずいた。

「とある失踪者の固有情報と、よく似た情報だったのです。かなり変質してはいましたが……」

「えっ? じゃあ生存を確認できたってことですか?」

「まあ、死んではいない、とは言えるかもしれません」

 物騒なほうに言い直してきた。

 死んでいないだけで、まともな状態ではない、ということだ。

 自我はすでに喪失しているかもしれない。


 ボスはかすかに溜め息をついた。

「この情報をもとに、変質にかかる係数を算出し、新しいアプローチでサーチしてみたところ、情報に合致する部屋が複数見つかりました」

「え、凄い。じゃあほとんど目的達成じゃないですか。あれ? でも痕跡……消されてたはずですよね?」

「そう。古い痕跡は。ですからこれは、いまなお発信され続けている情報ということになります」

 そうか。

 古い情報は消せても、そのあとに発生する情報までは消せないのか。消すたびに出てくるわけだから。

 なら間違いなくアタリだ。

 失踪者は生きている。


 俺はあえて挙手をした。

「先生が、部屋を見ていいって言っていましたよ。あの人、許可したことは妨害してこないと思います。イカレてるけど、妙にルールは守る人なんで」

 もっとも、見学の許可はくれたが、そのあと命を奪わないとまでは言っていないが。


 ボスも慎重だ。

「はい。ですが、許可を得たのはあなただけですから。私と赤尾さんは、部屋の中には入らず、廊下で待機していようと思います」

「了解です」

 べつにいい。

 一人で行こうが三人で行こうが同じだ。

 一緒についてきてくれるだけでも心強い。


 *


 というわけで、ナツさんに留守番を任せ、三人で現場へ来た。

 そこは過疎エリアの一角。

 ドアが閉まっているから、誰か住んでいるのか、住んでいないのか、あるいはそれ以外なのかは分からない。物音もしない。


「鍵は……開いてるみたいですね。じゃ、ちょっと行ってきますね」

「気を付けて。なにかあったら大声をあげてください。突入します」

「はい」

 言ってくれることは心強いが、おそらくなにかあったときにはもう手遅れだろう。

 相手は時間を止めるようなヤツなのだ。


 *


「お邪魔しまーす……」


 アパート内部は、俺が以前住んでいたのと同じ間取り。

 リビング兼キッチンがひとつあり、あとは風呂とトイレがそれぞれ仕切られているだけ。


 家具はなかった。

 いやテレビだけが床に転がっているが、相変わらず意味不明な情報を映し出しているだけ。音声も聞き取れない。

 人影もナシ。


 あー、だが、そうなると……。失踪者は風呂かトイレにいることになる。

 情報を観測できているのだから、間違いなくいる。

 どちらを覗くのも怖い。

 どんな姿でいるのか、想像するだけでも怖い。

 震えそうになる手を、ぐっと握って黙らせる。


「もしもーし。誰かいますかー?」


 呼びかけるも返事はナシ。

 返事ができる状態ではないということだ。


 俺はドアの前に立ち、何度も呼吸を繰り返した。


 どちらかに、いる。

 いるはずだ……。


 しつこいくらいに深呼吸する。

 なぜ音がしないのか不思議でならない。獣ならうめくはず。そうでなくとも、生きているなら物音を立てるはず。呼吸だってしていないとおかしい。

 それらがなにもない。

 死んでいるならともかく……。


 俺は意を決し、トイレのドアノブに手をかけた。

 いや、離した。

 先に抜刀しておいたほうがいい。なにが起こるか分からないのだ。


 刀を抜いて、もう片方の手でドアを開けた。


 無人。

 ただの和式トイレだ。

 異常は見当たらない。


 なら、正解は風呂場か……。

 風呂場は、ドアの向こうにさらに戸がついている。音も外に漏れづらい造り。だから、音がしないとすれば、きっと風呂場にいるだろうと思った。思ったのだが、どうしても先にトイレを見ておきたかった。決心がつかなかった。


 さ、覚悟を決めるときだ。

 失踪者を発見するのだ。


 ドアノブに手をかける。

 ひねって引く。


 わっと光が漏れ出してきた。

 爆発?

 いや、別のなにか……。


 ガラス戸の向こう側が、まばゆく発光していた。

 オレンジ色の閃光。

 いったいなにがあるんだ?


 ガラス戸に手をかけ、引いた。


 置かれていたのは、円柱型の水槽だ。

 そこに発光する液体が満ちている。

 血の色?

 いや、オレンジだ。血ではない。たぶん。


 ふっと空気が変わった。

 時間が止まった時の感覚。

 間違いなくヤツはここにいる。


「そう。これが私の言っていた輝きです。とても眩しいですね」

「なんだこれは……」

 先生の青白い顔は、いまはオレンジの閃光に照らされて、いささか血色よく見えた。艶めく長い黒髪さえ明るい。夕日に染められたかのように。

「ひとつの個体から、これだけの輝きを抽出できるのです。ええ。もちろん生きていますよ。生きていないと意味がない」

 このオレンジ色のスープが、生きている……と?


「あんたがやったのか?」

「その通り。ですが誤解しないでください。こうしなければ、彼は自我を失って殺されていたはず。私は……そのような不幸な結末を避けたいと考えました」

「不幸……」

 おかしい。

 こいつはあきらかにおかしい。

 だったら、この状態は不幸じゃないとでも言うのか?

 こんな状態で生きているなどと……。


「あなたはきっと、こう思ったはずです。こんなことをして、なんになるのか、と」

「正解だ」

「お答えします。これは世界を清めるための聖水なのです。世界は汚れ切っていますからね。こうして純度の高い聖水を精製し、世界に散布して浄化するのです」

「聖水だと? 人間をそのための洗剤に変えてるってのか?」

「結果としてはそうなります。ですが人類も、動物の脂肪で石鹸を作るのでは? 似たようなことです」

 頭がどうにかなりそうだ。

 怒るべきか笑うべきか分からなくなっている。

 こいつはイチカのことも、このキラキラの洗剤に変えるつもりでいる。


「世界が汚れてるってのは、別にいいよ。実際どうなのかは知らないが。感想は人の自由だから、それはいい。だがそれを浄化するために、他人の命を使うなんて……」

「私のやり方を否定したいと? ええ。結構ですよ。もし私の思考プロセスにおかしな点があるのなら、ぜひ指摘してみてください。そのたび私は問題を修正し、正解に近づくことができる。さあ、ご指摘をどうぞ。合理的な内容ですと嬉しいですね」

「うるせーんだよ。こっちはムカつくから言ってるだけだ。なにが合理的だ。ムリに決まってんだろ……」

「おやおや」


 本当に。

 おやおやとしか言いようがないだろう。

 相手はいちおうの理屈を並べているのに、こちらは感情を発露させることしかできないのだから。

 そもそもの話、俺が先生を論破したところで、どちらにせよイチカは助からないのだ。そして助からないのであれば、洗剤として活用したほうがいいと先生は言う。

 異常な考えだ。なのに、俺は反論さえできなかった。

 哀しいのは、イチカ自身の選択によってそうなってしまった、ということだ。この議論を続ければ、イチカの人生そのものを否定することになる。


「なあ、先生よ。本人は、こうなることに同意してるのか?」

「いいえ」

「ならダメだろ」

「ですが、私が同意を確認しようとするとき、本人はすでに判断不能な状態におちいっているのです。私は後見人として、もっとも適切と思われる判断をしなければなりません。大丈夫ですよ。彼らは苦痛を感じていないはずですから。もう、そういうレベルの存在でもありませんしね」

 吐きそうだ。

 人間のスープを見たせいじゃない。この先生とかいうヤツの思考がグロ過ぎるせいだ。露悪趣味にも程がある。人を不快にするために行動しているとしか思えない。


「イチカもこうなるんだな?」

「ええ。そしてその瞬間を、あなたにもお見せしようと考えています」

「ふざけんな。殺すぞ」

「怒れば私の思う壺ですよ」

 微笑している。

 マネキンみたいに端整な顔で。


「なぜ俺に見せた?」

「それは簡単です。あなたの精神を輝かせたかったからですよ」

 やはりこいつは、俺のことも洗剤にしようとしているのだろう。

 俺はつい笑った。

「なら、きっと過去にないくらい輝いてるだろうな」

「ところが、そうでもありません。あなたの器は大きい。規格外とまでは言いませんが。それでも平均よりは大きい。小さな小さなイチカとは違ってね。しかも、外部からの刺激をあまり吸収しないようです。怒ってもすぐ冷静になってしまう。ちょっとやそっとの刺激では、輝かないと判断しました」

 獣に変化するにしても、個体差があるということか。

 道理で三人もぶっ殺しておいて人間でいられるはずだ。きっと俺には人として最低限のなにかさえ備わっていないのだろう。後頭部を鉄パイプで叩かれたときに抜け落ちたのかもしれない。


「つまり、俺という器には、ギチギチに詰めるだけの価値がある、と」

「通常よりも多くの輝きが得られますから。量が多いということは、精製後の純度にもいい影響があります。ですので、あなたには少しばかり焦っていただこうと思いまして。こうして実情をお見せした次第です」

 俺がこの件を外部に漏らしたところで、先生にとってはノーダメージなのだろう。

 だいたい、こんな状況、誰も信じまい。人間を追い込んで液体洗剤にしているなんて。

「番人をぶっ殺したのも、こいつを作るためか?」

「お察しの通り。住民の方々は、最初は少しそそのかしただけで黄金に手を出してくれたのですが、どなたも渋るようになりましてね……。番人を消せばまた希望者も増えるだろうと。もっとも、いまのところ全員死んでいるので、輝きの備蓄は少しも増えていませんが。次の方は、ぜひ死なずに生き延びて欲しいものです」

 他人の命をなんとも思っていない。

 ハナから分かり切っていたことだが。


 俺は呼吸をし、怒りをなんとか散らそうと試みた。

「で? あんたはこれを使って、最終的に世界を浄化するつもりでいるのか?」

「その予定です」

「どんな状態になるんだ?」

「ありとあらゆる汚物が浄化され、地上から一掃されます。最終的に、世界には光だけが残るでしょう。きっと美しい光景になるはずですよ」

「あんたもこいつをかぶったらどうなんだ?」

「ええ。すべての仕事を終えたら、そうするつもりでいます。そのときこそ世界は完成する。一切の瑕疵かしがない、完璧な世界になるのです」

「いや、頼むから一人で死んでくんねーかな……」

 おっとつい本音が。

 こいつの計画が遂行されれば、地球はキラキラの洗剤まみれとなり、おそらく全生命が死滅するのだ。最悪としか言いようがない。それだけの量を用意できるとも思えないが。


 先生は柔和な笑顔のままだ。

「私はもう、何百年もこの仕事を続けています。必ずやり遂げますよ。ぜひあなたも協力してくださいね」

「……」

 返事をするのもバカらしかった。

 どうやってこいつを殺そうか、それ以外なにも考えたくない。


 だが、いくつか重要な点が見つかった……気はする。

 洗剤を作るためには、必ず他人を巻き込まねばならない。つまり先生は、単独では計画を達成できない。必ず他者と接触する。

 そして洗剤を生成するには、ターゲットの精神を極限まで凝縮させる必要がある。とてつもない手間と時間がかかる。途中で死んだら失敗する。

 一番重要なのは、この洗剤をかぶれば、先生自身も消えるということ。うまくすれば殺せる。


「何百年、か。そんなに生きてるってことは、もう人間なんかやめちまったってことでいいのかな?」

 なんとか皮肉を飛ばしてみたが、彼は表情を変えなかった。

「やめていませんよ。ここでは、無限の寿命を得るために特別な処置を講じる必要はありませんから。あなたも同じなんですよ? このアパートにいる限り、誰も歳を取らないのです」

 術ならまだマシだった。

 つまり俺たちは、物理的に殺されるまで、半永久的に解放されないということだ。なんだこのクソアパートは。人権って概念を知らないのか?


「ひとまず、俺を殺さないでいてくれることには感謝する。だが、イチカには手を出させない」

「なるほど。手を出させない……。いったいどんな方法があるのか分かりませんが、期待してお待ちしています。あがけばあがくほど、その後の輝きも増すというものですから」

 方法なんかあるかボケナス。

 ムカつくことに、いまの俺は口先だけでわめいているザコだ。


 だが、負けると決まったわけではない。

 そもそも、こいつの能力は異常過ぎる。まずそこからしておかしい。ちっともフェアじゃない。

 いや、嫉妬で言っているわけじゃない。なにか裏があると考えたのだ。こいつの能力は才能や努力というレベルを超えている。なにかが、外部から、こいつの能力を補強している可能性がある。

 そいつをぶっ叩けば、弱体化できるのではないか?


 考えるんだ。

 力で負けているときは、情報で補うべし。

 師匠もそう言っていた。


(続く)

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