束の間の喜び
時が動き出した。
先生の姿はすでにない。
「あれ? ボク、なにしようとしてたんだっけ……」
イチカは困惑顔できょろきょろしている。
時間の停止は知覚できないが、その後の違和感だけは残るようだ。
俺は構わず抜刀し、前へ出た。
「作戦変更だ。こいつが寝てる隙にぶっ殺す」
「えっ?」
ボロボロになった壁の向こう側、黄金のアルマジロは、山と積まれた金貨にうずもれて眠り続けていた。
まばゆい光景だ。
黄金は、わずかな光でもキラキラと反射してしまう。
俺は革靴のつま先で、金貨の山を蹴った。道を作るのだ。おそらくアルマジロは気づいているはずだが、まだアクションしてこない。こいつが殺すのは盗人だけだ。
挨拶はナシだ。
刀を握り直し、下から切り上げた。もちろん床ごと。
ザァンと大袈裟な音がして、床板が割れた。そして刃はアルマジロの内側の肉を裂く。
「ぎゃぴぃっ!」
そいつは痛みに耐えかねて、跳ね上がりそうになった。しかし体が重たすぎて、わずかに浮き上がるのみ。
俺は刀を振り上げて、片側をすくい上げてやった。
アルマジロは見事にひっくり返った。
なんの罪もない獣が、血まみれで腹を晒し、短い手足をバタつかせている。
おそらくはとんでもない強さなのに。
いちど仰向けになってしまうと、自力ではもとに戻れないらしい。
俺は構わず、その無防備な腹に刃を突き込んだ。
二度、三度。
アルマジロは目を見開いてこちらを見た。なぜ人間に襲われているのか理解できないといった顔で。
悪いが、理由は俺にも分からない。
これはただの虐殺だ。
無益な殺生だ。
獣はひとしきりピクピクしたあと、動かなくなった。
血液は床の隙間から階下へ落ちている。もしいるなら、下の住人には悪いことをした。
「以上だ。撤収しよう」
「すごい……。一瞬で倒しちゃった……」
一瞬?
そうだ。
イチカは先生が来たことを知らないのだ。俺としてはずいぶん時間を取られた印象だが。あの男との会話は本当に疲弊する。
*
刀を納め、廊下へ出ると、まだ住人たちが集まっていた。
「終わったよ。けど金貨には手をつけないほうがいいぜ。番人が死んじまった以上、獣になったヤツを片付けるのはあんたらの仕事だからな」
俺はそれだけ告げると、返事も聞かず歩き出した。
ホントにこれは、なんの目的でおこなわれた殺害だったのだろう?
ボールを取ってこさせるだけの遊びか?
まさかとは思うが……。
いや、あくまで仮説だが。先生の目的は、自分が金を手に入れることではなく。誰かに金を取らせ、獣に近づけることではなかったのか?
精神の輝きがどうとか言っていた。
獣に近づけば輝くのだと。
輝かせたあとどうするのかまでは分からないが……。
不快な目的があるような気がする。
イチカが足を止め、こちらへ向き直った。
「じゃあボク、先生のとこ戻るね。報告しなきゃだし」
にこにこしている。
「ああ、そうだな。先生によろしくな」
「うん! きっと喜ぶと思うよ! だって霧島さん、カッコよかったもん!」
「そうかな……」
敵意のない獣を一方的にサバいただけだ。
こんな虐殺がカッコいいなどと……。
だが、イチカを責める気にはなれなかった。それを肯定するような価値観を植え付けられているのだ。先生のために殺すことは、素晴らしいことなのだと。
あのクソ野郎は、間違いなく悪人だ。
誰かが修正しないといけない。
*
イチカと別れたあと、俺は少しだけ歩いて、また立ち止まった。
先生は、失踪について教えてくれると言っていた。場所も教えてもらった。行けば分かる。すべてが。
知りたい。
好奇心を抑えきれない。
だが、タイミングは適切だろうか?
仲間たちと相談してから訪れてもいいのでは?
そのほうが安全だろう。
一方、こうも思う。
仲間など集めたところで、あの先生に勝てるわけではない。一人で行ってもリスクは同じだ。
それに、指定の場所はここからそう遠くない。
軽く覗いてみるか……。
「おい、霧島」
背後から声をかけられた。
この俺が、二度までも接近を許すとはな。
「たま公、来てたのか……」
「オマエを迎えに行くよう、姉ちゃんに言われたからな。こっからはあーしと一緒だゾ」
お姉さんは、できればたまこを外に出したくなかったはずだ。なのに、出した。よほど俺を心配してくれたのだろう。
「分かった。帰ろう」
「でもちょっと神社に寄るゾ。欲しいモンがあるからな」
「なんだよ? プリンか?」
「それはオマエが書け。あーしは別の用事があるから」
たまことお姉さんに助けられたような気がする。
獣を殺した直後で気分が高揚していたとはいえ、軽率に行動するところだった。
*
神社には先客がいたが、紙を奉納してすぐにいなくなった。
利用客は多いのだが、回転がいいからか、意外と混雑しない。紙に願いを書いて放り込むだけだ。
記入台のところで、俺は「プリンください」と書いた。
たまこは……文字? なんだ? 紙にはへにゃへにゃとした線がのたくっている。
「よし、これでいいゾ」
「いやいやいや。なんだよその……なんだ? 文字なのか?」
「は? 文字だろ! オマエ、まさか文字読めないのか?」
「……」
頭ネコか?
文字が書けないのなら、いままで俺がどうやってプリンをオーダーしていたというのだ。
たまこは紙を見せつけてきた。
「ほら、読んでみろ。頭いいなら読めるだろ」
「いや……」
か……う……ん……?
なんだ?
かーう゛いん銃?
カービン銃のことか? それならヴじゃないぞ。カービンのスペルは「Carbine」だからな。
「ちょっと間違ってるな」
「どこが?」
「ここは『う』に点々じゃなくて『ビ』だ」
「び? なに言ってんだ。『かわいい服』って書いてあんだろ?」
「か、かわいい服……」
どこがどうなって?
しかも、こいつがかわいい服を? 神を困惑させるつもりか? いや、お姉さんに頼まれたのかも?
「あとはこいつを投げ込めば完了だゾ」
「神さま、その文字読めるかな」
「読めるんだな、これが。だって神さまだゾ? 賢いんだゾ?」
「まあ……それもそうか……」
確かに神なのだ。
俺ごときの価値観で推し量るべき存在ではない。
でもあの文字はさすがに……。
いや、責めるべきではないのかもしれない。
たまこたちは、まともな教育を受けていないのだ。そもそも教育を受ける環境が用意されていない。むしろ俺たち人間が恵まれているだけだ。ただ生きているだけで、最低限の教育を受けられるのだから。
当然のようにあると思っているものだって、先人たちの努力によって成立したものなのだ。俺たちはついそのことを忘れてしまう。
まあ、忘れてしまうくらいが平和なのかもしれないが。
「なあ、たま公。帰ったら文字教えてやろうか?」
「は?」
「字、うまくなりたいだろ?」
「いや、いらねーゾ。もう十分なレベルになってるし。だいたい、勉強なんて頭でっかちのやることだゾ。あーしはパスだな」
こいつ、どこからその万能感が……。
*
「お帰りなさい。ああ、無事でよかった。プリン焼いてるから、あとで食べましょうね」
帰宅すると、お姉さんが出迎えてくれた。
プリンがかぶってしまった……。
俺は座布団に腰をおろし、こう告げた。
「作戦は……ひとつは成功、ひとつは失敗に終わったよ。成功したのは番人の処分だけ。ほかは全部ダメだった」
「大雑把には見てました。生倉さんたちも無事だったみたいです。さっきテレビで会話しました」
「それはなにより」
その気になれば殺すこともできたはず。
先生の温情で生かされた格好だ。
裏をかくつもりが、完全に翻弄されてしまった。
ここまで完封されたら、ほかにはどうしようもない。
テーブル上のクッキーをかじりながら、俺はつぶやいた。
「なんでこんなにうまくいかないんだろ? 監視されてるのかな?」
「いえ、そんなことはないと思いますよ。この部屋とか、探偵事務所とか、結界で保護されている領域は監視できないはずです。廊下はムリですが」
「なら、作戦が漏れたわけではない、と。まあでも、こちらが取りうる選択肢には限りがあるし、どれも考えれば予想できるようなものか……。シンプルな頭脳勝負に負けたってことになるな」
師匠の弟子として恥ずかしい限りだ。
師匠ならどんな手を使っただろう?
たしか、集められる情報はすべて集めろと言っていた気がする。情報が欠けているならば、それだけの損害をこうむっても仕方がないと。
しかし肝心の情報がとれないのだから仕方がない。
「で、プリンはいつ食えるんだ?」
クソガキはしゃがみ込み、オーブンを覗き込んだ。
しかしオーブンは稼働していない。
「いま冷やしてるからちょっと待っててね」
「べつに冷えてなくてもいいゾ」
「待ってて」
「おう……」
こいつは怒られると分かっていて、なぜ食い下がるのだろう?
絶対に学習しないのか?
このレベルの思考でも、反射神経さえよければ生存できるのだ。あとはネコのかわいさで餌をもらえれば。そう考えると、ネコというのはなかなか極端な生き物だ。
「待ってる間、アイス食うぞ」
「たまちゃん!」
「一本だけだから」
そう言いながら、冷凍庫からアイスを取り出した。
半分にパキリと割るスティックタイプだ。
一本を俺に渡してきた。
「半分やるゾ」
「俺じゃなくて、お姉さんにあげろよ」
「いや、姉ちゃん、男の前でこれ吸うの恥ずかしがるからムリだゾ」
「……」
急に変なことを言うんじゃない。
妙な空気になるだろ。
お姉さんはこちらに背を向けて、もじもじしている。
こういうところはかわいい。
初対面で人を昏睡状態にさせて、ズボンを脱がしてきた女とは思えない。
「あーでもこれ、奥のほうに残るのムカつくんだよな。どんだけ吸っても出てこねーし。詐欺だゾ」
「お前な。それは吸うんじゃない。逆だ。いいか、見てろ。こうして上を向いて」
俺は実演して見せた。
スティックの端に液体が残る。そこへ空気を送り込みつつ、指で液体部分を潰す。すると液体が押し出され、代わりに空気が送り込まれる。
「おー、すげーゾ!」
「な? 吸うんじゃなくて吹く。これが重要なことだ」
しかしクソガキは、なんとも言えない顔になった。
「でもなんかみみっちぃよな……。いい歳した男が必死でアイス食ってるのって。けっこう哀しい気持ちになったゾ」
「……」
愚かな。
俺のほうが百倍哀しいわ。
所詮は人の気持ちも分からぬ畜生よ。
「そ、そろそろプリンひえたかなー。んー、まだかなー」
お姉さんは空気を変えようと、明るい調子で言った。
どこかのネコとは違い、優しい子だ。
心の傷は簡単には癒えないがな……。
だが、こうしてバカみたいに言い合っていられるのも、平和だからこそだ。
イチカはいまごろどうしているだろうか?
先生に褒められて、束の間の喜びを感じているころか……?
なぜ幸福は壊れてしまうのだろう。
なぜ永遠に続かないのだろう。
本当に、なぜなんだろう……。
(続く)




