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見て、月だよ  作者: 不覚たん
第二部 朱

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30/82

束の間の喜び

 時が動き出した。

 先生の姿はすでにない。


「あれ? ボク、なにしようとしてたんだっけ……」

 イチカは困惑顔できょろきょろしている。

 時間の停止は知覚できないが、その後の違和感だけは残るようだ。


 俺は構わず抜刀し、前へ出た。

「作戦変更だ。こいつが寝てる隙にぶっ殺す」

「えっ?」


 ボロボロになった壁の向こう側、黄金のアルマジロは、山と積まれた金貨にうずもれて眠り続けていた。

 まばゆい光景だ。

 黄金は、わずかな光でもキラキラと反射してしまう。


 俺は革靴のつま先で、金貨の山を蹴った。道を作るのだ。おそらくアルマジロは気づいているはずだが、まだアクションしてこない。こいつが殺すのは盗人だけだ。


 挨拶はナシだ。

 刀を握り直し、下から切り上げた。もちろん床ごと。


 ザァンと大袈裟な音がして、床板が割れた。そして刃はアルマジロの内側の肉を裂く。

「ぎゃぴぃっ!」

 そいつは痛みに耐えかねて、跳ね上がりそうになった。しかし体が重たすぎて、わずかに浮き上がるのみ。

 俺は刀を振り上げて、片側をすくい上げてやった。

 アルマジロは見事にひっくり返った。


 なんの罪もない獣が、血まみれで腹を晒し、短い手足をバタつかせている。

 おそらくはとんでもない強さなのに。

 いちど仰向けになってしまうと、自力ではもとに戻れないらしい。


 俺は構わず、その無防備な腹に刃を突き込んだ。

 二度、三度。

 アルマジロは目を見開いてこちらを見た。なぜ人間に襲われているのか理解できないといった顔で。

 悪いが、理由は俺にも分からない。

 これはただの虐殺だ。

 無益な殺生だ。


 獣はひとしきりピクピクしたあと、動かなくなった。

 血液は床の隙間から階下へ落ちている。もしいるなら、下の住人には悪いことをした。


「以上だ。撤収しよう」

「すごい……。一瞬で倒しちゃった……」

 一瞬?

 そうだ。

 イチカは先生が来たことを知らないのだ。俺としてはずいぶん時間を取られた印象だが。あの男との会話は本当に疲弊する。


 *


 刀を納め、廊下へ出ると、まだ住人たちが集まっていた。

「終わったよ。けど金貨には手をつけないほうがいいぜ。番人が死んじまった以上、獣になったヤツを片付けるのはあんたらの仕事だからな」

 俺はそれだけ告げると、返事も聞かず歩き出した。


 ホントにこれは、なんの目的でおこなわれた殺害だったのだろう?

 ボールを取ってこさせるだけの遊びか?


 まさかとは思うが……。

 いや、あくまで仮説だが。先生の目的は、自分が金を手に入れることではなく。誰かに金を取らせ、獣に近づけることではなかったのか?

 精神の輝きがどうとか言っていた。

 獣に近づけば輝くのだと。


 輝かせたあとどうするのかまでは分からないが……。

 不快な目的があるような気がする。


 イチカが足を止め、こちらへ向き直った。

「じゃあボク、先生のとこ戻るね。報告しなきゃだし」

 にこにこしている。

「ああ、そうだな。先生によろしくな」

「うん! きっと喜ぶと思うよ! だって霧島さん、カッコよかったもん!」

「そうかな……」

 敵意のない獣を一方的にサバいただけだ。

 こんな虐殺がカッコいいなどと……。

 だが、イチカを責める気にはなれなかった。それを肯定するような価値観を植え付けられているのだ。先生のために殺すことは、素晴らしいことなのだと。


 あのクソ野郎は、間違いなく悪人だ。

 誰かが修正しないといけない。


 *


 イチカと別れたあと、俺は少しだけ歩いて、また立ち止まった。

 先生は、失踪について教えてくれると言っていた。場所も教えてもらった。行けば分かる。すべてが。


 知りたい。

 好奇心を抑えきれない。


 だが、タイミングは適切だろうか?

 仲間たちと相談してから訪れてもいいのでは?

 そのほうが安全だろう。


 一方、こうも思う。

 仲間など集めたところで、あの先生に勝てるわけではない。一人で行ってもリスクは同じだ。

 それに、指定の場所はここからそう遠くない。


 軽く覗いてみるか……。


「おい、霧島」

 背後から声をかけられた。

 この俺が、二度までも接近を許すとはな。

「たま公、来てたのか……」

「オマエを迎えに行くよう、姉ちゃんに言われたからな。こっからはあーしと一緒だゾ」

 お姉さんは、できればたまこを外に出したくなかったはずだ。なのに、出した。よほど俺を心配してくれたのだろう。

「分かった。帰ろう」

「でもちょっと神社に寄るゾ。欲しいモンがあるからな」

「なんだよ? プリンか?」

「それはオマエが書け。あーしは別の用事があるから」


 たまことお姉さんに助けられたような気がする。

 獣を殺した直後で気分が高揚していたとはいえ、軽率に行動するところだった。


 *


 神社には先客がいたが、紙を奉納してすぐにいなくなった。

 利用客は多いのだが、回転がいいからか、意外と混雑しない。紙に願いを書いて放り込むだけだ。


 記入台のところで、俺は「プリンください」と書いた。

 たまこは……文字? なんだ? 紙にはへにゃへにゃとした線がのたくっている。

「よし、これでいいゾ」

「いやいやいや。なんだよその……なんだ? 文字なのか?」

「は? 文字だろ! オマエ、まさか文字読めないのか?」

「……」

 頭ネコか?

 文字が書けないのなら、いままで俺がどうやってプリンをオーダーしていたというのだ。


 たまこは紙を見せつけてきた。

「ほら、読んでみろ。頭いいなら読めるだろ」

「いや……」


 か……う……ん……?

 なんだ?

 かーう゛いん銃?

 カービン銃のことか? それならヴじゃないぞ。カービンのスペルは「Carbine」だからな。


「ちょっと間違ってるな」

「どこが?」

「ここは『う』に点々じゃなくて『ビ』だ」

「び? なに言ってんだ。『かわいい服』って書いてあんだろ?」

「か、かわいい服……」

 どこがどうなって?

 しかも、こいつがかわいい服を? 神を困惑させるつもりか? いや、お姉さんに頼まれたのかも?


「あとはこいつを投げ込めば完了だゾ」

「神さま、その文字読めるかな」

「読めるんだな、これが。だって神さまだゾ? 賢いんだゾ?」

「まあ……それもそうか……」

 確かに神なのだ。

 俺ごときの価値観で推し量るべき存在ではない。

 でもあの文字はさすがに……。


 いや、責めるべきではないのかもしれない。

 たまこたちは、まともな教育を受けていないのだ。そもそも教育を受ける環境が用意されていない。むしろ俺たち人間が恵まれているだけだ。ただ生きているだけで、最低限の教育を受けられるのだから。

 当然のようにあると思っているものだって、先人たちの努力によって成立したものなのだ。俺たちはついそのことを忘れてしまう。

 まあ、忘れてしまうくらいが平和なのかもしれないが。


「なあ、たま公。帰ったら文字教えてやろうか?」

「は?」

「字、うまくなりたいだろ?」

「いや、いらねーゾ。もう十分なレベルになってるし。だいたい、勉強なんて頭でっかちのやることだゾ。あーしはパスだな」

 こいつ、どこからその万能感が……。


 *


「お帰りなさい。ああ、無事でよかった。プリン焼いてるから、あとで食べましょうね」

 帰宅すると、お姉さんが出迎えてくれた。

 プリンがかぶってしまった……。


 俺は座布団に腰をおろし、こう告げた。

「作戦は……ひとつは成功、ひとつは失敗に終わったよ。成功したのは番人の処分だけ。ほかは全部ダメだった」

「大雑把には見てました。生倉さんたちも無事だったみたいです。さっきテレビで会話しました」

「それはなにより」

 その気になれば殺すこともできたはず。

 先生の温情で生かされた格好だ。


 裏をかくつもりが、完全に翻弄されてしまった。

 ここまで完封されたら、ほかにはどうしようもない。


 テーブル上のクッキーをかじりながら、俺はつぶやいた。

「なんでこんなにうまくいかないんだろ? 監視されてるのかな?」

「いえ、そんなことはないと思いますよ。この部屋とか、探偵事務所とか、結界で保護されている領域は監視できないはずです。廊下はムリですが」

「なら、作戦が漏れたわけではない、と。まあでも、こちらが取りうる選択肢には限りがあるし、どれも考えれば予想できるようなものか……。シンプルな頭脳勝負に負けたってことになるな」

 師匠の弟子として恥ずかしい限りだ。

 師匠ならどんな手を使っただろう?

 たしか、集められる情報はすべて集めろと言っていた気がする。情報が欠けているならば、それだけの損害をこうむっても仕方がないと。

 しかし肝心の情報がとれないのだから仕方がない。


「で、プリンはいつ食えるんだ?」

 クソガキはしゃがみ込み、オーブンを覗き込んだ。

 しかしオーブンは稼働していない。

「いま冷やしてるからちょっと待っててね」

「べつに冷えてなくてもいいゾ」

「待ってて」

「おう……」

 こいつは怒られると分かっていて、なぜ食い下がるのだろう?

 絶対に学習しないのか?

 このレベルの思考でも、反射神経さえよければ生存できるのだ。あとはネコのかわいさで餌をもらえれば。そう考えると、ネコというのはなかなか極端な生き物だ。


「待ってる間、アイス食うぞ」

「たまちゃん!」

「一本だけだから」

 そう言いながら、冷凍庫からアイスを取り出した。

 半分にパキリと割るスティックタイプだ。

 一本を俺に渡してきた。


「半分やるゾ」

「俺じゃなくて、お姉さんにあげろよ」

「いや、姉ちゃん、男の前でこれ吸うの恥ずかしがるからムリだゾ」

「……」

 急に変なことを言うんじゃない。

 妙な空気になるだろ。


 お姉さんはこちらに背を向けて、もじもじしている。

 こういうところはかわいい。

 初対面で人を昏睡状態にさせて、ズボンを脱がしてきた女とは思えない。


「あーでもこれ、奥のほうに残るのムカつくんだよな。どんだけ吸っても出てこねーし。詐欺だゾ」

「お前な。それは吸うんじゃない。逆だ。いいか、見てろ。こうして上を向いて」

 俺は実演して見せた。

 スティックの端に液体が残る。そこへ空気を送り込みつつ、指で液体部分を潰す。すると液体が押し出され、代わりに空気が送り込まれる。

「おー、すげーゾ!」

「な? 吸うんじゃなくて吹く。これが重要なことだ」

 しかしクソガキは、なんとも言えない顔になった。

「でもなんかみみっちぃよな……。いい歳した男が必死でアイス食ってるのって。けっこう哀しい気持ちになったゾ」

「……」

 愚かな。

 俺のほうが百倍哀しいわ。

 所詮は人の気持ちも分からぬ畜生よ。


「そ、そろそろプリンひえたかなー。んー、まだかなー」

 お姉さんは空気を変えようと、明るい調子で言った。

 どこかのネコとは違い、優しい子だ。

 心の傷は簡単には癒えないがな……。


 だが、こうしてバカみたいに言い合っていられるのも、平和だからこそだ。

 イチカはいまごろどうしているだろうか?

 先生に褒められて、束の間の喜びを感じているころか……?


 なぜ幸福は壊れてしまうのだろう。

 なぜ永遠に続かないのだろう。

 本当に、なぜなんだろう……。


(続く)

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― 新着の感想 ―
[一言] こころが、えぐられる感じ。とても悲しい。
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