レトリーブ
特にトラブルに巻き込まれることもなく帰宅できた。
危ないことに首を突っ込んでいるから、襲撃される可能性も想定していたのだが。
「お帰りなさい。どうでした?」
「作戦の一環として、先生の仕事を受けることにしたよ。事務所のメンバーと連携して調査できると思う」
「そうですか」
お姉さんはなんとも言えない顔ではあったが、いちおうは納得している様子だった。たまこを単独で行かせるよりはいいと思ったのだろう。
そのたまこは、いまはネコ状態でお姉さんの膝の上にいる。目を細くして幸福そうに丸くなっている。
「ああ、座ってて。飲み物は自分で用意するから」
「すみません」
ひとつも謝ることはない。俺たちは雇用関係にあるわけでもないのだ。むしろこちらがタダで居候させてもらっている。
お姉さんは、ただの世話好きというよりも……。それをしていないと、自分の価値を信じられないタイプの人なのかもしれない。だとすれば考えを改めて欲しいと思うが。
お姉さんは優しくネコをなでながら、まっすぐにこちらを見つめてきた。
「あの、いっくんのこと……助けてあげられそうですか?」
「分からない。助けたいとは思うけど。敵が強すぎる。できる限りのことはするつもりでいるけど……」
イチカは過負荷の状態にある。
おそらく汚れ仕事に手を染めすぎたのだ。
先生が術を解けば、すぐにでも獣になってしまう。それも、抑えつけられていたぶんだけ凶悪な獣に。
どうにかして体内のバランスを取れればいいのだが……。いまのところ、その方法は誰も知らない。現象は一方向にしか働かない。つまり、天秤は獣のほうへは傾くが、決してその逆へ傾くことはないのだ。
俺にとっても他人事ではないが。
「ところでお姉さん、獣を直せる医者に心当たりはない?」
「えっ? なんで……?」
「必要になるかもしれない」
「誰のことを言ってるの?」
察しがいいな。
いや、俺の会話の運びがマズかったか。
なんとかごまかさねば。
「えーと、もし外で危ない仕事を続けてたら、俺もそのうち……なんて考えちゃって。医者がいるなら教えて欲しいなと」
「待ってください。なにかそういう兆候があるんですか? だったら今すぐやめてください。探偵の方には私から謝っておきますから」
「いやいや、そうじゃなくて。万が一の話」
だが信用していないのか、お姉さんは印を作った指の隙間からこちらを見てきた。
先生の話だと、実際俺も危ないらしいが。
お姉さんはなんとも言えない表情だ。
「ごめんなさい。見たけどよく分かりませんでした。お医者さんのことは知りません。そもそも、治せるようなものではないと思いますし」
「そっか……」
イチカ……。
もしかすると、もう手遅れなのか?
いまさら保護したところで、死期を早めるだけなのか?
もし先生に対する疑いが、すべて俺たちの言いがかりであって、じつは先生が善人なのだとしたら……。
ここまで来ると、そんなことさえ願ってしまう。イチカを救うために全力で動いて欲しいと。
イチカは以前から、先生のためにあちこち奔走していたらしい。ターゲットを見つけて処刑してきた。先生に褒められるために。
あの無邪気な笑顔を向けられて、先生はなんとも思わないのだろうか?
そんな酷いヤツなのか?
どうか俺たちの勘違いであって欲しい。失踪者も……なにか誤解があるだけで、じつはどこかで生活しているのだと……。
ネコが、俺の膝へ乗ってきた。
元気を出せと言わんばかりに。
本当に、こうしているとかわいいだけの茶トラのネコだ。いつものクソガキっぷりにもいい加減慣れたが。
気がつくとなにか食っているのに、ちっとも太らない。消費カロリーのほうが高いせいかもしれない。
*
その日は来た。
イチカが、仕事を持ってきたのだ。
「でね、金貨に手を出した人が次々と獣になってて……。そのたび番人に殺されちゃって。なんかだいぶ寂しくなっちゃったみたい」
彼が持ってきた話は、よりによって古巣――メガネくんのコミュニティでの仕事だった。
俺が引き払ったあと、部屋は無人になった。するとその部屋を通って、金貨をくすねようとする住人が現れ始めたらしい。そいつらは例外なく獣になり、例のアルマジロにぶっ殺されているのだという。
「で? 俺たちにアルマジロを……えーと、番人をぶっ殺して欲しいと?」
「そう」
「誰の依頼なんだ?」
「誰って? 先生の希望だよ」
どういう希望だ?
金に手を出したヤツが勝手に獣になって、勝手に殺される。そんなの放っておけばいいじゃないか。
先生にとってなにか重要な問題でもあるのか?
まさか、先生も金を狙っている?
そういう俗っぽいものに価値を感じるタイプには見えないのだが……。
イチカは座ったまま小さく跳ねた。
「ボクと霧島さんの二人に任せてくれるって。やろ? ね?」
あまりにも嬉しそうで、直視できない。
もし普通のイヌなら猟犬の素質があるかもしれない。
などと考えるのは失礼だろうか。
まあ、獣を殺して獣になることはないらしいから、今回の仕事が身体に負担を与えることはないだろう。
だが、俺は別の使命を帯びている。
それはイチカをピンチに追い込むこと。結果として先生をおびき出すこと。
あのアルマジロと戦いながら、そんな器用なマネができるだろうか?
イチカは不命者だから、死んでもいずれ生き返る。ただ、過負荷の状態で生き返った場合、どうなるかは分からない。生き返った瞬間、獣になってしまうかもしれない。
死なない程度に追い詰めるしかない。
俺にできるのか?
*
いまいち確信が持てないまま、俺は古巣へ戻ってきた。
住人たちはぎょっとした顔で出迎えた。
「ど、どうしました?」
メガネくんは目をパチクリさせている。
「野暮用でね。アルマジロをぶっ殺しに来た」
「アルマジロ? 番人のことですか? じつは先日、勝浦さんが被害に……」
勝浦さんは俺の隣に住んでいたおじさんだ。
何度か苦情をもらったことがある。
「中に入らせてもらうよ」
「はい。鍵は開いてます」
アルマジロをぶっ殺すことに反対するつもりはないようだ。
なんなら住人にとっても邪魔だろうしな。
しかし疑問だ。
ここの住人たちだって、金に手を出したらどうなるか分かっているはず。なのに、なぜ手を出す? どうしても我慢できなかったのか? それで一枚か二枚くすねているうちに、歯止めが効かなくなったか。
あるいは、住人になにかを吹き込んで、金貨を取るようけしかけているヤツがいるか、だな……。
「作戦はあるのか?」
部屋に入ったところで、俺はイチカにそう尋ねた。
「うん。ボクが挑発して気を引くから、霧島さんは隙をついて攻撃して」
「分かった」
安易な作戦だ。
いいとも悪いとも思えない。
アルマジロは黄金の鱗で守られているから、側面や背面から攻撃しても意味がない。金が意外と柔らかいという条件を加味してもだ。突き込むなら正面から。しかしイチカが挑発するとなると、正面は必ずイチカにとられる。俺の居場所はない。
そもそもこのアルマジロは、挑発に動じるタイプでもない。なぜか金をくすねたヤツしか攻撃してこない。
まあつまり、金貨にうずもれて寝ている今、隙間から急所を刺すのがもっとも効率的なのだ。デカいのだから、目よりも足を先に斬ったほうがいい。のたうって仰向けになったところを刺すのだ。
これなら完封できる。
だが、完封してしまった場合、イチカをピンチに追い込めなくなる。
「考えはまとまりましたか?」
「えっ?」
背後から声をかけられ、俺は思わず振り向いた。
キツネのような細目の、青白い顔。
先生だ。
なぜ、いる?
イチカは反応していない。いや、ピクリとも動いていない。
この身体にまとわりつくような感覚――。
まさか、時間を止めたのか?
先生はうっすら微笑んでいる。まるで加工された写真のように端正な顔立ち。
「いいアイデアだと思いますよ。いえ、なにを考えているのかまでは分かりませんが」
「すべてお見通しってわけか」
このセリフ、一回言ってみたかった。
などと悠長に構えている場合でもないが。
「すべてではありません。私だって全知全能というわけではありませんから」
「小細工は意味がなさそうだな。あんた、イチカをどうする気だ?」
「どうもしませんよ。愛をもって接しています。かわいいかわいいペットですから」
「いい趣味だよまったく」
抜刀すれば届く位置にいる。
だが、俺がアクションするより先に、先生のほうがなにか仕掛けてくるだろう。
俺は溜め息をついた。
「たぶん、こっちのプランはすべて見破られてるだろうから……説明不要ってことだよな? その辺はバッサリ省略するとして。分かんないのはあんただよ、先生。最終的にどうするつもりだったんだ? このあとのプランは?」
「そうツンケンしないで。私はあなたと争いたくない」
「仲良くなりたいって? なら情報を提供することだな。隠し事はナシだ」
イチカを哀しませた瞬間に八つ裂きにするがな。
彼は眉ひとつ動かさなかった。
「あなたは過負荷について学びましたね? それはすなわち精神の凝縮された状態。凝縮されればされるほど、精神は輝き出すものです。宝石のように、キラキラとね」
「キラキラ? そんなものが見たくて獣にするのか? こんな純粋な子を騙して……」
「それは悪く捉えすぎですね。私を悪人だと決めつけている。私はイチカの精神が、もっとも輝くようサポートしているだけです。この子は不浄な仕事に手を染めながらも、そこに喜びを感じている。ですが哀しいことに、このアパートでは、輝けば輝くほど獣に近づいてしまう。ですから獣にならないよう、私が術を施しているのです。イチカはもっと輝くことができる。どこまでも、どこまでも、輝くことができる。器が限界を迎えるそのときまで」
これを陶酔した調子で言うのなら、なにかに溺れているだけの可能性もある。感情で理屈を覆い隠しているパターンだ。ところが、じつに冷静に淡々と説明してくるのだ。パラノイアとしか思えない。
俺は胸が悪くなりそうだったので、溜め息のついでに呼吸をした。
「あくまで善意だって言うのか?」
「善意? それは私が決めることではありません。私はあくまでイチカのことを最優先に考えているだけ。彼の精神がもっとも輝けるように」
「で、最期は獣になるってわけだ。けど俺たちは、イチカが獣になる瞬間に立ち会うことはないんだろうな。なぜならその前に、どこかに失踪しちまうんだから」
この皮肉にも、彼は動じなかった。
「フフ。それはつまり、その瞬間に立ち会いたいということですか? 失踪した先も知りたいと?」
「ふざけんな。ちょっとは言葉を選んでくれ。イチカを獣にさせるわけないだろ」
「させない? はて? どのようにして? 彼はすでに、術で限界まで輝きを得ているのです。あなたが私を超える術者でもなければ、彼の運命は変わりませんよ」
そう。
ハナから手などないのだ。
俺はこの男に勝てない。もしかすると隙をついて切り殺せるかもしれないが、その瞬間、イチカを獣にしてしまう。
俺は膝をつき、床に頭を叩きつけた。
「お願いだ! そんな意地悪しないでくれ! イチカはあんたを信頼して頑張ってたんだ! 手を貸してくれよ!」
「困りましたね。私はすでに最善の策を尽くしているつもりです。これ以上、手の施しようがない……」
本気で言っているのか?
だが……筋は通っている。あくまでこいつにとっての筋だが。
先生は強固な枠を用意した。
そして枠の中は、すでにパンパンになっている。
イチカを救いたいのなら、時間を巻き戻して、そもそも汚れ仕事をさせないようにしないといけない。つまり不可能ということだ。
「イチカは……このあとどうなるんだ?」
「今回の仕事は、彼の精神に影響を及ぼす類のものではありません。なにせ相手は外道ですから。いくら外道を殺害しても、精神が変化することはないのです。余計なことは考えず、言われた通りに始末してください」
「そのあとだ! このまま続けたら……」
「そう悲観しないでください。ご希望であれば、あなた方が失踪と呼んでいる事態についても説明する用意がありますから」
「はい?」
俺は上体を起こした。
悲観するなだと?
いや、それもムカつくが……。説明する? 本当に?
「のちほど指定の場所に来てください。失踪の結果について説明します」
飄々とそんなことを言う。
クソ野郎が……。
「これだけの力があるのに、なぜ俺たちにやらせるんだ? あんたがやれば一瞬だろう」
「ええ。一瞬です。ですが、これはコミュニケーションの一環なのです。たとえば動物に芸を仕込む人がいますね? 人間がやったほうが効率的なのに? そう。その通り。でも、やらない。なぜだと思います?」
「動物がやることに意味があるから……」
「イエス」
「で、具体的になんの意味があるんだ? あんたはそれを見て楽しんでるのか?」
「言ったはずです。コミュニケーションの一環だと。ボールを投げて、イヌがとってくる。それを繰り返すことは、果たして虐待でしょうか? 答えはノーです。お互いが楽しいと感じるから、やるのですよ。もし違うというのなら……。結構。それもまたひとつの価値観でしょう。しかし肯定するにせよ、否定するにせよ、これは感情の話ですから。誰も合理性を主張できないのです。ですから、自分の意見を、他人に強要することもできません。いやなら拒否すればいいだけの話。私はなにも強要していませんよ」
「……」
なんとか反論しようと思案したが、口からは息しか出なかった
ムカつく野郎だ。
なにが一番ムカつくかといえば、イチカがこいつのやり方に喜んでいることだ。
なにもかもが許せない……。
「おや、そんなに怒ると外道になってしまいますよ。深呼吸、深呼吸」
かなりムカついたが、俺はもっともだと思い深呼吸した。
そしてムカつくことに、少し落ち着いた。
「アドバイスありがとう。ところで、俺の仲間たちは……?」
「無事ですよ。少し眠ってもらいましたが。こう見えて私は平和主義者でしてね。相手の意見を最大限尊重しながら接しているつもりです。あなたがどう思っているかは追求しませんが」
「信じますよ」
「誤解が解けてなにより。では、私はお邪魔にならないうちに退散します」
「お任せあれ」
もう逆らっても仕方がない。
可及的速やかにアルマジロを始末する。
イチカをピンチに追い込む必要はない。
(続く)




