治承の大火と裳着
治承2年[1178年]3月
前年京を焼いた安元の大火の記憶が未だ生々しく残っている都にてまたしても大火事が発生した
七条東洞院より出火した火は東風に煽られ朱雀大路までの一帯を焼き尽くした
それは丁度安元の大火の被害が無かった地域であり、一時的に避難してきた人々の密集地帯でもあった
何にせよ大火は再びやってきた訳である
人々は前年の大火を『太郎焼亡』、そして今回の大火を『次郎焼亡』と呼んだ
「来年には三郎焼亡があるやも知れぬな」
そんな京の様子を家にて語る磯
「磯姉さん、怖いこと言わないで下さい~」
部屋でくつろぎながら桜が言う
「二度ある事は三度あると言うぞ」
「あって欲しくはないですね~」
おっとりと言う桜に磯は頷く
そんな磯と桜がいる部屋にとたとたとたっとした足音が近づいてきた
「さくらししょー、大変です!!」
「いそだいししょー、大変です!!」
忙しく畳みかけるが如く言う二人の少女
現在白拍子見習い中である『葵』と『苑』である
年齢は二人とも9歳である
「何です、騒々しい」
桜は弟子達を咎めた
普段磯や鈴と接している時はおっとり口調の桜も弟子達には先生口調になる
「ししょー、大変です」
「だいししょー、大変です!!」
まるで天地がひっくり返ったかの如く早口で言う二人に桜は溜め息をついた
この子達はいつもこうである
とにかく落ち着きがない
入った時期が同じであるため二人は非常に仲が良い
しかし仲が良いだけに留まらずその性格も双子かと思わせられる程に似ているため指導する方としては疲れる
ちなみに『ししょー』とは師匠の事であり桜の事だ
『だいししょー』とは大師匠の事であり師匠の師匠である磯の事である
桜はこの呼ばれ方を嫌がっているが、磯は面白く思っていたりする
「何が大変なのですか?」
毅然とした態度で二人に接する桜
とても似合ってはいない
むしろいつもの桜で良いのではないかと磯は思うが桜的には先生という気負いがあるらしく結構無理をしている
「大変なんです、ししょー!!」
「物凄く大変なんです!!」
桜はこめかみに指を当てる
これではまったく分からない
慌てず騒がず冷静に落ち着いて話しなさいという事を日頃から教えているつもりなのだか中々覚えてはくれない
「大変だけでは分かりません、何が大変なのですか?」
「とにかく大変なんです!!」
「そう、とにかく来て下さい!!」
何やら混乱して騒いでいる二人
まったく分からないながらに桜は磯に言う
「とりあえず何かがあるようなので行ってきます~」
「うむ」
そして二人に引っ張られ桜は部屋から出て行く
「……」
脇息にもたれながら磯はパンっと扇を広げた
「まぁ…賑やかな事は良い事か」
そう思う
去年の大火から弟子達が住み込み始めてもうじき一年が経とうとしている
最近の京は盗賊が横行していて物騒だ
広い屋敷では使用人がいるとはいえ多いに越した事はない
そう考えていると直ぐに桜が部屋に帰ってきた
「磯姉さん、大変です!!」
「お前もか!!」…と突っ込みたくなる磯
流石は師と弟子である
いやしかし…そうなると自分と桜も似ている…訳でもない
しかしそう考えると同時に桜が血相を変えて慌てている方に意識を向けた
つまりはただ事ではないという事だ
「どうした?、お前まで慌てておるとは何事だ?」
「鈴さんが廊下で倒れられたようです!!」
「ん!?」
その言葉に磯は手に持ってぶらぶらとさせていた扇を落としそうになった
パチンと扇を畳み飛び上がるように立ち上がった磯は急いで鈴が倒れているという廊下に向かって走る
何名かの弟子達が周りにいて騒いでいる中を通り抜け、倒れている鈴に近寄った
倒れている鈴の前にしゃがみ込み、肩を揺すりながら名前を呼ぶ
しかし返事はなく、体は痙攣している
数度の呼びかけにも反応はない
「これはいかん、桜!!」
「はい!!」
呼ばれた桜は磯の真横に来た
「医者を呼んで参れ」
「施薬院ですね」
「うむ、施薬院で医者が不在なら大内裏の典薬寮で私の名前を出せば来てくれよう」
「はい!!」
そう返事をすると急いで桜は出て行った
庶民が病気や怪我で治療する時は施薬院を利用する
その施薬院はいつの頃からあるのか?
それは第45代・聖武天皇の御世の頃とされる
聖武天皇の時代に藤原不比等の娘で安宿媛という美しい少女がいた
藤原不比等の父は大化改新で名を馳せた中臣鎌足であり天智天皇より賜った『藤原姓』を用いた
安宿媛は別名『光明子』とも呼ばれ光輝くような美しさを持っていたという
聖武天皇の后になった光明子は光明皇后と呼ばれ、その発願により天平2年[730年]、貧しい人々に施しを行う『非田院』と医療の施設たる『施薬院』が設立された
設立後は光明皇后自らも院に赴き病人の看護に当たったという伝説がある
やがて時代は経ち平安京遷都において施薬院は五条室町に移り現在も運営されている
ちなみに施薬院は庶民が利用するのに対して典薬寮は貴族が利用している
典薬寮は隋や唐の医学が取り入れられ、日本の中でも最高の医療機関だ
本来なら身分ある者しか典薬寮の医師に診てもらえないが、磯は貴族を通じて何人かの医師と知り合いのため緊急時にはその力を借りる時がある
それにしても去年の大火に際して典薬寮が無事だったのは幸いだった
それから二カ月後…
裳着である
何かというと女子が成人する時に行われる通過儀礼だ
男子だと元服に当たる
大抵は初潮を迎えた女子が対象とされ、裳を着せる着裳式を行う事で成人女性と見なされ結婚が許される事となる
もっとも庶民は簡素な式で終わらせたりしなかったりと色々だが、貴族となると正装の着裳や髪上げ、腰結い等々非常に面倒で時間が掛かる儀式になる
あと眉を抜いたり化粧をしたり、歯黒めをしたり…
もちろん庶民たる磯家ではそんな面倒な事はしない
するのは比較的豪華な食事でお祝いするぐらいだ
そう、この時静は12歳
一応これにより大人の仲間入りとなる
とは言えあくまでもまだまだ形の上でではあるが
「静様も大人の仲間入りでごさいますね」
そう言って涙を滲ませ目元を布で拭く鈴
倒れてから約二カ月目の今日
駆けつけた医師の応急処置やその後の治療によって今ではすっかり良くなっていた
「だな…」
そう言う磯
子供だ子供だと思っていたがいつの間にか大きく成長した
こんまいこんまいと言っていた頃が懐かしい
それは赤子の頃より静と接していた桜も同様の思いだ
この時代において赤子や子供の死亡率は非常に高い
栄養の不足や病などで死ぬ者は多い
そういう意味では一人っ子である静が無事に裳着を迎えられて一安心といった所だ
「静ちゃん専用の整容具が整髪具が要りますね~」
桜の言葉に磯は脇息に扇の先端ポンと当てた
「本格的な物を揃えてやらねばな」
子供用は持っているが大人になったからには大人が使う道具を揃えなければならない
「う~ん…」
そんな磯や桜の遣り取りに唸りながら静はひたすら食事を平らげていく
大人になったと言われても静にはまだまだ実感が沸かない
それに自身の体の変化に大きな戸惑いを感じて上手く受け答えが出来ない
だからとにかく料理を食べる事に専念した




