専修念仏
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
安元元年[1175年]、南無阿弥陀仏が京で流行の兆しを見せていた
南無阿弥陀仏とは何か?
それは法然の説く教えで『南無阿弥陀仏』と唱えれば富める者はおろか疫病や身分の低い者でも平等に往生できるという教えである
世にこれを『専修念仏』と言う
そもそも『南無』とは帰依や崇拝、尊敬の意であり『阿弥陀仏』とは無量の光明と無限の寿命を備えた仏である
法然は今より43年前、長承2年[1133年]に美作国・久米郡で生まれた
保延7年[1141年]、9歳の頃に父が多年に渡って争い続けてきた者らに夜襲され殺されてしまう
そしてその後、菩提寺の院主であった母方の叔父の元に引き取られた
法然を見た叔父である観覚はその才に驚き比叡山に登る事を勧める
天養2年[1145年]、比叡山延暦寺に登り持宝房・源光に師事した
やがて原光から全てを学んだ法然は久安3年[1147年]に同じ比叡山の功徳院・皇円の下で出家した
そして天台座主・行玄を戒師として受戒を受け久安6年[1150年]、叡空のいる比叡山黒谷別所に移った
比叡山における大乗戒律・密教の第一の学僧と呼ばれている慈眼房・叡空を師とし、修行を行った
黒谷には『往生要集』による念仏を行う聖の集団があり、法然もまたその影響を受けたと言われている
ちなみに『往生要集』とは平安中期に活躍した天台宗の僧侶であった源信【天慶5年~寛仁元年[942~1017年]が書き現した仏教の文学書である
その源信もまた影響を受けた人物がいて、それが浄土信仰の先駆者と言われる阿弥陀聖こと空也【延喜3年~天禄3年[903年~972年]である
話を戻し源空という名と法然房という房号とを叡空は法然に授けた、この時法然18歳
黒谷での長年の修行に明けくれていた法然は保元元年[1156年]、24歳の時に黒谷を出て嵯峨の釈迦堂に参籠
さらに南都に出て法相宗、三論宗、華厳宗の碩学を訪ねたという
南都遊学後、再び黒谷に戻った
そして承安5年[1175年]の現在、法然43歳
今年、法然は『観無量寿経』の注釈書『観経疏』を読んでいた最中、その一節に目を留めた法然はその文に着目した
『一心に弥陀の御名を念じ、それを捨てず保ち続ければそれこそが正しい道である、なぜなら阿弥陀如来はそれを願いとされているからだ』
それを見た法然は開眼、阿弥陀如来の名号を唱えれば極楽に往生できるという境地に至ったのである
「要するにただひたすら念仏を唱えれば極楽浄土に行けるという教えだな」
覆盆子を食べながら磯は今流行の兆しにある専修念仏の話題を出した
「そのようにございまするな」
今年に入ってうっすらと白髪が出てきた鈴が答える
「南無阿弥陀仏でしたっけ?、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
そう言うと手を合わせる静
静はこの年9歳
かつては可愛かったが最近はめっきり生意気になってきている
「お気楽な教えだな」
そう言いながら磯は大きい覆盆子をつまみそれを口に入れた
「世には今だに読み書きすら出来ぬ者も多くおりますれば、民に取っては一番分かり易い教えかと思われまする」
「確かにそうかも知れん、坊主どもはとかく簡単な事でも小難しく説いて煙に巻くからな」
「そういう意味では法然様の説かれる浄土の教えは民には優しい教えにございまする」
「ふむ、どう思う?、静」
「え…」
突然振られて手に持った覆盆子を落としそうになる静
「うーん…そうですね、確かに一般の人達には仏教も御坊様も敷居が高すぎて雲の上の存在になっている感じは受けます」
「なるほど」
パン!!、と扇を広げ仰ぐ磯
そもそも浄土の教えは日本が発祥ではない
印度を起源とした仏教思想が中国で発展を遂げた教義である
開祖は山西省の雲鸞[476~542]とされている
ひたすら仏=他力にすがる事によって浄土に往生する事を願い、自力の難行ではなく他力の易行により救済を説く
「そういえばあ奴はどうした」
「あ奴と申されますと?」
「宋より帰ってきた禅の僧だ」
「ああ、栄西様でございますな」
「そう、確かそんな名だ」
「そんな名ではなく栄西様にあらせられます」
「どうだ静、鈴は凄いであろう」
「はい、お母様の『あれ』言葉から名前を導き出される鈴さんは本当に凄いと思います」
「何やら棘のある言い方だの、静」
「そんな事はございません」
「そうか?」
「はい」
「本当にそうか?」
「はい、間違いありません」
その親子のやり取りを見て鈴は苦笑した
栄西は永治元年[1141年]、備中国の生まれである
仁平元年[1151]備中の安養寺の静心に師事
久寿元年[1154年]比叡山延暦寺で得度
仁安2年[1168年]、堕落した日本天台宗を立て直すべく南宋に留学した
そこで栄西が見たものは禅を主とする禅宗の隆盛である
特に臨済宗は他の禅の宗を圧倒する勢いであった
禅宗は菩提達磨から始まるとされる
禅において釈迦の教えの神髄は『不立文字』であると説く
すなわち文字に表せない感じる心や感覚、言葉に表せぬ事の体験にこそその真の教えがあるという
ただひたすら行動と座禅、それにこそ全てが集約され悟りはそこにあるのだ
帰国した栄西は嘉応元年[1169年]備前金山寺を復興させ、今年の安元元年[1175年]誓願寺供養の阿闇梨となる
実は何年か前に磯はこの栄西に会って話した事がある
年いった僧かと思えば実は磯と一つしか違わぬ若さに磯は驚いた
その時に禅の座り方などを教えてもらった
勿論今はまったくしていないが、教えてもらった当時は結構やっていたりしていたものだ
「ごちそうさまでした」
覆盆子を食べ終わり静は食器を手に台所に向かう
「勉強をせよ」
「はーい」
気のない返事をする静
そんな静の後姿を見ながら磯は鈴に聞く
「最近は友達は増えたかの」
「近所の子供達とはよく遊んでおられまするぞ」
「そうか」
「はい」
「身分の垣根なく遊べるのは子供の特権だな」
「それはそう思いまするな」
「実は苛められておらぬかと気にしてはおる」
「そのご心配は無用にござりまする」
「なぜだ?」
「親御様方は磯様のお子様である事を知っておりますし、知らぬ者も知れば態度を変えまするゆえ」
「身分は低いぞ、私は」
「信西様のお弟子様であり、有名な白拍子であり、財もあり、かつ貴族や皇族の方々とも交流のあられるお方にございまする」
「そうか」
「はい」
磯が気になるのはやはり静の事である
自分はよいが静がそういった差別を受ける事があれば親としては我慢がならぬ所である
「そうか、ならばよい」
「はい、その点はご心配には及びませぬ」
「ん…」
「しかし、やはりというか何というか…」
「ん?、何だ?」
何かあるのかと思い身を乗り出した磯に鈴は少し笑みながら答えた
「舞の才は素晴らしいものがおありのようです」
「…静がか?」
「はい、よく外で舞われておられるようでして子供達も大人達からも評判のようにございます」
「ん…まぁ、確かに多少なりとも教えてはいるが」
「貴族の中にはお若い頃の磯様の再来と申す者もおりまするな」
「私の再来か、親として喜んで良いものやら良くないものやら判らぬな」
「実は私も静様には若き頃の磯様が重なって見える時がございます」
「ん、むぅ…」
磯に取っては静を白拍子にさせる気はない
舞いも琴と同じく嗜みの一つとして教えているにしか過ぎない
しかしもし舞いに才があり、本人がその道に進みたいのなら止める理由もない
もっとも、これからの時代は商いだという事を感じている磯に取っては静は商才逞しい人間に育っては欲しい所ではあるが




