牛若丸と武蔵坊弁慶
承和3年[1173年]、京の都に一つの噂が立った
京に架かる橋で夜な夜な女の幽霊が現れるという
京のどの橋かはその時によって変わるらしい
そしてその幽霊は通行する者から刀を奪うという噂
「けったいな話だの」
磯は蜜柑を剥きながら言う
桜も剥いた蜜柑を食べている
一方静はまだ小さな手で必死になって皮を剥いている
「刀を持っていなければどうするのだ?」
そういう磯に鈴は首を捻った
「そういえばそうでございますね」
「でも珍しいですね、刀を欲しがる幽霊って」
「物の怪の類じゃないのか」
「妖怪刀狩り~!!」
「きゃぁ~」
桜の驚かしに怖がる静
「今や京中が慄いておりまするぞ」
「慄かせておけばよかろう、怨霊大好きな貴族どもはまた神社仏閣でもおっ立てて鎮撫云々と無意味な事をしよるだろう」
「ところが検非違使を出動させたみたいでございます」
「という事はお化けではなく人がそれをやっているという確信があるのか」
「刀を奪われているのが平家側の人間、またはそれに類する人々でございますれば」
「なるほど、公家どもではなく平氏が出たか、重盛の達しか」
「左様のようでございます」
それから数日後、京ではある噂が広まった
巡回に出ていた検非違使の一隊が鴨川のある橋に差し掛かった時に笛の音と共に女の幽霊が現れた
その幽霊は非常に身軽でひょいひょいと橋の上を飛び、検非違使を翻弄した
そして隙を見て小刀で斬り、検非違使達を倒したという
「その話は本当か?」
つき餅を網に乗せ炭の熱で炙ってぷっくらと膨らます
それを砂糖をつけて食する
この砂糖は日本のものではなく舶来品である
桜も火箸で餅をひっくり返し焼け具合を確かめる
静は少しだけ磯のモノを分けてもらい食べている
子供や老人は喉につかえやすいので静には少しずつ食べさせるようにしている
「本当のようでございます」
「ほぅ、それは面白いな」
中身が熱々の餅をはふはふと言いながら食べる磯
桜も焼けた餅を火箸で取り小皿にコロンと入れた
「まさかとは思いますが今日辺り夜に見に行かれるとか言われませんように」
「よく分かったな」
「長いお付き合いでございますからな」
「まぁ、確かに興味はあるがな」
「あるがな…何でございましょうか?」
「若ければ即座に行ったかも知れんがもう私も年だ、変な事に首を突っ込む気にはならんよ」
「まぁ、それが良いと思われまする」
「桜、お前は若いのだから見に行ってみてはどうだ?」
磯は餅と格闘する桜に話を振った
「え?、嫌ですよ、そんな訳のわからない現場に行くのは!!」
「保守的だな」
「保守的な女ですから!!」
「それでお触れで達しがありました」
「ほう、何と?」
「その首を上げた者には金一封を授けると」
「いらんな」
「磯様の話ではございません」
「そんな話に乗っかってくる者は武者崩れか路頭に迷っている餓鬼か貧乏僧兵ぐらいなものだ」
「確かにそうかも知れません」
この触れに参加してきた者は確かにいた
武者崩れに路頭に迷っている人間に貧乏な僧兵である
カン!!
夜に鳴り響く薙刀の音
ここは松原橋である
応募した何人かが一塊で行動しているのに対してこの男はたった一人で行動していた
この男の名は武蔵坊弁慶
訳あって現在は比叡山を離れ一人武者修行中の僧兵である
別に金一封が欲しくて参加した訳ではない
ただ刀を奪うという女の幽霊に興味があって参加してみた
もっとも旅の資金も底をつき始めているのも確かだが
カン、カン、カン
薙刀の石突の部分を木製の橋に当てながら弁慶は橋を渡り始めた
「む?」
丁度橋を渡り始めた時に橋の向こうから笛の音が聞こえてきた
噂では女の幽霊が現れる時には笛の音が聞こえるという
「これはまさか?」
弁慶は驚くと同時にいきなり当たりを引いた事に仏の導きに感謝した
カン、カン、カン
その音と共に笛の音は近づいてくる
そして丁度橋の真ん中辺りで弁慶は笛の吹く女と出会った
その格好は坪装束にむしの垂れぎぬの旅装姿
女は垂れぎぬの中側から笛を吹いている
そして弁慶の姿を見ると笛を吹くのを止めた
「お前が夜な夜な刀を奪うという噂者か!!」
四方に遍く届きわたる大声で弁慶は吠えた
「……」
そんな弁慶の声が耳に入っていないかのように女は黙りこくっている
「違うと言うてもこんな夜更けに女が一人でこんな所にいるのはおかしいからの」
ブオン!!
弁慶は薙刀を一振りし尖先を女に向けた
「さあ、如何に!?」
弁慶の一睨み、しかし女はまたしても無言であった
「ええーい!!、埒が明かん」
「……」
「貴様が物の怪の部類ではない事は承知しておるわ、大人しく名を名乗れい!!」
「……」
すぅ……と静かな動作で女は垂れぎぬを脱いだ
「何?」
弁慶は驚いた
女だと思っていたものが実は男であった事に
確かに美形ではあるが男だ
まだ少年といってもいい顔つきである
「何者だ?」
女と思い油断していた弁慶だったが、その顔つきは真剣そのものになった
少年とはいえ女子を相手にするのとは危険度が違う
「惜しいな、あと1本で1000本目だというのに」
「何?」
「戦っても勝てそうにないな、さらば」
そう言うと少年は逃げだした
「…は?」
戦わずしていきなり逃亡した少年に弁慶は唖然とした
しかし逃す訳にもいかない
「ま…待て!!」
弁慶は少年の後を追いかけた
どのぐらい走ったのか
鴨川を沿いそこから山に向かって急な坂を登りながらも後を追う弁慶
大きな門をくぐり抜け気がつけば寺に来ていた
「ここは・・・清水?」
追いかける事に集中していた弁慶だったが、気がついたそこは清水寺である
「という事は急な坂は清水坂であり仁王門であったか」
息を切らせながらも弁慶は状況を把握した
「出てこい!!、いるのは分かっている」
大声に静かな本堂内は震えた
「……」
ややあって声が返ってきた
「ここまで追いかけてくるとは」
「残念ながら儂は僧だ、鳥辺野の霊を恐れて近づかん検非違使や貴族とは違う」
「なるほど」
そう言うと少年は柱の陰から姿を現す
闇の中から現れしその白い肌に姿はまさしく幽霊の様であった
「名を名乗れ」
弁慶は怯まず大声で言う
「ならば言おう」
「ぬ!」
「我が名は遮那王」
「遮那王?」
「真の名は牛若丸」
「牛若丸?」
「源義朝が九男である」
「な、なにぃ!?」
弁慶も源義朝の名を知らぬ訳ではない
そして戦乱に負けしその歴史もある程度知っている
その子供達はあるいは死にあるいは流されあるいは仏門に入った
「ではお前の母は…」
「我が母は常盤御前なり」
「な…なんという…」
実の子を救う為に敵の将に手篭めにされた女性の話は聞いた事がある
その名は常盤御前
そしてその子は助かったという
「お前が…」
「名は名乗ったぞ、それでどうする?」
薙刀を地に付け弁慶は唸った
女の幽霊を退治にきたのが、まさか男でしかも源氏の血を引く者とは…
「一つ聞かせよ」
「何か?」
「何故刀を奪う?」
「平家への仕返しだ」
「それで夜な夜な平家に与する者を倒していたと?」
「自らに課した」
「ほう?、何を?」
「刀を見事1000本奪えたならば京を発つと、奪えなければ京に留まると」
「京を発つ?、どこに向かうつもりだ?」
「奥州藤原家」
「奥州だと?」
「平家の力の及ばぬ所だ」
「それで?、そこに行って何とする?」
「やがて力を蓄え挙兵する」
「な?」
牛若丸の言葉に弁慶は驚愕した
「今や平家の力は絶大、勝てると思うてか!!」
「勝つ、平家を倒しそして源氏を再興させる」
「……」
弁慶は何も言わずただ夜の空を見つめた
「……」
どのぐらいの時間が過ぎたのか?
数分?、数十分?
いや、数秒かも知れない
ややあって弁慶は手に持っていた薙刀を放り投げた
グァシャン!!
乾いた音が木製の床を打ち、その音は堂内に木霊する
「持っていけ、これでお前の願いは叶う」
「……」
牛若丸は黙って床に転がっている薙刀を見つめた
「僧の薙刀では不服か?」
「…いや、有り難く貰い受ける」
「ではさらば」
弁慶が立ち去ろうとする時、牛若は尋ねた
「貴僧の名は?」
「おお、言っておらなんだか、儂は武蔵坊弁慶という」
「武蔵坊弁慶、その名は覚えておこう」
そうして弁慶は清水寺から去った
金一封は貰えず愛用の薙刀も失ったが、その心は妙に涼やかだった




