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白拍子ですが何か?  作者: ナウ
三章・平家全盛
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神泉苑

大内裏だいたいりの傍には神泉苑しんせんえんがある

神泉苑とは広大な池泉であり、遥か昔は天皇が竜頭鷁首りゅうとうげきすの船を浮かべて遊園が行われたりしている

延暦13年[794年]平安京遷都と共に造営された禁苑[天皇の遊行庭園]である

決して涸れる事がないこの池には善女竜王が住むと言われているが、その由来は天長元年[824年]の守敏と空海の競い合いが発端である

農業に取って最大の敵は干ばつだ

雨が降らず長期間の水不足により大地は干上がる

当然の如く農作物は取れず収穫減少により飢饉が発生する

時の朝廷は東寺の空海くうかいと西寺の守敏しゅびんに雨乞いを依頼した

弘仁14年[823年]第52代・嵯峨天皇より守敏は西寺を、空海は東寺を賜る

ちなみにこの年、比叡山寺は延暦寺と名を改めた

守敏と空海は度々対立する関係にあり、神泉苑の雨乞いでもまた互いに睨みあう形になった


伝説はかく語る

まず初めに名乗りを挙げたのは守敏である

最初に祈祷し雨が降れば空海の出番はない

皆の見ている前ですごすごと帰っていく空海の哀れな姿を想像し守敏は意気を強ませる

守敏の祈祷を持って雨雲はたちまち現れた

そして雨雲は京の都を包み一斉に雨を降らせたのだ

「我が勝ちなり!!」

守敏は勝ち誇った顔で周囲を見渡す

しかしこの雨は立ちどころに降るのをやめた

雨は確かに降ったがそれは一時的なモノであり、それも京の都界隈にしか過ぎず国中に雨を降らすには至らなかった

しかしなにはともあれ雨は降った

守敏は空海に顔を向けた

その顔は「お主にこれが出来ようか」という顔である

次はいよいよ空海の番である

空海もまた雨乞いの法を持って祈祷を始めた

しかし一向に雨は降らない

降らないどころか先程まで漂っていた雨雲は全て消え去り、空は燦燦と日が照りつけるまさに快晴である

「これはどうした事か」

空海も、見守っていた人々も不思議に思った

一人守敏のみが不気味な笑みを浮かべている

「これはもしや・・・」

空海は法力を持ってその原因を探った

すると何と雨降らす龍神達が閉じ込められているではないか!!

「おのれ守敏!!」

それが守敏の仕業と知る空海

呪力を持って龍神を閉じ込めた守敏はますます笑む

「空海破れたり!!」

守敏は自身の勝ちを確信した

龍神の力を借りれない空海は絶体絶命の危機に瀕した

このまま雨が降らねば空海の名は地に堕ちる

ひいては嵯峨帝より賜った東寺の名も廃るのである

危機的状況の中、空海は法力を持って何事かを探った

すると一人だけ守敏に捕まっていない龍神がいた

『善女龍王』と呼ばれる龍神である

空海は法力を持って善女龍王を呼び寄せた

空海の願いを聞き届けた善女は三日間に渡り雨を振らせたという

それ以来善女龍神は神泉苑の池に住み着いたという

そしてどんな日照りが続いても決して涸れないという伝説として語り継がれていった

そして勝った空海の東寺は栄え、負けた守敏の西寺は廃れていっている

という話


実際は負けたから廃れていっているのではなく、正暦元年[990年]に落雷による大火で焼失したのが原因だ

その後再建されたが以前のような勢いはなくなってしまっている


その空海と善女龍神の伝説は神泉苑での雨乞いの祈祷という伝統を生みだす

干ばつが続くとここで度々祈祷が催される事になったからである

平安中期の頃に『雨の僧正』の異名を持つ仁海にんかいや、かの小野小町おののこまちもまたこの神泉苑で雨乞いの祈祷をしたという


そしてもう一つ、貞観じょうかん5年[863年]に都で起こった疫病の大流行があげられる

貞観初年の不作続きに追い打ちをかけるように5年には疫病が蔓延し平安京は言うに及ばず地方にも伝播しその猛威を振るった

時の朝廷や貴族はこれを御霊[怨霊]の祟りとして恐れ、それを鎮めるために御霊会ごりょうえを行った

御霊とは即ち祟道天皇[早良さわら親王]を筆頭に宮廷の紛争において憤死した者達である

貞観5年5月に催されたその盛大な御霊会

最初は怨霊を鎮める為に公儀によって行われた御霊会ごりょうえであるが、貞観6年~8年に掛けて噴火した富士山の大噴火や貞観11年[869年]陸奥国近辺で起きた大地震による倒壊と大津波、それによる死者と不作と更なる疫病の蔓延によって御霊会ごりょうえは公から民に移り代わり継続して行われるようになった

貞観11年、神泉苑の南端に66本の鉾を立て祇園社から御輿が出たという

この御霊会ごりょうえは祇園社[八坂神社]の祭礼として後の世にまで行われていく様になる

これが有名な祇園祭りの起こりである



永万2年[1166年]6月、平清盛が正二位になり神泉苑にて孔雀径法を修し雨を祈願


「意気揚々としておるな清盛しんせいは」


神泉苑での清盛の晴れ舞台を見て帰宅した磯は鈴にその話をする


「それはそうでございましょう、武士として異例のご出生でございますからな」


「異例の出生、やはりあの噂が本当だからか」


「あの噂・・・と申されますと?」


貞仁ていじん御落胤説」


「白河天皇でございますか?」


貞仁ていじんは女癖が相当悪かったと聞くからな」


「かの崇徳帝も白河帝のお子と言われておりまするからな」


第72代・白河法皇の寵愛を受けていた待賢門院[藤原璋子]は74代・鳥羽天皇に入内したが白河との関係は続き第一皇子を産む

これが第75代・崇徳天皇である

この崇徳が誰の子か?

皆はほぼ間違いなく白河帝の子だと噂し合った

それと同じ事が清盛にも当てはめられる


白河法皇が寵愛した祇園女御ぎおんのにょうご

その祇園女御の妹もまた白河法皇の寵愛を受けていた

その白河法皇の子を懐妊した妹は平忠盛たいらのただもり[清盛の父]に与えられた

そして生まれたのが清盛だ


これはあくまで噂の域を出ない信憑性が薄い話ではあるが、あり得なくもないので磯は面白半分でこの話をする時がある


「それにしても雨乞いの法とは懐かしいな」


「そう言えば磯様は昔、鞍馬山で修験道者に教えて貰ったと言っておられましたな」


「あったなそう言えば、すっかり忘れておった」


「何度かお試しになり、実際に雨を降らせた事はこの鈴も覚えております」


「変な霊力だか験力だか法力だかだな」


「確か霊力が非常に強いとその修験道者から言われたのでは?」


「そうだったか?、随分前なので覚えていない」


「まったく、しっかりして下さいませ、まだボケる年ではございませんぞ」


「いや、どうにも最近昔の事を思い出せなくてな」


「磯様もそろそろお年ですからな」


「いや、まだ25だ」


「もう25でございます」


そう、磯ももう25歳だ

若い若いと思ってみても、年齢は高くなっていく


そういう訳で最近の磯は自らが舞うよりは専ら若手を育てる方に力を入れていた

正直磯も一線で活躍するのは今がギリギリの所だ

若い子達と競い合ってもまだまだ負ける気はしないが、年相応の身の処し方を考えなくてはならない時期に来ている


同年10月、憲仁のりひと親王が皇太子に立てられ、母である平滋子は従三位に叙された


そしてこの年この時、磯はにわかに体調不良となる

最初は単なる体調不良かと思われたが、その兆候ははっきりとした形で現れてきた


「おめでたでございます」


鈴の言葉に磯は溜息をついた

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