十軸の重量選別機(ウェイト・ソーター)その①
――かなり、深く眠っていたようだ。 目が覚めると、いつのまにか今回のゲームの会場である夜の巨大な造船所、そのステージの隅っこで寝かせられていた。 少し気だるい身体を起こし、背伸びをして気持ちを整えつつ、自分の身体を見下ろす。いつもの私服から今回のゲームの装備品――タクティカルウェアに着せ替えられていた。
アニメとかゲームの、SF物やミリタリー物でしか見たことがない、男の子だったら一度は憧れる衣装。着ることでゲームの「視聴者」からの人気が上がり、時には制限として、時には楽にゲームを進められる「運営側の配慮」だが、終了後は運営に返却され、血や傷がついたままのリアルな状態で裏オークションに出品される呪いの衣装でもある。
着るも着ないも自由の衣装だが、着た方がプレイヤーにとってもメリットのある衣装に、迷わず緩く縛られた防弾ベストのベルトを縛り直す。黒のスーツに、エルボープレート、ニーパッド、ベスト、プレートに守られたセーフティブーツ。右腕に付けられたゲームを行う上で必須アイテムであろうスマートウォッチ。
腰の後ろ、タクティカルベルトに付いた薄いユーティリティポーチには、幅2.5センチほどの黒いナイロンウェビングが蛇腹状に畳まれていた。長さは3メートルほど。荷物や身体を固定するためのただの帯で、先端に鉤や刃物が付いているわけではない。金属製の簡単なアジャスターが一つ付いているだけだ。これも含めて支給装備の重量なのだろう。
装備と、装備の大体の重さ。衣装の着心地に不備がないかを確かめて、改めて今回のステージの全体を見回した。
工業用の、縦長の巨大な空間。夜だからか、それともこの空間がコンクリート壁に包まれているからか、間接照明だけだからか、薄暗い。例えるなら真っ暗闇の中に細い懐中電灯を当てたくらいの薄暗さ。これがゲームの緊張感を出すためのものなのかは、このゲーム特性なのかは、まだ定かではない。 でも、後者ならばよろしくない視界の中、運営の意図やゲームの攻略法を考えながら進まなければいけない。
一瞬の油断が命取りなのだ。 ――そうして、よく目を凝らすと、床一面には錆びついた正方形の鉄板が無機質に敷き詰められている光景が見えた。それが縦二十、横十列に並んでいる。不規則にその鉄板の上にはドラム缶やらワイヤー、ハンマー、金属ブロック、掌ほどの小さな牽引フックまで、造船所で使われていたらしい道具が点々と置かれ、盤面の外周に沿った点検通路の手すりには、金属設備へ触れずに高所や奥まった場所を確認するための細いFRP製点検ポールも何本か掛けられていて、一列目のプレートの上に、私を含め合計十人の参加者が乗せられていた。 続けて私の左右に配置されている人を観察する。
左端から順に見る。髪をピンクのツインテールにした華奢な少女。目立つ特徴のない、黒髪の地味な女性。背を丸めて落ち着きなく周囲を見回す猫背の青年。
私を挟んで右側には、二十代後半から三十代くらいに見える妙齢の女性。頬のこけた、目つきの悪い痩せた男。長身で、神経質そうに唇を噛んでいる青年。整形特有の整いすぎた顔をしたホスト風の青年。そのさらに右には、疲れ切った顔つきの冴えない中年男性。最後、一番右端には、他の参加者より明らかに身体の厚い、筋骨隆々の年嵩の男。
――あの中年男性だけは、さっきから何度も脱出口と自分の足元を見比べている。焦りがそのまま顔に張りついたようだった。 名前は誰一人知らない。 この手のゲームで、開始前から参加者名簿を配ってくれるほど運営は親切ではない。今の私に分かるのは、顔と位置と、おおよその体格だけだった。
反応もそれぞれだった。取り乱している者、腕を組み、目を閉じて瞑想をしている者、これから起こることがわかっていないのか、口をあんぐりと開けて頭上を見上げて「映画のセット?すげー」と口にしている者。私と瞑想している者を除いては全員が初心者であるということはわかる。
初心者ばかりの、今回は「ギミック」がないゲーム。それはそれで厄介だとため息を吐きたくなった。 ため息をついてから、気を持ち直して、床の行き止まりを見ると、左端――20列目、1マス目にはこの空間の間接照明とは違う、LEDライト特有の眩しい光が漏れる出入口が見えた。
床の整然と並べられた鉄板。上を見上げれば「ゴゥン」と重々しい音を上げて不規則に移動する鉄塊が三つ。これらの要素から、このゲームが脱出を目的としたゲームであること。この空間に並べられている鉄板はただの鉄板ではないこと。おそらく、それぞれに何かしらのトラップがあって、なにかをしてペナルティがかかると、上の鉄塊が容赦なくプレイヤーを押しつぶす。
常識的な感性なら「まさか、そんな」とは思うだろう。しかし、これは、人が死ぬゲーム。「人が死ぬシーン」が最高の見せ場だから、そう考える方が自然だ。 私は、私を除いて九人の敵を相手に、空間の隅にある脱出口っぽい場所を目指さなければいけない。
私はスマートウォッチをタップする。青色のシンプルな背景に、「18:57」と表示されている。
「もうすぐね」
このデスゲームは、プレミアム・デス・マトリクスと言うプラットフォームで富裕層、超富裕層向けに全世界配信されている。 プレミアム・デス・マトリクスとはデスゲーム専門の配信、動画サイトであり、秘密裏に有料生配信を行っている闇のエンターテインメントだった。
「視聴者参加型」「協力プレイ型」「指名型」「非対称オッズ型」「レーティング型」など様々なゲーム形式が存在している。もし、視聴者参加型のゲームであれば、支給された端末に配信のチャット欄が表示されるのだが――そのけ気配がないということは、視聴者参加型のゲーム形式ではない。
(純粋な、プレイヤー同士の対決か。そういえば、二回目がそうだったな。素人相手だとどうもやりにくいんだよなぁ)
このゲームでは、ギミックと呼ばれるものがある。このギミックとは、プレイヤー以外の人間――凶悪犯罪者が釈放と大金を手にする変わりに、プレイヤーを殺すルールのものもある。 ゲームによって有り、無しはそれぞれだが、世界的に見て、凶悪犯というものはそれなりに存在し、このサイトのスポンサーもそこそこ闇のルートに精通している。ヤクザ、マフィア、麻薬組織……、有益な人物を刑務所から解放させたい彼らが、莫大なスポンサー料を支払い、手駒として送り込むのだ。
今回はその手の凶悪犯は見当たらない。そして、横並びにさせられたプレイヤーと思わしき人間の配置の仕方。ならば、この無機質な鉄板自体が私に牙を向くステージと言うわけなのだ。
「おい、ここは何なんだよ……! なんでこんな格好させられて……!」
数マス離れた場所で、ホストっぽい青年が引き攣った声を上げ、整形特有の整いすぎた顔を恐怖で歪ませている。彼のような「紹介組」の素人は、莫大な借金の返済などのために騙されて送り込まれた、運営にとっての絶好の生贄に過ぎない。 可哀想にな、南無阿弥陀仏と唱え、その怯えた声を完全に無視をした。彼がどうなろうが知ったことではないし、彼が死ねば、私の生存率も上がる。助ける理由も、説明してあげる義理もない。
ステージの最奥、LEDのまばゆい光が漏れるあの脱出口へと視線を固定した時だっただった。足元からガチン、とした衝撃と共に、突然、造船所の天井スピーカーから、一切の感情を排したAIの無機質な音声が鳴り響いた。
『ただいまより、十軸の重量選別機を開始します。これより、一分間の移動フェーズを開始します。最奥の第二十列、左端の脱出ゲートを目指しましょう』
最奥の二十列の上にあるモニターが突如光り出す。薄暗くて、モニターだと判別できなかったのが悔しいが、それどころではない。簡潔なルール説明と共に、人型のマークが三つ分拡大で映し出され、赤く輝いている。脱出人数は最大三人だということがわかる。
やはり自分の推理は間違ってなかったと微笑むと、AIのアナウンスが終了した。後の細かいルールは自分たちがプレイしていく上で解明していけということなのだろう。 こういう「頭脳型」のゲームでは、充分なルール説明がされないことが多い。そういう「試行錯誤をしてゲームをこなしていく姿」も視聴者が見たい絵のひとつなのだ。
AIのアナウンスが終了したその瞬間だった。視界の端で、恐怖に耐えかねた中年の男が、まるで足元が拘束されたみたいに足を何度も動かした後、初期位置にブーツを脱ぎ捨て、最奥のゲートへ向かって叫び声を上げながら全力疾走を始めた。 恐怖心と自己防衛本能が働いた結果だろう。男は、生き残るための効率的の良い手段として、一分以内にプレートの上を走りきることにしたのだ。
「――待て!」
ホストは手を伸ばす。我先に走った中年の男を追いかけようとする恰好。でも、肝心の足は動いていない。 理解している。初めてながら「馬鹿正直に進んでは駄目」なのだと。
私も、そして、一番右端にいる男も冷静に男の行く末を見守っていた。
「1分間の移動フェーズ」その説明の通り、スマートウォッチは1分間のタイマーが刻まれている。このタイマーが刻まれている間は移動は自由ということだろう。
男は走る――が、ちょうど五マス目に差し掛かったところだった。 彼の身体に変化が起きる。
「あ、ががががががががっ!?」
プレートを踏んだと同時に、全身が雷を打たれたみたいに痙攣した。ぷすぷす、と身体から煙のようなものを発生させながら力なく地面に倒れた。それと同時に、コンマ数秒のラグで「ビーッ!」と激しいアラート音が鳴る。 巨大モニターの片隅に、今までなかった個人表示が開いた。
【IMPACT DETECTED】
【PLAYER : KUZE SOSHI】
(久世蒼士……)
初めて、あの中年男の名前を知った。 どうやら罠や違反など、システムが個人を対象にした処理を走らせた瞬間だけ、その参加者の名前が公開されるらしい。 恐らく、このプレートの上は走れないように設定されているのか? それか、走った時に発生する衝撃か、重量か、で感知するのか……。わからないが、走ればあの倒れた中年男性のように、床を走る電流の餌食になる。
(――でも、何故、あの男は走れて、私たちは動けないの?)
一分間の移動フェーズ開始時と同時に、あの中年は動けたのに、残り「35秒」をタイマーは刻んでいるのに、私を含め、9人が動けていない。いや、「足元が固定」されていて動けないのだ。 まるで磁石に張り付けたように、足が重たい。これで、どうマスを移動すればいいのか、その答えは、タイマーの秒数が「30秒」を刻んだ時だった。 ――ガチャン。
金属の錘が落ちたような音がしたと同時に足が自由に動けるようになった。 そこで、私は気づく。あの中年の男の足元と、私たちの足元の決定的な違い。それは「靴を履いているか」の有無だった。
ゲームの衣装は、そのゲームの不利にもなり、有利にもなる。だから、着るも着ないも自由だけれど、大体のプレイヤーは支給された衣装を着用する。 どんなにふざけた衣装であっても、「プロ」は着用するし、初心者こそ、周囲を真似して流されて着用する。 あの男は、衣装を着用したけれど、なにかの理由で靴を脱いだのだ。このステージを見れば、脱出口の存在、上から落ちて来そうな鉄塊の存在、床一面に配置された正方形の鉄板に気づいて推理する。
おおよそは、この鉄板の上を渡って、脱出口を目指す。ならば、「走って脱出口を目指す」というのは一般的に考えられる思考だ。
――私は推理しながら前のマスに慎重に足を進める。移動時間は実質30秒。この手のゲームは「同じマスに立ち止まるのは危険」だ。歩いて踏めば、前の男のようにはならないだろう。
経験による確固たる推理の自身が私にはあった。自分の前方の1マスに躊躇いなく足を置くと、案の定、身体に異変は起きなかった。代わりに、「ピピ」と軽い電子音がスマートウォッチから聞こえる。 画面へ視線を落とす。
【CURRENT LOAD : 48.2kg】
「……0.2?」
私自身は、支給された装備込みで四十八キロ。なら、余った二百グラムは私の重さじゃない。 目線を下に落とすと、ガムテープとビニールテープが合わさったような、ごつい見た目の黒いテープが転がっている。
(これも一緒に量ってるんだ)
なるほど。ただ歩いて移動するわけではない。プレートの上にある人間も物も、ゼロになった瞬間の重量が生き抜くための重要な数字になる。
(これは……。今は取らない方がいいかもね。今は、様子見で見逃しましょう)
――私が動いたのを確認して、後ろにある気配が集団で動き始める。皆、恐る恐るといった様子で足をそっと乗せる。ある者は額に脂汗を滲ませ、ある者は足元に落ちているアイテムを拾う。ハンマー、テープ、目の前にはドラム缶や銀色のブロック、ボルト、配管。造船所でよく使われるであろう消耗品が並んでいた。
「なんだ、これ? テープ?」
私の背後から若い男の疑問符が聞こえて来た。後ろを振り返ると、先ほど取り乱していたホストっぽい男。 男は、軽いノリでそれを拾い、そのまま装備へ押し込んで開いているマスへ戻っていく。以後、その0.2kgも男の携行重量として計測されることになる。
デスゲームに参加しているのに、緊張感がないものだと思いつつ、アイテムを拾っても何事も起こらないことに気づく。ということは、アイテムは動かしたり、拾ってもOKということだろう。少しもったいないことをしてしまったかと後悔しつつ、まだ前のエリアにはアイテムが転がっている。また拾えばいいと、気持ちを切り替える。
ただし、ただアイテムを拾うだけでは駄目だ。プレート上の重量の数値が表示されるということはきっとそのアイテム分の重量も加算させる。このステージに敷き詰められている鉄板全てが重量計だとすれば。 ――私の読み通りであれば。 そこまでルールを理解したタイミングで、20列目の奥にある大きなモニターが0を刻み、赤い灯が薄暗いステージを照らす。
刹那、造船所全体の空気が凍り付いた。 ガチリッ! 足に大きな衝撃が伝わる。不快な電磁力が足元を固定するために鉄板へと吸着させたのだ。
生存者は、私を合わせてまだ十人。一人は5マス目の電流に当てられて動けないのか、うめき声を上げながらうつ伏せで痙攣している。 私たちは、完全なる静止が強制され、スマートウォッチの画面には【WEIGH(計測フェーズ)】と表示される。
ブゥゥゥゥン……。不気味な重低音とともに、床のあちこちから無機質な発光ラインが走り、私たちが立つ鉄板のセンサーが総重量を読み取っていく。その中で、照明が一点に当てられ、最もどす黒い赤に染まったのは、やはりあの五マス目――中年の男が倒れているプレート。私たちからみて前方5マス目、出口から見て、横から数えて8マス目のプレートだった。 大きいモニターがパッと文字を切り替える。
【OVERWEIGHT(上限重量超過)】
――アナウンスが響く間すらなかった。 ドゴォォォォォォォンッッ!!!!
鼓膜を容赦なく破壊する爆音。頭上の天井レールから、マスの面積とほぼ同等――二十トンはある巨大な鉄塊が自由落下した。 プレスが床に激突した凄まじい風圧と衝撃波が、離れた場所にいる私の前髪を激しくなびかせる。
「ひ、ッ……あ、あああ!!」
誰かが悲鳴を上げた。 ぐちゃり、と肉が潰れた音が、鉄とコンクリートで覆われた部屋に響く。 被害者の声はしなかった。彼は、全身を麻痺していて、それどころではなかったのだろう。
「やっ!いやぁあああああっ!たすっ、たすけてっ!」
変わりに、女性の甲高く、取り乱した声が恐怖となって部屋の空気を震わす。 反射的に逃げようとしたのか、足が固定されているのにも関わらず、無理矢理外そうとする抵抗音が聞こえる。 その間にも、役割を終えた鉄塊が静かにクレーンで吊り上げられ、元の天井へと戻っていく。あとに残されていたのは――原型を留めていない、べっとりと鉄板に張り付いたせんべい状の死体。鉄塊が役目を終えたと言わんばかりに、ゴゴ、と音を立てて定位置へと戻っていく最中、鉄塊に付着した肉片、内臓、肉体を構成したものが、ぼと、ぼと、とマスの上に落ちていく。
周辺のマスにもわずかだか肉片や破片が飛び散っていた。 ――マスの一定重量を越えたことがあの男の死因だったのだと、モニターが機械的に告げた。 ビピッ。スマートウォッチと巨大なモニターの文字がパッと切り替わる。
【01-01,01-02,01-03,01-04,01-05,01-06,01-07,01-08,01-09,01-10,02-04,05-08 : OUT AREA】
(――アウトエリア。……なんで死んでいない一列目と二列目の一マスがアウトエリアになっているの……?)
バッ、と最初のマスと私の背後のマスが枠の中が赤く色づく。 共通しているのは、開始時に登録されていた重量や物体構成が崩れたマスと、処刑が起きたマスだ。単に人が通っただけで赤くなるわけではないらしい。少なくとも、赤く表示されたアウトエリアへは以後踏み込まない方がいい。
(つまり、これ以降はあの男が死んだマスは通らない方がよさそうね)
1ターン目。最初の犠牲者は出てしまったものの、その犠牲によって得られる情報が多かったことにひそかに胸を撫でおろす。 あんな風に命が掛かっている場面でむやみやたらに動かないけれど、一歩間違えれば、あの鉄塊の餌食になっていたのは私だ。 殺伐とした緊張感を含んだ重たい風がどこからか吹く。 鉄錆と潮の臭いが交じった臭いは、鼻孔の奥にこびりつくくらい嫌味で、けれど不思議と心を落ち着かせた。
…………。
『ターン 2』
(……それにしても、あの男の体重は体型と身長からしておおよそ70kg前後。それが「オーバーウェイト」、つまり上限重量超過としてプレスされた。
なら、プレートには、それぞれ設定された「上限」があって、踏んだプレートがそれを超えるとあの重たい鉄塊が牙を向くと言うわけね。なら、その上限を超えないように、プレートを踏みながら出口を目指せばいい。その過程で、ああいうトラップを踏まないように注意を払わないと。……シンプルに見えて、一筋縄ではいかないわね)
疲れたのか、諦めたのか、はたまた覚悟を決めたのか、女の叫び声がひとしきり響いた後に収まる。それと同時に、無慈悲な次のアナウンスが響き渡る。
『計測フェーズが終了。結果が確定しました。これより60秒の移動フェーズを開始します』
ガチャン、と前半三十秒の移動制限が再び作動し、全員の足元が床へと強制固定される。この動けない静寂の三十秒。誰よりも先に出口を目指さなければいけない焦燥と、プレートを安易に踏めない未知の恐怖がせめぎ合う。
目の前で人が無情に死んでいく様を見た初心者たちは動かない。物理的にもそうだが、ブーツを脱いで移動制限を解除することもできるだろうに、先に進もうともしない。皆が、出方を伺っている。 先ほどの中年の男の犠牲がある手前、「誰かが先に進ませて、安全だという確信」が欲しいのだろう。 多少後手に回っても、このゲームはまずは安全にゴールに目指すことが先決なのだ。
(でも、仮に停止するプレートの上に乗っかる重量に制限があるとして、その制限の見分け方がわからない。わからなければ、安易にマスに停止できない。私の体重が、そのマスに対応しているとは限らないのだから、動けない今の内に見分け方をさがさなきゃ……)
その時だった。スマートウォッチの画面にロードスキャンの使用を促す表示が浮かび、自分が止まっているマスを起点として上下左右のプレートを選択できるようになったので、試しに前方の一枚をタップすると、すぐに電子的な数値と見慣れない重量帯の略号が表示された。
【LOAD SCAN : READY】
【MIN : 34.0kg / MAX : 50.0kg】
【BAND : L50】
(最低が34kgで、最大が50kg……ということは、少なくとも私の48kgなら止まれる。L50っていうのは、この範囲を短く表している記号なのかな。今はまだ断定できないけど、前半30秒で隣の一枚だけ最低値と最大値を照会できるなら、何も分からず踏むよりずっとましね)
やはり、無暗にブーツを脱がなくてよかった。ブーツを脱げば30秒の拘束なく、自由に歩き回れるけれど、ブーツを履いていることによる恩恵がうけられなくなる。 選ぶプレートの選択肢の幅と、安全重量帯をマスひとつ分でも調べられるのは、大きい。 ふと、プレートに視線を落とすと――。
「ん……?」
プレートの隅に、なにやら細かい文字が刻まれている。薄暗くて、よく目を凝らさなければ見えない。眼鏡をかけていたり、視力が悪い人間なら、気づかない程度の細かい文字。 視線を落とすと、【WS-03 / AX-03 / C-0】と記載されていた。
【WS-03 / AX-03 / C-0】
(WSは、たぶんウェイト・ソーター。AXは軸。03……今いる場所と合ってる。なら、この細かい刻印が座標番号? C-0は……まだわからない)
床に刻まれた文字と、スマートウォッチの表示を交互に見比べる。 前方のプレートをスキャンして出てきた数値は、【MIN 34.0kg / MAX 50.0kg】。 私の重量は四十八キロ。今いる場所から、その前方へ一枚進むだけなら、少なくとも重量だけで死ぬことはない。 問題は、その先。
スキャンは一度きりらしく、前方を選択した直後、上下左右に出ていた選択表示は灰色になっていた。
(なるほど。毎ターン一枚だけ。全部を調べて安全確認、なんて甘いゲームじゃない)
それでも、何も分からず歩くよりはずっといい。 残り時間は三十秒を切ろうとしている。 ――ガチャン。 足元の拘束が解けた。 私は迷わず、スキャンした前方のプレートへ足を乗せる。
04-03。 異常なし。 次に右へ一枚。04-04。 ここでも、電流も警告もない。
そのまま前方――第五列へ足を伸ばした。 05-04。
「……っ」
足を置いた瞬間、腰と足首に冷たい金属が食い込んだ。 ガシャンッ! 床の隙間からせり出した固定具が、私のブーツと腰のベルトを同時に噛み込む。
「おい!」
背後で誰かが叫んだ。 知らない声だった。 スマートウォッチが赤く明滅する。
【CHECKPOINT / STAY】
【PLAYER : ALICE】
【PLAYER LOCKED】
周囲のスマートウォッチにも、同じ個人表示が共有されたらしい。
「……アリス?」
誰かが小さく私のプレイヤーネームを読んだ。
(やっぱり。罠を踏んだ人間から名前が割れる)
(ステイ……固定系)
無理に引き抜こうとしてもびくともしない。 けれど、痛みはない。少なくとも、今すぐ殺すための拘束ではない。 むしろ――。 ピピッ。
【INFORMATION REWARD】
【NEXT TURN / FORWARD 3 CELLS】
続けて、三枚分の重量帯だけが表示された。 地雷の有無も、アウトエリアかどうかも、何も書かれていない。ただ、次のターンに適用されるMINとMAXだけ。
(拘束の代わりに情報。検問みたいなものか)
そして、もう一つ。 05-04の表示の下に、小さな鍵のアイコンが点滅していた。
【GATE KEY / PENDING】
「……キー?」
その単語に反応したのは私だけではなかった。 少し離れた場所で、筋骨隆々の男――初期位置の一番端にいた男が、こちらへ鋭く視線を向ける。 さっきまで瞑想していた男だ。 慌てもしない。悲鳴も上げない。
久世が潰れた時ですら、呼吸ひとつ乱さなかった。
(初心者じゃない)
その直感だけは、確信に近かった。 一方で、私のすぐ後ろを追っていた猫背の青年は、私が拘束されたのを見て足を止めた。
「え、そこ……安全なんですよね?」
「知らない」
「だ、だって、あなた慣れてるんでしょ? さっきから迷いなく進んでるし……」
「だからって、私の真似をしたら生き残れるとは限らないよ」
「でも――」
残り十二秒。 青年は焦った。 私のいる05-04は埋まっている。同じマスに二人乗れる保証などない。 彼は一歩右へずれた。
05-05。 カチッ。 さっきのステイとは違う、小さすぎる機械音。 青年は何も起きなかったことに安堵した。 けれど、私は見逃さなかった。
彼のスマートウォッチに、一瞬だけ赤い文字が走った。
【EX-1 / RESERVED】
【PLAYER : ASAKURA TORU】
(朝倉透。……予約?)
猫背の青年の名前と、理解できない処理名が同時に頭へ入ってくる。 意味を考える時間はなかった。
『10』
天井スピーカーが無機質にカウントを始める。 第五列へ到達した参加者たちにも、次々と個人処理が走った。 左側。ピンクのツインテールの少女が05-03へ入った瞬間、膝を折る。
【IMPACT】
【PLAYER : TAKANASHI MIO】
小鳥遊澪。 さらに左端へ回り込んだ、地味な黒髪の女性。
【IMPACT】
【PLAYER : SHIRAISHI SHIZUKU】
白石雫。 私の右隣から進んでいた妙齢の女性は05-06で身体を強張らせる。
【IMPACT】
【PLAYER : MAKABE REI】
真壁玲。 頬のこけた目つきの悪い男は05-07で足と腰を固定された。
【STAY】
【PLAYER : KUROSE YUMA】
黒瀬悠真。 長身の青年は05-09。
【STAY】
【PLAYER : KAMIYA REN】
神谷蓮。 そして、さっき02-04の黒いテープを拾ったホスト風の青年が05-10で腰を固定される。
【STAY】
【PLAYER : SAKAGAMI LIGHT】
坂神ライト。 私にとっては、ここで初めてその名前が顔と結びつく。 最後に、初期位置の一番右端にいた筋骨隆々の男。 05-02。
【STAY】
【PLAYER : INUI】
【CALL SIGN : MASTIFF】
戌亥。コールサイン――マスティフ。 罠が作動するたびに、知らなかった名前が一つずつ盤面へ貼り付いていく。 十人の参加者は、ここへ来てようやく「顔だけの他人」ではなくなった。 坂神ライトは、拾った黒いテープを握ったまま顔を引き攣らせている。
「は!? なんだよこれ! 外せって! おい!」
「暴れない方がいいよ」
「はぁ!? なんでだよ!」
「暴れて外れるなら、とっくに私が外してる」
「……っ」
『3』
『2』
『1』
『00:00』
ウェイ。床が低く唸る。スタート地点から第五列目に並んだ、このマスに足止めを喰らった全員の重量が、同時に吸い上げられていく。
そうして、私のスマートウォッチがピピ、と鳴る。
【05-04】
【CURRENT LOAD : 48.0kg】
【RANGE : 40.0kg - 100.0kg】
【SAFE】
鍵のアイコンが、液晶画面に表示され、白から緑へ変わった。さらに、以下の通知が出る。
【GATE KEY : VALID】
同時に、右腕が短く振動する。
【PENALTY SCORE : 1】
(ペナルティスコア。検問を通るだけで一つ加算……?)
嫌な数字だ。 ただの通過税ではない気がする。 巨大モニターには、計測結果が次々と表示されていた。 誰もプレスされない。 ――少なくとも、このターンは。
私の後をついてきた猫背の青年も生きていた。 05-05。 44kg。 重量判定はセーフ。 なのに、彼の腕にはまだ赤い文字が残っている。
【EX-1 / EXECUTION RESERVED】
(エグゼキューション・リザーブド。処刑……、予約?重量とは別の処理ね……)
つまり、このステージは単純な秤ではない。
重量帯。地雷。拘束。キー。ペナルティ。ルール。ひとつずつ人間の死体を材料にして開示されていく。
私がこの意味に気づいたのはすぐのことだった。
――……。
…………。
『ターン 3』
次の表示が出た。 固定具が外れる。 猫背の青年は、目の前のモニターにばかり集中していたようで、移動フェーズが難なく始まったことに息を吐いた。そうして、ようやく自分の画面に気づいたらしい。
「な、なんだよ……処刑予約って。俺、セーフだっただろ? 重量、合ってたよな!?」
誰も答えない。 答えられない。 私にも、まだ分からない。 ただ一人、端にいる大男だけが低く鼻で笑った。
「予約は予約だ。今じゃねえってだけだろ」
大男は冷静に答える。青年の顔から血の気が引いた。
「……あんた、知ってんのか?」
「知らねえよ。ただ、日本語くらい読める」
冷たい声。 第五列でステイを踏んだ時に表示された名前は、マスティフ。顔立ちや名前からしてプレイヤー名だ。
ちなみに、プレイヤー名には大きくわけてふたつある。本名で登録されるか、プレイヤー名を自分でつけてそれを運営が登録するパターン。
後者は、私たちのようにデスゲームで生計を立てている者や、二回目、三回目、と回数を重ねているプレイヤーがつけることが多い。理由は単純で、普通に本名を全世界に晒したくないからに他ならない。
SNSでもアカウントを作る時、わざわざ本名で登録する人間は少ないだろう。
逆に、本名で登録される人間に多いのは、急遽参加が決定した人間たち、そういうルールを知らない者たちや、気が回らなかった人間に多い。かくいう私も初回のゲームは本名で参加させられた口だ。
こういうプレイヤー同士の対戦の場合、本名で呼ばれるのはなんともむず痒い。
そして、怯えている猫背の青年は朝倉透はまさに初心者の証である本名登録。 罠が名前を教えてくれたせいで、今はもう「知らない青年」のまま見ていることができない。
『移動フェーズ / 60』
再び前半三十秒のマグロック。 朝倉は泣きそうな顔で、私を見た。
「お願いです。助けてください。俺、あなたについて行くから。何でもしますから」
「私について来たから、それ踏んだんでしょ」
「……っ」
残酷だけれど、事実だった。 私は彼の人生に責任を持てない。 名前を知ったからとて、泣きつかれたとて、自分の命だけで精一杯だ。 ――三十秒後。 拘束が解ける。
私は05-04から先に動き、06-04を通過して06-05、06-06へ抜けた。
私が06-05を離れたあと、朝倉は05-05から06-05へ入り、最後に06-04へ移った。
同じマスへ同時に立ったわけではない。私が抜けた経路を、朝倉が遅れて逆向きに辿っただけだ。
彼は、さっきステイで得た私の情報を盗み聞きしていたらしい。こういう戦術もあるのだと私は関心しながらも、後をついてこられる鬱陶しさに苛立ちが募る。
「ここなら……ここなら重量は大丈夫なんだろ!?」
――大丈夫。 少なくとも、重量だけなら。
でも、私は違うことを考えていた。先ほど、朝倉のスマートウォッチに通知されていた処刑予約の文字が気になって離れなかったからだ。
――そうして、計測フェーズがやって来る。
『01』
『0』
【06-04】
【LOAD : 44.0kg】
【SAFE】
ウェイのための計測固定が掛かった時だった。
「ほ、ほら!」
朝倉が笑った。 泣きながら笑った。
「助かった……! 俺、助かった……!」
表情は安堵と不安からの解放で、涙と鼻水で濡れていた。
まだクリアもしていないのに、その調子でターンごとに一喜一憂していたら体力が持たないだろう。
――生き残れたらの話だが。
……その直後だった。
【EX-1】
【RESERVATION CONFIRMED】
【EXECUTE】
「え?」
床ではなく、ごぅん、と天井で金属音がした。
朝倉が見上げ、 私も見上げた。 クレーンの一基が、重々しい音を立てて彼の真上で止まっている。
鉄塊が、朝倉に向けて狙いを定めて不気味に揺れ動いていた。
「ま、待って。重量はセーフだろ。なあ! セーフって出てる! 見ろよ!」
誰に向けた言葉なのか分からない。 運営か。 私か。 神様か。朝倉が喚く。
【EX-1 / RESERVED EXECUTION】
AIの声は、そんな区別に興味がなかった。ただ、決められたプログラム通りに平等に処理を行うだけだった。
「いやだ……」
朝倉が呟く。
「死にたくな――」
――ドンッ。
ワイヤーが緩み、今度の鉄塊は、久世の時よりもずっと静かに落ちて見えた。 見慣れたからではない。 朝倉が最後まで正気だったからだ。 彼が潰れる瞬間まで、こちらを見ていたからだ。
鉄塊が上がる。 06-04に残ったのは、押し潰された人体。 44kgだった人間が、ただの「重量」へ変わる。 誰も声を出さない。 そんな中。
「……44キロか」
ぽつり、と呟いた男がいた。 黒瀬悠真と表示された人間だった。
第五列のSTAYで名前が割れた、初期位置で私の二つ右にいた痩せた目つきの悪い男。 彼は朝倉の死を悼んでいなかった。
恐れてる様子もなく、ただ、床に残った死体を見ていた。 まるで、使い道を考えるような目つきで嗤った。
「人間じゃなくなったなら……、これ、持っていけるよな」
黒瀬は口角を上げた。
鉄錆と汗の臭いに、血の臭いが混じった。 私は、その笑顔を見た瞬間に理解した。 このゲームで本当に怖いのは、床でも、鉄塊でもない。 ルールを理解した人間が、そのルールを何に使うかだと黒瀬の行動で強く感じたのだった。




