始まりのスイーツ
ネオンの光が、雨に濡れたアスファルトを毒々しく染める日の歌舞伎町。その一角にあるホストクラブのバックヤードで源氏名坂神ライトは人生の終わりを迎えていた。
「おい、ライト。先々月のバーイベのタワー代、飛ばれたらしいじゃねぇか。エースも飛んで、金も稼げねぇ。占めて1000万の借金。どうやって払うか決めたか?」
胸元に醜い龍の刺青を覗かせた男が、ライトの完璧に整った鼻先に書類を突きつける。父親と絶縁してまで大金を投じ、何度もメスを入れて手に入れた自慢の顔が、恐怖で引き攣った。売掛の回収不能。それは、裏社会の組織に身柄を拘束されることを意味していた。
「まっ!待ってくれ! まだ、先々月じゃないか!今まで稼いできた実績もあるし、もう少し……、もう少しだけ待ってくれ!」
「ホスクラじゃ、稼げれば神様、稼げなければただの塵だ。万年三位のお前じゃ、あれ以上のエース客捕まえられねぇだろ。実際、二カ月の猶予もあったのに、1000万の借金、返せてねぇじゃねぇか」
「そっ、それは……」
「遅えよ。利息込みで二千万だ。ホストとして腐っちまったお前じゃ、普通に働いても返せねぇ。……だから、一発でチャラにできる『いいバイト』を紹介してやるよ。感謝しな」
刺青の男は、背後に控えていた部下たちに顎をしゃくると、男たちは抵抗するライトの手足を拘束し、黒塗りのワンボックスカーの闇の中へと押し込んだ。 ライトは覚悟した、ヤクザの息のかかった店で実質的な借金をし、返せなかった従業員の末路など限られている。闇バイトを強制的にさせられるか、はたまた臓器を売られるか、海外に売り飛ばされるか。 それを「強者側」で、「弱者」が配される光景を何度も見て来たし、ライトもそれを当たり前に受け入れていたのだから。 まさか、それ以上の過酷な世界に放りこまれるなど、平和ボケしたライトの思考では想像もつかなかった。
…………。
同じ時刻。新宿の喧騒から少し離れた地下の純喫茶で、明日香――プレイヤー名、アリスは、スプーンの上の生クリームと、もう片方のスマホの画面と見比べていた。 スマホの画面には、昨日までの「ファイトマネー」が振り込まれた口座残高が表示されている。 一カ月前にPDMウンエイコウザという送金主から「6000万」の入金があり、その内の「5000万」がギャンブル依存症の父親が作った莫大な借金の返済口座へ、機械的に大金がスライドされていた。それから1000万を引き出し、その全てを豪勢な一カ月の生活資金に回した。
まずはラスベガスに行き、そこそこ良いホテルに泊まり、カジノで資金を増やした後、美味しい物を食べ歩き。知り合いのところに寄ったり、身体を鍛えたりして日々を過ごした。 そうして金を使い切り、帰国した。残った端数は、今からアリスの胃袋へ収まる、この二千五百円の限定イチゴパフェの代金だ。
「……甘い」
無表情に呟く。 極限状態の殺戮場を生き延びた後に食べる高級スイーツが、彼女を現世に繋ぎ止める唯一の錨だった。 アリスにとって、命を賭けたデスゲーム配信サイト「PDM」は、生活のための職人仕事に過ぎない。パフェを平らげると、アリスは店を出て、運営から指定された黒いセダンへと静かに乗り込んだ。
「おぅ、明日香。アメリカ旅行楽しかったか?」
顎髭を生やした強面の運転席の男がバックミラー越しに声をかけてくる。アリスをこの世界へ引きずり込み、同時に懇意にしているヤクザの男だ。
「久々、おじさん。……まぁまぁかな。人生で一回くらい海外に行ってみたい気持ちで言ってみたけど、退屈だった」
「そうか」
「後、借金いくらだっけ」
「ちょうど5000万で返済だ。父親の借金、二億のうち残り3500万、前回の怪我の治療で借りた金、利息込みで1500万だ」
「――はッ。十倍の返済って、どこの悪徳企業だよ」
「こちとらヤクザだからな。搾れる時に、搾れるだけ搾るのが仕事だ。昔ならともかく、今は警察の目も厳しい。昔より「商売」もしにくくなってきたからな。はした金でも、搾り取れる奴からは搾り取るさ。嫌ならヤクザから金を借りるな、だ」
男はあくどい笑みを浮かべて肩を竦める。アメリカのコメディドラマに出てくる主役のような反応だ。
「まぁ、いいよ。借金さえ完済すれば少しでも肩の荷が下りる」
「まるで、自分が死なないみたいな物言いだな」
「人の死なんてあっけないものだって思っているだけ。死ぬときは死ぬし、生きる時は、生きる。死にたくはないけれど、自由気ままに考えているだけだよ」
アリスは冷たく言い放ち、窓の外を流れる夜の街並みに目を戻した。二億という大金を稼いでも、彼女の『壊れた精神』は揺らぎもしない。 自分の最後に関心がないような、この平和な世界に生きる意味を見出せないような、冷めた視線が、流れすぎる夜の街並みを撫でた。
「やっぱプレイヤーに向いてる奴ってどこか精神壊れてなきゃ、続けられねぇよな。――それで、お前、借金返済したらどうするんだ」
「続けるよ。PDMのことを知ってしまったのだから、足なんか洗えないでしょ。することもないし、だったら死ぬまでこの世界に身を投じるだけ」
「普通の生活に戻してやるっていったら?」
「おじさんたち、そこまでお人よしじゃないでしょ。徹底的な合理主義で稼げるとわかった獲物は死ぬまで離さない。私がプレイヤー引退するって言ったら、新しい借金でもでっち上げて、私に返済させてでも飼い殺しにする気でしょ? なら、「仲の良いお友達」として手を取り合った方がいいじゃない」
「ククッ……ハハハ! 違いねぇ、お前の言う通りだ!」
「おじさんたち、私の借金とは別に、運営から「紹介料」と「生存バック」ももらってるでしょ?運営の人が教えてくれたよ。それで私とはぜひ、「仲の良いお友達」でいてほしいものね」
男は愉快そうにハンドルを叩いて大笑いした。アリスの底冷えするような諦念と、すべてを見抜いた冷徹さを、男は何よりも気に入っていた。
「じゃあ、俺たちを損させないように、精々生き残ってくれよ」
「はーい。……じゃ、目隠しとヘッドホンするね」
「おぅ」
――明日香視覚と聴覚を遮断し、しばらくして。セダンは首都高へと滑り込み、次第に街の光が途絶え、臨海部の無機質な倉庫街へと景色が沈んでいく。
アリスはただ、じっと暗闇を見つめていた。自分が死ぬイメージも、生き永らえる未来も、彼女の中では同価値の退屈に過ぎなかった。やがて、視界の闇に身を委ねていると、いつの間にかアリスは眠りに落ちていた。車は閉鎖された巨大な湾岸施設の前で停まり、――アリスは起こされるわけでもなく、運営のスタッフに抱えられ、深い闇の奥へと消えていった。




