第12話:見捨てられた辺境の期待値と、温かな食卓
帝都から馬車で数日。帝国の北端に位置する寒村ノルドは、凍てつくような冷たい風が吹きすさぶ、荒涼とした土地だった。
かつては魔石の採掘で賑わったというが、今は見る影もない。崩れかけた石造りの家屋が身を寄せ合うように建ち並び、村人たちの顔には深い疲労と諦めが刻まれていた。
「……本当に何もない場所だな。こんな辺境まで、お前を連れてきてよかったのだろうか」
お忍びの視察として、目立たない濃紺の外套を羽織ったレオンハルトが、隣を歩くステラを気遣うように風上に立った。
「ふふっ。投資の基本は『自分の足で現場の一次情報を取ること』ですわ。それに、レオンハルト様とこうして二人で歩いていると、ただの旅行みたいで少し楽しいです」
ステラが外套のフードから顔を覗かせて微笑むと、レオンハルトは小さく息を吐き、彼女の冷えた手を自分の大きな手で包み込んで上着のポケットに入れた。
二人が村の長である老人の家を訪ねると、長は彼らが帝都から来た査察官だと信じ込み(皇帝と皇后だとは夢にも思わず)、恐縮しながらも精一杯のもてなしをしてくれた。
通された土間の食卓に並んだのは、極めて質素な料理だった。
細かく刻んだ葉野菜と挽肉を塩で煮込んだ温かいスープ。そして、貴重な保存食である塩漬けの紅色の魚を、細かくほぐして麦粥の上に乗せたもの。
「……帝都からお越しいただいたというのに、このような粗末なものしか出せず、本当に申し訳ねえです」
長が身を縮めて謝罪するが、ステラは目を輝かせてその麦粥を口に運んだ。
「とんでもない。葉野菜の甘みが挽肉の旨味を吸って、とても優しいお味ですわ。このお魚の塩気も、疲れた体によく染み渡ります」
ステラは、王国時代に一人で隠れるように食べていた冷たい食事を思い出していた。それに比べれば、この村の料理は素朴だが、人の温もりが詰まっている。
レオンハルトもまた、黙々とスープを飲み干し、ふっと表情を和らげた。
「ああ。気取った晩餐会の冷めた料理より、ずっと美味い。……この村の者たちは、限られた資源で実に丁寧に生きているのだな」
暴君と恐れられる皇帝が、辺境の村の粗末な食事を心から称賛し、愛おしそうに目を細めている。ステラはその横顔を見つめながら、自分の『投資先』が彼で本当に良かったと、胸の奥が温かくなるのを感じた。
食後、二人は長の案内で、村の奥にある廃鉱山へと足を踏み入れた。
薄暗い坑道はひんやりと湿っており、壁面にはかつて魔石を掘り尽くした無数の爪痕が残っている。数十年前に帝国軍の調査隊が入った際、「残存魔力ゼロ、価値なし」と判定された場所だ。
「さて、査察官殿。ここが坑道の行き止まりです。ご覧の通り、もう何の光も……」
長が松明を掲げた瞬間、ステラは迷いなく歩み寄り、冷たい岩壁にそっと右手を触れた。
「……やはり、私の見立て通りですわ」
ステラが静かに魔力を流し込むと、岩壁の奥から、ドクン、ドクンという巨大な心臓の鼓動のような脈動が伝わってきた。
「いいですか、レオンハルト様。素人の投資家は、表面に出ている目先の利益だけを見て、ここは『もう終わった場所』だと判断します」
ステラは岩壁の特定のポイントを指先でなぞった。
「しかし、真の価値は隠された『期待値』にあります。誰も見向きもしない放置された場所であっても、内部の構造と条件さえ正しく読み解けば、そこには莫大な利益が眠っているのです」
「期待値、か。……つまり、この岩の奥にまだ魔石があると言うのだな?」
「ただの魔石ではありませんわ。過去の者たちは、強引に掘り進めたせいで、地下深くを流れる星の魔力脈を『土砂』で詰まらせてしまったのです。その結果、行き場を失った莫大な魔力が、この岩盤の奥で数十年間、手付かずのまま圧縮され続けています」
ステラが一歩下がり、レオンハルトを振り返った。
「レオンハルト様、少し岩盤を砕いていただけますか? ほんの少し、詰まりを取り除く『きっかけ』を与えるだけでいいのです」
「分かった」
レオンハルトが腰の剣を抜き、岩壁の中央に鋭い一撃を放つ。
岩が砕け散った瞬間。
カッ!! と、目を開けていられないほどの強烈な蒼い光が、坑道全体を昼間のように照らし出した。
「な、なんだこれは……!」
驚愕する長をレオンハルトが庇う。
砕けた岩盤の奥に姿を現したのは、ただの魔石の鉱脈ではなかった。それは、見上げるほど巨大な、純度百パーセントの『蒼結晶』の柱だった。
「数十年間蓄積された魔力の結晶です。これ一つで、帝都の全エネルギーを五十年は賄えますわ」
「馬鹿な……。かつての調査隊は、なぜこれに気づかなかったんだ?」
「気づかなかったのではありませんわ」
ステラは、蒼結晶の根元に不自然に突き刺さっている、黒い杭のような魔導具を指差した。
「……意図的に、隠蔽されていたのです。この杭は、魔力の反応を完全に遮断する特級の呪具。これを仕掛けた者は、この莫大な資源を帝国に還元させず、自分だけの『裏金』として独占するつもりだったのでしょう」
その言葉に、レオンハルトの瞳に冷酷な皇帝の光が宿った。
帝国の中枢に、数十年前から国家の財産を横領し、国力を意図的に削いでいた裏切り者がいる。
ステラが見出した『期待値』は、単なる莫大な富だけではなく、帝国を蝕む病巣の正体をも暴き出したのだ。
「……面白い。私の足元で、随分と舐めた真似をしてくれたものだ」
レオンハルトの低い声が、坑道に響き渡る。
ステラは、静かな怒りを燃やす彼の背中を見つめながら、毅然として告げた。
「レオンハルト様。私の資本で、帝国内の不良債権をすべて炙り出し、一掃いたしましょう。……私たちが手掛けた事業に、不純物は一切不要ですわ」
誰も見向きもしなかった寒村は、今、帝国全土を揺るがす大粛清の震源地となろうとしていた。
甘く温かい新婚生活の裏で、皇后ステラによる容赦ない『不良債権の強制回収』の第二幕が、静かに切って落とされた。




