第13話:隠蔽された負債の署名と、帝都の蛇
洞窟の奥底に鎮座する、目も眩むような蒼結晶。その美しさに息を呑む村長を背に、レオンハルトは氷のような冷徹な眼差しで、岩盤に突き刺さった黒い杭を見つめていた。
「ステラ、この杭を抜いても構わないか。不愉快極まりない」
レオンハルトの手が剣の柄にかかる。皇帝の怒りに呼応するように、彼の周囲で黒い魔力がパチパチと火花を散らした。だが、ステラはそっとその手に自分の手を重ね、静かに首を振った。
「お待ちください、レオンハルト様。力任せに引き抜けば、証拠が霧散してしまいますわ。……この杭は単なる遮断具ではなく、吸い上げた魔力を特定の場所へ送り出す『送金路』の役割も果たしているようです」
ステラは杭の表面に指先を滑らせ、魔力の流れを微細にスキャンしていく。彼女の瞳には、常人には見えない「魔力の糸」が、帝都の方向へと細く、長く伸びているのが見えていた。
「この術式……非常に緻密で、古い様式ですわね。帝国の魔法省でも、これほど高純度の遮断術を扱えるのは、ほんの一握りの『長老派』だけのはず」
ステラの言葉に、レオンハルトの眉間に深い皺が刻まれた。
帝国ヴァロージアは、レオンハルトの圧倒的な武力によって統一されたが、その中枢には依然として先代以前からのしがらみを抱える老貴族たちが根を張っている。
「……財務卿のザイードか、あるいは法務卿のバルカスか。どちらにせよ、私の庭で勝手に私腹を肥やしていた報いは受けてもらう」
レオンハルトの声は低く、地を這うような重圧を持っていた。
しかし、ステラはどこか楽しげに、その黒い杭を「鑑定」し続けている。
「レオンハルト様。犯人探しは私にお任せいただけますか? ただ処罰するだけでは、彼らがこれまで隠匿してきた『裏口座』のすべてを回収することはできませんわ」
ステラは、杭の基部にある小さな紋章のような刻印を見つけ、不敵に微笑んだ。
「投資家として、最も許せないのは『隠し資産』による市場の歪みです。……この杭の持ち主に、これまでの滞納分すべてを『一括返済』していただくための請求書を、今から作成いたします」
帝都への帰還の道中、ステラは馬車の中でひたすら羊皮紙に計算式を書き連ねていた。
隣に座るレオンハルトは、真剣な表情でペンを走らせる彼女を、飽きることなく眺めている。時折、馬車が揺れるたびに、彼はステラの体が壁に当たらないよう、自然な動作でその肩を抱き寄せた。
「ステラ、少しは休め。帝都に着く頃には、私が軍を動かして奴らの屋敷を包囲させることもできるのだぞ」
「いいえ、レオンハルト様。それでは彼らに『言い訳』の余地を与えてしまいます。……投資の回収は、相手が最も油断している瞬間に、逃げ場をすべて塞いでから行うのが鉄則ですわ」
ステラが書き上げたのは、単なる告発状ではなかった。
それは、過去三十年にわたりノルド村から盗まれ続けた魔力量を、現在の帝国通貨価値に換算し、さらに遅延損害金として複利で上乗せした、まさに「死の請求書」だった。
帝都に到着した翌朝。
皇宮の会議室には、帝国の重鎮たちが招集されていた。
「本日は、ノルド村の視察報告を皇后陛下より行っていただく」
レオンハルトが玉座に深く腰掛け、鋭い視線で並み居る貴族たちを射抜く。
その最前列で、悠然と顎を撫でていたのは、財務卿ザイードだった。彼は帝国の財布を握る実力者であり、レオンハルトの改革にことごとく「予算不足」を理由にブレーキをかけてきた男だ。
「皇后陛下。辺境の寒村などにわざわざ足を運ばれるとは、ご苦労なことですな。……で、何かめぼしいものでも見つかりましたかな? あの場所は、とうの昔に枯れ果てたゴミ捨て場のような場所ですが」
ザイードの言葉には、隠しきれない侮蔑が混じっていた。
ステラは優雅に立ち上がり、手元の一枚の書類をザイードの目の前へと滑らせた。
「ええ、ザイード卿。ゴミ捨て場だと思っていた場所から、帝国を百年は支えられる『特級蒼結晶の鉱脈』が見つかりましたわ」
会議室が、一瞬にして静まり返った。
ザイードの顔から、わずかに血の気が引く。
「な、何を馬鹿な……。あそこは三十年前に調査が完了しているはず。……皇后陛下の見間違いではありませんか?」
「見間違いではありませんわ。なぜなら、その鉱脈には、あなの色によく似た『黒い杭』が突き刺さっていましたから」
ステラがパチンと指を鳴らす。
すると、会議室の中央に魔力のホログラムが浮かび上がり、あの坑道で見つけた黒い杭の拡大図が表示された。そこには、ザイード卿の個人資産を管理する隠し紋章が、ステラの魔力によって鮮明に浮かび上がっていた。
「ザイード卿。あなたの管理する『裏口座』から、過去三十年分、ノルド村から不当に吸い上げられた魔力の利息を含めた総額……金貨八億枚分。……今この場でお支払いいただけますかしら?」
ザイードは椅子から転げ落ち、ガタガタと震え始めた。
「そ、そんな馬鹿な……。八億だと!? 我が家の全財産を売り払っても、そんな額……!」
「払えないのであれば、担保を差し押さえるのみですわ。……レオンハルト様、お願いします」
ステラの合図とともに、レオンハルトが静かに立ち上がった。
彼の影が、絶望に染まるザイードを飲み込んでいく。
「ザイード。お前が帝国から盗んでいたのは金だけではない。……私の民の『希望』と、ステラが守ろうとした『秩序』だ。……その罪、万死に値する」
ザイードは近衛兵によって引きずり出され、会議室には沈黙が戻った。
他の貴族たちは、皇后ステラの持つ「真実を見抜く力」と、皇帝レオンハルトの「容赦ない決断力」を目の当たりにし、もはや誰も彼女を「余所者」と呼ぶ勇気を持つ者はいなかった。
「……ステラ。これでまた一つ、汚れが消えたな」
二人きりになった室内で、レオンハルトはステラの腰を引き寄せ、深くため息をついた。
「はい。ですがレオンハルト様。ザイードが一人でこれほどの規模の隠蔽を行えたとは思いません。……杭の術式には、もう一人、別の『署名』が混じっていました」
ステラの瞳に、微かな懸念が宿る。
「……王国の、あのルナにかけられていた術式と、よく似た波形の署名が」
伏線はまだ、完全に回収されたわけではなかった。
魔法王国を崩壊させた「偽りの聖女」の裏で糸を引いていた存在が、この帝国の暗部にまで根を張っている可能性。
「……蛇の尻尾を掴んだな。ならば、次は頭を叩き潰すまでだ」
レオンハルトの力強い言葉に、ステラは頷き、彼の胸に顔を埋めた。
甘い新婚生活の舞台裏で、二人は帝国の、そして自分たちの未来を守るための「最終決算」に向けて、さらなる深い闇へと足を踏み入れていく。




