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第38話

王都への道は、思っていたより退屈ではなかった。


 ……いえ、正確には、退屈している暇がなかった、と言うべきかしら。


 隣を歩く侍――プレイヤー名【レイ】は、見た目こそ落ち着いているけれど、まだゲームへ入って日が浅いのが丸分かりだった。足運びが少し硬いし、視線の置き方も素人っぽい。敵影を探す時の首の振り方なんて、いかにも「索敵しています」と言わんばかりで、ちょっと可愛いくらいだわ。


 でも、そのくせ質問は妙に真っ当だった。


「ノアさんって、普段どういう基準で進路を決めるんですか?」

不意に彼が投げかけてきた問いに、私は歩みを止めずに聞き返す。

「進路?」

「目的地とか、寄り道とか、狩場とかです。何を優先するのかなと」


 私は少し考えてから、木漏れ日の落ちる山道を見た。

 風が枝葉を揺らして、乾いた葉擦れの音がする。鳥の声もするし、遠くで小型の魔物が草を踏む気配もする。そういうのをまとめて鼻へ流し込みながら、私はいつもの基準をそのまま口にした。


「美味しそうかどうか、がまず一つ」

私が指を立てると、レイは真面目な顔で頷いた。

「はい」

「次に、食った時の伸びが良さそうかどうか」

「はい」

彼がまた頷くのを見て、私は三本目の指を立てる。

「それから、今の私でも噛み砕けるかどうか」

「……はい」


 レイは頷いた。

 ちゃんと頷いた。


 その時点で、ちょっと驚いたのよね。


 普通ならここで「何ですかその基準」とか、「もっとこう、地図とか安全性とか……」みたいな話になるでしょうに。この侍君、わりと素直に話を聞くのだわ。人の価値観としてはかなり終わっている部類の判断基準なのに、いったん飲み込んでから整理しようとしている感じがある。


「合理的……では、ありますね」

「でしょう?」

 感心したように言う彼に、私は少し得意になった。


 何が好きか。

 何が楽しかったか。

 何が嬉しかったか。


 そういう、普通の会話ができていたのだ。


 これ、私にとってはかなり異常事態だった。


 いつもなら、話題が尽きた瞬間に自虐へ逃げるのよね。

 献血へ行って、お菓子とジュースだけ目当てだったくせに、血を抜かれる段になって「このコンディションで私から栄養を抜くの、倫理的にどうなの?」と急にキレ始めて、結局何も献上せずにお菓子だけ食べようとして丁重に追い出された話とか。


 あるいは、空腹時パニックへ備えて公園の植え込みに菓子パンと魚肉ソーセージを埋めておいて、「防災意識が高いわね」とドヤ顔したものの、数日後に犬へ先に発見されて泣いた話とか。


 あとは、犬のノアと【待て】対決をして、普通に惨敗した話とか。


 そういう、どうしようもない黒歴史を先に自分から開示して、「ほら、私ってこういう駄目な人間ですから、これ以上期待しないでね」という予防線を張るのが、いつもの私だった。


 でも、今日は違った。


 レイは、そういう方向へ私を追い込んでこない。

 好きな食べ物の話を振ってくる。

 王都で気になっている店の話をする。

 前のゲームで楽しかったイベントの話をする。

 嬉しかったことを、ちゃんと嬉しかったこととして口にする。


 だから、私も妙に普通に返せてしまったのだわ。


「ノアさんは、何が好きなんですか」

 歩きながら彼が尋ねてきた。

「ご飯」

 私が即答すると、彼は少し呆れたように息を吐く。

「知ってます」

「知っているなら聞かないでちょうだい」

「その上で聞いてるんですよ」


 ちょっと面白そうに言うのが、また腹立たしいのよね。


 私は小さく鼻を鳴らした。


「焼きたてのパン。香草を使った肉料理。魚の脂がきれいに乗ってる寿司。あと、ちゃんと出汁を取った汁物」

 すらすらと答えると、レイは少し目を見開いた。

「かなり真っ当ですね」

「味に関しては、わりと真面目なのよ」

「何だか安心しました」

「何に対してかしら」

 そう言うと、レイは少し笑った。


「いや、大食いの人って、味とか雰囲気とか、もっとどうでもいいのかと思ってました」

 彼の素直な偏見に、私は肩を竦める。

「どうでもよくはないわよ。どうでもよくないけれど、食べられる範囲が広すぎるだけだわ」

「なるほど……」

「量を処理できるのと、味を理解しないのは別の話でしょう。むしろ量を食べるからこそ、途中で飽きないように味の設計は大事なのよ」

 私が持論を展開すると、レイは感心したように深く頷いた。

「そこまで考えてるんですね」

「考えるわよ。胃袋だって有限なんだから、幸福の密度は上げたいじゃない」


 我ながら、ちょっと名言めいていた。

 うふふ。


「……面白いですね」


 レイが、ふとそんなことを言った。


 その言い方が、珍獣を見る時の「面白い」ではなかったのよね。

 もっと普通の。

 ちゃんと会話の相手へ向ける種類の、柔らかい言い方だった。


 私は少しだけ、目を瞬いた。


「何が?」

「感性がです。食べ物の話をしてる時だけ、急に言葉が綺麗になるんですね」

「……そうかしら」

「はい。楽しそうですし」

 彼が穏やかに言うので、私もつい調子を崩される。

「食べ物の話をして楽しくない人なんて、だいぶ可哀想でしょう」

「そこは否定しません」


 くふふ。


 嬉しいじゃない。

 こういうの。


 同性相手にすらまともに話せないことが多いのに、異性相手とか無理でしょう、と思っていたのよね。

 でも、なんとかなっている。

 【偽装経典】と短期用の社交性が、奇跡みたいに噛み合っていた。


 もちろん、あの女――幼馴染の河村澪の方が、ずっと話しやすいのだけれど。


 澪は、私なんぞへぐいぐい迫ってくる異常者だ。

 でも、あいつ相手だと汚い本音も全部話せたし、自然体でいられた。


 ふと、昔言われた言葉を思い出す。


 『紬さんもだいぶアレですけど、良いところはゼロじゃないです。そして他の部分が-500億であっても、加点部分が無視されていいわけありません』


 ……あれは、なかなか狂った慰め方だったわね。

 年賀状も、私にはあいつだけ律儀に毎年送ってきていた。

 全部返すのめんどくさくて無視していたけれど。


「どうかしました?」

 私が黙り込んだのに気づいて、レイが顔を覗き込んできた。

「いえ、変な女を思い出しただけよ」

「友達ですか?」

「どうかしら。たぶん、そういう分類に押し込むと怒られるタイプね」

 私が視線を逸らして答えると、彼は小首を傾げた。

「複雑そうですね」

「ええ、とても。善意が真っすぐすぎて気持ち悪いのよ」

「褒めてます?」

「半分くらいは」

「残り半分は」

「呪い」


 レイは、ふっと吹き出した。

 その笑い方が、変に馬鹿にした感じじゃなかったのが、また妙に居心地悪くて、でも少しだけ悪くなかった。


 そんな話をしながら歩いているうちに、道はゆるやかに山間の窪地へ入っていった。


 王都方面へ向かう道中、ちょうどよく小規模ダンジョンの入口がある、と掲示板で見ていたのよね。

 経験値が入りやすい。

 初心者のキャリーにも向いている。

 そして何より、私の胃袋にも優しい。


「少し寄るわよ」

 私が歩く方向を変えると、レイがついてくる。

「ダンジョンですか?」

「ええ。王都へ行く前に、あなたのレベルをもう少し上げておきたいの」

「キャリー、ってやつですね」

「掲示板情報だけれど、結局、自分もしっかり戦闘参加すればそれなりにスキル経験値は入るのよ。だから棒立ちは駄目。ちゃんと斬って、ちゃんと生き残りなさい」

「分かりました」

「あと、死なないこと」

「頑張ります」

「頑張るで済まされると、だいぶ不安なのだけれど」


 レイは真面目に頷いた。


 その返事が妙に素直で、私は少しだけ気分がよくなった。

 ああ、ちょっと親切にする余裕も出てきたのかもしれないわね。

 悪くない傾向だわ。


     ◇


 ダンジョンの中は、ひどかった。


 狭くて湿っていて、ぬめっていて、しかも出てくる敵がいちいち食材として主張が強いのだもの。

 私にとっては、かなり良い狩場だった。


 最初に出たのは、巨大ゴキブリの魔物だった。

 黒光りする外殻。

 節足。

 薄い羽。

 元気な脚。


「……うわ」


 レイが、本気で一歩引いた。


 でも私は、にこやかに立った。


「あなたの侍の【空刃】は強いわ。下位の【空爪】でも十分出し得なのよ。牽制、詠唱潰し、索敵、逃げ撃ち。とりあえず振って損はない」


 そう言いながら、私は【空爪】で巨大な黒い悪魔を両断した。

 そしてそのまま頭からばりばり食べた。


 甲殻の砕ける音が心地いい。

 香ばしい。

 実に偉いタンパク源だわ。


「んむっ……うん。やっぱりこの系統、安定して美味しいわね」

 私が咀嚼しながら評価を下すと、レイが引き攣った顔で尋ねてきた。

「食べるんですか」

「食べるわよ」

「見た目とか倫理とか……」

「味には関係ないでしょう」

「そういう問題では……」

「そういう問題よ。だいたい、見た目が悪いものほど意外と栄養があるの」

「今後の人生で使いどころがあるか分からない知識をありがとうございます」


 レイは何か言いかけて、やめた。

 賢明だわ。


 次に出たのは、眼球だらけの巨大芋虫だった。

 ぞろぞろと並んだ目玉が一斉にこちらを向く、だいぶ終わった見た目のやつね。


 それも私は普通に食べた。


 ぬめる。

 でも、ぬめるだけで済む。

 意外と癖は少ない。


 ペロリと食ったら、レイは顎を外れんばかりに開いていた。


「顎外し? 食べたいの? 意地汚いわね」


 私がからかうように言うと、彼は慌てて首を振る。


「違います」

「違うの?」

「違います」

「そう……ウフフ」


 さらに奥では、腐肉の臭いを放つ巨大蛇が待っていた。


「これは?」

 レイが警戒しながら刀を構える。

「飲み物寄り」

「飲み物……?」


 彼が呆然としている間に、私は顎を大きく開いて、そのまま一気に飲み込んだ。


 ずる、ずるずる、ぐっ、ごくん。


「うん。ぬめりは強いけれど、喉越しは悪くないわ」

「ちょっと待ってください、なんでその状態で喋れるんですか」

「喋れるわよ。このくらいでいちいち黙っていたら、食事と会話が両立しないじゃない」

「普通は両立させる必要がないんです」

「必要は作るものよ」


 私はそれへ普通に噛みつき、頭からずるずる飲み込んだ。


「んぐっ……ほら、例えば、こういう雑に硬いだけの相手なら……もぐっ……【封式羅刹】で押し切るのもあり……なのだけれど……」

 口の端から蛇を垂らしながら解説する私に、レイがツッコミを入れる。

「ちょっと待ってください、今ほんとに説明続けるんですか」

「続けるわよ。聞いてなさい」


 私は蛇の尾をずるりと吸い込みながら、指を立てた。


「食べながらでも思考はできるの。むしろ噛んでる時の方が頭が回るまであるわ」

「それはだいぶ怖いです」

「褒め言葉として受け取っておくわね」


 そこからは我ながら、かなり真面目に解説していたと思う。


 相手の硬さとサイズで、【封式羅刹】を切るかどうかを決めること。

 遠距離の牽制は出し得だから、迷ったら【空刃】相当の行動を振っていいこと。

 そして何より、倒したらすぐ食うこと。


 でも、どういうわけかレイの顔は少しずつ引いていた。

 なんでかしら。


 言っていること自体は、かなりまともなはずなのだけれど。


 そのあとも、一つ目小僧が泣き叫びながら逃げようとしたのを普通に食べた。

 しかも目玉の部分だけ妙に弾力があって、私は少しだけ感心した。


「局所的に食感が面白いわね」

「感想が料理番組なんですよ」

「大事でしょう、そういうの」


 実体の薄いゴーストも噛み砕いて食った。


 ゴーストの放った【反転呪縛】が私へまとわりついた時なんて、私は普通に眉をひそめるだけで済んでしまった。


「……効きが甘いわね」

「今の呪い系ですよね?」

「ええ。でも【捕食抵抗】が最大だから、食わずともだいたいの特殊攻撃は抵抗できるのよ」

「抵抗って、そういう……」

「食って積んだ耐性は、ちゃんと仕事するってこと」

「理屈は分かるんですけど、納得はしにくいです」


 レイは呆然としていた。


 私はついでに、遠くのゴーレムへ向けて【空爪】を飛ばした。

 そこへ【濃縮食毒】を上乗せする。


 風の刃が、浅く表面を削った。

 でも、それだけで十分だった。


 ごり、と内部構造が腐り、石の巨体が崩れ落ちる。


「あれ」

 レイが驚きの声を上げる。

「【空爪】×【濃縮食毒】。最近使えるようになったの。元の威力は低いけれど、【即死】込みで状態異常がたくさん乗るから、かすり傷でもだいぶまずいのよ」


 私は胸を張った。そしてゴーレムの腕を取ってかじりつく。


「は?ゴーレムを!?」


「んむっ……慣れなさいな。私と組む以上、食事風景はだいぶ頻繁に発生するわよ。探して、仕留めて、食うのが最強の戦法よ」

 私が石の欠片を頬張りながら言うと、彼は疲れたように返す。

「最後の“食う”は、その……戦術として一般化していいものなんですか」

「少なくとも私のパーティでは一般的よ」

「ソロじゃないですか」

「心の中では常に団体戦よ」


 まったく、何を当たり前のことを聞くのかしら。


 レイは、なんとも言えない顔をしていた。

 明らかにドン引きしている。

 でも、逃げはしない。

 そこはちょっと偉いわね。


「……ノアさん」

 歩きながら、彼が遠慮がちに声をかけてきた。

「何かしら」

「さっきから、かなり真面目に助言してくれてるのは分かるんですけど」

「ええ」

「その、絵面が……」

「絵面?」

「最悪なんですよ」

「失礼しちゃう」


 私はゴーレムの欠片をばりっと噛み砕いた。


「内容を聞きなさいな、内容を」

「ちゃんと聞いてます」

「ならいいでしょう」

「でも、巨大ゴキブリを食べながら真面目な解説を真顔で言われる経験、普通の人はしないと思うんです」

 彼が悲痛な顔で訴えてくるので、私は少しだけ笑ってしまった。

「普通の人の話をされても困るのだけれど」

「それはそうなんですけど」

「それに、食材を前にしてこそ実感のある解説ができるのよ。座学だけで強くなれるなら、みんな図書館で無双してるでしょう」

「言ってることは妙にまともなのが余計怖いです」

「褒めてる?」

「半分くらいは」

「ならよし」


 そこまで言って、私はふと笑った。


「でも、まあ、あなたはちゃんと聞いてくれるから偉いわね」

「……そうですか?」

「ええ。途中で逃げたり、“うわぁ”だけで会話を終わらせたりしないもの」

「それをやったら多分、次に食べられるのは自分だろうなって理性が」

「判断が早いわ」

「生存本能です」

「大事ね、それ」


 レイはため息を吐いた。

 でも、その口元は少しだけ笑っていた。


 変な男だわね。

 善良で、常識があって、ちゃんとしているくせに、わりと根性がある。

 こういう人種、私の人生にはだいぶ珍しい。


 その時だった。


 通路の奥から、ふわりと覚えのある気配が漂ってきた。


 重くはない。

 でも、妙に濃い。

 温度の高い善意みたいな、変な圧。

 押しつけがましいわけじゃないのに、存在感だけがやたら濃い、あの感じ。


 私は反射的に顔を上げた。


「……ん?」


 通路の先、淡い光の向こう。

 そこに立っていた影を見た瞬間、私は心底嫌そうな声を漏らした。


「げえっ! 河村澪!」

ここまで読んでいただけてとても嬉しいです!! 紬さんと籍を入れられたくなかったら感想、評価、お気に入りをお願いします(脅迫)

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― 新着の感想 ―
クズでコミュ障だから善人も悪人も苦手なん草
>げえっ! ジャーンジャーン!
善意の塊?に対してげぇっ!はどうなんだ(笑) いや、紬だから仕方ないか
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