第33話
感想いただけなかった場合紬さんを読者様のお嫁さんにします(強制)
機材はスマホ。
配信先はYouTube。
題材は、とりあえず手持ちのバイト代とスイカの残額で買えるもの。
私は近所のドラッグストアとコンビニをはしごして、ペタマックスを二十個、それから飲み物や揚げ物や適当なお菓子を買い込んで帰宅した。
机の上へずらっと並べて、改めて見下ろす。
「……少ないわね」
思わず本音が漏れた。
ペタマックス二十個。
数字だけ見ればそれなりの破壊力はある。
でも、私の感覚からすると、これはどう見ても“おやつ未満”なのよね。ぶっちゃけ食屍姫になる前からこの程度はペロリだったし。
配信の題材としての見栄えはともかく、これで大食い配信なんて名乗っていいのかしら。
いちおう大げさな数字を置いてみたけれど、だいぶ控えめな部類よね…。
「……でも、最初から全力で百キロとか置いたら、それはそれで引かれるのよね。たぶん」
たぶん、じゃないわね。
確実に引かれる。
いきなり“業務用の何か”みたいな量を机へ並べたら、配信者というより実験動物だもの。
私は少しだけ考えてから、首を振った。
「まあ、いいわ。今日はお試し。ペタマックス二十個を軽く流すくらいで様子を見ましょう」
私はスマホを立てて、アプリを開いた。
「……よし。やるわよ」
そう言った時点で、もう声が少し不安定だった。
覚悟を決めた人間の声というより、面接会場の前で吐きそうになっている人間の声に近かったわね。
……まあ、こういう類の配信を思いついたのは、別に今日が初めてというわけではないのよね。
私だって一応、自分の顔立ちがそこまで悪くないことくらいは知っているし、数少ない取り柄として“異常な量を食える”という特技があるのも分かっている。
だったら、その合わせ技で多少なりとも有名になって、ちやほやされて、ついでにご飯代まで稼げたら最高じゃない――なんて、浅ましくて可愛らしい夢を見ていた時期くらい、そりゃああったわ。
でも、現実はそう甘くなかった。
まず、準備が面倒くさい。
機材を立てて、角度を合わせて、アプリを開いて、見られても大丈夫そうな顔を作って、変なものが背景へ映っていないか確認して……その時点でもうだいぶ帰りたいのよね。
しかも、いざ始めようとすると、今度は頭の中で最悪の想像が勝手に膨らみ始めるのだわ。
これを公開した瞬間、百億人くらいのアンチが湧いてきて、私の顔面も食い方も声も人生も何もかも徹底的に叩き潰してくるのではないか――みたいな、被害妄想にしても盛りすぎでしょう、という類の想像が、どうしても止まらなくなるのよね。
そんなわけで、結局、実際に顔出し配信まで漕ぎつけたのは、これまでたった三回だけだった。
一度目は、感じの悪さとコミュニケーション能力の低さが、そのまま配信画面へ丸出しになった。
愛想よくしようとしても不自然。
喋れば喋るほど空気が死ぬ。
変に取り繕おうとして、余計に“なんか感じ悪い女”が出来上がる。
見返してみたら、我ながら驚くほど雰囲気が終わっていたわ。
二度目は、途中でテンパって軽くパニックを起こして、そのまま盛大に吐いた。
しかも、吐く直前まで「大丈夫です、全然いけます」とか言っていたのだから本当に終わっている。
配信としても駄目だし、人間としても駄目だったわね、あれは。
三度目は、豚を一匹ほぼ丸ごと平らげて、骨だけにしたあたりでアンチコメントが飛んできて、普通に泣いて逃げた。
いや、だって意味が分からなかったのだもの。
いきなり“なんで生きてるんだ”とか、そういうことを言われても困るでしょう。
そんなこんなで、私の中では次第に、顔を出して表へ出たところで、得られるのは人気より先に敵だ、という認識ばかりが強くなっていった。
見られれば見られるほど、好かれるどころか、ただ嫌われる理由が増えていく。
だったら、最初から見つからない方がマシじゃない、と。
そうやって私は、自分で勝手に夢を見て、自分で勝手に怯えて、自分で勝手に諦める、という実に私らしい後ろ向きな結論へ着地したのだった。
だからこそ、今こうして、もう一度“見られる側”へ立とうとしている自分が、少しだけ信じられなかったのよね。
……まあ、今は【偽装経典】がある。
昔の私よりは、たぶん少しだけマシな化け物でしょう。
ただ、ここからが、また地味に地獄だった。なんというか、配信の仕方を完全忘れてた
「えっ、ちょっと待って。これ、どこ押すの……? ライブ……作成……? 作成って何よ。」
私はぼそぼそ呟きながら、何度も確認画面を行き来した。
途中で一回、なぜかインカメへ切り替わって、自分の鼻の穴だけがドアップで世界へ公開されかけた時は、さすがに人類へ謝りたくなったわね。
「やだ、ちょっと待って、近い近い近い。今のは事故なのよ。顔ですらなかったでしょう、今のは」
それでも何とか設定画面を抜けて、タイトル欄へ辿り着いた。
私は少しだけ考えてから、無難そうな文面を打ち込む。
『ペタマックス20個食べ切るまで終われません』
「……うん。まあ、世間的にはそれっぽいでしょう」
私としては“今からおやつを食べます”くらいの温度なのだけれど、それを正直に書くと、また余計なところで燃えそうだもの。
深呼吸を一つ。
そこで私は【偽装経典】を起動した。
呼吸の速度。
首の角度。
視線の置き方。
声の高さ。
口角の上げ方。
それだけで、さっきまで機械音痴でぼそぼそ格闘していた私が、少なくとも“表へ出しても不快感が薄い何か”へ変わっていくのが分かった。
「……よし」
配信開始。
◇
「こんばんは。はじめまして……たぶん。今日は、ペタマックスを二十個、食べます」
最初の一言は、思ったよりまともに出た。
自分でも少しびっくりしたわ。
コメント欄は、最初は普通に湧いた。
【二十!?】
【初めての人だ、うぽつー】
【ペタマックス20個!?】
【声きれい】
【黒パーカーでめっちゃ有能なOLさんっぽい、すこ】
【初見です】
【どうせネタでしょ】
私はひとまず無視して、蓋を剥がした。
ソース。湯気。麺。マヨネーズ。
暴力的で、頼もしくて、いかにも“ジャンクな正義”という感じの見た目だわ。
「じゃあ、いただきます」
ずぞぞぞぞぞぞっ。
最初の一口で、コメント欄の流れが一段変わった。
【うわ、ガチだ】
【食う速度どうなってんの】
【一口でかくね?】
【え、待って、ほんとにいけそう】
【勢いが怖い】
私は一つ目を、かなり綺麗な速度で処理した。
二つ目へ入る。
三つ目へ行く。
飲み物を挟む。
揚げ物をつまんで、また麺へ戻る。
「うん……やっぱり、これくらいだと準備運動にちょうどいいのよね」
正直な感想だった。
コメント欄がざわついた。
【準備運動!?】
【ちょっと待て】
【二十個が?】
【こいつ何言ってるんだ】
【大食いの基準が壊れてる】
「いや、だって……」
私は四個目へ箸を伸ばしながら、首を傾げた。
「これで“大食い配信”名乗るの、ちょっと申し訳ないじゃない。量としては、かなり控えめでしょう?」
【控えめ???】
【ペタマ20個が???】
【もう感覚が違う】
【この女の中の“普通”が怖い】
【暴食さんでは?】
……嫌な単語が見えたわね。
「気のせいじゃないかしら。世の中には、似た感じの人もいるでしょう。たぶん」
そう言って笑ったつもりだったのだけれど、コメント欄はさらにざわついた。
【いや待って】
【ガキモツの人!?】
【暴食さん!?】
【え、リアルでもめっちゃ食うの?】
【黒パーカーだけど雰囲気ある】
【隈酷いけど割と可愛い】
【玉織紬ってあの?】
【友達いないからって小学生のガキ大将やってた?】
「…………」
箸が止まった。
胃袋は動いている。
でも、脳味噌が止まった。
嫌な汗が、すっと背中を伝った。
「ち、違うわよ。知らないけれど。というか、食事中へ人の黒歴史を持ち込まないでちょうだい。消化に悪いでしょう」
【偽装経典】のおかげで、一応はまともに返せている。
返せているのだけれど、それがまた良くないのかもしれないわね。
声の揺れや、変なところでだけ妙に滑らかになる感じが、余計に“本人っぽさ”を増している気がする。
【この返し方、本人すぎる】
【黒歴史に心当たりあるやつの反応で草】
【やっぱ玉織紬じゃん】
【子暴食さんのせいで工房2回目の壊滅してるんすけど…ログインして止めてくんね?…】
【暴食さんリアルでも暴食さんで安心した】
【安心すんな】
私は画面をろくに見ず、四つ目を、ちょっとやけくそ気味に掻き込んだ。
うまい。
でも、精神衛生はあまりうまくない。
「……ええい、黙りなさい。食べるわよ、私は」
五つ目。
六つ目。
七つ目。
そこでコメント欄の温度が、また別方向へ変わり始めた。
【いやでも普通に化け物】
【ペタマックスってそんな速度で減らないだろ】
【顎どうなってんの】
【途中で揚げ物入れるの玄人すぎる】
【見てるだけで胃もたれする】
【でもなんか見ちゃう】
私はそこで、ちょっとだけ落ち着いた。
正体バレは怖い。
でも、今、彼らの関心は“誰なのか”と“どれだけ食うのか”の間を行ったり来たりしている。
だったら、まだ押し切れる。
私は軽く咳払いして、【偽装経典】へさらに寄せた。
声の通りが良くなる。
目線が安定する。
笑い方が少しだけ整う。
「ええと……こういうのって、途中で飽きると思われがちなのだけれど、実際は温度とソースの角度と油の回り方で、案外まだいけるのよね。
七個目くらいから、ようやく食事が始まる感じかしら」
【七個目から食事開始で草】
【急に配信者っぽくなった】
【喋りうま】
【でも言ってることは狂ってる】
【いやガチで怖い】
「狂ってはいないわよ。たぶん」
たぶん。
そこは自信がなかった。
私は八個目へ入った。
九個目。
十個目。
ここまで来ると、さすがに腹の中へ“ちゃんと入った”感じがし始める。
でも、やっぱり重さとしては軽い。
軽いというか、ようやく胃袋が“食事”として認識し始めたくらいの段階なのよね。
そこからガチ食いで一分経たず一気に残りの十個平らげた。
ずぞぞぞぞ、
ごくっ、
ずるるるっ、
ごくんっ。
コメント欄が、もうほとんど文字の壁みたいに流れていた。
【ちょっと待てって】
【10個あるよな!?】
【カメラ早送りしてない?】
【してないのが怖い】
【喉どうなってんの】
【人間じゃない】
【“控えめ”って言ってたの本気だったんだ……】
五杯。
八杯。
十杯。
「……はい。完食」
最後の一口を飲み込んで、私は軽く手を合わせた。
「ご馳走様でした」
コメント欄が一気に流れる。
【完食した!?】
【いや普通にやべえ】
【十個が消えた!】
【これで“軽い”扱いなのマジで怖い!】
【大食い配信者というより生態観察】
私は口元を拭ってから、小さく息を吐いた。
「うーん……」
私は少しだけ考えて、正直に言った。
「やっぱり、これで“大食い配信”名乗るのは、ちょっと違う気もするのよねぇ。
量としては、まだ全然、おやつ未満だもの」
コメント欄が爆発した。
【おやつ未満!?】
【やめろ】
【価値観が終わってる】
【大食い界隈に喧嘩売るな】
【暴食さん、尺度が人類じゃない】
「まあ、でも……今日はお試しだし。そういうことでうへへ…」
私は笑顔を作った。
ちゃんと感じよく。
ちゃんと柔らかく。
ちゃんと、社会に噛み合うように。
――そこまでは良かったのだけれど。
【朔ちゃん呼んできていい?】
「やめなさい」
反射で、かなり本気の声が出た。
コメント欄が爆速で流れた。
【草】
【今の素だったろ】
【めっちゃ嫌そうで草】
【妹だけはガチでNGなんだな】
【これは本物】
私はそこで、静かにスマホへ手を伸ばした。
「……はい、終了」
【えっ】
【ぶつ切り!?】
【逃げるな】
【十個一気に完食してから逃げるな】
【朔案件は草】
「逃げるに決まっているでしょう。人間には、逃げなきゃいけない局面というものがあるのよ」
私は最後にそう言って、配信をぶっち切った。
◇
画面が暗くなったあと、私はしばらくそのまま固まっていた。
胃袋は、まだ普通に食事の続きを要求している。
でも、心がもう駄目だった。
「……向いてないわねぇ」
私は深々とため息を吐いた。
大食いそのものはできる。
人前で食べるのも、まあ、ギリギリいける。
でも、そこへ“私”が混ざると駄目なのよね。
暴食さん。玉織紬。黒歴史。小学生。妹。
そういう単語が飛び交い始めた瞬間、食事の幸福が一気に社会的恐怖へ汚染されるのだわ。
私はスマホを裏返し、そのまま逃げるようにお布団へ潜り込んだ。
ふかふか。ぬくぬく。
ああ、やっぱり布団って最高ね。
人類が築いた文明の中でも、かなり上位の発明でしょう。
「……もう今日は無理。何も見ない。何も考えない」
私は毛布を頭から被って、丸くなった。
配信の反省も、今後の方針も、明日考えればいい。
今日はもう、だめ。
社会と接触したあとの私は、だいたい一回こうやって布団の中で死んだふりをしないとバランスが取れないのよね。
その時だった。
「……あ」
私は布団の中で、ふと気づいた。
「そういえば……」
指を折って数える。
一日目。風呂キャン。
二日目。風呂キャン。
そして今日。配信で疲弊して、そのまま布団へダイブ。
「……今日で三日目じゃない」
嫌な沈黙が落ちた。
私は布団の中で、自分の首元をそっと嗅いだ。
うん。
終わっているわね。
ペタマックスのソース。
汗。
パーカー。
ちょっとした脂。
あと、生活の終わりみたいな湿り気。
「……だめだわ。これはさすがに、女としてどうこう以前に、生き物として駄目寄りだわ……」
でも、分かってはいるのよ。
分かってはいるのだけれど。
今からお風呂。
服を脱ぐ。
洗う。
乾かす
……工程が多すぎるのよね。
しかも、三日も風呂キャンしてしまうと、逆に初動のハードルが上がるのだわ。
一日休むのは怠慢。
二日休むのはだらしなさ。
三日目になると、もはや一つの生態よ。
「いや、でも……さすがに……」
私はもぞもぞと布団の中で寝返りを打った。
眠い。
お腹はまだ少しだけ足りない。
心は疲れた。
そしてお風呂は面倒くさい。
「…………明日でいいかしら」
自分でも終わっていると思った。
でも、その瞬間にはもう、まぶたが落ちかけていたのよね。
お布団の魔力って、本当に恐ろしいわ。
「おやすみなさい……」
私はそう呟くと、ほんのりペタマックスの香りと、そこそこ終わった生活臭を纏ったまま、ぬくぬくの布団へ完全に沈み込んでいった。
ここまで読んでいただけてとても嬉しいです




