第26話 「法円寺の返答」
翌日の昼前に、妙善寺から使者が来た。
年老いた門徒の男だった。浄阿上人の書状を携えていた。
三郎は広間で受け取った。
開いた。
読んだ。
「『道乗様よりご返答あり。大内三郎殿と直接お会いしたいとのことです。場所と日時はこちらに一任するとのことです』」
左近が横で息を呑んだ。
「……道乗上人が直接会うと」
「思ったより早かった」
「三郎様は予想されていたのですか」
「予想はしていた。ただし断ってくる可能性も半分あった」
「会う場所はどこにしますか」
三郎はしばらく考えた。
「妙善寺だ。中立の場がいい。道乗に城まで来させると、格が問題になる。こちらが出向きすぎると弱みに見える。妙善寺が丁度いい」
「日時は」
「五日後。道乗が準備する時間を与える。急がせると警戒される」
左近が頷いた。
「人数は」
「三郎、雪乃、源蔵の三人だ。前回と同じだ」
「護衛を増やしては」
「道乗は商人の顔を持っている。多人数で行くと交渉の席にならない」
「しかし道乗という男は、信用できると思いますか」
「信用する必要はない。何が欲しいかを把握すればいい」
左近が、大きく息を吐いた。
「ああ、よかった……三郎様が『信用する』などと仰ったら、この左近、卒倒するところでした」
「大袈裟だ」
「大袈裟なものですか。三郎様が人を信じて裏切られる図など、前代未聞にござる。この左近、想像しただけで目頭が」
「泣くな」
「泣いておりません」
左近は目元を指で拭ってから、咳払いをした。
「……それはもう結構です、と自分で言ってから、また同じことを口走っております。困ったものです」
「しない」
「それなら結構です」
三郎は書状を畳んだ。
「もう一つ」
「はい」
「昨夜の道空の一件、捕虜の権藤に伝えろ」
左近が少し驚いた顔をした。
「……権藤に、ですか。なぜ」
「道空が南の山道を使ったことは、やがて赤松の陣に知れる。権藤に先に教えておけば、権藤が赤松の動きを読む上での情報になる。権藤は今後も使える男だ」
「権藤を……情報の中継点にするおつもりですか」
「まだそこまでは決めていない。ただ、関係を維持しておく価値がある」
左近は少し考えてから頷いた。
「承知いたしました」
◆
赤松の陣に、昨夜の報告が届いたのは昼過ぎだった。
道空は怪我をしていなかった。落下の衝撃で左膝を打ったが、歩くのに支障はなかった。
天幕の中で、梶原が昨夜の経緯を報告した。
「南の山道には罠が仕掛けてありました。竹を踏む罠と縄の罠です。気づいてからは慎重に進みましたが……城壁下にも仕掛けがございました。縄梯子に火矢が当たり」
「分かっている。俺が見た」
梶原が口を閉じた。
「城壁の上に三郎がいたか」
「はい。弓を持った細身の男が一人、最初に現れました。おそらく」
「三郎だ」
道空は椅子に座ったまま、前を見た。
「奴は待っていた」
「はい。待ち伏せでした。南の道を知っていたのか、あるいは読んでいたのか」
「読んでいた」
梶原が黙った。
「地図を見れば南の道は分かる。儂が地図を調べたように、三郎も地図を見た。そして儂が三日後に動くと読んだ」
「……どうしてそこまで」
「法円寺が手を引きかけている。正面は通れない。時間がない。そう追い詰めたのは三郎自身だ。追い詰めた上で、こちらの選択肢を数えた。残ったのが南の道だ」
梶原が蒼白な顔で聞いていた。
「道空様は……大内三郎をどうご覧になりますか」
道空はしばらく黙っていた。
「十八か」
「はい」
「……厄介な小僧だ」
それだけ言って、道空は立ち上がった。
「梶原、今日から法円寺への報告を一切止めろ」
「法円寺への報告を……しかし道乗様が」
「道乗は儂の事情を道空に有利に使っている様子がない。むしろ焦れて手を引きかけている。道乗に情報を渡すと、どこかへ流れる可能性がある」
「では戦費は」
「今あるもので動く。道乗に頼るのをやめる」
梶原が目を見開いた。
「それは……道空様、それでは継続が」
「長引かせると負ける。一か八か、奇策で動く」
「どのような」
「考える。今日中に案を出す」
梶原が出ていった。
道空は一人になった。
昨夜、城壁の上に見た目が頭の中に残っていた。
感情のない目だった。
怒っていなかった。恐れてもいなかった。
ただ、見ていた。
(あれが三郎だ)
道空は、初めて正面から戦いたいと思った。刀でも弓でもなく、別の形で。
腕を組んだ。
頭の中で、残っている手を数えた。
◆
夕方、三郎は雪乃を呼んだ。
「法円寺との会談に向けて、持っていく条件を整理したい」
雪乃が帳面を開いた。
「何を提示しますか」
「街道の通行料の一部を法円寺に渡す。具体的には年に三十貫を上限として、荷の量に応じた割合で」
「三十貫……法円寺が期待している額より少ないかもしれません」
「少ない方がいい。最初に大きな数字を出すと、後から下げられなくなる」
「こちらから引き上げる余地を残しておく、ということですか」
「そうだ。それと、もう一つ条件がある」
「何ですか」
「赤松への資金援助を止めること。これを表向きに言わず、暗黙の前提として道乗に理解させる」
雪乃が書いた。
「暗黙の前提、というのはどうやって伝えますか」
「直接言わない。街道の利を渡す条件として『播磨の安定』を挙げる。安定のためには戦が続いてはならない、という話の流れにする」
「道乗様が賢ければ、そこで察しますね」
「察せない男なら会う必要がない」
雪乃が少し笑った。
すぐに帳面に視線を落とした。
「三郎様、一つ聞いていいですか」
「なんだ」
「道乗様が条件を飲まなかった場合、どうしますか」
「飲まなければ、別の手を考える」
「別の手、というのは」
「まだ考えていない」
雪乃が顔を上げた。
「……まだ考えていない、のですか」
「飲まなかった後で考える。今考えても無駄だ」
「それは……三郎様らしくない気がします。いつも先まで読んでいるのに」
「読みすぎると、読んだ通りに動こうとする。それが間違いの元になる」
雪乃は少し考えた。
「……分かったような、分からないような」
「そういうことは多い」
三郎は立ち上がった。
「五日後の会談の準備を頼む。浄阿上人への返事も書いてくれ」
「はい」
雪乃が帳面を閉じようとして、止まった。
「三郎様、昨夜、赤松と目が合ったと聞きました」
「合った」
「どんな目でしたか」
三郎は少し考えた。
「本物の目だった」
「本物、とは」
「飾りがない目だ」
雪乃はしばらく三郎を見た。
何かを言いかけて、帳面を閉じた。
廊下に出ていった。
三郎は一人残って、机の上の地図を見た。
道空と法円寺と、二つが同時に動いている。
どちらが先に決着するか。
あるいは、まったく別の方向から何かが来るか。
(まだ見えていないものがある)
三郎はそれだけ感じて、地図を閉じた。
第26話 了
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