第25話 「三日目の夜」
一日目の夜は、何も起こらなかった。
二十名が内壁で夜通し息を潜めたが、崖下から聞こえたのは獣の気配だけだった。夜明けに荒木が「今日も外れですか」と聞き、三郎は「外れではない。まだ来ていないだけだ」と答えた。
二日目の夜も同じだった。月が出ていた。道空が来るには明るすぎる夜だと、三郎は判断していた。
三日目の夜、雲が出た。
月が隠れた。
大内城の南の内壁に、二十名が音もなく待機していた。誰も火を持っていなかった。暗闇の中で、息を潜めていた。
三郎は内壁の端に立っていた。
弓を持っていた。
夜に弓を使う必要があれば、矢先に薄く油を塗った松明矢を使う。火を放てば、一瞬だけ場が明るくなる。その一瞬で判断する。
荒木が横に来た。
「三郎様、本当に来ますか」
「来る」
「赤松がご自身で、夜に山道を」
「来る」
荒木は口を閉じた。
静寂が続いた。
城の外、南の崖の方向に耳を澄ませた。
風が吹いた。
草が揺れた。
その音に混じって、微かに別の音がした。
竹が踏まれる音だった。
荒木が三郎の腕を掴みかけて、止めた。
三郎は動かなかった。
音が続いた。一つ、二つ。間隔がある。人が一列で歩いている音だった。
(来た)
三郎は壁際に近い者に目で合図した。
壁の外に向かって、縄を一本垂らした。崖下の見張りへの合図だった。
引き返したら終わりだ。
三郎は松明矢を一本、手に取った。
崖下から音が続いた。竹を踏む音。縄に引っかかる気配。それでも止まらなかった。来ると決めた男は、多少の障害では止まらない。
壁の内側で誰かが固唾を呑んだ。
城壁に何かが当たる音がした。
縄梯子だった。
三郎は松明矢に火をつけた。
射た。
矢が城壁の外の地面に刺さった。
一瞬、明るくなった。
城壁の下に人影があった。黒い衣の男たちが、縄梯子に取り付いていた。数を数えた。十五、二十、それ以上。
先頭の男が壁の縁に手をかけようとした。
三郎はその顔を見た。
大きな男だった。首に古傷があった。
道空だった。
◆
道空は城壁の縁に手をかけた。
あと一息だった。
そのとき、壁の上から光が降ってきた。
松明矢が地面に刺さった。
道空は一瞬目を閉じた。
開いたとき、壁の上に人影が見えた。
弓を持った細身の男。
月代を剃らず、後ろで髪を束ねている。
目が笑っていなかった。
道空は直感した。
(この男が三郎だ)
次の瞬間、壁の上から矢が飛んだ。
道空の右腕の脇をかすめた。縄梯子を繋いでいた縄に当たり、縄が切れた。
道空は落ちた。
崖下は平地だった。高さは二間ほど。落ちながら受け身を取った。足から着地した。膝が笑ったが、立ち上がれた。
後ろで部下の声が上がった。
「道空様!」
「退け!」
道空は走った。
背後で城壁の上から怒号と足音が来た。追ってくる。
道空は暗い山道を走りながら、振り返った。
壁の上に細身の影が立っていた。
追ってこなかった。
ただ見ていた。
(追わない)
道空は走りながら考えた。
追えば夜の山道で混戦になる。損耗が読めない。だから追わない。
それが計算か、それとも余裕か。
(小僧め)
道空は走り続けた。
◆
城壁の上で、三郎は道空の後ろ姿が山道に消えるのを見た。
荒木が横で叫んだ。
「追います!」
「追うな」
「しかし道空が」
「夜の山道で追えば、向こうが有利になる。追わなくていい」
荒木が歯噛みした。
「……あと少しだったのに」
「あと少しではなかった。縄梯子を切っただけだ。捕まえるには至らなかった」
三郎は弓を下ろした。
源蔵が後ろから来た。
「大将、道空の顔を見たか」
「見た」
「俺も見た。迫力があったな」
「本物だ」
「それでも逃げた」
「逃げるときに逃げるのが強い男だ」
源蔵が少し考えた顔をした。
「……大将は、道空のことを気に入ってるんじゃないか」
「気に入ってはいない。ただ、認めている」
「同じようなものだ」
三郎は視線を逸らし、城壁の下を見た。
縄梯子が半分、ぶら下がったままだった。
「左近」
「はい」
「今夜の警戒はこのまま続ける。道空がもう一度来る可能性は低いが、念のためだ」
「御意」
「城壁の修繕を明日確認してくれ。縄梯子を引っかけられた箇所に、返しを付けられるか藤吉に聞く」
「はい」
三郎は城壁から降りた。
廊下を歩きながら、道空の顔を頭の中で反芻した。
首の古傷。大きな体。目が怒っていなかった。冷静に状況を見て、退いた。
(あの男は、感情で動かない)
だから手ごわい。
同時に、今夜の一件で何かが変わったと三郎は思った。
道空は三郎の顔を見た。三郎も道空の顔を見た。
互いに確認した。
これは単なる領地争いではなくなりつつあった。
第25話 了
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