第7話 「壁の向こうに誰かいる」
1週間が経った。
パーティ「残響」は、Bランクに昇格した。
沈黙の回廊の踏破記録と、それ以前の連続安全踏破記録が認められた結果だ。
Dランクで結成して、約二週間。異例の速度だった。
ただし、オーゲンは昇格通知と共に一言添えた。
「特例はこれで最後だ。次は正規の記録で上がれ」
二度目の特例。これ以上はない。
次のランクは、自分たちの手で掴む。
ギルドの掲示板に俺たちの名前が載るようになった。
他のパーティから「うちの鑑定を頼みたい」という声がかかるようにもなった。
全て断った。
「俺は『残響』のリーダーだ。他のパーティには入らない」
断るたびにレナが「もったいない」と言ったが、譲らなかった。
俺の耳は、この三人のために使う。
※
「哭壁の迷宮」。
地下30層。Aランク相当。
Bランクの俺たちが挑むには一段上だが、10層ごとに帰還判断を報告するという条件付きで申請が通った。
名前の由来は、壁が泣いているかのように水が染み出し続けていることにある。
石灰岩の壁面を水が伝い、水音が途切れない。
入口に手を当てた瞬間、情報が奔流のように流れ込んできた。
水音の残響は石の3倍は密度が高い。
水は振動をよく伝える。壁を流れる水の中に、過去72時間分の音が層を成して詰まっていた。
「1層、右の通路。水棲の魔物が2体。左は安全だが、水深が膝まである。足音が立つ」
「膝まで?」レナが眉を寄せた。
「モンスターに気づかれるリスクはあるが、左の方が安全だ。静かに歩け」
ミラが頷いた。獣人の肉球は水の中でも音を立てにくい。先行役に最適だった。
※
水の迷宮は、《残響》にとって最高の環境だった。
壁を流れる水から3層先のモンスターの動きまで読める。
罠の作動音は水に増幅されて、通常より鮮明に残っていた。
15層まで、3時間。無戦闘。
予定通りのペースだった。
16層。
壁に手を当てた。
水の残響が流れ込む──いつも通り。
モンスターの足音。罠の金属音。水が岩を穿つ音。
その中に──
指が強張った。
「……人の声が聴こえる」
レナが足を止めた。
「人? 他のパーティか?」
目を閉じた。集中する。
声。
複数。少なくとも三人分。
叫んでいる。
悲鳴だった。
「違う。これは残響だ。過去48時間以内に、ここで人が叫んでいる」
さらに深く聴く。
悲鳴の合間に──武器が壁を打つ金属音。
重い。大剣か、両手剣。
そして──咆哮。低く、太く、通路全体を震わせるような巨大な音。
モンスターだ。大型の。
悲鳴は途中で途切れている。しかし──
「この先に、まだ生きている人間がいる」
「根拠は」ドルクが訊いた。
「呼吸音が残っている。浅い呼吸が二つ。弱っているが──生きている」
壁から手を離した。
三人の顔を見た。
「16層で大型モンスターとの戦闘があった。パーティが壊滅し、一部が取り残されている可能性が高い」
ドルクが腕を組んだ。
「救助ですか。しかし我々はA相当のダンジョンの16層にいる。先に進めばリスクは跳ね上がる」
「でも放っておけないだろ」
レナが言った。剣の柄を握っている──臨戦の握り方だ。
ミラが黒板を掲げた。
『助ける』
俺は頷いた。
「行く。ただし全員の安全が最優先だ。危険と判断したら撤退する」
※
17層を抜けた。
水の残響が語る情報量が増えていく。
大型モンスターの移動痕──壁に体を擦りつけた音の残骸。水を大量にかき分けた振動。
巨大な何かがこの通路を通った。
18層。
壁の窪みに──人がいた。
二人。
見覚えのある鎧。
「鉄壁の盾」の戦闘員だった。
第3話で重傷を負い、ギルドに担架で運び込まれた二人。
復帰したのだろう。しかし、今また──
一人は足を投げ出して座っていた。左足が不自然な角度に曲がっている。骨折。
もう一人は壁にもたれ、肩の鎧が割れて肉が見えていた。
「……お前は」
足を折った方が俺を見て、目を見開いた。
「カイル──なぜここに」
「後で話す。ガルドとエルダは?」
戦闘員の顔が歪んだ。
「リーダーは……ハイドラの亜種を引きつけて、奥に走った。エルダさんが追いかけた。もう6時間以上──戻らない」
ハイドラの亜種。
上級ダンジョンに出現する大型水棲竜。複数の首を持ち、通路を埋め尽くす巨体。
壁に手を当てた。
《残響》を発動する。
水の残響の奥深くに──聴こえた。
剣が壁を打つ音。
ガルドの剣だ。三年間聴き続けた。間違えようがない。
20層。
ガルドはまだ戦っている。
もう一つ。軽い足音。走っている。
エルダだ。ガルドの近くにいる。
しかし──ガルドの呼吸が乱れていた。
剣を振るリズムが崩れている。消耗が激しい。
「20層。二人は生きている。だが──追い詰められている」
壁から手を離した。
「戦闘員二名はここに残す。ドルク、お前がここで守れ」
ドルクが頷いた。即座に戦闘員の傍に膝をついた。
「カイルさん」
立ち去ろうとした俺の背中に、ドルクの声がかかった。
「あなたは──彼らを追放した相手を、助けに行くのですか」
振り返った。
「追放されたことと、死んでいいかどうかは別だ」
ドルクが眼鏡の奥で目を閉じた。
「……いやはや。投資家としては最も不合理な判断ですが──人としては、最も正しい判断ですな」
レナが横に立った。
「あんた、本当に甘いね」
ぶっきらぼうな声。しかし──剣の柄を握っている。行く気だ。
ミラが黒板を掲げた。
『行く』
三人で、20層に向かう。
ガルドの剣の音を、俺は何百回も聴いてきた。
あの音が止まる前に──着かなくては。




