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とある少年

「本を返しに来たのですが――。すみません、来客中でしたか。時間を改めます」

「いいよ。入ってくるといい。いつも通りにしていていいよ」

 少年のおずおずと伺うような視線が、ルイスをみる。それに対して、ルイスは微笑みを返した。大丈夫だ。大事な話は終わっている。一生徒だった頃に入り浸っていた者としては、この部屋は誰にでも開放されている部屋であって欲しい。まあ、先生の部屋なのだが。

 少年は促されておずおずと部屋の本棚に近づくと、本と本の隙間に、自分で持ってきたものを突っ込んだ。そしてその横にあった本を引き抜く。端から順番に読んでいるのだろうか。小さな背もたれのない丸いすを引き寄せると、壁を背もたれにして、本のページをめくり始めた。だけど落ち着かないのか、時折こちらを気にするそぶりを見せる。

「気になります、よね」

 気付けばルイスは少年に話しかけていた。

「……すみません」

「謝ることじゃないですよ。いつもいない人がいると緊張するし、気になるのは当たり前だと私も思いますし」

 少年は本の表紙を開いたまま、ルイスを見上げた。視線が合う。なんとなくそのまま見下ろすのは憚られて、ルイスは彼と視線を合わせるようにしゃがんだ。途端に恐縮する生徒。

 ああ、逆に怖がらせてしまった。

 二人しておろおろとしているのが、面白いのかセーミャが声を出して笑う。

「先生……」

「すまんすまん。ウェス、そいつは私の元生徒だ。気兼ねするものでもないぞ」

 彼女はそう声をかけて、自分は上階への階段に足をかける。少し調べ物をしていると言い置いて先生は上階に消えていった。自由である。しかし、ルイスにちらりと向けられた目は真剣だった。彼を気にしてやって欲しいと思っている事が、話さずとも伝わる。おそらく手紙に書かれていた少年とは彼のことだろう。

「元、生徒さん、ですか?」

「うん。ああ、近くに座ってもいいですか?」

 同じく近くの壁沿いに寄せてある椅子を指さしながら、少年に聞くと、彼は小さく頷いた。ルイスは口調をやや緩めて話しかける。とはいっても丁寧にしゃべることが癖になっているので、そう簡単には治らないのだけれど。

「ここの部屋を使っていたんですか?」

「そう。よく入り浸っていました。学舎にいる間、授業以外のほとんどの時間をここと、そこの中庭で過ごしたと思います」

 ルイスは視線を一瞬窓の外に向ける。窓の下には通ってきた中庭がある。あそこでルイスはリリアナと出会った。

「友達は?」

 ああ、痛いところを突いてくる。伺ってくる純粋な目が恐ろしい。

「親しい友人は二人ぐらいですね」

 リリアナとアイクの事だ。

「……少ない」

実際友と呼べる者は少ないのだから反論の余地もない。小さなつぶやきが胸に刺さる。ただまあ、それを後悔したことはない。ここではルイスやリリアナは別の理由で異質で、異質だからこそ仲良くなれた。

「僕も友達が少ないから、一緒ですね」

 そうですね、と相槌も打ちにくくて頷くのみに止めた。意味は一緒だ。少年は少しの間、沈黙してまたおずおずと口を開く。

「元生徒さんは……」

「ああ、すみません。ルイスでいいですよ。ルイス・レイガートです」

「……ウェス、です。あの、ルイスさんは、竜仕官さん、なんですか?」

「そうです」

 セーミャと会うのは、職務上の話もあって、ルイスは竜仕官としての官服を纏っていた。学舎に入る手続きも、この格好の方が何かとスムーズだ。ただ、白い官服は所属が一見してわかってしまう。職務上は役職の名乗りも不要なくらいでむしろ重宝しているくらいなのだが、初対面の人にもなんの仕事をしているのか簡単にわかってしまうのは、なんというか竜仕官という権力をひけらかしているようでなんとなく落ち着かない。

 ルイス個人が権力を持っているということはないからだ。

 否定する理由もなく、ルイスは素直に彼に対して頷いた。

「竜仕官という仕事が、気になりますか?」

「……はい。先生に、セーミャ先生ではないんですけど、僕の家の近くにいた先生に『おまえは竜仕官になれる』って言われて……」

「それでここに?」

 少年は頷く。

「みんなも喜んでくれたから……」

 竜仕官になれる資質を認められると、学舎には奨学生としての入学が許可される。ルイスの資質は祖父が見抜いたが、レイガートの嫡男としての入学が決まっていたので、奨学制度は使っていない。逆に、第二外周、第三外周の子供がこの学舎に通うにはありがたい制度だった。ただ、そういう子供は入学してからの方が大変だ。授業内容や、周囲の環境の変化、子供の考え方だって違う。そういうところに馴染むのは難しい。

 ウェスと名乗ったこの少年はまだ小さく、体も出来ていない。入学してそれほど経っているとは思えない。一人でセーミャの教員室に籠もるところをみると、やはり周囲には馴染めないのだろう。出身はどこだろうか、少なくとも第一外周よりも内側ではなさそうだ。

「おまえが竜仕官になれるなら、鼻が高いって、送り出してくれて、みんな笑ってて、でも……」

 子供の言葉はそこで詰まった。言ってもいいのか、だめなのか、口に出されることなく、その一歩手前で躊躇している。ただ、その表情は雄弁だった。俯いて見えづらかったが、それでもわかる。開かれたままの本を握る手に力が入っている。

 ああ、この子は。

「竜仕官にはなりたくないんですね」

 子供は弾かれたようにルイスを見上げた。大きな目がまあるくなっている。色素の薄い瞳にはルイスの影が映り込んでいた。細い眉がきゅっと歪む。少年は無言であったが、目尻からは雫がひとつ転がり、まろい頬を滑り落ちていった。

「口に出してもいいんですよ」

飲み込んでしまった言葉は、時に毒になって自分の心を傷つけるのだから。誰も知る事の無い本音が、自分自身を傷つけるのだから。

 子供の喉から不格好な声があがる。小さな声だった。引っかかり、上手く出てこない言葉を。自分で喉の奥に押し込んだであろう言葉を、少年はちょっとずつ外に出そうとしているようだった。

「ぼく、は……かえり、たい。りゅう、しかんに、なりたいんじゃなくって、みんなのところに、かえりたい……」

 少年の目からは堪えきれなくなった涙がすっと流れ、頬に水のあとをつけた。彼が帰りたいところは、ルイスにはよくわからないけれど、彼自身がとても大切にしている場所なのだということは十分に伝わった。赤く染まる目尻をみてそう思う。

 開いていた本がいつの間にか閉じられて、表紙に彼の袖が重なっている。本を濡らさないようにしているのだろう。泣きながらもそこまで気を回してしまうところがいじらしい。心が優しいのだ。

 ふと顔を上げると、上階から師匠がこちらを見下ろしていた。聞き分けのないしょうが無い子供をみるような目で、しかし確かに愛情があった。


 それからしばらくして、流れなくなった涙の跡を拭うと、ウェスは自分の事を話してくれるようになった。

「ぼく、石は好きで、色々と本があるからセーミャ先生にはたまに借りてて、ここで読むことも多くて……」

 そう言えばと、彼が本を抜き取った場所を見ると、鉱物図鑑や宝石の図録、新鉱石の分布、各都市の竜との関わりなんて雑多な本が並んでいた。この辺は石関連。もっと竜の事を主に記してあるのは今セーミャがいる上階の本棚だった。

 少年は、自分の手首についているブレスレットをみせてくれた。青く輝く石がそこにはついている。平たく加工されているそれは、竜の鱗を模したお守りだ。

「鳴鈴石ですね。同じ鉱石塊から作られた鳴鈴石は何かに打ち付けて鳴らすと遠くにあっても共鳴するんですよね」

「もう片方はおかあさんがもってる。ここに来るときに渡してくれたんだ」

「そうでしたか。綺麗な石ですね」

「うん、ぼくの一番好きな石。竜の事はよく知らなくて……。あの、本当に竜仕官になりたくないって言ってもよかった?」

 人前でないてしまったのが少し恥ずかしいのだろう、ウェスは照れたように俯く。ルイスはそれに微笑んで頷いた。そしてこう続ける。

「そうですね。あなたが秘密を打ち明けてくれた代わりに、私がどうして竜仕官をしているのか聞きますか?」

「うん」

「実は、竜が大好きだからです」

「……」

 少年の目はまた丸くなる。聞き耳を立てている上階の師匠が吹き出すような小さな声が耳に入ったが、ルイスはそれを無視した。

「ずっとずっと大好きで、それだけを追いかけてきたからです。そんなものに、傾倒するのはやめろ。そんなものになる必要はないと言われたこともありますが、好きなものは変わりませんでした」

 それに罪悪感を抱いたこともあったけれど、大切な人が、それでいいと背中を押してくれた。

「ずっと好き?」

「そうです。だから竜仕官になりました。竜仕官になる道を歩むことが、好きなものに近づく方法だったからです。竜仕官になる前も、なった今でもずっと好きです。もっと好きになったかもしれません。あなたにはそういうものはありますか?」

 少年は少し考えて答えた。

「石が好き、でもそれと同じくらいにおとうさんとおかあさんと、おじさんたちと、ぼくの先生と、みんなが好き。ぼくも一緒にいたかった」

「そうですか」

「帰ってもいいかな?」

「あなたの大好きな人たちは、あなたのことを大好きでいつでも帰ってきて欲しいと思っているはずですよ」

「そうだといいな」

 大切な存在に、お守りを渡す。帰りたい場所に帰れるように。込める願いはそれ以外もあるだろうけれど、子供の事を思う親でなければ渡さないだろう。それはお守りであると同時に愛情を込めた石だ。

「ありがとう、ルイスさん」

 ウェスはそういってはにかんだ。


 部屋を出る時、セーミャには小さな声で礼を言われた。竜仕官としては力を貸すことは出来ないが、何かあれば研究者としてはいつでも力を貸そうとも。ルイスはそれだけで満足だった。

 ウェスに話した通り、ルイスは竜が好きだからという理由で竜仕官になった。石を見分ける資質があったのは偶然で幸運な事だし、それを持たずに悲劇を起こしてしまった人物を知ってしまった。そして、竜仕官を目指しても、竜を恐ろしいと感じてやめていく見習いのことも知った。ルイスが振り返らずに歩んで来た道は、振り返ると多くの分岐点があって、今自分がここに立っている事がどれだけの幸運かを教えてくれた。

 だから、ウェスのように別の道を進みたいなら、その背中を押すのも年長者の役目だろう。

 校舎を抜けると、元の中庭に戻ってくる。小さな中庭には、竜の像が建っている。かつて毎日の様に見上げた像は、変わらずそこにある。

 ふと、吹き抜ける風が、二人分の足音を運んできた。

 滅多に人の入らないここに珍しい。

「お兄様」

「兄上」

 聞き覚えのある声が、かけられる。振り返るとそこには学生服に身を包んだ見知った兄妹の姿があった。襟元には上級生の徽章。顔立ちは似ている。当たり前だ。彼らは双子の兄妹なのだから。名前は兄がヒューイ・レイガート、そして妹がペルラ・レイガート。ルイスの実の弟と妹であった。揃いの甘栗色の髪に、意思の強そうなシトリンの瞳。柔らかい髪質も同じで、妹は胸まである髪が風に吹かれるのを抑えている。

「お久しぶりですね、お兄様。おうちに帰ってきてくださらないから、こうして迎えに来てしまいました」

「ペルラ……」

「兄上はちょっと頑固ですからね。こうして迎えに来なければ向こう一年はレイガートの家に顔を出さないと思いまして」

「ヒューイ」

 否定したいところだけれど、そうかもしれないと思って言葉にはできなかった。全く、情けない兄だ。

「帰りましょう。母上が待っています」

 苦笑は隠せただろうか。彼ら兄妹には見破られているだろう。それでも、兄としての威厳は保たせて欲しい。吹けば飛ぶようなものかもしれないけれど。それはそれだ。

 耳の早い彼らは、ルイスがここにやってくる事を聞きつけて、こうして待ち伏せしていたのだろう。こうなると断れない。

 ルイスは観念して頷いた。気は重いけれど、一時帰宅する必要があるみたいだと腹をくくることにした。会いたくない人に、会うことにはなるだろうけれど。

 しかたない。


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