師匠との再会
タルテアンの学舎は中央区と第一外周の間に作られている。タルテアンは大きなとして、中央から外に外にと広がる仮定で、幾度か壁が作られ、取り壊されてきた歴史がある。とはいえ、昔あった第一外周と中央の間の壁はなく、その区画区分はあまり明確ではない。比較的最近できた第二外周、第三外周間は既に壁を作ること自体をしなかったみたいだけれど、人口密集区域である第三外周南側と、都市外には、明確にその区分を分けるために、高い壁と南流通門を設けていた。
学舎には十二才に成る頃から入学する事ができ、卒業に必要な単位を取り終われば卒業資格を得て社会に出ることができる。大抵の学生は入学すると、一般教養課程が四年と、それ以上の上級教養課程を二年間過ごし、必要な単位を取り終わって卒業となる。上級になると自分の専門分野に沿った学習を行うようになる。中央の官職になるためにはこの学校を卒業する事が必須とされていた。ちなみに、一般教養課程の学生の事を下級生と呼び、上級教養課程の学生の事を上級生と呼称した。
ルイスが恩師と呼ぶセーミャ・リッツダムという女性教員は、特異な経歴をした女性だった。祖父と親交が厚く、教師になる前は竜仕官だったそうだ。竜仕官をやめたのは、自分の竜が都市に来なくなってしまった事が原因と本人から聞いたことがある。そのまま竜仕官を続ける道もあった。実際に少数ではあるが、自分の相棒である竜がいなくなっても、竜に関わること以外の実務を請け負いつつ、竜仕官を続けている人もいる。けれど、セーミャは数年だけ竜仕官を続けたあと、その職を辞し、竜の研究を行う傍ら、都市と竜の関係や、竜と人との関わり合いの歴史を教える教師になった。
いうまでもなく、ルイスの上級生時代の担当教師はセーミャだったと言うわけだ。
中央区出身と第一外周出身生徒が九割を占める学舎で浮きがちだったルイスにとって、彼女の教員室は宝の宝庫だった。
敷地の大部分を占める一般教養課程の校舎を抜け、奥に歩くと、小さな噴水が見えてくる。そこは校舎と校舎に挟まれた小さな中庭だった。片隅には竜の彫像がたつ。ルイスがリリアナと出会った中庭だ。今でこそ大きな校舎がいくつも建って、その間に埋もれる小さめの中庭と思われているここは、都市ができはじめた時に設けられた市場の、中央にある広場であったらしい。当時噴水はなかったらしいが。噴水をのぞくと中心からはちゃんと水が流れ出していた。近くの木からちぎれて落ちた緑の葉が水面にたゆたう。
ここは変わらない。見習いになり、竜仕官になって過ぎていった四年間はルイスにとっては変化の年で、この前なんて大きな事件に巻き込まれたけれど、この場所は卒業したときのまま、時を止めてしまっているかの様だった。
右手側の校舎を眺めると、その二階部分からたおやかな女性が手を振っていた。
長い髪はすっかり白いが長く真っ直ぐで、ぴんと伸びた背にさらりと垂れる。唇にひいた紅が、年齢を感じさせない美しさを醸し出している。
「師匠……」
変わりない姿にルイスは顔をほころばせた。
足を踏み入れたセーミャの教員室も、あの頃と全く変わらなかった。
教員棟二階に上がって扉を開けると、そこには想像よりも広い空間が広がっている。天井が取り払われ、吹き抜けになっているから、部屋の天井がとても高いところにあるのだ。三階部分の床は、壁の側面に人が通れるくらいの幅残っているのみだ。高い壁は一方に窓、二方に本の棚そして、最後の一方は鮮やかな青色の竜の絵。扉を入って後ろに振り向くと壁自体に描かれたそれが見える。
ルイスは在学中その竜の絵をよく眺めて過ごしたものだ。初めてそれを見たとき、ルイスはセーミャに質問した。絵を眺める彼女の目がとても印象的だったからだ。その時、彼女は答えた。この竜は、自分のかつての相棒だと。
彼女はかつてそう答えた時と同じように、竜の絵の正面に立ったまま、ルイスを迎え入れた。
「よくきたね、ルイス。竜仕官になった時のお祝い以来だから二年ぶりくらいかな」
「お久しぶりです。セーミャ先生。おかわりないようですね」
「大人の二年は短いんだ。そう変わるものでもないよ」
「私も既に成人しているんですけどね」
「教え子はみんな教え子さ。私の子供みたいなものだよ。特に君のような入り浸りの子供はね」
彼女はそう言って微笑んだ。
ルイスは彼女の言い分に苦笑する。確かに大人になって何十年の彼女と比べられてしまうと、自分はまだ子供の域を出ていないのだろう。仕方がない。大人だと認められるように、自分の仕事をこなすだけだ。
先に立つ懐かしさを抑えつつ、ルイスは本題を口にした。
ここに来た理由は三つある。まずは、セーミャが手紙でルイスに頼んだこと。それは、彼女の竜研究に大きく関わってくる。彼女の研究は竜のこと、人と竜の関わりの歴史をまとめる事と共に、竜が都市にとってのなんであるのか、どういう習性を持って、どのように行動している生き物なのかということを調べている。学舎で教鞭をとるようになる前には、都市の外に行って調べるなんて強行もやってのけたと聞く、そして、その後は都市に帰ってきて、都市にある昔の資料をまとめるようになった。
二ヶ月前の出来事は、彼女自身調べてはいるけれど、当事者であるルイス本人に聞いた方がいいと判断したのだろう。
そして、もう一つは、ルイスから彼女への用事だ。手紙を貰ったときにはまだ決まっていなかった竜仕官の見習い制度のこと。見習いの運営を変更すると同時に、それが上手くいったときに人を確保するという目的がある。
三つ目は追伸にあった見習いの素質を持つ子供のこと。
色々と話したいことはあるけれど、ルイスはまず、彼女が求めている事件の事を語った。事実だけを正確に。
セーミャが知っているのは、竜の暴走の件と、その原因となるリンドウ石の事だ。
クイーズが持ち込んだ石に端を発した竜の暴走。そして、竜を制御しようとした前市長の策謀。未だわからない協力者の存在。竜の暴走にも、制御の石にも行動を左右されないカルセドニー、ルイスとの関係。リンドウ石。そして竜の墓場。全ての竜はそこへ還っていくこと。還ることの出来ない竜の事。リンドウ石の正体。
ただひとつ、ウォンダーの体の事は言えなかった。それだけは他人に勝手に話してはいけないと思ったから。
長く語ったあと、口の中が乾いていた。
セーミャは時折質問を挟みながらメモしていく。語るべき事を語ったルイスを前に、しばらく考えると、口を開く。
「竜の墓場か。神秘的な場所だね。墓守である竜はテソロの竜だったと」
「おそらくは。あの特徴的な瞳は祖父がよく話してくれた竜とそっくりでした。それに、この石にも反応を示しましたし」
ルイスは首元からお守りを取り出す。自分の石と、祖父の形見の石。こうしていつも肌身離さず持っている。ウォンダーはこのお守りの事を、竜が預けた心だと言っていた。祖父もまた、ルイスとカルセドニーのような信頼関係を、自らの竜と結んでいたのだろう。
「石が人と竜を繋ぐ、か。竜と人の英雄譚はどの土地に伝わるものも似たようなものがおおい。この都市にある『竜と英雄の物語』もその物語体系のひとつだ」
「別の物語もあるんですか?」
セーミャは頷くと、本棚に近寄って一冊の古びた本を引き抜いた。
「こちらは都市ディオスロカでの収蔵物の一冊だよ。この地の物語では竜と神が同一視して語られる。竜とは都市を守護してくれる存在で、死してその体は都市を見守る石像へと変わるというものだ」
「石像に変わる、というところが、リンドウ石に合致していますね」
「そうだな。竜が石に変わるという話も少ないながらいくつか存在している。人が与える石と、竜の存在が混同されたのでは無いかと思われていたが、もしかしたら、そうではないのかもしれないな。ただ、竜が死ぬ前に墓場にたどり着くというのなら、人がその姿を見るのは稀だろう」
「確かに、竜が墓場に至る前に死んで石になるのなら、竜仕官の誰かが、それを記録していなければおかしいですね」
「その通りだ。しかし、これで色々と説明がつくこともある」
「もしかして」
ルイスは思い出した。先生が竜仕官をやめる原因となった事の話だ。
セーミャは大きな竜の絵を見上げた。その瞳にあったのは寂寥だ。祖父も、夕方の空を見上げるとき、よくこんな目をしていた。
「私の竜は私がまだ竜仕官だった頃に、竜の庭から突然いなくなった。そして、二度と私の前に現れてくれなかった。そういう記録はいくつかある。いつかくる竜仕官としての終わりのひとつとして、竜仕官はいつだってそれを自覚している。でも、それが自分に降りかかるとは思っていなかった。その時がやってきて、そして、待つというだけの行為を繰り返した数年間は――」
セーミャは目を閉じた。
「私の竜はおそらく、あのときに墓場へ還ってしまったのだな」
彼女は寂しさと懐かしさを抱えたままの瞳でルイスに目を向けた。
「都市を形成する中心には、同じように竜の墓場へと繋がる場所――扉がある。ということで間違いはないかい?」
「ええ、竜に詳しい方の話です」
「もし、それを疑わず、受け入れたとしたら、竜は地上に降りるとき、墓場へと繋がる場所に降りているということになる。通常空にいる竜が、地上に降りる理由がそこにあるのだとしたら、竜は自分の死を感じて都市にやってきていることにならないだろうか?」
「確かに……。そうとも解釈できますね」
都市にやってくる竜。その姿は、ルイスにはまぶしく、生命に満ちあふれた姿に見えるけれど、本当は違うのだろうか。そんな疑問が頭をもたげた。
「ただ、大抵の竜はまた都市から去って行く。それもまた、事実だ。我々が与えている秘石が、物語に語られる人と竜を繋ぐだけのものではなく、もしかしたら、竜にとって必要な者なのかもしれないな」
表情を曇らせたルイスを気遣ってか、セーミャはルイスの方を叩いた。
「すまないね、不安にさせたようだ。何にせよ、少しでも竜の事がわかったのは僥倖だった。この積み重ねが、竜について紐解く糸口になるだろうからね。竜の事は未だに謎が多い。大干ばつが起こって数百年、竜が人と交流するようになって同じだけの時間が過ぎたが、私たちは知らないことが多すぎる」
「はい」
セーミャは、仮説をメモ書きした紙を机の上に置いて、文鎮をのせる。丁寧な石細工の丸まった竜だった。鮮やかな青色が光を透かして白い紙に水のような模様を作る。彼女はその模様を細い指でたどる。薄紅の唇が開いた。
「手紙に書かれていた。準竜仕官資格者の打診だがね。断らせて欲しい」
薄く微笑む彼女の横顔を、絵の竜が眺めている。
「竜仕官として生きた私はあのときに終わったのだ。今は、研究者として、そして教師としての時間を大切にしたいのだよ。竜の研究をまとめながら、生徒のこの先の選択に関わっていく。リンドウ石の事は気に掛かるけれど、そちらは竜仕官や、これからその資格を得る者たちに任せるよ。君たちになら、どうにかできると、私は信じているからね」
「そう、ですか。そうですね。お任せください」
学舎に居た頃、先生にはたくさん背中を押してもらった。彼女がいれば、これほど心強いことはないと思ったのだけれど、彼女には彼女の選択がある。そして、この場所は、自分を導いてもらったように、この場所にこそ、彼女の手を必要としている人がいるのだろう。
「私は、先生の元にいて、自分の道をはっきりと定めることになりましたから。これからやってくる子供から、未来の選択肢を奪ってはいけませんね」
「大げさだな」
そう言ってセーミャは苦笑した。
その時、控えめに部屋の扉がノックされる。部屋の主は誰何することなく、どうぞと入室を促す。
「先生、失礼します」
入室してきたのは生徒だった。まだ下級生だ。襟の徽章がそれを示している。




