水道局
水道局の扉を軽く叩く。連携のための資料の受け渡しだった。
近く、大規模な水質調査があり、そこに見習いを同行させるためだ。第二外周の貯水池も調査が入るという話を聞いたけれどどうなのだろうか。
中に踏み入ると、竜仕官の部屋とは内装がやや違っていた。その最たるところは、都市内の巨大な地図が、壁一面に張り出されているところだろうか。図には、全ての水道の詳細が描き込まれている。人が住む都市の上部を取っ払って地下を丸裸にすれば、同じ構造が見えてくるはずだ。最もそれを上空から眺められるのは空を飛べる竜のような生き物だけだけれど。
「リリアナはいますか?」
出口付近の水道局員にきいたら、部屋の奥を指さされた。中を覗き込んで様子をうかがうと、二人の水道局員を相手に、地図を見ながら何事か相談をしているようだった。ルイスは苦笑する。
「忙しいみたいですね」
応対してくれた水道局員が、そのまま独り言に近かった言葉を拾って、返事を返してくれる。
「ええ、ここ数日は人の出入りも多いですから」
改めて顔を見やると、少しだけ見覚えのある人物だった。ただ、どこで見たのかは咄嗟に思い出せない。年齢は四十に届くか届かないかくらいだろうか。年齢の割に、部屋の空気に馴染んでいない気がする。出入り口で手には書類を抱えたまま、誰と話すでもなく立っている様が、ルイスにはそう思えた。
ただ、不思議と落ち着く雰囲気を持った人だった。
「最近第三外周から異動してきたんです」
「ああ、今回の人事異動の……。すみません、不躾に見てしまって……。竜仕官のルイス・レイガートです」
「こちらこそ、馴れ馴れしかったですよね。ハンネスといいます。つい先日こちらに着任いたしまして、先日は竜仕官様の集まる会議も同席させていただきました」
「ああ、それで見覚えが……」
恐縮するハンネスが頭を下げるので、ルイスもつられてお辞儀を返す。相手の腰が低いので、ルイスも何だが緊張してしまう。彼のような年齢の人に目上のように扱われるのは慣れていない。もっと気を遣わず話ができるよう、話題を変えるためにルイスの方から質問を投げた。
「ハンネスさんも、誰かを探しているんですか?」
「ええ、はい、あちらの方をと、思ったのですが……」
ハンネスが示したのは。リリアナと今まさに話をしている水道局員らしい。何かの図面に頭を付き合わせるようにして、話し込んでいるのを見るに、ルイスもハンネスもしばらくはこのまま立ち往生になりそうだ。このまま離れるのもなあと思い、雑談を続けることにする。
「ハンネスさんは、中央は初めてですか?」
「はい。これまでは第三外周の水道局を担当する事が多くて、こちらには初めて来ました」
「へぇ、慣れない場所だと大変でしょう? 白亜宮は広いですし。このあたりはまだわかりやすいですが」
「わかりやすいんですね。白亜宮は複雑だと風の噂には聞いていたものの、少し心が折れそうになっています」
誰もが通る道だ。ルイスはうんうんと頷く。竜仕官でなくとも、建物には苦しめられるのである。白亜宮に勤める者の宿命だ。そんなルイスに苦い顔をするハンネス。
「この前も下の階に降りたかったのに、気付けば上への階段しかなく。運良く他の竜仕官の方に行き会わなければ、遭難するところでした」
「もしかして東側二階三階の?」
「はい……」
「あの辺は特に複雑ですよね。わかります」
「皆さんどうやって覚えていらっしゃるのやら」
「今度見習いが持ち歩く地図を持ってきましょうか?」
竜仕官見習いには代々継承される白亜宮の手書き地図がある。このたびの修復作業で改訂版に更新される可能性はあるが、中々に便利だ。そういえば、門外秘の代物ではある。
「いいのですか?」
「竜仕官長と、水道局長に一度確認してみます」
というか、水道局にそういったものがあれば一番いいのだが、彼らは南東側を住処としているから、白亜宮全部は網羅せずとも、もしかしたら簡略図ぐらいはあるかもしれない。
「助かります……。竜を見られたのは嬉しかったのですが、迷子はこりごりですね」
「竜を見たのですか?」
「ええ、実は一度四階まで足を踏み入れてしまって」
それはたいした遭難具合だ。
「外の景色から場所がわかるかもと下を覗いたら、竜の庭で。一瞬迷子になっている事も忘れて立ち尽くしてしまいました。複数の竜を見るのは初めてでしたから。第三外周ではたまに飛んでいる小さな姿を見ることしかありませんでしたし。あの竜たちを、ルイスさんみたいな竜仕官の方が、お世話をしているんですよね」
「お世話をしている……といっていいんでしょうか? たまに顔をみせる友人と交流をしている、くらいの感覚が近いかもしれません」
「そんな感じなんですね。素人の質問で申し訳ないのですが、竜の体調が悪くなったりする事はないのですか?」
少し考えて首を傾げる。
「そうですね。たまにそういう竜がいる事もありますね。いつもよりも静かだったり、動かなかったり、逆に気がそぞろでそわそわと落ち着かなかったり」
「そういうときはどうされるんですか?」
「基本的には、担当の竜仕官がいつもとの違いを見つけるのに、頭を捻る事になりますが、大抵は石を与えていればなんてことなかったように元気になることが多いですね」
「石、ですか」
「物語の中で、竜が欲しがるという宝石です。私たちは秘石と呼んでいるのですが。やはり、竜仕官が選んだものを、竜に与えるのが第一です」
「選ぶ……。なるほど」
ハンネスは、一拍考えてまた口を開いた。
「その石はどうやって選んでいるんでしょう?」
「うーん。どう説明したものか……。見た目でわかる物でもありませんし」
秘石の選定基準を資質のない者に説明する事は難しい。わかりやすい説明を考えていると、ちょうどそこへリリアナがやってきた。雑談は終わりのようだ。ハンネスも気がついてリリアナへ会釈する。リリアナは軽く片手をあげて挨拶していた。
「すまない。ルイス、来ていたんだな」
待ち人が来たことを悟ったのか、話し相手になってくれていたハンネスは、いろいろとありがとうございました、と一礼して部屋の奥に去って行く。
「邪魔をしたか?」
そう気遣うリリアナに、首を振った。
「いえ、お互いに時間があったので、雑談を。いい人ですね」
「そうか」
こちらにやってきたリリアナの後ろには、アイクとは違う護衛官の姿がある。いつも一緒にいる印象があるアイクは、今日はいないらしい。代わりに別の人がついているのだ。軽く頭を下げられてルイスも同じように返す。
「ああ、アイクはいないよ。少し局長に貸し出していてな。別行動中なんだ」
「それ、アイクに怒られませんでしたか?」
「少しな」
その時のやりとりを思い出したのか、リリアナは眉をしかめた。強めの抗議を食らったようだ。さもありなん。長年リリアナについてきたアイクだ。自分の仕事には矜持がある。
「後でフォローしておくよ」
「それがいいと思います」
ルイスは頷いた。アイクは静かに控えていると淡泊に見えるが、内実は情熱家だ。リリアナの護衛官を務めるのも彼の意志に寄るところが大きい。
「アイク個人を評価されているから、主としては嬉しいのだが」
「自分の役割を自分自身で定めている人ですから」
「そうだな、アイクの意志をないがしろにして見切りを付けられては困る」
神妙に頷くリリアナを見て、ほっと息をついた。
「それで、頼んでいたものは?」
「こちらです」
まとめていた竜仕官見習いの情報だった。今回行う水質調査の陣頭指揮は水道局長が直々に行うことになっているけれど、その補佐としてリリアナが抜擢されていた。リリアナの護衛につく、アイクの地図いらずの能力を当てにされた部分も大いにあると、リリアナ自身は考えていた。
「私自身ができる事は多くはないが、人を見ることは得意だからな。役に立てるところで頑張るよ」
五家でありながら傲ることなく、自分のすべきことを積み上げていく彼女に、ルイスは尊敬の念を抱かずにはいられない。そんな友人に触発されて、ルイスも頑張ろうと思えるのだ。
「リリアナなら、大丈夫ですよ。応援しています」
「ああ、ありがとう。ルイスはこの後はどうするんだ?」
「少し学舎に用事があるんです」
「久しく聞いたな」
「ええ、先生に会ってきますよ」
「セーミャ先生か! お元気だろうか」
リリアナが色めき立った。リリアナもまた、かの先生には在学中のころ、お世話になった。
「近況も含めてお話ししてきます」
「ああ! また色々と聞かせてくれ」
「はい」
さて。
ルイスは水道局を後にする。しばらく前に受け取った手紙の件と、先生自身に打診したいこともある。久しぶりの再会に少しだけ心が躍った。




