一通の手紙
竜仕官の執務室に入ると、作業中だった先輩のベルデが片手をあげた。もう片方の手には何かの資料が握られている。奥の窓が少し開いて、温い風が入ってきていた。雨の匂いがする。少し前に、竜が都市を離れたからだ。担当している竜仕官は部屋の中で報告書をまとめていた。奥の自分の机で書き物をしている。
「ルイス、おつかれさん。手紙、届いているぞ」
「ありがとうございます」
それだけ言って「おう」と返事をすると、先輩は仕事に戻る。忙しいらしい。ルイスの机の上にも、回ってきた仕事が数件山になっていた。それを整えつつ、内容を見る。
次回の石の納品についての引き継ぎに、都市測地に関する要望書。見習いの教育状況に関する報告書、と後は先輩が言っていた手紙だ。
封筒を裏返すと、随分と久しぶりの名前がそこにはあった。懐かしさがこみ上げる。
「セーミャ先生」
それは学舎の時に世話になった先生からの手紙だった。
中央区と第一外周の間に位置する学舎は、主に、周辺に住んでいる子供の学び舎だった。そんな中で、学舎に入るまで第三外周の祖父のところにいたルイスは異端だった。都市はその構造上、白亜宮の近くにある家が名家で、離れるにつれて家格は落ちる。五家を筆頭としての権力構造は学生の中でも健在で、そんな中、第三外周という都市の中でも一番外側で暮らしたことがあるという経験は、ルイス自身が敬遠される要因の一つだったのだ。
セーミャ・リッツダムはそんなルイスに学舎の居場所を作ってくれた人物であり、竜仕官見習いの登用試験に推挙してくれた人物でもある。自身は竜仕官の経験を経て、研究者になり、学舎の教員になったという異色の人物だ。主には竜と人との歴史を教えながら、竜仕官になれる資質を持った子供を探しだし、時にその道を本人に教える事もある。
ルイスが学舎に居た頃には既に歳は五十を過ぎていたはずだが、筆遣いは流麗で、彼女のぴんと伸びた背筋を思い起こさせる。
ペーパーナイフで封筒を開けると、ルイスは手紙を取り出した。
「先の竜の事件と、リンドウ石について知りたい、と」
その手紙は丁寧な時勢の挨拶から始まり、事件の事で白亜宮に起こった出来事についての心配を綴っていた。その後に本題がある。それは竜の研究者として、事件の時に起こったことを、ルイス本人に聞き取りをしたいという要望だった。
セーミャは祖父がまだ竜仕官であったときに、同じく竜仕官として活躍していた。しかし、相棒である竜が都市に来なくなった事によって竜仕官を辞めて、研究者になった。辞めてからも研究のための情報提供を受けたり、それをまとめて、竜についてのまとめた情報を逆に白亜宮にもたらしたりと、その繋がりは深い。彼女の教員室には膨大な資料がまとめられていて、その重要度は、彼女自身が記したものも含めて、白亜宮に保管している資料にもひけをとらない。
そんな彼女は、おそらく既に竜仕官長とも話をして、事件の事についての概要は知っているはずだ。リンドウ石という名前が手紙で出てきている事からも、それはわかった。
ルイスの学舎での師匠であり、とてもお世話になった恩師だ。是非、時間をとって、尋ねたいところだった。
返事をしようと手紙を机に置くと、もう一枚ある事に気がつく。
「見習い候補の少年……」
それは追伸として書かれたものだった。見習いになり得る素質を持っている子供から、是非とも一度会って欲しい、と。詳細は書かれていなかった。そういうことは、ルイスのような一竜仕官へこうして手紙として書くのではなく、竜仕官見習いの登用試験の前に、まとめた情報として竜仕官長に提出されるはずなのに、こうして個人宛の手紙に書いてきていることが、少し気になった。
ルイスは首を捻りながらも、返事を書いて返信用のボックスの中に入れておいた。後々、見習いが回収してくれるはずだ。
他の書類にも目を通して、早々にルイスは席を立つ。
先輩が顔を上げた。
「あれ、もう移動か?」
「はい。この後石の選別をしておきたくて」
ルイスの相棒の竜――カルセドニーがいない間に、その白竜に与えるための石を選んでおきたかったから。今日もこの後見習いへの講義がある。その前の時間でできるところまでしておきたい。
そうか、頑張れよという先輩にありがとうございますと返し、部屋をあとにした。
隙間時間で石の選別を終え、保管庫を出たのは一時間ほどの時間が経過した後だった。薄暗い保管庫から出ると、外の明るさに目を一時しかめることになる。腰に下げた鍵を取り、きっちりと部屋に鍵をかけると、肩を回しながら振り返る。
「数日ぶりですね。ルイス・レイガートさん」
そこにはノルト・アーヴェンチュアがいた。ルイスを見て、気さくに片手をあげるが、それほど親しい間柄ではないはずだ。先日の初対面の時の印象もあって、ルイスはこの男がなんとなく苦手だった。
「……こんなところまで、どうされたのですか? 外務局の方がきても楽しいところだとは思えませんが。案内が必要なら――」
「おや、つれないですね。僕はあなたに会いに来たんですよ」
その言葉に、外面を取り繕うこともせずに眉をしかめる。彼の前から立ち去りたかったが、進行方向はノルトにふさがれていた。ルイスの表情を見ても、ノルトはにっこりとするだけだった。反応は予想通りなのだろう。嫌がらせにきただけなら早めに帰って貰いたいのだが、ノルトはルイスに会いに来たと言った。どういう用件なのだろう。
次の予定までの時間がそれほどないということもあって、ルイスは失礼だとは想いながらも移動を開始する。それを視線で追いかけて、男が質問する。
「この後時間は空いていますか?」
「この後は見習いの研修に行く予定です」
「ああ、それなら他の竜仕官に代わってもらっています」
思わず動き出していた足が止まってしまった。
「なぜ」
「僕の用件に付き合ってもらいたくて、少し強引な手段をとってしまいました。事後報告になってしまいすみません」
ルイスは改めてノルトの方を向き直る。彼の言葉を信じるのなら、この男は、ルイスに用件があって、こんな白亜宮の奥まできた上に、ルイスの時間が空くように手回しまでしている。話だけでも聞かないことには、ルイスから離れていかないだろう。
「……ご用件をどうぞ」
「その前に、少し話をしませんか?」
そう言ってノルトは微笑む。
「そんな時間があるのですか?」
「この後は予定がないでしょう?」
「……」
その予定を無くしたのは、彼の手回しによるものだろうと思ったが、口には出さなかった。その気配を察知して、男が喉の奥を振るわせる。笑っている。
「失礼しました。やや、素直すぎる嫌いがありますが、話は聞いてくれるようで安心しましたよ」
「……ご用件を」
苦手である。一方的にノルトのペースにのせられている。白亜宮の見知った場所にいるのに、格式張った式典儀礼に紛れ込んだような居心地の悪さがあった。
「僕は数年間、この都市の外にいたのですがね、最近タルテアンに戻ってきたんです」
「少しだけ知っています」
「それはよかった。本当はもう少し外にいるつもりだったんですけどね。直属の上司の昇進で、こうして一時戻ってきていると言うわけです。顔だけ見せたらいいのかと気軽に考えていたら、二、三仕事を任されてしまいまして」
「はあ」
「今、竜仕官たちが、リンドウ石と呼んでいる石があるでしょう?」
ルイスは姿勢を正す。空気が緊張した。いや、予期せぬ方向の話題に、自分自身が緊張したのだ。どういう話に持って行かれるのかわからない。
「僕は石の事についてよく知っている訳ではありませんが、二月前にここを騒がせた元凶だと言うことは知っています。件の石についてはこの都市から既になくなったと聞いていますが、最近妙な話があるらしいのですよ」
「妙とは?」
「とある宝石を身につけていたご婦人が、日に日に体を悪くされ、床を離れられなくなったとか。さらには周りの人間の言動も、ややおかしいところがある、というような」
「……人体に有害な石は、リンドウ石の他にもあります」
「それがね、ご婦人はその石を『希望の石』と言われて購入したのだとか。透き通るような綺麗な紫色の石だそうですよ」
リンドウ石の本質は、色でもその美しさでもない。墓場に還ることができない竜が、人と竜を呪うことにある。呪いは人の執着心や願望を取り込み、歪な形でその効力を発揮する事になる。
石自体に魅了された宝石店の店員、竜仕官になりたかったクイーズの執着心がそれをよく表わしている。もしかしたらそれは、竜を排除しようとした前市長の心にも影響していたのかもしれない。また、その呪いは水にも作用し、それを飲んだ人にも害を及ぼす。
「それがリンドウ石であるという確証はあるのですか?」
「それがわからないんです。ただの人である我々ではね」
「だから一緒に来て欲しいと?」
「話が早くて助かります」
ノルトはそう言って頷いた。
「協力していただけますか?」
「……もし、石が本物なら、その回収は竜仕官の責務です。こうした強引な方法はどうかと思いますが、協力させていただきますよ」
「それはよかった。先の事件を解決に導いたルイス・レイガートさんの協力を取り付けられたとなれば、百人力です」
本心からどう思っているのか皆目わからない男に、頼まれ事はさっさと済ませて早く自分の仕事に戻ろうと決意したのだった。
白亜宮の中を迷うそぶりも無く進み、外に出て、しばらく歩く。ついた先には立派な屋敷があった。
「シアンホセの家ですよ。レイガートと家格はそうかわらないんじゃありませんか? アーヴェンチュアの分家の一つで局長と少し親交がありましてね。こうして身内経由で依頼を受けてしまったと言うわけです」
やれやれといった態度を隠さないノルトにルイスは適当に返事をする。
案内されたのは屋敷の表門からではなく、裏の門だった。使用人が使用するような小さなところである。普段は客人にみせない場所であるが故に、あたりは雑然としている。蓋の開いた木箱やら、使用人の洗濯物やらが建物の影にチラ見しているのを見つけて、本当に自分がこんなところを通っていいのか心配になった。
と言うよりも、身内とはいえ、こうして客人に裏を通らせるのはどうなのだろう。家の管理者に知られないように侵入しているようにすら錯覚してしまう。もしかしたら、仕事を依頼されて来たと言うのは嘘で、石を秘密裏に確認するのが目的なのだろうか。
「そんなに心配そうな顔をしないでください。大丈夫です。許可は取ってありますよ」
「……」
「それに、こんなものも用意してきたんです」
ノルトが懐から取り出したのは、紫色の宝石がはめ込まれた指輪だった。
まさか。
「あら、ぴんときましたか? そうです。今回の依頼人はここの主人たるシオンホセ家の人間ではなく、その使用人たちなんです。石が本当にリンドウ石であれば、こうして交換する用意があると。もしそうでなければ、ご婦人は石を気に入っているらしいので、そのままにしておく。それが今回のお仕事です」
ノルトは揚々とそう口にした。しかし、この件、納得がいかない。
「ふむ、まずはみてもらう方が早いかもしれませんね」
ドアベルを鳴らすと、お仕着せの使用人が扉を内側から開けてくれた。深々と頭を下げ、ようこそいらっしゃいましたと挨拶をする。こうして裏から乗り込んできたノルトに心からの謝意を示し、ルイスにもまた頭を下げる。対してノルトは笑みを貼り付けたまま、心の読めない表情で適当にあしらう。
「局長補佐なんて言われていますが、それほど偉い立場ではないんです。仕事をしているだけで、こうして畏まられては面倒ではありませんか?」
「それは……」
ルイスも格式張ったやりとりは肩が凝って好きではないが、この男もまたそうなのだろうか。案内する使用人が後ろを向いた一瞬だけ、ノルトは表情を消した。
だが、それもまた、彼が歩みを進めた事で見えなくなる。
ノルト・アーヴェンチュアという男は、表面上だけで判断してはいけないのかもしれない。ルイスは底知れない男の背を追いながらそう思った。
しいことでもないはずだからだ。




