光の先
目を開けると景色が変わっていた。柔らかな光が満たしていた空間は徐々にその輪郭を見せ始める。
見えてきたのは一面に広がる花畑と、花の隙間を埋める平たい石のようなもの。そして上空に伸びる石柱。いくつも伸びる柱からは水が滝のように流れ出る。流れた水は池を作ることもなく地面に吸い込まれていく。
開けた場所には一体の竜がたたずんでいた。カルセドニーよりずいぶんと大きな体躯。その鱗は夕方の光を含んだような橙。瞳は焔の色。赤とも朱とも黄色ともとれる、陽の光をめいいっぱい詰め込んだような色にルイスは見覚えがあった。
そして、その竜の近くには、ぐったりと動かない竜も一体。呪いの石を飲み込んで暴走した竜だった。
「ここは……?」
「まさか、あんたもくるとは思わなかった」
石を踏む音。
傍らにはウォンダーがいた。ルイスはウォンダーに向き直る。翡翠の瞳は竜を見ていた。
聞きたいことが山ほどあった。
「ウォンダー、どういうことですか? この場所は、竜の庭は――」
「待て、疑問はもっともだ。説明する」
矢継ぎ早に質問しようとするルイスを、ウォンダーは窘める。どうどうと諫められたルイスは喉の奥から溢れてくる疑問を一旦飲み込んだ。それでも体は前のめりになって、一歩踏み出す。踏み出した一歩で地面からは石がこすれるような音がした。扁平の石が幾重にも積み重なった地面。平たい石はお守りの石によく似ている。
「まずはこの場所だな」
ぐるりと彼の目がその場を見渡す。一面石と花に埋もれた空間だった。そこにいるのは竜と人。
「ここは竜の墓場。死にゆく竜が行き着く最後の場所。現実の世界にあるわけじゃなく、そこには扉だけあって、世界の全ての扉が、この場所に繋がっている」
「竜の墓場? 扉……? どういうことですか?」
どこから吹いたのかもわからない風が、彼の髪を揺らす。
「世界には竜が集まる場所がいくつかある。どうしてそこに竜が集まってくるのか。それには理由がある」
「理由、ですか」
「竜には帰る場所があるんだよ。人よりも遙かに長い生涯の終わりに行き着く場所だ。俺はその場所を、〈竜の墓場〉と呼んでいる。俺たちは『竜が死に近づいた時にくぐる扉』を抜けて、ここにやってきた」
「そんなこと、できるのですか?」
「招かれればな」
ウォンダーの視線の先には夕焼けのような色をした竜がいる。ルイスとウォンダーが話しているのを、知性の宿った静かな目が、眺めている。温かな光を纏って、まるでこちらを見守る太陽の様だ。あの竜がルイスたちを招いたのだろうか?
「あの竜は墓守だ。ここにいて、やってくる竜の死を見守っている。そして――」
ウォンダーが掲げてみせた右手には、呪いの石があった。
「この石の回収を依頼した張本人だ。正確にはその二代目。墓守にも世代交代があるらしい」
ウォンダーは話してくれていた。石を回収する事を頼まれたのだと。そして、一度は断ったその役割を、とある出来事の後に引き受けたのだと。
「では、石を回収してここに持ってくることが、ウォンダーが一代前の墓守に依頼されたこと、ですか?」
「そのとおりだ」
竜の墓場は竜の庭よりは広くないが、十分端から端まで距離がある。墓場の中央にいる竜に向かって、ウォンダーが歩くので、ルイスはそれを追いかけた。小石を踏みしめるようにざくざくと音がする。自分に向かってくるルイスとウォンダーの事を、墓守はただ悠然と眺めていた。
近づくにつれ、その焔のような瞳がよりはっきりと見える。瞼の奥に見え隠れする瞳は、ウォンダーとルイスを交互にみる。
目の前にきた竜は大きかった。今日出会ったどの竜よりも大きい気がする。翼を広げたら、カルセドニー二体分が悠々と収まってしまうかもしれない。
そんなことを思っていると、おもむろにウォンダーが呪いの石を掲げた。まるで竜仕官が竜に石を与えるときのように。
咄嗟に静止の声を出そうとしたが、それを待つこともなく、竜がその石に鼻先を寄せる。だが、石は竜の口に入ることなく、竜の視線に導かれるようにしてウォンダーの手から離れると、不思議な事に竜の墓場のある場所に向かってとんでいった。夕焼けの竜に隠れて見えていなかったそこ。
「あれは……」
ルイスには信じられないものが、そこにはあった。歪な竜の形をした。大きな石。岩と言ってもいいかもしれない。ただ、形は不完全で、所々空洞がある。
「もしかして、あれも竜、ですか?」
「……そうだ」
「……どうしてあんな姿に……」
竜の形をしたものは、生き物としての竜ではなく、実寸大の竜の彫刻のようだった。材料となっている石は、紫色。遠目でよくはわからないが、部位によっては火花のようなきらめきが走る。
ウォンダーの手から離れ、墓守に導かれた石の他にも、竜の墓場には小さな紫色の石――呪いの石たちが落ちている。全てが独りでに浮いて、大きな竜の彫刻に集まり、石ごとに尾の先、爪、鱗の一部、そして最後に一番大きな石が竜の片目にはめ込まれた。だけど、その竜には足りないところがあった。頭部の左側、右翼の付け根、腹部、他にも数箇所、空洞がぽっかりと空いている。
呪いの石と呼んでいた石。その石が集まった先にあったもの。ルイスは背筋が凍るような感覚を覚えた。閃いた考えはともすれば自分の根幹を揺らがすような衝撃をもたらした。
ここは、竜の墓場だという。ウォンダーは石を回収してここに持ってくるという役割を自らに課した。
「まさか、呪いの石の正体は……竜、なのですか」
顔を強ばらせたルイスをウォンダーは複雑な表情で見つめていた。果たして、ウォンダーはルイスの言葉に頭を縦に振った。間違っていなかったのに、間違っていて欲しかった。
「呪いの石の正体は、死んだ竜の体そのものだ。人に殺され、死してなお、竜の墓場にたどり着けなかった哀れな竜の成れの果て。人を呪い、他の竜を呪う石だ。これを完成させて、ちゃんと死なせてやるのが、俺の役目だ」
「そんな」
ウォンダーはルイスをいたわるようにみる。
「あんたにここまで教えるつもりはなかった」
「どうして!」
喉から出た言葉に頭を振る。どうしてではない。これを知ってしまえばルイスが傷つくと思ったから。そんなことは容易に想像ができる。初めて顔を合わせてから本当は数日しか経っていないのに、それでも、その関係がとても深くなっていたからわかる。都市が滅んでしまうことに心を痛め、自分に役割を課した彼の行動と考えは、優しい人のものだ。
「すみません。そうではなくて。これを、一人で背負っていたのですか?」
自分の役目をそうと決めた時から。希望の石と、願いを叶える石と呼ばれるその石を探し始めたその時から。
「……そうだな。まあ、大体こんなことを正直に話しても誰も信じない。信じようとはしない。話す機会すらない」
石が消えた右手をウォンダーは緩く握り込む。墓守の竜がもうないのかと言うように、そこに鼻を近づけていた。ウォンダーが表情をふっと緩めてその鼻面を軽く叩いてやる。ずいぶんと親しいのかもしれない。なにか会話をしているのかもしれない。いったい何年のつきあいになるのか。何年こんな役割を背負ってきたのか。
ルイスがもし、最初に呪いの石の正体を聞かされたとして、それを信じることができたかどうかは怪しい。ただそれでも、今目の前にあるものは現実だ。ここ数日の非現実のような日常も、ここの景色も、温度のある現実の出来事だった。だからルイスは口を開く。
「信じます。あなたが語ることには、最初から嘘がなかった。隠して、言葉を選んで口に出さないことはあったかもしれませんが、あなたが口に出すことは、全て本当の事です」
だから信じるのだとは言いたくない。思えば、最初から疑ったことはなかったように思う。彼自身が、自分の役目だと思ったことに真摯で、ルイスに対しても真剣だったからだ。
「私は、このことを知ることができて、よかったと思います。知らないままでいるよりも、ずっと。それに、大好きな竜が、世界を呪い続けるのはさみしいですから」
「そうだな」
「私もできることはやりたいです。小さなかけらからでも、集めて返したい。できるでしょうか?」
ウォンダーは墓守を見やる。夕焼けの竜はまるでこちらの言葉がわかっているかの様にゆっくりと瞬きをした。まるでこちらの言葉を肯定してくれているように思えた。
竜はルイスをじっと見つめると、顔を近づける。息がかかるくらい近くにやってきた竜は、ルイスの手に触れた。無意識に握り込んでいたお守りが熱を持ったような気がして手を緩める。
竜と同じ色の祖父のお守り。
「あなたは……」
よく知っている様な気がしていたのはそういうことか。すとんと腑に落ちた。落ちたものが、腹の底で内側からルイスを温めている。
「触っても、いいですか?」
伸ばした手に、再び竜が顔を寄せる。つるりとした鱗、手に冷たいような、温かいような不思議な温度。かつて祖父と縁があった竜。今は竜の墓場を守るもの。全ての竜の帰る場所。
「あなたに会えて、とても、嬉しいです……」
言えたのは、これだけだった。
かつて、祖父は夕焼けを見ながら自分の竜について話してくれた。
竜は目を細める。幸せな日々を思い出すように、親しい友人を思い出すように。夕焼けを見る祖父の横顔を、ルイスもまた思い出した。祖父の瞳は、夕焼けを通して、親しいこの瞳を思い出していたのかもしれない。第三外周の尖塔の上で、壁外の景色と共に。
墓守の竜からは、雨上がりの花のような香りがした。
竜の墓場に風が渡る。離れた竜が、さようならを告げるように低く鳴いた。大きな翼を広げる。周囲の花畑から、花弁が舞った。景色が遠ざかる。
お別れだ。
遠ざかっていく景色の手前で、不可視の扉が閉まる音がした。水の音と、花の匂いが遠くなる。代わりにやってきたのは、見慣れた竜の庭の景色。そして、白亜宮の向こうからやってくる夕焼けの鮮烈な赤だった。




