歪んだ憧れ
竜の庭全体に広がっていた呪いの石の気配が一つに集まったのを確認して、ルイスは閉じていた目を開く。竜仕官たちが協力して、庭全体に広がったその石を欠片も残さずに拾い集めた賜物だ。
市長と彼が率いていた研究者たちは、複数の石をこの竜の庭に持ち込んでいた。
竜の息吹と、呪いの石を組み合わせた。竜を操ることの出来る石。そんなものがこの世に生み出されてしまっていたことが、腹立たしいと同時に、それを作り出した市長に恐怖すら感じる。彼の執念が透けて見えるから。
ルイスは砕けてしまった竜の息吹を拾い上げた。細かくなってしまっても、その欠片の中に浮かぶ霞は健在だ。ウォンダーは竜の息吹の事を、竜が人に預ける心だと言った。それが無残に砕けてしまっているのは心が痛い。せめてルイスに出来るのは、ばらばらになってしまったそれを集めることだけだ。
しかし、こんな方法で使用されるなんて、この石を生み出した竜も思わなかっただろうに。
物思いにふけっていると、さくさくと草を踏む足音が聞こえてきた。
「どうした?」
そう聞いてきたのはカルセドニーと遊んでいたウォンダーだ。ウォンダーは呪いの石の気配が分からない。竜の息吹の気配はわかると言うが、細かい石を取りこぼす可能性がある事を考え、石の回収ではなく、竜の相手をしていた。と言うのも、この庭には今十体の竜がいて、竜仕官の手が回っていないのだ。
騒動がおさまり、市長が連行されてしばらく。竜の呼び声に釣られたと思われる竜たちがやってきた。呼び寄せられた竜は今までいた六体に留まらず、少しずつ姿を見せ、こうして今は十を数える。
これだけの竜が暴走に当てられていたらと考えると、腹の底が冷たくなるので、ルイスはあまり想像しないようにしている。
ウォンダーが不穏な事を言うには、通常では、初めの竜の暴走に巻き込まれた竜たちが都市を破壊してしまうのが都市崩壊の直接の原因なんだとか。そうならず、竜の庭に集まるだけ集められた竜は、近隣を移動していた竜で、この都市にきたことのない竜も多い。
普通ならそんな竜の相手は竜仕官が勤めるのだが、彼らは一様にウォンダーに興味を示した。「人の形をした同胞が面白いらしい」彼は辟易したようにそう語っていた。
閑話休題。
思考を苦笑と共に切り替える。砕けてしまった石の事は考えても仕方のないことだ。代わりにルイスはその前に頭をよぎった事について口に出す。
「宝石店で回収した呪いの石の事が気になって……。騒動にまぎれて手放してしまって、今どこにあるのかと思いまして。あれもまた、竜に渡ってしまったら危険でしょう? 呪いの効果はあちらの石がずっと強いように感じられましたし」
「ああ、それなら小耳に挟んだ。俺たちが拘束された時に市長の手に渡ったそうなんだが、市長が主犯として捕まった今、竜仕官長の元に返されるみたいだ」
「……その話、どこで?」
「建物のあちら側だな。少し遠いが」
ウォンダーは白亜宮の壁を指さした。
「耳の調子が良くてな。運んでいる人の足音もきこえる。しばらくしたらこの庭にやってくるだろう」
「本当にすごいですね」
「善し悪しあるがな」
竜仕官長は竜の庭の真ん中ほどで全体の指揮をとっている。今は警備の人間と話し合いの最中だ。足元の芝生は普段は整えられて一面の草地だが、竜が暴れた痕跡から穴が多く、土の色が見えている。
「待て、他に誰か来た」
「誰かって……? ああ」
視線を滑らせた先にはあの男がいた。服装は最後に見た時と変わらないのに、随分とくたびれて見える。彼の目はルイスの方ではなく、竜の方を向いていた。たどたどしい足取りで、近づいてくる彼の顔にはまさかという驚きと、酷い憔悴があった。
「まさか、本当なんて」
クイーズ・イリュジオの口は、そうつぶやいた。彼自身に、昨日の様な覇気はない。それに、呪いの気配も。彼を駆り立てていた石の気配が遠ざかり、彼本来の性格が表に出てきたのかもしれない。竜に石を与えるという一点に執着する姿は、そこにはなかった。
クイーズは、ぐったりと地に横たわる竜に近付いて行く。ルイスはウォンダーと目を合わせると、その進路を遮った。何もしないという信用はなかったからだ。
彼の目はゆっくりとルイスをうつした。
「ルイス・レイガート……」
「はい」
呼ばれた名前に返事をする。
「この竜はどうなった? どうしてこうなった?」
彼が投げかけた言葉は答えを求めているのか、いないのか。ルイスの返事を聞かずに続ける。
「夢だと思っていたんだ。僕が与えた石で、竜が暴れ出して、それを父上がとめて……。なんで、ただ、僕は竜仕官になって、自分で選んだ石を竜に貰って欲しかっただけなのに……。それができるなら、父上が僕を利用していると分かっていても、それでも良かったのに……」
クイーズは地面に膝をつく。視線は竜に固定されている。
「ただ、あの物語の英雄のように……」
その後の言葉は続かなかった。
竜と英雄の物語。ルイスも同じ本を持っている。クイーズもそれに憧れた一人。ルイスとクイーズの道を分けたのは、竜仕官として必要な資質。おそらくただその一点だ。
そうだとしても、彼が起こしてしまったことを、ルイスは許せない。許せないけれど、彼の心の内を聞いて、彼だけが悪かったとも思えない。それに、クイーズがこうなってしまったように、ルイスにも竜仕官になれる資質が備わっていなかったとしたら、どこかで道を踏み外してしまったとしたら、目の前にいる人物は自分だったかもしれない。
低く響く音がすぐ近くから聞こえた。それは呪いの石を食べた竜から発せられていた。体は既に動く事はない。
ルイスが背にした竜に、近くにやってきていたカルセドニーが寄り添い、いたわるように目を細める。ウォンダーもそれに倣うように近寄って、横たわった竜に右手で触れた。沈黙だけが守られる。
ルイスはそれから視線を外して、クイーズを見る。
「私が分かるのは、あなたが間違えてしまった事だけです」
外見が綺麗な石も、願望を叶えると噂される石も、竜に与えるための石ではない。竜仕官は石を選ぶ。自分の持っている感覚に従って、自分の感覚を磨いて、その石を見つける。石は私たちができる竜への唯一の贈り物だ。だからこそ、ここに持ってくる石は、自分ができる最大の敬意をもって選ばなければならない。カルセドニーが心を預けてくれる前から、選んだ石はルイスの渡せる心そのものだった。
「この竜が今後どうなるのかは、私には分かりませんが、あなたができる事があるとするならば、この竜のために、回復を祈ることだけです」
このように言うのは傲慢かもしれない。でも、ルイスにはこうする事しかできない。竜の言葉は分からない。ただ、人の元に降りてくれた竜に、精一杯できる事がこれしかないから。
「……わかった」
小さく返事をしたクイーズは、様子をうかがっていた警備兵に連れて行かれた。これから父と同じように取り調べを受けることになるだろう。それを不憫にも思ってしまうが、こういう心はただの個人的な感傷だろうか。道を違えてしまう前に、竜が好きな一人の人として話すことができなかったかと思ってしまう。そうしたところで持っているものが違う。なんの慰めにもならなかったかもしれないけれど。
連れて行かれる背中が小さく見えた。
「ルイス」
「最初から敵ではなかったのにと思えば、余計なことを考えますね。分かっています。彼の未来は私が背負うことではないと。私は私ができる事に精一杯で、彼は彼で必死だったのでしょう。ただ、同じ物語に憧れた人がこうなってしまったのは悲しいですね」
「あんたがそうやって真摯だから、最悪の事態になる前にとめられた。そう思っておけばいい。過去は変わらない。どんな石に願っても」
「そうですね」
願いを叶える石はない。その通りだ。
「あっちでは石が到着したようだぞ」
竜の庭の扉の方からは、水道局長がやってきているのが見えた。その手には木製のそれほど大きくない箱がある。あれは呪いの石を入れたものと同じものだ。
「石も戻ったようで良かったな」
さらなる足音に顔を向けると、こちらにやってきている友人たちが見えた。リリアナたちは、市長のところに行っていたはずだ。
「リリアナもアイクも、話は終わったんですね」
「ああ。少しだけ話せたよ。理解できたことも、そうでないこともあるけれど……」
そういうリリアナの表情は少し疲れていたが、柔らかかった。そこで言葉を切ったリリアナは続きがみつからないのか眉を下げた。行動が腑に落ちた、納得した、そういう言葉が続くのだろうか。でも、彼女自身の心にある正義がためらわせるのか。
「話ができて、良かったですね」
「そうだな。あの人が思っている事が聞けてよかったよ」
風が彼女の金色の髪をさらっていく。空色の瞳がこちらを向く。
「そういえば、石の回収は終わったんだな。回収した石はどうなるんだ?」
話題が移り変わる。ルイスはウォンダーをみた。彼は横たわった竜の方を向いていた。竜の喘鳴のような鳴き声を聞いている。
彼は竜の庭に入る前に、言っていた事があった。石の回収先について。持っていかねばならないところがあると。それは竜の庭そのもの。そして、旅をするきっかけとして、その石の回収を誰かから頼まれたのだと。
このままだと、呪いの石は竜仕官の管轄となり、石が人に影響されぬよう保管方法を考えることになるだろう。呪いの解析のために研究を行うかもしれない。それをウォンダーはよしとするのだろうか?
ウォンダーが口を開く。
「時間がきた」
翡翠色の瞳は、ルイスの方を向いた。
「だまし討ちのようになって悪いな、ルイス」
横たわっていた竜が、最後の力を振り絞るようにして起き上がろうとしていた。
庭の少し離れたところにいた竜仕官たちが、こちらの様子に気がついたようで騒ぎになる。また暴れるのではないかと不安を口にする者もいる。
竜は弱々しい足取りではあったが、自分の体を起こすと、首をもたげる。周りの竜が、カルセドニーも含めて反応する。何かを見送るように竜の庭の一点を見つめると、同じ音程で喉から音を出した。
「どうしたんだいきなり」
「竜が歌っているみたい……」
「何が起こるんだ?」
その場に居る人々は疑問を口にする。誰もが動揺する中、ウォンダーだけが全てを知っている様に悠然としていた。
ふと、ルイスは名前を呼ばれた気がして辺りを見渡す。カルセドニーと目が合った。青灰色の瞳が優しく瞬きする。
竜の庭は一瞬でまばゆい光に包まれ、何も見えなくなった。その光はこの世のものではないと直感がささやいた。光は庭の中心から大きくなり、やがて庭の全体を包み込む。目を開けているのか閉じているのか区別がつかなくなりそうな洪水のような光の中で、ルイスは別の竜の声を聞いた。




