対話
埃の立つ部屋の中で、聞くとはなく耳は音を拾っていた。
外からの大きな音が止んだのを、クイーズは意識した。扉一つしかない小さな小部屋。窓もなく、唯一の外との繋がりは扉だけ。その扉の外にも父が配置した護衛官が四六時中張り付いて、クイーズを外に出さないようにしている。扉の前が騒がしかったのは感覚的にはほんの少し前だ。人の気配なんてものはわからないから、外に出るまでに時間をかけてみたのだが、今外の廊下はどうなっているのか皆目見当もつかない。普段入らない白亜宮の一室だということはなんとなく分かるが、それだけだ。
この部屋にいる間。何度か建物自体も揺れる様な大きな振動があった。壁や天井に押しつぶされるのではないかとびくびくしていたがなんともない。
こんな小さな部屋に居続けるなんてまっぴらごめんだった。それに。
クイーズは明瞭になった思考で考える。
「あの竜はどうなった?」
考える時間はあった。むしろ、こんなにも一人で過ごした事がなく、しばらく放心していたくらいだが、時計もなく、陽の光もない曖昧な時間のなか、自分の内から湧いてくる声との問答が、ここで唯一できる事だった。
数ヶ月、自分がどうやって過ごしてきたのか考えようとすると、行動の一つ一つに連続性がない。はじまりは、ひとつの石を手にしたとき。
ああ、これで僕は竜仕官になれるのだと思ったことをよく覚えている。
念願の竜の庭に行って、竜に出会って、石を与えた。その結果はどうだったか。思った景色はそこにはなかった、様な気がする。
「確かめないと」
扉は抵抗もなく開いた。廊下には誰も居なかった。ただ、そこの景色は様変わりしていた。廊下には瓦礫が積み上がっている。少し歩けば、壁には大穴が空いていた。そして、その向こう側には竜の庭。白亜の建物に囲まれた大きな庭。竜が休むところだ。
庭の中心部には竜が数体。それに竜仕官もそうでない人も何人かいて、彼らの傍に、動かなくなった竜が体を横たえていた。
ああ、夢ではなかったのだ。クイーズは無意識に遠くから手を伸ばした。
*
リリアナはアイクを伴って白亜宮内部を歩いていた。ところどころひびの入った建物は、部分によっては修復が必要な場所がいくつもある。
珍しくリリアナの後ろではなく、隣に並んでいる護衛官は、前方に危険がないか隈なく探しながら進んでいる。
竜仕官たちは石の回収に忙しいと言う。
砕けた竜を操る石は、竜仕官からみるとそれも弱い呪いを発しているとのことだった。それと竜の息吹を組み合わせ、加工することで、竜を操るため力を得ていたのかもしれない、とルイスは言っていた。
驚いたことにこの都市では竜仕官しか取り扱えないはずの竜の息吹が、材料として使われていたと言う。
竜仕官たちは砕けて小さくなったかけらまで、庭の隅から隅を探しだした。リリアナも手伝っていたが、ある程度を回収したところで、リリアナやアイクはお役御免となった。秘石を見つけ出す特別な感覚を持っていなければ、石のかけらの捜索難易度は格段に跳ね上がる。そう伝えられたからだ。ルイスとウォンダーはそのまま庭に残るという。竜たちが心配だから、回収は早めに終わらせたいとのことだった。
中天を過ぎた太陽は傾き、建物の影が庭の隅に落ちている。あといくらもすれば夕焼けが白亜宮越しにみられるかもしれない。
壊れた建物の復旧の計画等は、これから立てられることになる。頭の痛い話ではあるが、死者がなかったことが、二十年前とは違っているところだろう。誰も犠牲が出なかった。それが救いだ。それだけに、リリアナはどうしても事を起こした本人と話をしたかった。
壊れた建物の各場所には迅速に規制線がはられた。崩れやすい場所にはロープが渡されて、人が入れないようになっている。この件の首謀者であった叔父は、主犯として捉えられた後、治療を受けていた。
どうやら足に怪我をしたらしい。あの時、暴れる竜の近くから満足に動けずにいたのは、そのせいもあったようだ。足の治療のためと、その身の監視のために、比較的崩壊の少ない東側の一室に入っていると言う。
「本当に会われるのですか?」
確認してきたアイクに、リリアナは笑った。この男、質問しながらも別に主人の行動を止めるつもりはない。リリアナの覚悟の程度を聞いただけだ。ちらりとよこされる表情が物語っている。
「当たり前だ」
その言葉に、そうですかとだけ返答があった。
叔父が入っているという部屋には保安課の人間が二人。リリアナをみると、入室の記録をとるが、特に咎められはしなかった。先に水道局長と竜仕官長に話は通してある。血縁とはいえ、今回の事件の首謀者に会うことには流石に許可が必要だった。
簡素な内装。簡素なパイプのベッド。仮にも五家の主人が使うようなベッドではない。白亜宮には仮眠室もあるというから、そこから一台持ってきたのだろう。叔父はその上に体を横たえていた。顔には皺が増えたように思う。この数時間で少し歳をとったような印象さえあった。いつもは後ろに固めてある前髪が、庭での騒動でほつれ、そのままになっているのも要因のひとつだろう。足の他には、右の手にも包帯が巻かれている。ウォンダーが石を狙った際に、痛めたのだろう。
「入室の一声もなしか」
「叔父様」
室内に待機している警備の人間が扉付近に下がる。アイクは相変わらずリリアナの後ろに控えている。わずかに一歩だけ引いたのが彼の譲歩だ。トゥレはそれを一瞥したが、特に何を言うでもなかった。護衛官にかける言葉はないらしい。トゥレは視線を戻したあと言葉を発した。
「何をしにきた」
いつもならその横柄な態度が好きではなかった。だが、今はそれを指摘する気にもならない。いつだって上から見下ろして小娘を鼻で笑うようなその言葉も、こうして見下ろす立場になってみて、そう威圧感はないと感じた。それに、いつだって真っ直ぐにこちらを見ていた目は、リリアナに合わせられることはなかった。
くたびれた彼は、何もない壁を見つめている。
「傷の具合はいかがですか」
「……そんなことを聞きに来たわけではないだろう」
その通りだ。リリアナは小さく深呼吸した。回りくどい質問など必要ない。リリアナは彼を笑いにきたのでも、糾弾するためにきたのでもないのだから。ただ話がしたかった。彼の心の内を聞いてみたかった。
「……あなたは竜が憎くてこんなことを起こしたのですか?」
「二十年前の事を、竜仕官長に聞いたか」
「はい。奥様が、この場所でなくなられた事も」
「……。ならばわかるだろう。父譲りの寛大な心で考えるがいい。私の心の奥に救っている憎しみを。想像すればいい」
リリアナは首を振った。
「想像する事は容易です」
『容易』という言葉に、トゥレはぴくりとわずかに反応した。開いていた手が、拳を握ったのが見える。心の奥に猛る想いが溢れている様にリリアナには感じられた。この言葉選びは安易だったかもしれない。それでも、自分の姪から『わかる』と共感される事が、この男にとって嫌なものであるだろうとは推測していた。共感される事を望んでいない叔父は、どういう反応をするのか見てみたかった。
「嫌なところが父に似たか」
「……」
横顔が歪む。リリアナは応えない。
狭い部屋に沈黙が落ちる。息を吐いたのはトゥレだ。未だ市長の肩書きを持つ、都市に反逆した男。
「竜は私の大切なものを奪っていった。竜など滅びてしまえばいいのだ」
「しかし、それでは都市は、人は滅びます」
「だからこそ、計画を練った。二十年の歳月を考えることと考えを実行し続けることに使った。一つ一つ積み重ねる生き方こそが復讐だ」
共存ではなく、竜を支配する事を望んだ。竜に左右される世を切り捨て、人の世を確立するために。
「うまくはいかなかったがな。得た力は十全ではなかった。まだ足りない『何か』があったのだ」
「あなたは、ここまでの大事になって、まだ諦めてはいないのですか?」
ただの疲れ切った顔だと思っていた。しかし、そこには闘志の熾火がある。まるで呪いの石の様だと思う。深い紫色の中にはぜる火花の赤。あの石の本当の特性を知らない人はあの石を奇跡の石という。この男もまた、奇跡を願ったのだろうか。いや、違う。彼にとっては奇跡ではなく、それは積み重ね、たぐり寄せていく現実可能な未来なのだろう。今もまだ。
それでもリリアナは思うのだ。
「あなたは間違えたのです」
今の都市構造は竜を無くして成り立たない。そして竜仕官と竜の関係が、本当の奇跡を運んできた様を、リリアナは今日、目の当たりにした。中心にいるのは友人だった。竜が好きだと言い続けるその友人は、その心のままに、竜を呼び、騒動を治めてしまった。まるで一つの物語を見ているようだった。
お互いに親しげな彼と彼の竜は、トゥレの言う竜の支配関係とはかけ離れていた。
「……。私はうまくできなかっただけだ」
彼の視線は動いて、リリアナを睨んだ。だが、すぐにふっと力をなくすと反対側の壁の方を見た。
「私は竜を憎んでいる。だが目的も達成できず、こうして裁きを待つばかりだ。私はいつまでこんな世界で生きていなくてはならない」
憎しみを消すこともできず、目的を達成する手段を断たれた男の嘆き。
「一つ、私の友人の話をしてもよろしいですか?」
「勝手に話せばいい」
リリアナは頷いた。
「学生の頃の話です。私は竜に対して特に特別な感情を持っていませんでした。彼らは都市を支える存在。竜仕官を通して、都市を存続させる存在。ただそういう認識でした。そんな中、一人の不思議な友人ができたんです。彼は子供のように竜と英雄の話をキラキラした目で好きだと語る変な人でした。臆面もなく、自分も竜の友人になりたいのだと語りました」
ルイスの事だった。彼は中央の学舎には馴染まない人だった。だからこそ、今でも自由人なんて言われているけれど、彼の大切なものははっきりとしていて、彼は中央で育っただけでは獲得できない価値観を持っていた。
「彼は数年経って夢を叶え、竜仕官になりました。そして今度は彼の竜の友のことを私に語るようになりました。私が知らなかった、知ろうともしていなかった竜の一面を彼に教えてもらいました。竜が人を信頼して起こす行動、仕草、鳴き方、瞳の輝き、鱗が綺麗に見える時間。まるで仲のいい家族の事を話すように」
叔父は何も言葉を発しなかった。ただ、壁の染みを眺めている。彼の胸中にどのような感情があるのか、外からは分からない。しかし、リリアナは続けた。
「確かに竜は体も大きく、爪も鋭い。時に人の脅威になるかもしれません。しかし、言葉通り、お伽噺のように友になれる存在であると思いました。共存できる存在であると」
それは竜の庭でみせた、彼と彼の竜のやりとりが証明している。少なくとも、脅威になるだけの存在ではない。ルイスと彼の竜は友としての関係性を構築できているのだと確信できた。
トゥレはそれを黙って聞いていた。相槌はなかったからリリアナがしゃべるだけだったが、語り終えるとトゥレは大きく息を吐き出した。壁の模様をなぞっていた瞳は、リリアナに向けられる事はない。薄く開いた唇が吐息と共に小さく言葉を吐き出した
「そう思えるおまえは幸福だな」
「……そうですね」
垂れた薄布を押したような手応えだった。表情にも変化はない。
「もう出て行け、話す事はない」
トゥレはそれからもうしゃべらなかった。
病室を追い出されて廊下に戻る。自分は疲れた顔をしているかもしれない。アイクがわかりづらく眉をしかめたのを感じてそう思った。主人の健康状態の管理まで護衛官のつとめだと豪語する彼の許容範囲に収まらなかったのかもしれない。
対話を終えて、残ったのは疲労感だ。
叔父の道は二十年前から決まっていたのだ。それをずっと歩み続けて、その結果がこれだ。
トゥレも、その息子クイーズも、これからどうなるのか。
「そういえば、クイーズの方は今どうなっているのだろうか」
父とは違った方向で竜に執心する男。呪いの石を竜に与えてしまった男は。




