エピローグ
白亜宮の北側はルイスのお気に入りの場所の一つだ。
遠くには都市外の荒野が見える。
後ろの白亜宮は復旧の音が聞こえてくる。竜が壊した建物の修復を行っているのだ。このままでは竜の庭の出入り口がたくさんあって、警備に支障がでる。穴の開いた建物を思い起こしながら、それらが早く修復されることを祈る。
市長の起こした騒動から三日が経っていた
あれから白亜宮内部の捜索も行われたらしい。クイーズが使った侵入用の通路は、建物の見取り図に記載されておらず、度重なる増改築の際に秘密裏に作られたものだとわかったからだ。警備態勢に知らず穴が開いていたことになる。白亜宮の通路という通路、部屋という部屋を調べ直し見取り図は作り直されると言うことだった。いつから侵入用通路が作られたのかという調査は、その後に行うという。
竜の墓場から竜の庭に帰った後、呪いを受けた竜はいなくなっていた。リリアナに聞くところには、ルイスとウォンダーも少しの間いなくなっていたらしい。一カ所に集められた呪いの石は、全てが消えていた。全てあの、竜の墓場へと運ばれてあの竜の石の一部となったのだ。この世にあったままであるよりずっといい。
だったら最初に呪いの石が竜の庭に持ち込まれたとき、石だけが墓場に回収されれば騒動はそもそも起きなかったのではとルイスが愚痴をこぼすと、そう上手くいく話ではないと釘を刺された。だからこそ自分が石の回収役を担っているのだと。
竜の庭に帰ってきたルイスたちを待っていたのは竜仕官長・水道局長を交えた話し合いだった。消えた竜と、消えた石がどうなったのか。
ウォンダーはというと、肝心な事を濁すというか、説明をルイスに任せた。竜仕官として信用の厚いルイスから色々と説明した方が、話に信憑性があるだろうと、自分の口から語ることはなかった。その代わりに、竜の墓場に落ちていた扁平の石を一袋、両手で受け止めて山になるくらいの量を竜仕官長に提供していた。あの石は竜が死んだときに一部残る竜の本物の鱗であるらしい。この鱗があれば、呪いを受けた水を調べることができる。
都市タルテアンはこれから夕暮れの頃合いだった。細い糸のような雨が徐々に上がる。先ほどまではもっとたくさん降っていた。数匹の竜がこの都市から離れたからだ。茜の空に竜の影が見える。小さくなったその影に心の中で別れを告げる。
ルイスの隣には、もう一人の竜の気配を持った男が近づいた。煙る翡翠の瞳はルイスと同じように竜を見送っている。
「よかったのですか? あなたの口から話さなくて」
その瞳にはなんの感傷も含まれていない様にみえる。ただ空がそこにあるように、竜も、彼にとってはとても身近な存在なのかも知れない。
「必要ないだろう。聞かれたくないことまで聞かれるのはごめんだ。それに、報酬は貰ったからな。随分と気前がいい。当分は路銀に困らない」
旅に必要だろうと、竜仕官長はウォンダーに随分たくさんの金を支払っていた。都市を救った立役者。この先に必要な石の提供へと渡す分には少なすぎると竜仕官長すらも考えたようだが、ウォンダーはそれで満足であるらしい。
「なんだ。なぜあんたが不満そうなんだ」
「あなたは結果的に都市を救ったんです。あなたがいなければ、もっと被害は増えて、たくさんの被害が出る可能性があった。それを未然に防いだんです。評価されるべきでしょう?」
名声でも、報酬でも。それだけの事をした。英雄と言われても遜色のない活躍だと思う。だが、ウォンダーは言った。
「評価が欲しいと思ったことはない」
「どうして」
「表舞台に出るのは向いていない。人からの好意の目も注目も必要ない」
本当にそう思っている顔だった。
「ここ以外の場所だって、ずっと一人でやってきた。人の住めなくなった土地で何をしようが、誰が称えてくれる訳でもない。何が変わる訳でもない。竜のいなくなった土地で、一人でできる事を作業のようにこなしているだけだ。ただ……」
少しだけ顔が陰る。
「滅びた都市をみる度に、徒労感はあった。誰もいない都市で、呪いの石を探し出して墓場に返すことに疲れ始めていたからな」
ウォンダーの目は都市を見下ろしている。そこには人の営みがある。家があり、人の集まれる場所があり、談笑する人がいて、子供が笑っている。彼の目は、何を追っているのか。
「あんたが信じ、ここまで共に走り続けてくれたことが、俺は嬉しかったんだ」
光が照らす顔は晴れ晴れとしていた。
「石を回収した後に、こうして誰かが隣にいる」
町並みを見ていた目が、ルイスの方を向いた。
「ありがとう」
ルイスは口を開いたけれど、何も出てこなくて眉をしかめた。この人の人生を思った。長い旅路を思う。一人の背中を思う。その背に、声をかけてやりたかった。
「こちらこそ、ありがとうございます」
絞り出せたのは、そんなたわいもない返答だった。そして安堵の息をつく。この都市までなくなってしまわないでよかったと。自分たちの住むところがなくなるからじゃない。このときばかりは、このとんでもない大きな役割を自分に課した男に、また大きなものを背負わせないでよかったと思ったから。今こうして隣に立って、感謝の言葉を伝えることができるから。
表情を作り損ねて表情をぐにぐにと動かしているルイスを見て、ウォンダーは笑った。大きな手が、頭の上にのせられる。少しぽんぽんと弾んだ手は、すぐに離れる。手袋越しの体温が遠ざかるのを感じて、ルイスは目尻から流れそうになる一粒のそれをぬぐった。
「お互いに、頑張ったな」
「……はい」
暮れの太陽はその表情を変えるのが早い。西の空は燃えるような赤色に染まっている。少し冷たい風が頬を冷やす。竜の影はもう見えなくなっている。遠く旅立ち、折りを見ては都市にやってくる竜の生き方。その習性にこれまで疑問を覚えたことがないとは言わないけれど、その理由が竜の庭自体にあったことに今はなんとなく納得している。
竜が帰る場所。そんな場所がこの世界にいくつもある。
沈黙したルイスにウォンダーが何を思ったか、口を開いた。
「呪いを受けたあの竜も、今は墓場にいるが、回復する見込みがないわけではない」
「そうなんですか?」
「その辺は、墓守と、あの竜自身によるが、もしかしたら元気で出てくる可能性もある。どれだけの時間がかかるかはわからないがな。そういう竜もいると、墓守に聞いたことがある」
「また、あの竜がこの空を飛べるなら、嬉しいです」
飛んでいる竜を見ているのが好きだ。その自由さが尊く思う。その中でたまに人を気にかけてくれる竜がいる事に感謝する。彼らのおかげで、水のないこの大地を、人間は都市をつくって生きて行くことができる。
自分は、その人と竜の橋渡しがしたい。これまでもそうだったけれど、これからも。ただ、一つ思うところもある。
「ウォンダーはこれから先、どうするんですか?」
多分答えは決まっているけれど、ルイスは質問した。
「また、旅に戻る。あの竜の石は、まだこの世界のどこかに残っている。それを回収し終わるまでは、この旅は続ける」
「どこにいくとかは、決まっているんですか?」
「決まってない。いつも通りだ。噂を頼りに、あてどもなく歩く」
都市の外に広がっている荒野のどこが、彼の終着点なのか、これからの行き先なのか、彼自身にもわからないのだろう。そういう旅だ。ここもまた、流れてたどり着いた都市に過ぎない。
その出会いが、この都市にどれだけ大きな何かをもたらしていたとしても、彼の役目にとっては通過点に過ぎないのだ。
今後また石がみつかったとき、彼の隣には誰かがいてくれるだろうか。誰かが、労いと感謝の言葉を伝えてくれるだろうか。
ついていきたいと、言いたかった。喉まで出かかった言葉をルイスは閉じ込める。
ウォンダーに役目があるように、ルイスにも役目がある。それはここで竜仕官を務めることだ。石を選び、竜に与える役割。
ただ、ここ数日の出来事を通して、彼の役に立てたらと思うことも多かった。竜の墓場にある欠けた竜の石を元に戻してやりたいとも思った。相反する心が天秤の両片方に乗っている。
竜仕官という仕事を嫌だと思ったことはない。むしろ誇りに思っている。だからこそ、また一人で旅立とうというウォンダーには安易についていきたいとは言えなかった。
隣でふっと笑い声がした。
「あんたの仕事はなんだ? あんたの相棒はこの都市に帰ってくるんだろう? あんたがいるから、この都市は大丈夫だと思えるんだ。二十年前から努力する人たちもいる。その方法も浸透している。これから先、あの石が都市に入ってきたとしても、あんたたちはもうその対処法を知っているだろう?」
ウォンダーはそう言って柔らかい表情を見せた。
「任せたぞ」
「はい。私はあなたの協力者でありたい。これからもずっと、あなたの旅が終わるときまで」
「ああ。期待している。いつかまた俺の役目が終わったら、あんたに会いに来よう。長い旅の報告に」
今後を約束する言葉にしてはとても不確かで曖昧な期間の区切りではあったが、確かな希望がそこにある。
ルイスは大きく頷いた。かならず、と。
第一章完結です!
ここまで読んでいただいた全ての人に感謝いたします。
まだまだこの世界は大きいので、今後のお話は書き上がったときにアップできればいいなと思っております。
桐坂




