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ウォンダーの話


 自分のベッドに腰掛けて、ルイスは意味もなく両手を擦り合わせる。食器と匙のこすれる音、外の足音、微妙に空いた二人の隙間を通りすぎていく。何かしゃべろうと口を開いて、そのまま閉じた。

 スープを飲み終えてパンを咀嚼していたウォンダーが飲み込んで沈黙を破る。

「何か聞きたいことがあるんじゃないのか?」

「え……」

「そう言う顔をしている」

「そう、ですね」

「聞いたらいい。つきあいは短いが、あんたは悪い奴じゃないとわかっている」

「そう思っていただけるのはありがたいですが……」

 ためらうルイスにウォンダーは続けた。

「今感じているのは遠慮だろう? 人の秘密に踏み込むことを躊躇っている。人についてくる行動力はあるくせに、そういうところは繊細だな」

 その言い分にルイスは苦笑した。確かにそうかもしれない。

 昔、祖父が家を出るときに両親の反対を押し切って、祖父の方についていったのを思い出した。そういう思い切りの良さはあるけれど、肝心な事は聞けないままだ。人が話すのを待っている。不仲になった祖父と両親の事も、ついぞその関係性について聞くことはできなかった。そのうちに祖父が亡くなって、両親とも年に数回会うだけの間柄になって、聞ける機会も少なくなってしまった。

 臆病だ。

 人の弱い部分に踏み込むのは難しい。

 聞いたらいいといってくれたウォンダーは、急かすことなく待っていた。出会ったときから思っていた、意思の強い瞳がこちらを覗いている。

 乾燥した唇を湿らせる。声は震えていないだろうか?

「石を探していると、あなたは言いました。それは昔、石によって都市が滅んだことがあったからで、誰かに依頼されて石を探し続けていると。でも、小さな噂話を頼りに都市と都市を渡り歩き続けるなんて、よっぽどの思い入れか、他に別の理由があるんじゃないかって思うんです。それに、石を回収するといいながら、あなたは石を回収したあと、どこに持っていくかと言うことを話した事はありません。聞かれないからとか、話す必要がないからとか、そういう話でもないような気がするんです」

 それから――。

「まだあるだろう?」

 その想像は突拍子もない事だ。唐突に感じた直感があっているのかわからない。冷静になってみると、間違っているとも思える。それでも。

 促したウォンダーの言葉に背中を押されて、言葉が口から転がり出た。

「今日、竜の庭で竜と同じタイミングで、市長が手にしていた石に影響を受けているように見えました。あれは、どうしてですか?」

 ウォンダーは口の端を上げた。年上の兄に良くできましたと褒められるような感じがした。ウォンダーは今まで絶対に外すことのなかった左手の手袋を取り去ると、長袖を肘のところまでめくり上げた。

 はっと息を飲んだ音を、ルイスは自分の耳で認識した。

 手の甲から肘に到達するまでにあったのは白銀の鱗だった。人よりも伸びた爪は鋭い。肉食のは虫類を思わせるそれは、まさしく竜のようだった。

 ウォンダーの右手が鱗の上をなぞる。その影で、光沢のある鱗は見せ方を変えた。まるで水の波紋のようだ。水の深い場所を覗き込んだような感動が、声にならずに喉を滑り落ちていった。カルセドニーの作り出す竜の息吹にも似ているかもしれない。その下に息づく生命の力をその一枚一枚に内包していた。

 綺麗だった。

「これが俺の秘密だ」

「……あなたは、竜なんですか?」

「そんな大層なもんじゃない。ただの人として生まれ損ねた、少しだけ竜に近い人間だ。昔の話だ。竜に焦がれて竜の息吹を飲み込んだ人間がいた。それから運良く生まれた子供は、特異な外見的特徴と、人間が持ち得ない感覚を獲得していた。それがいいか悪いかは置いといてな」

「特異な感覚というのは?」

 そう質問したルイスに、ウォンダーは言葉を選ぶ。手を伸ばしたらすぐに届く位置にいる男が、一呼吸逡巡したあとに、目を合わせた。

「あんたは竜がどうやって意思疎通しているか知っているか?」

 少しだけ考えてから答える。

「鳴き声とか仕草ですか?」

「それともう一つ。竜はお互いの感情を共有している」

「感情の共有?」

「一個体が持つ、喜怒哀楽、それ以上の複雑な感情を、周囲の別の竜も感じているということだ。悲しみも、怒りも、感じる距離は個体差があるが、近くにいる竜なら一瞬で伝わる。共有することで、協力する。それが竜の生き方だ」

「ウォンダーもそれを感じる事ができる?」

「ああ」

 すごいと思った。竜とふれあう竜仕官ではあるが、人間は竜の事をほとんど知らない。いってしまえば古い英雄の物語と昔からの慣習と引き継がれた職務に準じて竜に接するのが仕事だ。そこに個人の情と興味があるか否かは一個人によるが、竜の性質に迫る話は聞いたことがなかったし、内面の感情の動きや、生態などは謎の部分が非常に多いのが事実だ。

 知りたいことは多い。

 でも、ルイスは口を噤んだ。

 難しい表情をしているルイスを見て、少し内面を推測したのかもしれない。ウォンダーは笑う。

「あんたの立場を鑑みても、興味を持たない方が難しい話だということは自分でもよくわかるが、おいおいな。話してもいいとは思ってる」

「えっ」

 こんな個人的な興味に、付き合わせてしまってもいいんだろうか。それは彼の触れられたくない場所を無遠慮に掴もうとするような行為ではないのか。ルイスは驚く。

 目を丸くするルイスに、ウォンダーは思い返すように目を伏せた。

「最初からあんたの事は警戒できなかったからな……」

「どういうことですか?」

「あんたを心配してる竜がずっと近くにいたからって言ったらわかりやすいか? ずっといる。近くにな。何でか直接は降りてこないけど、ずっとあんたを呼んでるから、あのとき、無視できなかった」

「!」

 理解した。ウォンダーが言っているのはカルセドニーの事だと。彼が竜の感情を共有するのであれば、わかるのだ。飛べと言って空に逃がした竜の事も、その竜が今、どうしているのかも。

「あまり遠いと感じ取れないが、この都市付近から離れないからわかる。……あんたは慕われてるよ」

 膝に乗せた手が震えた。それをとめるようにぎゅっと握り込んだ。奥歯を噛みしめたのは、そうしなければ声にならない音が漏れ出てしまいそうだったからだ。嬉しかったから。

 ウォンダーはそんなルイスを見て、しばらく沈黙を貫いてくれた。

 ややあって、ルイスは「すみませんでした。ありがとうございます」と、謝罪と感謝をつげる。彼は、そう言われる程の事はしていないと、いなしたけれど、その気遣いもまた、同じように嬉しかった。

 ルイスが落ち着くのを待って、ウォンダーは再び居住まいを正すと口を開いた。

「あんたの最初の質問に話を戻そうか」

 そうだ。ウォンダーに起った体調の変化について。まず聞きたいのはそのことだ。

「人が感じないことを認識するといえばいいのかな。竜が影響を受けやすい物に、俺自身もある程度の影響を受ける。たとえば、あの男が持っていた石に妙な影響を受ける。とかな」

 それはルイスが疑問に思っていることへの回答だった。竜に庭で、ただ一人体調を崩した原因。

「でも、沈黙した竜とあなたの反応は少し違う気がします」

「それは、俺が竜ではないからだろうな。竜に対する強制力の方が強いのかもしれない」

「どんな感じだったんですか?」

「頭の中の自我を押さえつけられて、ぐるぐるして吐きそうになる感じだ。かき混ぜられて、自分が自分でなくなるような感じだった。あのとき、俺の中には二つのものがあった。奥から沸き出す激情と、それを押さえつける命令だ。それがどちらも反発し合っていた。激情はおそらくあの竜が持っていた感情で、命令は石の持つ力だろう」

 ウォンダーは水差しからコップへ水を注ぐと、一気にそれをあおった。

 まだいつもよりも少し怠そうで、全快とはいかないようだ。石の影響が残っているのか、それとも竜の感情をこの距離でも感じているのか、それとも両方なのか。

「そんなに心配しなくてもいい、俺は感度が竜ほど高くないからな。少しめまいが残っているだけだ。少しすればなくなるだろう」

「わかりました」

「あとは、そうだな。石の回収先についてだったか?」

「話してくれるんですか?」

 ウォンダーは「ああ」と相槌を打つ。

「最初はあんたをどこまで信用していいかわからなかったから話さなかった。でも、ここまで協力してきて話さない理由もないしな」

 左手の袖を下ろしつつ、腕の鱗を隠していく。ボタンを留めていつものように手袋をすれば元通りだ。人外の特徴は完全に隠れてしまう。

「そもそもの話だが、呪いの石について普通の人が知っている事は少ないよな」

「希少な石で、幸運の石、なんて言われているくらいですしね。ただみる分には綺麗な石だとも思いますし、それ以外の事は知られていないと思います」

 遠くからみるだけに限るが。石へ感じる嫌な気配、感覚。呪いの気配を正しく感じる今となっては、どうやってもそのようには思えなくなったけれど、竜仕官でない人間はどうしたって綺麗な宝石に見えるだろう。透明度の高い紫色に、中には火花を閉じ込めたような石。あの店員の様に石自体に魅了されてしまう人がいるのもわからなくはない。

「あの石を回収しないといけないのは、その石の人と竜を呪う特性にもあるし、そもそもあの石には返すべき場所があるからだ」

「返すべき場所、ですか?」

 言っていることがよくわからずに鸚鵡返しに繰り返す。

「そう。あの石には返す場所があって、そこにあれば世界に対する影響力を失う。そういう石だ」

「そんな場所が……。ウォンダーはそれをどうやって知ったんですか?」

「俺に依頼をしてきた奴に教えられた」

 ルイスはこれまでに聞いてきた話の記憶をたぐる。

「そういえば、回収もその人に頼まれたのでしたっけ?」

「……ああ。その場所に持っていけば、石は無害になる。人を呪うこともないし、竜を呪うこともない」

 にわかには信じがたかった。でも、これまで彼は嘘をついていなかった。どこまでも『石を回収する』ということに対して真剣で、どこまでもその目的のために進み続ける。ルイスにできるのは、彼の話の真偽を疑うことではない。

 石が人を狂わせるのだとしたら、石を都市の中で保管する事はリスクがある。無害になるのならその方が断然いい。

「その場所はどこにあるんですか?」

「……竜を呪う、竜にまつわる石。今日訪れて確信した。呪いの石を返す場所は、竜の庭にある」

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