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変事


 苦しそうに息を荒げるウォンダー。ルイスは初めて見た彼が苦しむ光景に息を飲んだ。胸を掻き、頭を押さえている。


「どうしたんですか?」


 ルイスは半歩身を寄せてしゃがみ込んだ。問う声は小さくなる。彼は答えず、荒い息づかいだけが返ってきた。大丈夫とは言いがたいその状態を見て、アイクの名前を小声で呼ぶ。こちらを向いた彼も驚いた顔をしたが、少しだけ位置を変えて、トゥレからウォンダーが見えないようにしてくれた。

 なんとなく、タイミングが悪いと思ったから。

 ぐったりしている竜と、ウォンダーが重なって見えたなんて。言えるわけがない。


「成功だな」


 無造作に竜の頭に手をのせたトゥレがそう言った。


「石は、期待した力を発揮したようだ」

「なんの話ですか?」


 そう問いかけたのはリリアナだ。叔父に対する不審と、疑問。知らない人間を見るような複雑な表情が浮かんでいる。全ての事が寝耳に水だった。叔父の行動も、行動に至った理由も。

 トゥレは大きく息を吐き出した。聞き分けのない子供に呆れた目をするように。


「おまえは考えたことがないか? この世の中がとても脆く、不安定であることを。人は竜に頼らねばならず、竜なくして人間は生きられない。水がなければ生命が途絶える」

「ええ、竜は都市の根幹だということは誰もが知っている事でしょう?」

「そう、その状況を誰も疑問に思わない。竜に握られた仮初の人の安寧を、誰も」


 鋭い眼光が血縁の娘を射貫く。


「だが、それが脅かされた。二十年前の話だ。竜が暴走し、当時竜仕官だった人間が数人と、館内で職務にあたっていた職員数名が暴れる竜の犠牲になった」


 市長の目は次にルイスの方を向いた。


「この場にテソロ・レイガートの血縁がいるのは何の運命だろうな?」


 糾弾するようでもあった。向ける矛先のない憤りをこちらに向けている。


「無能な竜仕官に都市の安全と危険な竜の管理を任せるわけにはいかない」


 石を片手に、沈黙した竜を背後に、都市の最高権力者は語る。


「これより竜は我々が管理する。竜には手綱が必要なのだ」


 彼の言葉に先導されて、竜の庭には数人の文官が入ってきた。中央の文官服とは違ったデザインの服。彼らはみな同じような石を持っている。


「手綱?」


 あの石が何か作用している事は間違いがなさそうだ。影響を受けたと思われる竜が、頭を垂れて動こうともしない。しかし、あの石をかざして何事かを話しかけると、竜の息吹を生み出す。

 トゥレについていた護衛官がこちらを取り囲んだ。リリアナが気丈にそれを睨みつける。


「勝手が過ぎるのではないですか、叔父さま」

「リリアナ様、お下がりください。私はあなたを守ることが役目です」

「しかし……」


 押し殺すようなアイクの声。立ち向かっていこうとする主人を静止し、背中に庇う。


「この状況を打破できるならそれを許しましょう。しかし、今はそれが可能だとは思いません」


 アイクがこのまま複数の護衛官を牽制しながら竜の庭の入り口に移動したとして、複数人と相対しながら非戦闘員を数人連れて無事にたどり着けるとは思わなかった。唯一動くことができるウォンダーも体調不良から回復する兆しもない。アイクもそれがわからないわけではない。警戒心は解かないまま、抜いたままの剣をゆっくりと鞘に収めた。

 それをみて、トゥレは厳格な声で周囲に指示する。


「連れて行きなさい」


 その命令を忠実に実行するイリュジオ家の護衛官たち。市長の目はただ静かだ。視線はルイスを掠めて、別の誰かに定められる。ルイスたちに一歩遅れて竜の庭に到着していた竜仕官長だった。


「竜仕官の仕事は終わりだ。今後は我々が竜の管理と、都市の未来を担っていく」


 冷たい目が老体を睥睨していた。オリクトは悲しそうに眉尻を下げた。その両脇を護衛官が逃げられないように固める。

 ルイスとリリアナたちの方にもやってくる護衛官たちは、こちらの話など聞きそうにもない。


 ルイスはせめてもと、ウォンダーを強引に立ち上がらせようとする護衛官を遠ざけて、片腕の下に体を潜り込ませる。ルイスの細い体と違って、良く鍛えられた体が、コート越しに荒い息で波打つ。


「歩けますか?」


 ささやくように質問すると、かろうじて首肯が返ってくる。反応が返ってきたことに少しほっとした。

 しかし、これからどうなるのだろう。

 すでに興味をなくしたように背を向けた市長と、その向こうの竜。竜の暴走は止まったと言うのに、嫌な予感がつきまとう。



 トゥレ・イリュジオは握った石の冷たさを感じていた。

 目の前には竜が一体こちらに頭を垂れている。


 周囲には竜が暴れた後が、地面に複数残っていた。先ほど竜の前足に蹴られた護衛官は、庭の隅にうずくまって動かない。息はあるようだと報告は貰ったので、救護室に運ばれた後に状態を確認することになるだろう。

 息子に与えていた護衛官も弱くはないが、それが簡単に力で伸されてしまう様は、あのときの光景をトゥレの記憶から引き出した。


 何度夢で見たかもわからない。あのときの記憶を。

 竜の庭に入ったのは実に二十年ぶりだった。竜が暴れ、混乱した現場。当時、トゥレは仕事の局外引き継ぎに水道局へとやってきていた。息子を産んで一年も経たずに職場に復帰した妻の様子見のためでもあった。もっと家にいればいいと諭したトゥレに、彼女が「大切な仕事だから、自分も頑張りたいのだ」と話していたのを、今でも彼女の笑顔と共に思い出せる。


 目を瞑るとその日の出来事は鮮明に蘇ってくる。この二十年何度も見た、自らの身に刻むようなその光景。暴走した竜と、それが破壊した建物の餌食になって倒れた人々。ついさっきまでそこで話していた妻が、瓦礫の下に埋もれて見えなくなる。

 なんでこんなことになったんだ。


 あれから自答し続ける。竜を祀り上げて、その力を利用している仕組みが、いつか壊れてしまう砂上の楼閣なら、それを打破するだけの方法を見つける必要がある

 降ってきた思いつきは一種の天啓のようだった。トゥレは研究に身を費やし、金を投じることになった。

 その日々も、今目の前で起っている結果で報われる。


 トゥレは、動くことなく人の言葉に従順に従うようになった竜を見下ろす。その目が嫌いだった。

 まるで宝石のようだと言われる竜の目。人から与える宝石を喰って、水を生み出す別の宝石を生み出す。彼らに自分の命綱を握られている事が、どうしようもなく怒りの感情をくすぐった。いつか彼らの手を逃れ、自分の足でこの大地で生きるすべを見つけると決心した。今はまだ不完全ではあるが、竜主体の世界ではなく、人が竜を管理する方法がみつかった。それは理想の世界への大きな一歩だった。

 死んだ妻の顔が瞼の裏に浮かんで消える。


「宿舎への収容が終わりました」


 どれくらいたたずんでいたのか、過去を再生していた頭は、現実に戻っていく。近くに来た部下が、報告する。


「わかった。クイーズはどうした」


 茫然自失となった息子は手近な白亜宮の一部屋へと監視を付けて押し込んだ。


「混乱しているようです」


 自分とは逆に竜を信奉していた息子も、今回の件で思い知っただろう。憧れは現実の前に打ち砕かれるものだ。その憧れが大きければ大きいほど。


「部屋には見張りを立てろ。今はまだ何をするかわからん。事が落ち着くまではこの件にあいつを関わらせるつもりはない」

「わかりました。捕らえた他の竜仕官たちはいかが致しますか?」

「隔離しておけ。徐々に一文官として働くための制度を整える。それまでは彼らに下手に動かれては困る」


 竜仕官も竜仕官見習いも全て捕らえさせた。外仕事に出ている者もいるだろうが、それほど経たずに捕らえられるだろう。


「承りました。監視の目を光らせておきます」

「頼んだ」


 走り去っていく部下から視界を外す。事を急いたせいで、制度がまだ整っていない。本当はもう少し、時期とタイミングを計るつもりだったが仕方ない。クイーズが予想外の行動に出なければ、もう少し計画は遅らせるつもりだった。


 石を懐にしまって、竜の庭の後の事を他のものに任せた。


「竜に警戒せよ。上空への見張りも怠るな」


 竜鐘に詰めていた竜仕官見習いも全て身柄を拘束した。頭を下げる部下に見送られて、トゥレは忌々しいその場所を離れた。



 ルイスたちが連れてこられたのは、白亜宮の北西にある宿舎の一室だった。この宿舎は既に取り壊しが決まっていて、住んでいる者もいない。人を監禁するにはうってつけだ。あのとき竜の庭の外にいた竜仕官長も、竜仕官もまとめてイリュジオ家の者と思われる護衛官に捕まって、この宿舎につれてこられる事になった。多分別の部屋に何人かずつでまとめて入れられているのだろう。


 その際、リリアナとアイク、竜仕官長のオリクトとは離されてしまった。そういえば一緒に白亜宮にきたはずの水道局長は見かけなかったから、今どうしているのかはわからない。一人警備室に行ったことを考えると、市長の護衛官たちの目をかいくぐって脱出していればいいのだが。


 ルイスは二人用の部屋にウォンダーと共に入ることになった。本来は外から鍵ができない一室だが、ルイスたちが乱暴に入れられたあと、鎖の音がして扉がわずかしか開かなくなった。おそらく南京錠か何かで固定されているのだろう。


 竜の庭を離れると、ウォンダーの体調の悪さは徐々におさまった。大丈夫かと問うルイスに、少し口の端をあげて大丈夫だといった声には先ほどよりも張りがあって、ルイスは息をついた。

 やっと部屋の中を見渡す余裕ができた。


 それほど広くない部屋だ。一般的な二人部屋。はめ殺しの窓。それほど大きくないクローゼットにベッドが二つ。ベッドとベッドの間は人が二人ぎりぎりすれ違えるぐらいしか余裕がない。一つにはウォンダーが横になっている。


 一度外から夕飯の差し入れがあった。堅いパンに、具の少ないスープ。水差しに入った水。二人分を受け取るとき、「この後市長はどうするつもりなのか」と聞いてみたが、返答はなかった。


「世話をかけたな」


 窓から入る光が徐々に細くなっていくのを眺めていると、ウォンダーが口を開いた。上着は薄い長袖シャツ一枚で、外套はクローゼットのハンガーに掛かっている。だるそうな状態を隠そうともしないまま、肘をついて上半身を起こした。


「いいえ、良くなってよかったです。夕飯は食べられそうですか?」

「ああ、大丈夫だ」


 サイドデスクにおいてあったプレートを手にとって、体を起こして床に足をつく彼に手渡した。パンは少し固めだからスープに浸して食べるといい。そう言うと、ウォンダーは旅の保存食よりよほど上等だと皮肉を込めて笑った。


「状況は?」

「見たとおり、こちらの部屋には私とあなただけです。アイクとリリアナ、そして竜仕官長様は別の部屋に入っていると思います」


 ウォンダーを支えていたルイスは引き離される事なく同じ部屋に入れられたが、それ以外の状況はわからなかった。ただ、音の遮断されていない宿舎だ。近くで扉が閉まる音が何度か聞こえたから、おそらくそれほど遠くないところにいるとは思う。

 推測でしかないけれど。

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