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竜の来訪


 白亜宮への移動はこれ以上ないくらい早かった。息が上がって肺が痛い。それで平然としているウォンダーとアイクが、こちらの様子をうかがっている。多分彼らだけならもっと早く着いただろうに、こちらを置いておかなかった。老体にむち打ったオリクトは少し遅れてついて、肩を上下させている。反対にまだ元気な緊急事態を知らせに水道局長は一度警備室に行ってくると別れた。


 白亜宮の正面玄関から入って、一階を進むルイスたちは、途中で竜の庭に行こうとしている竜仕官を発見する。緊急事態を知るよしもなく歩いていた彼らは血相を変えたルイスにまず驚き、息を切らした竜仕官長の存在に再度驚く。口々にどうしたのか聞こうとしたが、それに答えている暇はなかった。


 果たして、恐れていた事は起こっていた。一つしかない竜の庭への扉が開いていたのだ。開いていただけならまだいい。そこには扉の前に立っていたと思われる警備の者が二人、意識をなくして倒れていた。

 最初に飛び出したのはウォンダーだ。今までの走りは準備運動にもならないといっているかのような速さだった。一歩踏み出すと、その背中においていかれる。風に乗ったような速さ。彼の背中を追って視線が動く。そこにいたのは集団だ。鍛えていそうな五人の付き人の真ん中に、あの夜にみた男がいる。クイーズ・イリュジオ。あの夜と違うのは竜の庭の明るさ。昼を過ぎて少し経った時間は陽の光が遮られることなく降り注ぐ。白以外の服を纏った人物がここにいることが異様だった。


 庭に影が差す。竜が降りてきた。白亜宮から遙か彼方に見つけた竜は、もうここまでやってきていた。

 クイーズの周りを固めている五人は、見てくれからして護衛官だ。イリュジオ家でクイーズの護衛を行っている者たちだろう。数が多い。彼らも、石の力によって、クイーズに助力しているのだろうか。一人がクイーズの隣にいて、後方に二人、竜が降りてくる前方に二人。後方を固めていた護衛官が、走って近づくウォンダーを警戒する。隣にいた護衛官が位置をやや後ろに下げて空いた場所を守った。連携がとれている。

 護衛官が躊躇いもなく剣を抜いた。対するウォンダーは素手だ。


「アイク!」


 名前を呼ばれたリリアナの護衛官は剣を抜いて走る。しかし、護衛官とウォンダーの衝突の方が早い。剣は鋭く、武器のないウォンダーは一方的に攻撃されると思った。が、気がついたらウォンダーは護衛官の間合いのもう一つ内側にいた。肉薄して剣の内側に入る。予想よりも早く相対した護衛官はバランスを崩す。


 その護衛官の援護をしようとしていたもう一人を、アイクが止めた。一瞬の膠着(こうちゃく)

 ルイスは意図して息を吸う。


「クイーズ・イリュジオ! 竜から離れてください!」


 竜に意識を向けさせないことが先決だと思った。竜を一心にみていた彼の顔がこちらを向く。誰に呼ばれたのかを認識した途端、その表情に憤怒が宿った。


「またお前か!」


 護衛官の隙間を鋭い眼光が通りすぎ、ルイスへ突き刺さる。だけど距離がある。降りてくる竜はすぐ近く。彼の顔には自分が優位にいるという笑みがあった。


「そこでみていろ! 今度こそ、邪魔はさせない。竜仕官以外が竜に接してはならないと誰が決めた! 僕は僕の選んだ石を竜に捧げる。そのための石で、そのために選び取った石だ!」


 彼の近くに竜が着地した。くすんだ群青の鱗を持つ竜。その手前でウォンダーが護衛官相手に道を開こうとしている。アイクが追随し、援護をしていたが、竜との間にいた護衛官も加わって、思うように前に進めない。


「くそっ!」


 護衛官の手強さにウォンダーが悪態をつく。援護するアイクの表情も険しい。

 クイーズはもうこちらを見なかった。背中だけがこちらを向いている。右の手にはあの宝石が握られている。紫色の石が嫌によく見えた。

 竜が恭しく差し出された宝石に鼻を寄せる。口が開いて綺麗な桃色が見えた。


 間に合わない。

 石はその口の中に消えていった。


「ははっ! あはは!」


 クイーズの笑い声が静まり帰った竜の庭にこだまする。それは無邪気な子供のような声だった。褒められた事を喜ぶような、できたことを喜ぶような。

 だが、目の前の変化は徐々に訪れていた。石を飲み込んだ竜は普通であれば、竜の息吹を生成し始める。竜によるお返しだ。遙か昔、竜と英雄がそうなったように。宝石を与えられた竜は、雫型の竜の息吹を人へと与えてくれる。

 しかし、呪いの石を飲み込んでしまった竜は異物を飲み込んだように嘔吐(えづ)き始めた。


「な、なんだ?」


 目の前にいたクイーズが後ずさりする。ルイスは竜から目が離せなかった。


「まずいぞ」


 近くにはウォンダーがきていた。竜と、竜の変化に意識を割いている護衛官から離れて。アイクも同様だ。


 竜の体がふらつく。長い首が、左右に揺れる。ぐらぐらふらふらと不規則に。明らかにおかしな反応を見せている竜から、雇用主を守ろうと、護衛官が移動する。竜を仰ぎみるだけの主人を背に庇い、じりじりと後ろへ下がると同時に、刃先を向けて牽制している。


 アイクもまた、リリアナのそばで剣をしまうことなく、警戒している。その視線がつっとウォンダーをみやった。研いだ刃のような鋭さがある。


「あの石、はき出させたりできないのか?」

「人にはどうにもできん」


 ウォンダーはそう断言する。


「俺たちにできる事は?」

「今のうちにできるだけ遠くに逃げるだけだ」


 地が揺れた。何事かと思った。竜の方をみると、ふらついた体が、地面に転がったところだった。護衛官がじりじりと間合いを計っている。クイーズは何が起こったのかわからずに呆然としていた。よろよろと体を起こそうとしている竜。その目はどこも見ていない。自分の体の変化がわからないようだった。喉からぐるぐると音がする。踏みしめた前足が、土を(えぐ)る。


 何かを追い出すように振られた首。最後に喉から悲鳴のような声を振り絞って後ろ足で立ち上がった。四足を地面につけていても人の身長を悠々と超すほどの竜の体は、立ち上がり首を伸ばすと山のように見える。前にたたずんだクイーズが無意識に下がろうとして何かに躓き尻餅をついた。護衛官が前を固める。近くを通りすぎた竜の顔に、恐れを抱いた一人が悲鳴を上げて剣を振るったようだった。


 しかし、次の瞬間その護衛官の姿がなくなっていた。

 前足を不自然に振るったような竜。そして、何かがぶつかるような衝撃音。護衛官は数メートル離れたところに飛ばされて動かなくなっていた。


「ひっ!」


 誰が上げたのかもわからない引きつった悲鳴。剣を構える護衛官に一気に緊張が広がった。アイクも同様だ。前方を警戒しつつも、避難経路を確認している。竜との間合いを慎重にはかってじりじりと後退する。


「前に出ないでくださいよ」

「わかっている」


 竜は前足を地に着けて、空に向かって喉を震わせた。声は聞こえなかった。空に助けを求めているようだとおもった。どうしてそう思ったのかは自分でもわからない。竜の庭の上空はこんな状況だというのに、よく晴れている。竜鐘は、もう一度はならない。

 傍らのウォンダーがつぶやいた。眉間の皺がこれ以上ないくらい深く刻まれている。


「仲間を呼んでいる」

「どういうことですか?」

「呪いを受けた竜は、仲間を呼ぶ。苦しみから助けて欲しいからだ。だが、暴走は伝播して、やってきた他の竜も暴れることになり、都市は再起できないほど破壊され尽くす」

「これからこの都市がたどる未来というわけですか?」


 受け入れたくはなかった。でも、自分たちは間に合わなかった。ここまで来て。ここまで来たのに。

 近づくことも考えたが、竜に近づいてどうすればいい? ルイスよりも強いはずの護衛官があんなにあっさりと前足の一振りで飛ばされてしまった。自分もそうなる未来がみえる。噛みしめた歯が口の内側を巻き込んだのか、血の味がした。


 打つ手はないのか。この状況を打開できる何かが。縋るにはあまりにも小さなお守りが、首元で揺れる。

 祖父はこの状況をどう切り抜けたと言うのだ。

 その道筋が見えてこない。暗い闇の中にいるようだった。


「だから竜は必要ないのだ」


 開いたままだった扉の方から声が聞こえたのはその時だった。

 やってきたのは市長だ。白髪交じりの金髪に、高い身長。下を睥睨するような冷徹な蒼玉。にこりとも笑わない厳格な表情は他を寄せ付けない高い高い壁のようだ。


トゥレ・イリュジオ。この都市の最高権力者で、クイーズの父親だ。息子を戒めるべき立場の人間が、真っ直ぐとこちらに向かってきていた。いつもの様に隙なく後ろに撫でつけられた髪に、一本の筋を入れたような真っ直ぐな背中。自らを遮るものはないというような迷いのない歩調。


 彼は、正体をなくした竜に恐れるでもなく近付いていく。一つの石を手に、怯えも恐れもなく、竜の前に進み出た。途中でクイーズのすぐ側を通ったが、一瞥をくれるだけだ。まるで路傍の石でもみるような視線に、見ているこちらの背筋が凍った。


 何をするつもりなのか、護衛官を数人ともなってきたトゥレの左手にはこぶし大もある石が握られていた。武器をもつでもなく、護衛官で壁をつくるでもなくやってきた彼はこの空間において異様に思える。

 トゥレは石を手に竜に近付く。もし今、竜の強靱な爪が振り下ろされれば、なすすべもない。一瞬の後に人の形を保っているかもわからない。そんな想像をした。でも、そうはならなかった。


 どうしてか。空に啼いていた竜はその頭を垂れる。頭の位置が段々と下がって、ついには目の前に進み出たトゥレと同じ位置まで下げるとそのままとまった。大きく広げられていた翼が折りたたまれて巨躯の左右に行儀よく収まる。目はひたとトゥレが持っている石に据えられていた。


「どうして」


 思わず口から出た問いに誰も答える人はいない。誰もが、その光景に息を飲んで何が起っているのかを把握しようとしていたからだった。誰も、その場を説明する言葉を持っていなかった。小さくなった竜はどこか痛々しい。その姿が、自然の中で生物としてのみずみずしさをもち、溌剌と動く見知った姿ではないからかもしれない。ルイスには不自然に見える様相の竜は、市長に(こうべ)を垂れたように見える姿勢のまま、動こうとしない。


 トゥレは竜がおとなしくなると、さらに竜へと近づく。その距離は少しでも竜が首を伸ばせば触れてしまうほど近い。おとなしくなった竜は、首だけをゆっくりと持ち上げる。トゥレが石を片手に何事かを話しかけた。彼は右手を差し出す。正面にある竜の口、その牙の隙間から細いもやみたいなものがはき出されたと思ったら、何もなかったはずのトゥレの空いた手に小さな石がのっていた。


 あれは竜の息吹だ。通常の物よりは小さいけれど、確かにあの輝き、わずかに見えた雫型。そこから考えて、竜の息吹であると断言できた。

 トゥレはそれをみて忌々しそうに冷笑すると、無造作に近くの護衛官にそれを投げ渡した。

 腹の奥がカッとするような感情を覚えた。自分の中にある大切なものをないがしろにされた時に感じる怒りだった。


 思わず一歩を踏み出し、喉から出てくる激情に任せようとしたその時、隣にいた気配が、ふっと消えたような感覚がした。

 おもわずそちらを見る。隣にいたウォンダーが苦しそうに膝をついていた。


「ウォンダー……?」


 荒い息づかいで肩を上下させる姿は、ルイスが初めて見るウォンダーの姿だった。

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