石と昔の話2
「二十年前、白亜宮内部で建物の老朽化が原因で一部が崩れ、人が巻き込まれて死亡した事故があったというのは知っておるじゃろう?」
「はい」
「それは事実ではない。いや、大きな事実が隠されておる。二十年前の建物の崩壊を招いた一因は、竜が暴走したことにある。今まさにここにあるのと同じ石を、見習いが竜に与えてしまったことにあるんじゃよ」
「竜が暴走したという事実は隠され、語ってはいけない真実として関係者の胸の内に伏される事になった。そんな話が外に出ると、竜に対する不信感が都市内に蔓延することになる。都市運営と切り離せん竜そのものに不信感を覚えてしまっては、都市の在り方から変わってしまおう。人が竜に負の感情を抱いてはならぬと当時の市長は考えたのじゃよ」
竜仕官長は一息に語ってリリアナを見た。当時の市長はリリアナの父だ。そのことを、リリアナは知っている。父を尊敬する彼女は、どの時期に己の父親が市長をしていたのか、正確に答えられるはずだ。
「私の父が、そう決めたのですね」
「その通りじゃ」
頷いたオリクト竜仕官長は眉を下げる。
「対外的にはそう言い訳を立てたものの、直接関わった者からしたら、原因は明らかじゃった。見習いが、持ち込んだ石を竜に与えたのは、竜の庭にいた全員が目撃しておった。その石さえなければ、竜の暴走は起こらんかった。だからこそ、当時の竜仕官長だったテソロ様は、今後石を持ち込まないように竜仕官見習い制度を大きく改革したんじゃよ」
祖父が日記の中で自分のすべきこととして語ったことだ。
「石の選定訓練に、試験、ですか?」
ルイスが口を挟む。
「そうじゃ、厳しい選定基準を設けた上で、仕事の幅も狭めた。当時見習いの仕事に含まれておった納品時の付き添いと保管庫への移動は、竜仕官、もしくは見習いの内でも試験を突破したものだけが行うようになった」
「持っている感覚をより磨き、竜に与えてはいけない石を確実に見分けるようにするため、ですね」
オリクトは頷く。
竜仕官見習いの試験を突破できるのは、他にはない石への感覚を持つ者たち。しかし、人によって感覚には違いがある。第三外周のクロイツ宝石店の店長なんかも、竜仕官になれる素質を持ってはいるが、今の状態だと見習いにはなれても第一試験を突破できないだろう。まあ、あの人は竜仕官になりたいと思っている訳ではないみたいだが。
「そう。そのような対策をしてきたのに、ここに来て侵入者によって石が持ち込まれてしもうた。その上、壁外ではあるが健康被害も出た。その時点で石が都市内にあることを察知できればよかったんじゃけれど、私たちは石に対する知識を十分に持ち得ておらんかった」
「石による水質汚染と、健康への被害ですね」
「そう、前回にはなかったことじゃ」
水道局長が言葉にオリクトは頷く。
ロイは続ける。
「リリアナくんから報告は聞くことはあったけれど、蔓延している健康被害の多くが原因不明だった。それが、石による水質汚染によるものだとすると、被害者数は相当になるだろう」
「壁外の件では、業務外にもかかわらず相談に乗っていただき、ありがとうございます」
「いや、いいんだよ。市長殿は壁外のことをあまり重要視しない方針だから。むしろ頼ってもらえて嬉しいよ」
水道局長は穏やかな顔で微笑んだ。彼とリリアナの関係は良好らしい。仕事としてではない活動に対しても相談できる信頼関係があると言うことだ。五家の人間だからと上に置くことなく、普段は厳しく指導されると水道局に入ってしばらくしたリリアナがこぼしていた。それがとてもありがたいと言うことも。
「結果的に、ルイスくんによる報告と、都市にやってきていた来訪者から得た情報で、こうして情報が出そろった。壁外の病気の原因は水の汚染によるもので、中央区に持ち込まれた石にあると言うことがね。これは大変な成果だ」
ロイはウォンダーとルイスに改めて感謝を伝える。
しかし、そう言いながらも表情は硬い。誰もがその理由を知っている。
「だけど、危機が去った訳じゃない。今回の調査によって石を一つ確保できたものの、我々は後手に回っている事は否めない。都市には知り得ているだけでもう一つ石があるしね」
「クイーズが持っている一つですよね。残りはその一つだけなのでしょうか?」
「今のところはそうだと思うよ」
「どうしてそう考えられたのですか?」
リリアナが重ねた質問に、ロイは答える。
「捕らえた店員が帳簿を隠し持っていてね。記された石の購入履歴は二つ。その店員自身は、一つ、それも大きい方をとられたと言っている」
「とられた?」
「うん。お金は支払われたが、権力を使って半ば無理矢理契約したみたいだ」
「クイーズが五家の権力を笠にきて、石を購入したと言うことでしょうか」
「おそらくね」
リリアナが思い出すように俯く。
「そういえば店の他の店員が言っていました。数ヶ月前から態度がよそよそしくなったと。その前から、その男がみたことのない石を持っていると話題には上がっていて、それが幸運の石ではないかと噂があったと」
「クイーズはその石の噂を耳にしたはずだ。彼が石を収集している事は、彼の学友から確認している」
「それを聞いて、クイーズは宝石店にやってきた」
「その通り。彼は、幸運の石と噂されている石が、どうしても欲しかった」
ロイは続ける。
「幸運の石というのは、宝石を扱う人なら噂程度に聞いたことがある石の事だね。それを手にした人は、幸せになれる。自分の願い事が叶うのだと言われている石だよ。ですよね」
「その通りじゃ。その宝石が、ただの綺麗で人の目を奪うだけの石ならよかったのじゃが、どうも実態は違うと言うほかないの」
「幸運の石と言われながら、どちらかというと、人を狂わせる部類の石だと言う他ありませんね。第三外周でルイスを襲った文官も、クイーズの取り巻きの一人でしたが、彼のためなら何でもすると言っていました。友人の願いを叶えるのだと」
リリアナはそう言ってアイクをみる。アイクはそれに同意するように頷いた。第三外周で騒動を起こした後、その文官は五家のエレクシオンと都市保安局に逮捕されて経緯を話している。クイーズと、学舎の頃から友人であった彼は、竜仕官になりたかったクイーズのために自分もできる事をしたかったのだと言ったらしい。
ルイスは店内での事を思い出す。
「人を狂わせるというと店員の態度もおかしかったですよね。石に執着する様子が見えました。それが、彼の願望、だったのでしょうか?」
「石を手にしている事、それ自体が彼の望みだったということかな……?」
「あ、はい、そうです」
つぶやいた言葉をロイに拾われて、ルイスは恐縮する。
「可能性はあるだろうね。結論を出すとすれば、石を手に入れた個々人の願望を膨らませて、その人間の周囲の人間も巻き込んだ上で、行動を起こさせる石、と言うことなのかな。厄介な石もあったものだね。後わかっているのは――」
「竜が取り込めば、その竜が暴走する、ということ。そして、水につければ、その水を汚染して、その水を飲んだものに健康被害を及ぼすことじゃな」
室内を沈黙が覆った。ひとつの石がここまでの特性を持ちながら、これまで実体を掴ませなかったのとが恐ろしく思える。クロイツ宝石店の店長は、この石がとても貴重なものだと言っていた。石の流通は少なく、誰かの手に渡る事が少ない。でも、その手にひとたび渡ると、人を狂わせる。さらには竜の元に渡ってしまうと都市を壊滅させてしまうような竜の暴走を引き起こす。
まさしく、人の世にあってはいけない石だ。
そして、ウォンダーはその石を回収するために旅をしている。
途方もない旅だろう。
「店員の変色した手については調査している途中ですが、皮膚表面が変質してしまっているようです。本来なら相当な痛みが出るはずだと診察した医師がおっしゃっていました」
「水に浸かった石を素手で扱い続けた結果だろうね」
「恐ろしい事じゃ。クイーズの持っている石の方も、早く回収せんといかんな」
「急務でしょうね。それに彼は一度竜の庭に侵入を果たしている。今は、竜がいないからどうにかなっているけれど、この先は、どうだろうね」
「イリュジオ家に行き、クイーズの身柄を確保せんとな」
「今度ばかりは任意ででも一度身柄を確保しておきたいね。市長も二十年前の事件の事は知っているし、同じ事が起こる可能性がある事を話せば、息子とはいえ事情を聞かざるを得ないだろうし」
水道局長は腕を組んだ。
「石を素直に差し出してくれるのなら、楽なんじゃがの」
オリクトがため息をついた。
とりあえず行動するしかないと、皆が心を決めたとき、自己紹介をしたあとは静かに話の流れを追っていたウォンダーが動いた。ルイスの近くに立っていた長身が窓の近くまで靴音を鳴らして移動すると、窓を全開にする。話が万が一にも外に漏れないように閉めきっていたそこから、ぬるい風が入ってくる。翡翠の相貌が、外――正確には空を見やる。
「どうしましたか、ウォンダー?」
「来たぞ」
「何が……?」
その時であった。白亜宮の方から聞き慣れた鐘の音が鳴り響く。高く長く響く三音。間隔をあけてもう一度、この音は。
「竜鐘――」
竜仕官長とルイスの言葉が重なった。
竜がきた。竜鐘は白亜宮から見える位置に竜がやってきた事によって鳴らされる。遠くから段々と大きくなる影を目視で確認し、塔に詰める見習いが鳴らす鐘だ。もうしばらくも経たないうちに竜が竜の庭にやってくる。
空を飛んで都市の中心にやってくるのなんて一瞬だ。人のように半日もかかったりしない。
「今、市長の息子とやらはどこにいる?」
鋭い声が、ここにいる全員を詰問しているようだ。
誰もが同じ不安を抱えていた。
*
同じ時間。男は部屋の中でその鐘の音を聞いていた。平凡な音だ。いつもは憎々しい思いで聞いていた。誰もいない、棚に囲まれた部屋。部屋の主はいない。先ほど開いた扉から矢のように飛び出していったからだ。久々の鍵のない扉に部屋の主は困惑しただろうか。いや、そんなことはない。あやつは自分の願望を叶えるために動くに過ぎない。あの石を手にしてから、ずっとそう。日を追うごとに内からわき出る衝動は制御できなくなって、ただひとつの目的にのみ執着する獣そのもの。その行動は読みやすく、真っ直ぐに進める道を用意してやれば、疑いもせずにずかずかと進む。
直線にしか進めないその矢は、今から始まる事の最初の一矢だった。
軽やかな足音がして室内を誰かが覗き込んだ。
「ここにいらっしゃったんですねぇ?」
「ああ」
返事をする。そちらを見なくとも、その人物が貼り付けたような笑みを作ったのを感じていた。自分に必要な知識を授けてくれたそいつは、いつだって胸の内にある目的もよくわからなかった。だけどそれでもいい。何年も何年も、どうすることもできずに燻って砂に埋まったような心を思えば。
「用意は調ってますよぉ?」
その者は一つの石を差し出した。紫の石の中に、霞のような白いもやが渦巻く気味の悪い石だ。受け取って握り込む。
「万事準備は整った」
「あとは、そう。彼の実行力を祈るだけですねぇ」
あははと笑った目の前の男だったが、眉根を寄せたこちらの表情にぴたりととまる。「何かご機嫌損ねちゃいましたかね?」なとど聞いてくるがそれには応えない。
「祈りなどしない。失敗するなら当初の計画通り私が行うだけだ」
「はは、それもそうですね。悪い人ですまったく」
「悪い? 悪いというならこの世そのものの方が悪だろう。醜悪な事実に蓋をして、気味の悪い生物に自分の生死をゆだねる」
「うーん」
男は首を傾げた。
「賛同などいらん。私は私の正義を貫くだけだ」
「うん、そういうのは好きですねぇ」
「お前の好き嫌いはいい。行くぞ」
「千載一遇の好機! ですもんね!」
口笛でも吹きそうな勢いで相手はそういった。賛同はしないが、動くことには変わりない。人気のない部屋を出て、男は固い決意の元、目的地を目指した。白亜宮、忌々しいあの場所へ。




